癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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  10月14日、主治医からの説明があった。「肝臓にある癌の数個が大きくなっている。胃の裏のリンパ節も大きくなっている。新たに腹膜に転移が見られる。そのため違う抗がん剤を次の治療として使う。しかし、その場合きつい治療になり最悪は死を予測しての治療になる。その他、何も治療をしないという選択肢もある」と説明を受けた。その説明を聞いた父は「めまいがしてきた。細かい事は聞いておいてくれ」と言い残し面談室を出て行った。私は母と一緒だったが、泣き崩れた。恭平の姿と父の姿、どうしてこんな事になったのか?私から父も恭平も奪っていくのか?父と恭平を苦しめるものを呪った。

 この先どうするのが一番いいのかを主治医に相談した。全身状態からして今抗がん剤を使っても、副作用は以前より多く出る可能性の方が多い。そして、最初の1回は入院で点滴をするが、後は通院での点滴となるために辛い副作用を抱えても通院を余儀なくされる。そして最悪は、体力が無いところに抗がん剤をしてもそれなりの効果を得る事は困難である。と言うものだった。データからしても3種類目の抗がん剤をした場合、どれだけの効果があるのかというものは出ていないらしい。それを知っていながら治療をする人もいるが、その後のデータから予測することは難しいとも言われた。すなわち、3種類目の抗がん剤の投与中亡くなるか、効果が出なかったということが殆どであると考えた方がいい。 K主治医のコメント★ 私は、父が体力的に3番目の抗がん剤に耐える事は難しいと主治医の説明を理解し、誰でもそうだとも思っていました。しかし、KK主治医からの以下のような注意点を頂きました。 「3番目の抗がん剤と言うことが問題ではなく、父の全身状態から抗がん剤の効果より副作用が強く出やすいために、抗がん剤を強く勧めなかったという事です。『7~9番目の治療まで行って5年間も続けて抗がん剤治療を行っている切除不能胃癌の患者さんがいることを知っています』というKK先生の勉強された病院での例も教えてくださいました」
 それに母は車の運転をしない。そのため私がどうしても父を病院に連れてこなくてはならない。しかし辛い体をおして、私に父として甘える事を遠慮し、気を使う父を私は平気な顔で連れてくる事はとても耐えられない。そんな話を主治医にした。ここまで父は頑張ったのに、とも言った。「本当によく頑張られました」と主治医も担当の看護師さんも言ってくれた。
 このとき絶望的な気分になり初めて父の「死」が目の前にあるように感じた。母は「治療をしない場合、後どれ位?」と聞いたが、「個人差があるので何とも言えません」と言った。この先生にはいつも助けられる。もし「一ヶ月」とはっきり言われていたら、私は気が狂うか、叫んだだろう。泣き崩れる私に主治医は「出来る限りの事はお手伝いします」と言ってくれたのも私を救った。そうだ。「死」を宣告されたわけではない。何もしない治療を選んで父との時間を大切にしろと教えてくれているのだ、と考えると「死」でふさがった目の前の壁の隙間から光が見えた気がする。  担当の看護師さんからホスピスを提案された。ガンセンターでは治療のプロであるけれど、治療をしない場合の患者さんに対してはプロではなく、不自由を感じる事もある。それなら、治療をしない人のプロに任せたほうがお父さんのためにもなる、と言うのが理由だった。
 私も個人的には、ホスピスは否定しない。家に帰るというのも一つの選択肢だが、治療のプロも、緩和ケアのプロもいない。心配しながら看護をするというのは看護される人にも不自由を与える事になる。これは私が痛みのコントロールで辛い経験をしたことからもそう思う。薬をもらってくる間の父はどんな気持ちで待っているだろうか?痛みと不安の中で待っているに違いない。私自身でもそうだ。これで痛みが取れるのかな?取れなかったらどうしよう?そういった不安を常に抱えていた。入院して痛みのコントロールを病院がしてくれる方が父は安心できるとも言う。そう考えるとやはりプロにお任せしその代わり私たちしか出来ない事に集中した方が正しいのではないかと思う。

 主治医の説明の翌朝6時、母に父から電話があり「今すぐ来て欲しい」と言う。寂しくて仕方が無く誰かが側にいて欲しいというのが理由らしい。「死」を意識したためであることは間違いない。 結局母はしばらく泊り込み父に付き添う事が必要になった。病院側も付き添いを許可してくれて、本当にありがたいと思った。そんな矢先に恭平の容態は悪化し私は恭平の看護に追われた。というより母が父に付き添う事になったために恭平の看護が今までより満足に出来るようになったということでもある。母の看護のお陰で父は少しずつ精神的に持ち直したようだ。 私にはどうしても介入できない夫婦の絆というものがあり、私には遠慮して言えない事も多くあると思う。安心して泊り込みで看護をお願いできるのはやはり妻であり、その妻にすがったのは今回が初めてだった。
 

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