掲示板過去ログ

報告

posted by さくらDate: 12月9日(木) 10時22分

 

こちらのH・PがYahooさんに登録されたH・Pです。 ダックスの恭平&父の癌との闘い は別ページになります
http://www.geocities.jp/sakura3dachs/

恭平の一周忌

posted by さくらDate: 10月18日(月) 15時24分

 

ほんとに月日が流れるのは早いです。もう、恭平の一周忌。 土曜日には、ホスピスの家族会に参加してきました。

同じような悲しみや辛さを抱えて毎日頑張っている人たちに出会えてよかったです。 一人の女性が「夢にも出てこなかったのに、四十九日を過ぎたら出てきた。お山の天井に座って、今は幸せな場所にいる」と言ったとの事。

私も父と恭平が、父の四十九日の朝に出てきました。そして、時々出てきてくれたけれど、家族会の翌日の朝父が出てきました。

とても元気でいつもと変わらない姿だった。 まるで、父がここにいるかのようなはっきりとした夢で、現実と錯覚を起こしそう。恭平は出てこなかったけれど、きっと明日の朝出てくるんじゃないかな?

早いもので・・

posted by 麦わらのヨフィーDate: 9月22日(水) 23時43分  

 

お久しぶりです。。親父がなくなって来月のはじめに百ヶ日を迎えます。本当にまだ信じられない感じです。

 最近夢を見ました。はっきりは、覚えていませんが、まだお袋も元気で親父も含め家族で食事をしている夢でした。これが現実ならどんなに嬉しい事だろう。。人は、死ぬのが当たり前ですが、それを受け止め思い出に変わるまでには、長い時間が必要ですね。

両親が亡くなっても全く平気だといっている友人もいますので、人それぞれでしょうが・・・ さくらさん。。最後に闘病中の親父からのメールです。「今日も一日がんばりましょう!」涙がでます。。

ほんとうに早いですね。     名前:さくら 日付:9月24日(金) 23時48分

私もまだ信じられない感じです。 お父様とお母様が出てくる夢は初めてですか? 私は時々見ます。ある人に「成仏していないと夢に出てくる」と言われて悩んでしまって、お坊さんに相談しました。すると、「見たくても夢に出てくる人の方が少ない。夢に出てくるなんて感謝しないといけないですよ。もちろん成仏していないなんてそんな事はありません。それより、それだけお父様との愛情が深かったと思ってください」と言われました。
フィーさんもそうなんですね。お父様ともお母様とも強い絆でつながれていて、その愛情が深かったから夢に出てきたのだと思います。
私はよく夢を見るので、夢占いの本を持ってます。それによると、亡くなった方が出てくる夢は、いい事があるって書いてあります。 お父様も、お母様もヨフィーさんをしっかりと見守っていてくれるのではないでしょうか? そんな気がしてなりません。
思い出にするには時間もかかるけれど、無理に思い出にしようとしないで下さいね。押し殺そうとしても、無くせるものでもないと思うのです。と言っても私も同じなんですが・・・

お父様とメールの交換をしてらしたんですか? そのメールが残っているんでしょうか? 今でもお父様は「今日も一日がんばりましょう!」と言ってくれているかもしれないですね。 ほんと、頑張りましょう。明日は明るい笑顔で、「こんな言い事があったんだよ」ってお父様に報告ができますように!!!

華氏9.11

posted by さくらDate: 9月13日(月)   

 

見てきました。 命を何に捧げるのか?

何のために戦うのか?

