癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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  結局、2月14日退院。退屈から来るイライラは頂点に達していて、迎えをかなり早い時間からイライラして待っていたらしい。しかしこのイライラはこの後私達家族を精神的にかなり追い詰める事になるとは知らなかった。
  病院への迎えは母と弟に任せた。私と愛犬達は自宅で部屋を暖め父の帰りを待っていた。どうやって父を出迎えたらいいのか?このまま、病院へ戻る事の無い退院であるのなら喜んで迎えたいが、この先に病院へ戻る可能性があると思っている私は素直に喜ぶ事に抵抗があった。そのため「ご苦労様」という言葉で迎えることにした。
 父が家に着くと母は買い物へ出かけ、私と父と二人になった。「何か食べたい?」と聞くと、「そうめんが食べたい。あぁ、温かいのがいいな。でも、面倒か?」と、はにかんで言う。今までの父なら私に気を遣うようなことは言わなかったのに。私にはこの言葉の奥には生きて自宅に戻って来た事に対しての喜びと、迷惑をかけたからという少しの恥じらいがあるのではないかと感じた。温かいそうめんを作って「はい、どうぞ」と差し出すと涙を浮かべた。食事を取る事ができる喜びの涙かと思ったが、父は自分で思うようにならない自分の体に情けなさを感じたという。我侭を言う自分を「情けない」と涙していたのだ。発病するまでは私を自分の子供として扱ってきた。しかし、今では子供に我侭を言う。そんな自分を責めていたのだろう。それについ先ほどまでは働いていたのでこの急激な自分の体の変化に心はついていけないのかもしれない。でも最期に「嬉し涙でもある」と言った。
 翌日、茨城にいる父の弟が突然訪ねて来てくれた。そこで父の兄弟全員が集まり、楽しいひと時を過ごした。あっという間に楽しい時間は過ぎていき、この2ヶ月笑い顔を見せなかった分もこの日一日で取り返したほどだった。しかしこの時、座っているとイライラするといい、座ったり立ったりする落ち着かない態度を変だと感じた。
  食事は、少しずつだけれど量が増え、食べたいという物を作るようにしていた。カレーが食べたいと言うがさすがに胃が心配で、父に内緒で、半分ほどに薄めて片栗粉でとろみをつけて出した。カレーが食べられるから良かったと、父に自信を持ってもらいたくて内緒にしたのだ。父は「本当だな。前は食べたいとも思わなかったのに、今は美味しく感じる」と自信をつけたようだ。癌細胞が体にある人は少しの事でも気になり、心配になり、何でも癌と結び付けて考える。それを気にしないようにと言うのは健康な人間だから言える事であり、実際の癌患者にとってはとても酷な言葉であると思う。ならば、「気になるのは仕方ないよ。でも良くなった所もある」と素直に精神的に弱った部分を本人と共に認め、その上で元気付ける方が私にも、本人にも楽なのではないだろうか?それに少しでも癌のことを気にせずにいて欲しい。そのためならどんな努力も惜しまない。というとかっこいいが、それぐらいしか父を助ける術を知らない。
 そして、食事をするとわき腹(胃の横)辺りがうずくと言う。入院中に熱があったときさすったらとても楽になったというのを思い出し、さすってあげた。わき腹辺りに硬い部分がありそこが痛むらしい。しかし、入院中にもあったもので、少し改善されている気がした。そう言うと「そうか?」ととても安心した様子。きっとこの事も弱った精神を元気付けるのにとても良いことであったのだろう。父はそれから殆ど毎日のようにさすって欲しそうに私の周りをウロウロする。「さすろうか?」と聞くと「ま、いいや」と答える。「ま」が言葉の最初につくときはその次の言葉は嘘である。つまり「擦ってくれるなら擦って欲しいな」が本心。「いいよ、擦ってあげる」と言おうものなら言葉より先に椅子に座っている。しかし今までは、父の体を触る事すらなかったが、こうして自分の父を自分の手で感じ、やせて弱った父の体に「今まで育ててくれた父」を痛いほど感じる。
