癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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 1月2日。毎年恒例のお墓参りと、初詣。父も一緒だ。初詣といっても私が泣いたお稲荷さんで、そこでは毎月おみくじを引いていて2ヶ月連続で「大吉」が出ていたのを思い出した。大吉は良すぎて悪いと聞いたことがある。つまり今が良い時のピークで、これから先の運勢は下るだけ、という事らしい。が、そうそう続けて出るはずもなく今年一年のおみくじを引く。
 「大吉」ショックだった。そこでこれは今月の分だからと自分に言い訳をしてもう一度引いた。せめて吉ぐらいがいいのだけれど。しかし「大吉」それも同じおみくじ番号。唖然として言葉を失った。これで4連続「大吉」。30階建てのビルから飛び降りて最後に頭をコンクリートにぶつけたのかというほどのショックだ。判るだろうか?突然ハンマーで殴られたショックというより、数秒間ショックを受け続け最後にドカーンという感じ。この大吉を境に運が滝を流れ落ちるように下っていくのかという恐怖を感じた。
  初詣の後、父はしんどそうだったがお墓参りにも一緒に行った。しかし車の中で待つという。疲れたらしい。これほど父の体力を奪う癌を憎んだ。ご先祖様に手を合わせ「少しでも良くなるように」とお願いをして帰宅した。
 自宅で過ごした間、食事の量も少しずつ減り、痛みも薬だけでは治まらない様子を私は見守るしかなかった。しかし、必要以上に心配をすると父は余計な事を考えるようで、なるべく静かに父が過ごせるように心がけるしかなかった。

4日に病院へ戻り、又検査が始まる。検査恐怖症に陥った父は、とても落ち込んだ様子を見せる。腸の検査をすると言うのだがこれまた苦しいらしい。「あまり辛いのなら、やりたくないと拒否していいよ」といい加減な事を言ってしまった。しかし、腸の検査はしなくてもよくなり、代わりに骨塩値の検査をするらしい。これは寝ているだけの検査なので辛くないのだが、経験の無い父は「何をされるのか?」という恐怖で怯えている様子だった。
 私はいつものように検査室まで父と車椅子で移動し、その途中で「怖い?」と聞く。「どんな検査かな」と父。「寝ているだけだよ。安心して」と言うと「そ、そうか?」とすっとぼけた声で答えた。あまり私の言うことを素直に信じる人ではないが、多少安心してくれただろうか?検査には40分かかるので、私は時間をつぶすと言うと「で、戻ってくるのか?」と聞く。元気な頃の父なら「さっさと帰れ。自分で何とかする」と言うはずだが、私を頼りにし始めたという感じがあったし、少しは気を抜いて他人に甘えることをして欲しかったのでその感じは嬉しくもある。
 検査が終わると寝ぼけた様子だ。私の言うとおり寝ているだけでよく、つい昼寝までしてしまったと言う。案外父はノー天気だ。そういえば私も意地を張るところがあるし、案外単純な性格をしている。父の遺伝子を受け継いだに違いない。そういえば、愛犬の恭平とさくらは親子なのだが、この2匹も全く同じ行動をとる時がある。寝ているときの姿なんかは全く同じだし、食べ物の好みも殆ど同じだ。遺伝子が関係しているのだろうか?しかし、その遺伝子に問いかけることで私は一つの答えを見つけた。なるべく安心させる言葉を使おう、と。 この時、車椅子でここまで来るときのビクビクした表情と、何でもなかったという時の昼寝までしてしまう精神状態があまりに差がありすぎると感じた。これから先はずっと病との闘いの中で生きていかなければならない。病気に対して楽観的過ぎるのではいけないが、ほんの些細なことでも、安心させることを積み上げていけば、ビクビクしながら生活するよりはずっといい。「少ししか食事が摂れなかったね」というよりは「こんなに食べれたの?」と声をかけるだけでも違うのではないだろうか?が、これは簡単なようで難しい。自分の大切な身内が食事を摂れないとなれば、前者のほうを口にする人が殆どではないだろうか?
 運のいいことに「なんだか今日はあまり食べられない」と食べ残したお膳を前にして父が言う。「そう?こんなに食べたじゃないの」と言ってみた。「うん。そうだな、今日はまずかったしなあ、こんなもんだな」と父。単純と言えば単純だが、私にしてみたらとても大きな出来事でもある。

 検査がすべて済み、病状の説明のために家族が全員呼ばれた。とうとう告知のときがやってきた。主治医の説明を、点滴のチューブをいじりながらうなずきもせず聞いている。 「胃の潰瘍の中にがん細胞が見つかった」と主治医。「手術はできないのですか?」と父は聞いた。「潰瘍が大きすぎますし、臓器が集中している部分ですから、手術は危険で出来ません。抗がん剤での治療のみです」 が、父は返事もしなかった。
 「抗がん剤で今とても効果の上がる薬がある。その抗がん剤治療で頑張りましょう」と主治医の説明にも、質問もしなければ、一言も発言をせず説明は終わった。
 そして部屋を出て私達に怒った。「それみろ、癌だ。言っただろ?癌だ。手術も出来ないんだ。俺の言ったとおりだ」かなりの剣幕だった。目を引きつらせ、こぶしを握り、息も荒い。母にはこの数日前癌であると告知をしておいたが、泣いている。
私もとうとう来た告知の瞬間に、今まで自分が父に隠し通した緊張感が解けて力が抜けてしまっていた。
弟も一言も発しない。母の涙声以外は沈黙が続いた。凍りついた時間とはこんな感じだろうと今思い出してもそう思う。
どれだけの時間沈黙が続いたのか?今でも思い出せないほど長くて嫌な時間だった。しかし沈黙を破ったのは「俺は負けんぞ!」という父の言葉だった。  

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