癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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父とこんな会話をした。
私「老後の生活も何も無かったね」
父「まいいや」
たったこれだけだけど、意味がある。この家に引越しをした時「仕事を辞めたら庭の草取りでもするかな」と言った。しかし、父は現役で働いているうちに病気になった。そのため、どうしても父に「のんびりとした老後を送れないことが悔しくないのか」と聞きたかった。「ま、いいや」という父のこの口癖は、諦めや拒否ではなく、どちらかというと「お前の言いたいことは判っているし、悔しくは無い。そう思ってくれるだけでいいんだ」というニュアンスが含まれている。前にも背中をさすろうかと私が言った時に「ま、いいや」と言ったが、それにも「そう言ってくれるだけでいいんだ」というニュアンスが含まれている。そのため私はこの父の言葉を聞いて、とても安心をした。そうか、父は本当は悔しいけれど、私がそう思うことには喜びを感じているのだと、そんな感じがして安心をした。この会話の中で父と私はとても穏やかで、明るい雰囲気に包まれていたし、父は笑顔で答えたことも印象的だった。

又、ある日、私は父の病室に私の親友と一緒にいた。この日は父が散歩をしたいと言い、父を車椅子に乗せるのを手伝ってくれるという。そして、こんなやり取りがあった。
父は車椅子に乗るために布団をめくると「こんなに足が細くなった」と寂しそうに言う。
私は「歩いていないから筋肉が落ちたんだね」と父を励ます。
「そうだな、頑張るか」と言うが、立ち上がり歩こうとする足はフラフラする。
私は「支えているから大丈夫だよ」と言い父に肩を貸した。
私の親友はそのやり取りを見て「大丈夫。もしあなたが倒れそうになったら私が支えるからね」と私に言った。
父は「弱くなった」とポツリと漏らした。
「大丈夫。私がついている。見放さないから大丈夫」と答える。
「頼っていいか?」と父が私に私に聞いた。

という、これだけのことだった。
しかし、その弱くなった父は意外に明るい表情で、自分の細くなった足をそれ以上気にする事も無かった。そして、「頼っていいか」と言ったときの父のどこかはぐらかすような感じが印象的で、父の本心を聞いたような気がした。 でも、私は父が「頼っていいか」と聞いてくれた事が嬉しくもあった。今までは、自分が父として立派であるために私には絶対に「頼っている」という態度は見せようとしなかった。私が「大丈夫、私がするから」と言うまで父は私に頼る事はしなかった。少しぐらい甘えてもいいのに、頼ってもいいのに、と歯がゆい思いをした事が何度もある。だからとても嬉しかった。

しかし、この2つの会話は私が見た夢である。 私は確かに今でも「のんびりとした老後の生活を送れないことが悔しくは無いのか」と聞きたかったし、父が私を頼ってくれることを期待していた。しかし聞く事も出来なかったし、言ってもくれなかった。 このつの私の見た夢で、聞きたかった事が聞けたし、言って欲しい事も言ってくれた。夢の中だけど答えてくれたことに感謝しようと、思うようにすることにした。
父が亡くなってしまい、父には聞きたいことも聞けないし、言って欲しい事も言ってくれないと嘆いている、そんな私を不憫に思ったのだろうとさえ考えた。
しかし、ひょっとしたらそれは、父が亡くなったからそう思うだけで、父は今、生きていても私の質問に答えるとは限らない。私が言って欲しいと思うことも言ってくれるとは限らない。第一、口が裂けても「頼っていいか?」とか「甘えたい」などとは言わない可愛げの無い性格をしている。私の親友も、「あなたを支える」とは口に出して言ったことは一度も無い。しかし、倒れそうになるといつも支えてくれた。
この夢を最期に「あれが聞きたかったのに」「こう言って欲しかったのに」と思うことを止めようと思う。私の親友が夢に出てきた理由は、言葉が無くても、気持ちは理解できるという、大切なメッセージを伝えるためだったのではないだろうか。事実、父の気持ちは言葉が無くても、あの夢を見なくても、目を閉じると理解が出来る。
 

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