一番不幸なのは、 親より先に、子が旅立つことなんだな、 と感じました。

さくらさん、fu-chan さんお久しぶりです

posted by 麦わらのヨフィーDate: 8月20日(金) 10時28分  

 

さくらさん、大変遅くなりましたが、優しいお言葉有難うございます。。本当に感謝しています。。。

 はやいもので昨日49日が過ぎました。 本当に早い日々でした。49日の法要の時住職が仰いました、「人は、生まれたときから死に向かって歩いている。これは、避けられない事だと思います。長生きする事だけが幸せではありません。私たちは、生きているのではなく、生かされているのです。今、生きていると言う事が幸せであり、それを判断できるのは、自分しかいない、幸せだと自分自身で思う事、そうすることで、いろいろな不安や恐怖から開放されると思うのです。今を、大切に生きたい、私たちは、生かされているのです。せっかくですから、悲しまないで、楽しみましょう笑いましょう。それが亡くなった方への供養になるのです。」すぐには、無理ですが、「これから前向きに行かなければ」と言う気持ちと、親父、お袋の為に、そして何より自分自身の為に頑張って楽しく生きようと思っています。

さくらさん知っていますか?筑波にわんわんランドという犬のテーマパークを発見しました。。ふれあいコーナーでは、20匹くらいのわんちゃんが、出迎えてくれます。。もう3度ほど行ってかなりのパワーを貰いました。自分は、本当に犬好きなんだと、改めて確信しました。。もし機会があったら行ってみて下さい。(^^)fu-chanさんお元気ですか?自分も、がんばって元気になります。。(^O^)

ヨフィーさん、ほんとお久しぶりです      名前:さくら 日付:8月21日(土) 23時49分

早いものですね。もう四十九日なんですか。嫌でも月日は流れていくって気がしますね。 「生かされている」本当ですね。そして死に向かって歩いているのもなるほどと、納得しました。オリンピックの番組で「今、それが人生」という言葉がありましたが、未来でもなく、過去でもなく、今現在を歩いている。ならば今を精一杯生きる事が人生なのかなと、思って見ていました。
悲しみは決して消してしまう事はできないけれど、楽しむ時間、笑う時間を少しでも多くするなら、自分の人生は幸せだとかんじる事ができるようになるのでしょうか? そんな気持ちで読ませていただきました。 私もヨフィーさんに見習って自分自身のために頑張って楽しく生きたいと思います。
でも、振り返ると本当にヨフィーさんもfu-chanさんも本当に頑張って乗り越えられたのだなと、今になって思うようになりました。それだけ強く優しいお二人は、必ずこれからも素晴らしい人生を歩いて行く事が出来ると信じてます。それに、その頑張りを聞きながら私も励まされた気がします。

 筑波のわんわんランドですか?知りませんでした。名前を聞くだけで行って見たくなりますね。20匹のワンちゃんに囲まれてみたい!!!!一度機会があったら行って見ます。
犬ってどういうわけか癒されますよね。獣医さんが言ってましたが、犬は本来前向きな動物らしいです。例えば怪我で足を無くしても、痛いところが無くなればそれで本来の元気を取り戻すそうです。人間よりはるかにたくましいと言ってました。きっとそういう前向きでたくましい犬は何かパワーを持っているのでしょうね。
今年は暑い夏でしたし、そろそろ夏の疲れが出る頃です。無理をしないようにして下さいね

少しは落ち着かれましたか

posted by さくらDate: 7月27日(火) 10時26分  

 

まだ日も浅いので、落ち着くというところまではいってないかもしれませんね。

日を追うごとに違った思いも出てくると思います。 辛いこと、闘病中の顔、声、元気な頃の姿、色々と頭をよぎり、 様々なシーンが思い出されるのでは無いでしょうか?

涙を流すことも多いと思います。 でも、泣きたいときは泣いたほうがいいかもしれません。 一人で泣いていると「もう泣くな」と言われているような そんな気分になったことを思い出します。
ヨフィーさんもfu-chanさんもお元気でお過ごしください そして、泣くだけ泣いて、いつもの笑顔が一日も早く戻りますように

ありがとうございます

posted by 麦わらのヨフィーDate: 7月14日(水) 21時58分  

 

さくらさんfu-chan さん少し落ち着いてきました。優しいお言葉ありがとうございます。元気になってから書き込みしようと思いましたが。流石にこの歳(30前半)で両親を亡くすとは、思ってもみなかったので、まだ無理そうと言う事で近況報告です。。

