癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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 私も少し環境に慣れたので、ホスピスの中を探検。手作りの物がとても多い。カイロのカバーやドア・ストッパー等に温かみを感じるように配慮してある。お花も希望すると部屋に届けてくれる。私なら喜ぶが父は興味ナシ。。。。
毎日ボランティアの方たちが、3時にお茶を入れてくれる。患者はもちろん、身内でも頂ける。そして割ったらどうしよう、と思うほど素敵なカップでお茶を入れてくれるので、今ではちょっとした楽しみになっている。しばらくは売店のコーヒーやジュースで間に合わせていたので、ホット一息つくにはとてもいい。そして本当ならお茶の相手になるはずの父は寝てばかり。一人のティー・タイムを楽しもう。。。。。ちなみに今日はお抹茶にした。
庭に咲いた花もボランティアの方たちが植えたもの。が、愛犬たちがちょこっと踏んだ。ごめんなさい。
囲碁や将棋の相手にもなってくれる方もいる。
ティー・ルームの一角にもお花が生けてある。季節感の無い病室に長くいるよりは生きているという実感につながっていくと思う。

11月22日。父の病状の説明が主治医からあった。「貧血がすすんでいるので吐血、下血をした時には状態は深刻になる可能性がある。そのため予備的に輸血を考えます。血液検査の結果からしても肝臓の方の数値は前の数値のところで留まっており、悪化しているというより停滞しているのではないか?ただし全身状態は徐々に悪化しているので楽観は出来ない。これからの事としては、発見された時にはⅣ期の胃癌であり、通常で言うならその時点で「数ヶ月」と判断するがすでに1年近く経過している。抗がん剤が効果があったとしてもここまでは予測出来なかったであろうし、前の主治医の先生も予測不可能であっただろう。8月の抗がん剤が最期であると考えてもやはり今の経過は予測できなかったと思う。今後も普通であればお正月は無理と予測するのが適当だが、正直言ってその予測は当てはまらない可能性もある」との事だった。そして、全く動けないという程全身状態は悪いとは言えない。普通ならおトイレにも自分で行く気力や外に車椅子であろうと出てみたいと思ってもいい。むしろ動きたくないし、何もしたくないのではないか?その辺りは精神状態が大きいのではないかという話が出た。生きる事をあきらめてしまった状態にも取れるようだ。確かに痛みも、嘔吐の回数も減っているし苦痛は軽減されている。しかし、ガンセンターにいた頃よりかなり悪化したように見える。全身状態が悪くなっているという事を差し引いても、もう少し何か気力があってもいいと私もおもった。が、私は思い当たる事がある。父はガンセンターを去る事に不満や不安を抱えていて自分が決めたとはいえホスピスに移ったことに納得が出来ていない。もうここで死を待つのだという、あきらめの気持ちが大きいのではないかと思う。先生も多分そうでしょう、と言った。そしてせっかくここに来たのですから、時間を有意義に過ごせるように努力したい、と言って下さった。
 愛嬌が悪いのもそういった気持ちが現れているのだろう。「どうせ・・・」みたいな物を感じる。しかし、看護士さんと少しだけ世間話をしたらしい。そして先生に過去の自分の病状を説明したという。少しだけ気持ちの奥底で変化が芽生えはじめたかもしれない。
こうして、精神的な部分をもケアしてくれるのは本当にありがたい事だと思う。今まではKK主治医に信頼を寄せ、ガンセンターで治療を受ける事が出来るという安心感を持っていた。しかし、環境は全部変わった。新しい主治医に新しい看護士、そして新しい病室。父にとってはこの時点から新しい信頼と環境に慣れるように気持ちを直ぐに切り替えるという事は難しい。そんなかたくなな父に対し熱心にそしてあきらめることなく「充実した時間を」と看護してくれる。父の気持ちが和らぐのも時間の問題だと思う。

父がそろそろ環境に慣れるはずだと思っていた。しかし、いまだに眉間にしわを寄せ殆ど会話をする事も無く、看護士さんの語りかけにも狸寝入りをして返事をしようとしない。ベッドを起こすことすらしないし、テレビを見るとか新聞を読むなども全くしない。ひたすらベッドの上で横になり、眠っている。しかし、体を拭いてくれた看護士さんが「横になるときなどはとても動きが機敏ですし、力もあるようですから、動こうという気持ちが少ないだけだと思います」と教えてくれた。
父がここへ来てから一度も部屋の外に出たことが無い事に気がついた。父の気分を少し変えるためにもいいし、本当に動く気が無いのか「車椅子で散歩をしよう」と父を誘ってみてその答えで判断をしようと思った。すると父は「いいぞ」と答える。車椅子なら散歩をしてもいいと言うので看護士さんに頼んで連れて行ってもらった。すると、車椅子での父は自分で上半身を起こし、外を見たり、看護士さんと会話をしたりし始めた。そこには無理は感じられない。
ひょとして家族に甘えすぎているのかもしれないが、もしそうだとしても、先生や看護師さんにもそのうち心を開くだろう。

それから数日前に父の友人から電話があった。「元気にしているか?」と聞かれたが「元気にしている」と嘘をついた。すると「様態が良いようなら皆で父の顔を見に行きたい」と言われてしまった。焦って嘘をつきその場をごまかしたのだが、そのウソに後ろめたさを引きずっていた。
このときの私は、父の姿を見られたくない、元気に会話が出来ない父に会って欲しくない、という気持ちと、友人達が父の姿を見てがっかりするなんて絶対に嫌だといった自分勝手な感情が先にあったのだった。
しかし、嘘はつくものではない。その後、又違う友人から電話をもらい、同じ事を言われたのだ。嘘を突き通すことが出来なかった私はこの父の友人に、正直に父がホスピスに転院したことを告げた。すると「どこにいようとも、どんな状態でも中学からの友情は壊れない」と言ってくれた。「皆が父に会いたいと言ってくれている事を伝えます。会いたいと答えたら会ってやってください」とお願いをした。

私は愚かだ。これは父の人生なのだ。父の希望するとおりにするのが本当なのに、父には友人からの電話のことも伝えず、事実を隠そうとしていた。自分だけのことしか考えられないのだ。本当に愚かだ。
すぐに父の元へ行き、電話のことを伝えた。すると、父は「来てもらってくれ。しかし家から遠いし道が判らないようならお前が案内しろ」と答えた。
すぐに友人に「父が会いたがっている」と電話すると「判った」と答えすぐに父に会いに来てくれた。この方はO氏というが、その後O氏が他の友人にも連絡をしてくれたようで、先に電話をくれた友人も又他の友人も笑顔で父の元へ来てくれた。
友人達と楽しそうに過ごす父を見ていると、いつの間にか「癌になってしまった父」という扱いを父にしている自分に気づく。「父が癌になった」のであり、どんな状況でも父であることに変わりはない。明日からは以前と変わらぬ父の姿と向き合おう 。

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