癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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夕方、血液検査の結果が出るはずだが、主治医の姿は見つからず明日聞くことにしようと思っていると偶然廊下で出くわした。そこで血液検査の結果を聞いた。やはり数値は改善していない。
私は12月21日ごろから頭の中に空洞が出来ているような感覚を持っていた。肝臓の数値が改善されれば父は頑張る事が出来る、という思いと、肝臓の数値が改善されず衰弱をしていくようなら覚悟を決めなくては、という思いがあっったのだが、肝臓の数値が改善しないという部分は気持ちの中の遠くの方にありそれは空洞となっていた。きっと無意識のうちに認めたくない事実を見ないようにしていただけなのだと思う。その空洞を埋めたのは主治医との会話だった。
肝臓の数値が改善されないという主治医の言葉を聞いていたら、心に出来た空洞から「父は本当に死ぬのか?」という疑問がわいてきた。「時間が短いのは確かです」というようなことを言われた。「まだ頑張れると思いたい」という私の言葉に「時間が短い事を認めてできる限りのことをお父様にして差し上げることが今のあなたには必要です」というような言葉が帰って来た。詳しい内容を覚えていられるほど私は冷静ではなかった。この時に看護士さんも一緒だったが、私の話を一生懸命に聞いてくれて父に必要な事は何かを教えてくれた。父が望む事をするのが今の父に出来る事だという。できる限りの事とは、一体何なのか?父が望むことは何なのか?振り返ると父は「釣りにいけたらそれでいい」と言った事を思い出す。それは初めて癌と判ったときだった。そして釣りには行った。父は満足をした。それ以外は何をしたいのか?何を望んでいるのか?と考えても何も思い当たらない。看護士さんが「体が動かなくなった時にお父様は自分の要求を言わなくなったと思います。お父様は誰かに何かをしてもらって満足する人ではなく、自分で出来る事が出来る間に、ご自分で全てされる性格なのだと思います」と言った。その通りだと思った。父は自分で釣りに行きたいと、新しい釣竿を買いアユ釣りに行きアユを釣った。自分でしたいことは自分で済ませた気がする。「側にいたらお父様が何か言い残す事があって、一人ずつに何かを言われるかもしれない」と主治医が教えてくれた。しかし父は言い残したい事を丁寧に言葉にするとか紙に書いて残すような性格ではない。前にも言った事があるが「ありがとう」なんて言う事は絶対にしない性格だと思う。主治医も元気な頃の性格は最期まで変わることが無い傾向にあると言う。ならば父は何も言い残す事はしないだろう。
しかし、一つだけある。父が待っていた事が一つだけある。茨城に住む弟がお正月に父に会いに来てくれるとファックスをくれたとき、号泣しお正月を楽しみにしていると言った。頑張るとも言った。「俺は頑張る」と。先生にお願いした。「先生お正月まで父をお願いします。弟に会わせて下さい」と。

結局、私は父が死を迎える事を認めることが出来ず、父の容態が悪い方へ向かっても私の気持ちはまだ父が頑張れるというところで置き去りにされている。本当なら死を迎える父を今こそ一心不乱に支え、力の限りを尽くすべきときなのかもしれない。しかし「また回復して、一緒に頑張れる」と信じている。いや信じていたい。どうして父の死を認めることが出来るのだろうか?ここまで1年頑張ってきたのに父が負けるなんてことはあるはずは無い。一緒に戦おうと約束したのに父は裏切るはずは無い。しかし。。。。。。恭平の顔が浮かんだ。。。。。。
恭平には「今まで頑張ったからもう、無理して頑張らなくて良いよ。本当にえらかったね。私は寂しいけれど恭平は頑張ったから、楽になっていいよ」と言った。本当に心のそこからそう思ったから恭平にはそう言った。きっと今、私は父に恭平と同じ事を言わなくてはならない。いや、今しか言うチャンスはないのかもしれない。

24日の夜から母はホスピスに泊まることにした。私は一旦家に帰り翌日私が泊まることにしていた。しかし翌朝、母から電話。「父が悪化した」と言う。そんな事があるはずが無い。しかし、ホスピスに着き父の顔を見ると現実を受け入れなくてはならないと肌で感じた。父の手を握り父に呼びかけると「おう」と答える。そして「棚の一番上にある○○○を持ってきて欲しい」とはっきりとした口調で言った。私は何を持ってきて欲しいのかと言う肝心なところが聞き取れなかったので聞き返すと「急いでいる。直ぐに欲しい」と言う。今もなんだったのかは判らない。しかし、看護婦さんはこのときのこの父との会話もありえないことだと言っていた。言葉を発することが出来るはずは無いということだろう。
その後も私の呼びかけには反応をする。目を開け私を見、「おう」と小さいながらも返事をする。頑張っている。父は頑張っていると思う。私が頑張っているのを父は知っている。父も私の頑張りに答えたいに違いない。父の腕で号泣した。父はこの私の号泣を許してくれるだろうか? 

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