でも実際落ち着いてくると厳しいですね、早くも明日で二七の日です。でも最後の言葉を胸に頑張ってます。。元気になったらまた書き込みます。。

ここは、自分のオアシスだから・・

辛いですよね    名前:さくら 日付:7月17日(土) 0時42分

30代前半というと、まだまだご両親がお元気で甘えている人もいるくらいですよね。ご両親を亡くされるには早すぎる年齢だと思います。 私の父の父は36歳で亡くなったそうです。父が6歳のときでした。そしていつも「俺には親父がいなかったから頑張らないといけなかった」と言っていました。その父の言葉を思い出しています。
しかし、お父様はヨフィーさんの事を何より心配されて、気がかりでしょうし、反対にお父様もこの世を去らなくてはならなかった悔しさをお持ちであるに違いありません。
父が、病に倒れてから「まだ、死ねない」と腹の中で言われたと、言ったことがあります。目に見えることではありませんし、言われたような気が下だけかもしれません。しかし父は、6歳の時に亡くなった自分の父ではないかと、言うのです。それだけ、親は子供のことが心配でならないのだろうと、思って涙したことがあります。 そんなことから、落ち着いたり、悲しみが癒えることはまだ先だと思いますが、きっとお父様はヨフィーさんの事を見ているに違いないと思うのです。
今はとにかく悲しみを我慢することなく涙を流して下さいね。流れる涙は、お父様とのつながりの深さを表しているのだろうし・・・・
そして、お父様が涙を流すヨフィーさんを見て、お父様とのいい思い出を思い出させてくれる日が来ます。

fu-chan さん

posted by さくらDate: 7月13日(火) 20時32分  

 

ほんと、ヨフィーさんのお父様は残念でしたね。一生懸命頑張っておられたのですが・・・・

 fu-chanさんも、まだ忙しい日が続くかもしれないですね。でも、お父様が今の方が一緒にいてくれるという感覚は、きっとお父様が守ってくれているという証拠かもしれないですよ。日を重ねていくと、徐々に元気な頃のお父様のお顔が浮かんできて、お父様の思い出に微笑を浮かべる日が来ると思います。もちろん、忘れることはできないし、いなくなったという事実は認めることができないときもあるとは思いますが。

でも、「ありがとう」が言えて本当に良かったですね。残されたものは、そういう事がないといけないと思うのです。言えなかったとして、ずっと後悔をしながら生きていくことはとても辛いですから。

プチ鬱も、あって当然だと思います。一生懸命お世話をしてきた事と、大切なお父様であったと証明するようなものだと思います。
それだけ辛い思いをされたのですから、無理をせずにしてくださいね。

少し元気になられたfu-chanさんとお話ができて良かったです。 それでは、又いつでもきてくださいね 

さくらさん

posted by 麦わらのヨフィーDate: 7月3日(土) 6時6分  

 

こんなメールは、まだ打ちたくなかったのですが・・

昨日の午前10時30分に天国から迎えがきました・・

亡くなる30分前まで暴れたりおびえたりして物凄くかわいそうでしたが、最後は、眠るように行きました。。全くいつ亡くなったのか解かりませんでした。本当に痛みに強い、いや、物凄く頑張った父でした、誇りに思います。。

さくらさん今まで本当にありがとう!!!!!これからもこの掲示板は、拝見しますのでよろしくです。。また、メールします。。

そうでしたか。     名前:さくら 日付:7月3日(土) 23時38分

本当にご苦労様でした。そして、お父様と色々会話が出来てよかったですね。 最期にそうして安らかであったという事は、残されたものを救うと思のですが、お父様も、ヨフィーさんに対してきっと心配をかけないようにしてくださったのかもしれません。
人の死にこれで良い、というものは何一つありませんが、救われるという事はあるのかなと思うのです。 そして、自分の父親を誇りに思えるという事は、それだけご自分も頑張って支えたからです。
忙しい日が続くかもしれませんが、少し休んで下さいね。 忙しいところ、報告をしてくださって、ありがとう。 又、ゆっくりしたらいつでも来て下さいね。
最期に、一日も早くヨフィーさんに笑顔が戻りますように。 今度はテトちゃんが、笑顔が戻るように見守ってくれていると思います