入院中に抗がん剤を始めてすぐ、鼻血に悩まされていた。前触れも無く、かなりの量の鼻血で、なかなか止まらない。輸血をしたのに全部鼻血となって出てしまうと嘆き、一度出ると止まらないために恐怖を感じていた。その鼻血の回数は徐々に減ったが退院しても治まる事はなく、私達の助け必要としていた。しかし、2階の自分の部屋から助けを呼ぶのが辛いためブザーを購入した。
  そのブザーは夜になるとなる回数が多く、私は落ち着いて夜を過ごす事は難しいほどだった。 数日後、鼻血は治まったが、今度は鼻の奥に血の塊が出来て息も出来ないほどに大きくなり鼻を詰まらせるようになったという。そのため、近くの耳鼻科で診察を受けた。塊が出来る原因は判らないが塊を取れば楽になるということで、塊を取ってもらうために毎日通うことになった。この日、耳鼻科から出てきた父の嬉しそうな顔はとても印象的だった。自分にしか判らない症状を耳鼻科の医師が「これでは辛いから毎日取り除きましょう。楽になりましょう」と言ってくれたらしい。やはり辛い症状であるという事を理解してもらえるということはとても大きな意味を持つのだと思った。 しかし病院で待つ時間がとてもつらいらしい。何故かイライラして椅子に座っている事が苦しいという。
  鼻血と同時進行で、夜寝ることが出来ないと言いはじめた。私は癌を気にして眠れないのかもしれないと、精神安定剤を眠剤の変わりに飲ませてみた。しかし効果は無く夜中の3時まで起きていたりするらしい。段々イライラは激しくなる。布団に入るがイライライするらしく寝ていられないために、起きてくる。「大丈夫だよ。横になると寝られるから」と毎晩父を励まして寝付かせたり、話し相手になったりして何とか毎晩寝付かせる努力を重ねた。しかし、鼻血がおさまり鼻の固まりも出来なくなったと安心し始めた3月中ごろ、一晩中起きていたと言う。かなり深刻。
 そしてある日、折り紙で鶴の折り方を教えてくれと言うので教えたが、4つ折にするところまでしか覚えられない。1時間半かかっても1度しか完成しなかった。おまけによだれを垂らしはじめた。本来記憶力はよく、頭も良い方でそんな父の変わり果てた姿に私は唖然とするしかなかった。翌朝、私が起きると又、鶴を折っている。しかし4つ折の所からどうしても判らないと、情けなさそうに私に訴える。それに一晩中寝られなくて、朝まで起きていた。座ってもイライラするし立ったり座ったりで朝まで過ごした、と言う。一体どうしたのだろう?しかし寝られない日がそんなにも何日も続くはずが無い。明日ぐらいには疲れて寝られるだろう。そう思ったのがいけなかった。
  翌日夕方、いきなり顔の相が変わり始め鬼のような顔になり「いかん。イライラを通り越して、気が狂いそうだ」と言い出した。私は驚きと焦りで、ガンセンターのS主治医に電話で相談をする事にした。薬の副作用の可能性を考えていたので、その辺りのことも聞きたかった。副作用ならS主治医が対処してくれるに違いない。
S主治医「どんな症状か?」
私「イライラして眠れないし、座っていられないほどイライラして、顔の相も変わるほどです」
S主治医「で?」
私「副作用の可能性は?」
S主治医「僕の知る限りでは可能性は無い。そういうイライライは精神科へ行ってください。癌を気にして精神がおかしくなる事がある」
 冷酷な印象さえ受ける返答だった。しかし、精神科は父も抵抗があるために、最初に入院した医大病院で診察をかねて相談をしに行った。
 結局、癌を気にしているからだと、安定剤を処方された。「それより、随分と元気になられました」と父の元気そうな姿を喜んでくれた。 しかし、私にはただ単に父が癌を気にして眠れないとは考えられない。この症状の原因として考えられる事は、はやはり薬の副作用ではないかと感じる。もし本当に精神的なことだけなら一睡もしない日が続けば疲れるはずだ。しかし体は疲れる事はなく、むしろ元気すらある。第一食欲がどんどん増していく。
 

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