癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

HOME 闘病記 がんと闘う父の記録 緩和ケア3 1

 父が癌になる前はホスピスという言葉を知っていても、特に注意を払う事は無かった。しかし、父がホスピスにお世話になり、緩和ケアに関する事を勉強しておくべきだったと後悔した。
一般に「末期がん患者が死に行く場所」ととられがちだが、それはやはりホスピスの認識がまだ薄いためではないかと感じている。
今までに父の闘病に書いてきたように、癌は様々な症状を引き起こす。その中でも精神的な苦痛はあまり重要視されていない。特に父のように末期の癌になると当然、死への恐怖があり、その精神的な苦痛は計り知れないものがある。痛みでもそうだと思う。「痛みさえなければ普通に生活が出来るのに」という経験をされた方も多いのではないだろうか?痛みに関しては病院でコントロールしてもらえると思っていたし、病状が深刻になっても病院に入院するのが当たり前だと思っていた。
ホスピスが聞き慣れてきた言葉とはいえ、末期がんだからといってホスピスへ行く決心は中々つかない人が殆どではないだろうか?
私も最初はそうだった。告知の問題と共にこの緩和ケアという言葉は印象の悪いものであるし、単純にホスピスは知っていても父がまだ癌の治療をしている間は遠い存在だった。
父が発病して約1年。正直言ってここまでこのホーム・ページが続くとは思っていなかった。その上、最期に抗がん剤治療をした8月からここまで父が頑張れるとも思っていなかった。その経過の中でホスピスという言葉を考えるようになり、緩和ケアの大切さ必要性を考える機会を与えられたと思う。

父は今までの間、治療をするなら生きていられると信じて来た部分がある。それは今考えると治療が先ではなく、生きるということが先なのだと思う。人にもよるが父は2種類目の抗がん剤の副作用に苦しみ、死にたくなるほどであったと言った。しかし、それでも治療をした。それは生きたいためだった。生きることが出来るなら副作用の辛さが我慢できたのだろう。「治療をしなければ死ぬんだ」と私に言った事がある。直るからと信じて治療を受けるのではなく、死にたくないから治療をしなければならない、と父は考えていた。治療から得る安心感は影響が大きい。
副作用で苦しむ父を見る私も辛く、こんな思いをして治療をしなくてはならないのかと言う疑問や、治療を止めると父が死んでしまうという不安で気持ちは揺れ動いていた時期がある。しかし、ある時父が生きていても父は会話をする気力も体力もなく、私も父を病院に連れて行き、そして看病をするだけの存在になっている事に疑問を持った。その疑問は治療をして効果が無かったらこのまま父は苦しいまま終わってしまうのかというものでもあった。
その後、治療をしないでも一日でも長く、穏やかに過ごした方がいい、と考えるようになり、父も辛い治療を拒否した。

しかしそれはあまりにも単純であまりにも甘い考えであると気がつく。
「日々を大切に過ごす事」それは言う事は簡単であるが、一番難しい。何故なら治療を拒否した父は明らかに「死」を意識しなくてはならないからだ。その「死」への不安、恐怖を抱えた人は私の想像を超えるほど精神的に苦痛を抱えている。その事に気がつかなかったのは、今まで治療に専念しすぎて大切なことを見失っていたと言うことかもしれない。癌を少しでも小さくする事は一生懸命考えてきたけれど、父の精神的な痛みを小さくする事はあまり考えてこなかったということだ。
愛犬の恭平が病になり殆ど寝たきりになった頃、目を開けると私を探す。「ここにいるよ」と声をかけると目を閉じて眠る。しかし、目を開けたときにはやはり私を探す。恭平は不安だった。私がいないと不安だった。「死」への恐怖を感じていたかどうかは判らない。しかし、不安だったのは間違いない。
父も同じだ。ウトウト眠っていてもふと目を開け私を探す。「ここにいる」と確認すると又目を閉じ眠る。父は不安を感じている。
 

index: トップページに戻る  ◊  前ページ  ◊  次のページ

闘病記その他