ヨフィーさんへ    名前:fu-chan 日付:7月12日(月) 23時54分

心よりご冥福をお祈りいたします。
実はドキドキしながらこのHPを開きました。 どうか、ヨフィーさんのお父様にご不幸がないように・・・と。 まさか、私の父のたった4日後に亡くなってしまったなんて・・・。ヨフィーさんにも、もちろんヨフィーさんのお父様にもお会いした事はありませんが、本当に気になっておりました。
まだ私は父の死をしっかりと受止められません。まだ病院にいるような気がしてならないのです。しかし、変な話ですが、父が亡くなってからの方が、何となくいつもそばにいてくれるような安心感があります。今日二七の日の法要がありました。こうしてちょっとづつ気持ちの整理がつくのでしょう。
さくらさんのお陰で、ちゃんと「ありがとう」が言えた事、本当に良かったと思っています。 ちょっとプチ鬱になりかけていましたが、自分自身を忙しくする事で何とか毎日を送っています。私はもう大丈夫です。さくらさんや、ヨフィーさんに沢山元気を頂きました。またお邪魔させて頂きます。

麦わらのヨフィー

posted by 麦わらのヨフィーDate: 9日付:7月1日(木) 21時52分  

 

今日病院に行ったら昨日とは、少し違う親父の姿がありました。モルヒネのせいで、体がビクッと頻繁に動きます。

それは、昨日と同じなのですが、幻覚なのか、「誰かが電気でショックをあたえている、こんな動けない老人に何をするんだ!」と訳の解からない行動をします。でも、自分が誰かと言う事もわかる時があるのでそのときに、「ありがとう、良く頑張ったね!」と言いました親父もその時「そうだよな、でもこんなに長く話ができる親子もいないよな!」と笑っていってくれました。。

まだ若いのに老人だとは・・、流石にいろいろショックで帰りの車の中で、「親父をいじめるな、痛みをとって、ゆっくり寝させてやってくれ!いじめるんじゃない!」と大声で叫んで泣き続けました。。癌は、本当に辛い病気ですね。

幻覚ですか     名前:さくら 日付:7月1日(木) 22時51分

父も一時期で始めたので、モルヒネの量を調整しました。お父様の場合、それは無理でしょうか? 一時期でも少し量を減らすと、戻る可能性があります。主治医と相談をしてみたらどうでしょうか?
癌は本当に憎いです。どうしてこんな目に合うのか、と思うことも何度もあります。苦しむ肉親を見るときの辛さは、半端なものじゃありません。 でも、 お父様が 「そうだよな、でもこんなに長く話ができる親子もいないよな!」と笑っていってくれました。。 と言ってくれた言葉は、こんな辛い癌にならなければ聞けなかった言葉かもしれません。
私はそうでした。一緒に仕事をしていたので、仕事のことでは衝突していましたが、本当に親子だと実感できた瞬間は、父が私の言葉にだけ返事を時でした。言いようの無い気持ち、感動と言っていいのか判りませんが、そういう気持ちになりました。 今になっても、その事は私を大きく救ってくれています。
ヨフィーさんからこのことを聞いたときに、きっと今後ヨフィーさんも私と同じように、救われると、信じています。 辛いです。苦しいです。でも、素直に涙が出て、叫ぶ事が出来たのも、テトちゃんが見守っていてくれるのかもしれません。泣けるときは泣いてください。 何もお手伝いが出来ない歯がゆさと、お父様が楽になるようにと願う気持ちと、複雑ですが、応援だけはさせてください。 というより、ここで見守ることしか出来なくて・・・・・・・・

