癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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  2002・11。リビングにある置時計が狂った。この置時計は父の会社の元従業員が我が家の新築の時に新築祝いとして頂いた物で、ヨットがデザインされている。父は時計の針の時間をを直した。しかし、どれだけも経たないうちに狂う。又、直した。しかし同じように狂う。電池も交換した。それでも時計は狂う。私はこの元従業員の方が気になった。ひょっとして病気なのではないか?と気になった。
2002・12・20。父は体調を悪くして総合病院へ私の運転で診察へ行く日の朝、狂った時計の針を直して出かけた。この日「癌」と私は宣告された。余命もわずかであると言われた。涙を我慢し自宅へ帰ると、リビングの時計は止まっていた。9:30で止まっていた。父が時計を直した時間だった。出来るならこの時間に戻り、癌の宣告、余命の宣告を聞かなかったことに出来るのならと時間を戻したかった。しかし、元従業員を心配していた私は、時計が父のこの先を教えたのかと疑った。
しかし、今考えると2002・12・19、9:30に戦いは始まったと言うことなのかとも思う。

今も父の癌との闘いを想う時この時計の事を思い出す。
時計はリビングの置時計だけではなく、私の部屋の振り子時計も狂った。直しても電池を変えても結局振り子は動かなくなた。偶然も重なると嫌な予感となるのだろうか?父が2度目の入院をする頃、やはり父の部屋の時計が狂った。父がちょうど時計を直しているところだった。嫌な感じがした。私は父が抗がん剤治療をしてもう少し元気でいられると信じたかったけれど、この時計は「あまり余裕は無いよ」とでも伝えているのだろうかと言う、そんな嫌な感じだった。
そして、リビングの柱時計が止まった。2003.12だった。電池を交換しても動かなかった。その4日後父は天国へ旅立った。結局どの時計も今は正常に動いている。電池を交換したら直ぐに針は時間を刻むし、私の部屋の振り子時計もきちんと振り子も動いている。
その、元従業員の方だがこの方に父は会いに行った。2003・6だったと思う。実はこの方も2002・12に脊椎にコブが出来たために手術をして入院をされていた。同じ時期に病院に入院していた偶然を驚き、お互いに元気になった事を喜んで別れたと言う。しかしこれがこの人と父が合うのは最期であり永遠の別れとなってしまった。

出来るなら、もう一度あの止まった時に戻りたい。あの時医師は「胃潰瘍です。直ぐに良くなりますよ」と言い、治療をした後今父がこの家にいる、そんな光景を思い浮かべるのは無意味だろうか?
しかし2002・12・20 9:30には戻れない。そして何処を探しても父はいない。
 

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