さくらさん     名前:麦わらのヨフィー 日付:7月2日(金) 7時26分

本当に救われます。ありがとうございます!「そうだよな、でもこんなに長く話ができる親子もいないよな!」この言葉を聞いた時ほんとにジンとしました。そして救われた感じがしました。正直会話は、親父が病気になってからです。。はずかしい話、泣く事も今回が3回目です・・泣くと本当に楽になれます、確かにテトが近くで見守ってくれているのかもしれませんね。このメールを打っている時も涙が溢れてきました・・テト?テトがいるのかな・・ありがとうテト!!!!!今日も頑張ってきます。。そしてさくらさん気持ちを解かってくれて本当にありがとうございます!!!!!

麦わらのヨフィー さん     名前:さくら:日付:7月2日(金) 17時53分

癌はきっと辛い事ばかりだけど、そういう今までには経験しなかったこと、気づかなかった気持ちなどを気づかせてくれるのかな?
テトちゃんは、絶対に見ていてくれますよ。お父様のことももちろん見ていてくれると思う。犬ってそういう動物だし、そういう愛情を持てる動物だと思ってます。 泣くだけ泣いたのですから、負けずに頑張ってくださいね。
気持ちが判ってもらえると思っていただけただけで、私も嬉しいです。同じ事を経験した者同士だと思っているので、おせっかいが多いかもしれませんが、その辺はご勘弁を!!!!!

no title

posted by 麦わらのヨフィーDate: 日付:6月30日(水) 7時9分  

 

本当に温かいお言葉ありがとうございます。文章を読んで感動しました。。

これからも今までと同じように頑張りたいと思います。今辛いのは、親父は、自分が亡くなるかもしれない事を知らない事です。。癌だとは、知っていますが、亡くなるとは、思っていないようです・・でも本当に親父は、頑張っています。自分も負けないように頑張ります!

ほんとうに早いですね。     名前:さくら 日付:9月24日(金) 23時48分

お父様は知らないのですか? ならば、知らずに頑張っている姿を見るのは、結構しんどいですよね。
でも、お父様は弱音を吐かずに頑張るタイプじゃないですか? ならば、余計にヨフィーさんも、心を強く持って、お父様と一緒に負けないで頑張ってくださいね。  
強いお父様の息子さんなんですから・・・
暖かいというか、私は感じたままをなるべく文章にしているので、それを喜んでもらえるなら、私も嬉しいです。 本当にお父さまが頑張っている姿が浮かんできて、そんなお父様に対し「頑張らなくては」とご自分を奮い立たせている、そんな景色を想像してしまったのです。
でも、時にはずれた事も言うかもしれませんけど・・・・

お二人へ・・・・

posted by fu-chanDate: 96月29日(火) 23時10分  

 

父が 旅立ちました。 29日 2:10 でした。

介護の悔いはありません。ギリギリセーフでありがとうが言えたし・・・。

まるで眠るように逝きました。穏やかな笑顔です。

今お通夜から一旦自宅に戻り、メールしました。 ヨフィーさんには辛いメールかもしれませんが、どうかどうか一日も長くお父様と一緒の時間をすごせますように・・・・。

またメールしますね。時々また話を聞いて下さいね。

fu-chan さん    さくら 日付:6月29日(火) 23時15分

本当にご苦労様でした。 介護の悔いはないと言えるほど、看護をされたのです。 お父様が眠るような笑顔であったのは、その介護への お礼では無いでしょうか? 本当に本当にご苦労様でした。

麦わらのヨフィー 日付:6月30日(水) 7時2分

言葉もありません・・・「眠るように逝きました。穏やかな笑顔です。」この事は、本当に良かったですね、fu-chan さん本当に本当に頑張りましたね!!!。お父様のご冥福をお祈りします。そして自分も悔いが内容に頑張ります!

さくらさん、fu-chan さん へ

posted by 麦わらのヨフィーDate: 日付:6月29日(火) 20時47分  

 

今日とうとう言われてしまいました。2週間を過ぎて、少しホッとしていた時です。「いつ急変するかもしれませんから覚悟をしておいてください。。」

最悪の宣告です。。何時かは、言われると解かっていても・・・辛いですね。

こんな時、介護をしている時意外、自分は、何をすればいいのでしょうか・・

少しでも元気になろうと思い、愚痴らせてください。。また明日から頑張ります

麦わらのヨフィーさん    さくら 日付:6月29日(火) 23時25分

辛い宣告ですね。でも、考えてみてください。癌と宣告されたときもショックで何をしたらよいのかと、今の自分が見えなくりませんでしたか?

なので、ショックは大きいですが、今までと同じように、お父様が存在している今をかみしめて時間を過ごすことが出来たらと思うのです。

そして、辛いですが、お父様が痛みを我慢して今まで頑張ったので、違う世界へ旅立たれるとしても、優しく見送ることが出来るよう、心の準備もする必要があるかもしれません。辛いことですが・・・・
本当に痛みに強く、我慢をし、勇敢に癌と闘われたお父様です。
本当に頑張られたのですよね

父に 沢山「ありがとう」を言いました。

posted by fu-chanDate: 6月28日(月) 23時44分

今日 病状が急変しました。
まだこちらの声に反応しているうちに、父に沢山お礼を言いました。父はまばたきをして返事をしました。 脈も心音もはっきりしているので、今日明日どうこうという事ではないのですが、さくらさんに言われた事を思い出して、ちゃんと「ありがとう」言わないと絶対にダメだって・・・。さくらさん有難う。ちゃんと言えたよ。

fu-chan さん     さくら    日付:6月29日(火) 13時2分

ほんとに良かった。ちょっとウルウルきてしまいました。
お父様が喜んでいる姿も目の前に浮かんでくるようです。お礼を言われて自分が育てた娘にそれ以上の感謝をしていると思います。

容態は急変するものなので、そういった時にどのような対応を出来るのかというのは、大切ですよね。
後々、「ありがとう」を言えた事はご自分を支えると思います。

私もそうなんです。父に「よく頑張ったね。本当にご苦労様でした」と病と闘った父をたたえました。今でも同じように、本当に頑張った父を誇りに思い、そして、その気持ちを父に伝えることが出来て、良かったとそう思っています。

素晴らしい時間をお父様と過ごしてください

さくらさん、fu-chan さん へ

posted by 麦わらのヨフィーDate: 6月27日(日) 22時6分

今日、便とガスが出ました!!有難うございました!親父も少しですが喜び、まずまずと言った感じです。さくらさん自分は、素敵でも何でもないですよ・・気の弱い屁たれです。。でも今日も介護してきて何故かいつもより充実しています。この掲示板のおかげかもしれません。。この掲示板、さくらさんfu-chanさんに出会えたことに感謝です。また明日から頑張りましょう!

開通おめでとうございます ヨフィーさん!    名前:fu-chan 日付:6月28日(月) 9時50分

よかったですね。便が出て(^^)!!
毎日の介護の中、些細なことでもちょっとした喜びが生まれますね。

今日は朝からPCを開いたので、こんなに早くレスしました。

それから、さくらさん。
ミニチュアダックスもとっても可愛いですが、うちのミニチュアシュナウザー(名前 モルツ)も可愛いです。前までは一人でお留守番という事がなかったのすが、ここ一年は母も私もいないので、寂しくて足を引きずっで怪我でもしているような演技をします。ずっとついていてほしいのでしょうね。

モルツちゃん   さくら    日付:6月28日(月) 14時7分

寂しいのでしょうね。すごく判ります。
我が家も、2匹いるからと思うのですがそれでもやはり寂しがります。
特にさくらは人一倍で、置いていかれるのが絶対に嫌んです。
何をどう、判断するのか判りませんが、「一緒に行くよ」と声をかけなくても玄関で待っています。

父がいる頃の事ですが。。。。まだ、恭平もいた頃です。
普段は父と一緒に2階の一番奥の部屋に寝ているんです。
で、私の部屋は反対の一番はしなので、こっそり恭平だけ連れて出かけようと
こっそり用意をするんです。
所が、なぜかさくらは走ってくる。「出かけるなら一緒に行く」って感じで。
どうして判るのか、今でもナゾです。

モルツちゃんを連れてゆっくりとお散歩へでも行けるといいですね。
しかし、演技をするなんてかしこいですね

麦わらのヨフィーさん

 

posted by 名前:HP管理者Date: 6月28日(月) 0時0分

良かったですね。一安心です。そういう喜びは、一生懸命に看護をしている人に与えられる、特別の喜びですよね。お父様もヨフィーさんが一緒に喜んでくれて嬉しかったのではないかしら? 病人は、自分の事で同じように喜んでもらえると、嬉しさが倍増するみたいです。 看護が充実しているというのは、きっとお父様とヨフィーさんがお互いに素直というか、心が通じているというか、うまく表現できませんが、そういったことが背景にあると思います。もちろん、ここで元気になってくれたら最高なんですが、一番は、ヨフィーさんの努力ですよ!!!!! 明日も頑張って下さいね。 お父様によろしく!!!!

癒されにまいりました♪ さくらさん ヨシィーさん(^^)

 

posted by 名前:fu-chanDate: 6月27日(日) 3時13分

今日は友達のお店ドッグカフェが人手が足らないという事で、手伝いに行って来ました。大好きなワンちゃんたちに囲まれて、カフェのお手伝いをしたのですが、随分私の気持ちが楽になって来ました。「人見知りでなかなかなつかないのよ」と言っていたワンちゃんが、私のところへ来て、まるで慰めてくれるようにひざの上に乗ってきてくれました。ミニチュアダックスでした。
毎日毎日、父の介護をしていて、なかなか気分転換出来ませんでしたが、今日はちょっと前の元気なふうちゃん♪ でも・・・。友達から、衝撃的な言葉。お母さんが胃がんになったと・・・。多分前の私だったら、安易に勇気付けをしたと思うのですが、私は敢えてそんな事は言いませんでした。この先の事を考えると、多分慰めなんて何の役にもたたない。でもでも、彼女はそれを忘れるかのように元気に振舞っていました。強いです。私がさくらさんやヨフィーさん元気を貰ったように、私も何か彼女の役に立てればと・・・。
それにしても、他人事のように思っていた「癌」という病気、恐ろしく多いですね。私の家系には今まで癌で亡くなった者がいなかったのですが、父の事で家系なんて関係ないんだなぁ と思い、病院に毎日行っているついでに私も検査してもらいました。結果は何だと思います? 腹部に動脈硬化あり だったんです。足のしびれや冷え、腰痛、どうやらそれが原因だったようで・・・。お父さんが病気になって入院したお陰?で、私も早期治療をすることが出来ました。お父さんに感謝です。皆さんもどうぞお体には充分気を付けて下さいね。なぁんて、私も皆さんの心配をするくらい、元気になったという事です。毎日感謝です。

ふうちゃん!!!

posted by さくらDate: 6月27日(日) 23時54分

 

最初にお話を伺ったときと比べて、随分と強くなられましたね。感心しています。
それに、彼女の役に立てるなら、って思う気持ちはきっとお友達に通じて、励みになると思います。こういう経験をしていないと、理解が出来ない部分は多いですから。
でも、ダックスは可愛いでしょ? 手ごろな大きさなので、ひざに乗せてもよし、抱きかかえてもよし、と色々楽しめます!?

お二人へ

Date: 6月26日(土) 23時31分 posted by さくら

 

HP管理者では、何ですよね・・・・

ハンドル・ネームは「さくら」です。 ジュディーにしようと思ってましたが、ちょっと気取っている名前なので、さくらにしたんです。

よろしくです fu-chanさん。

ここが精神安定剤になっているのなら、このホーム・ページを作った甲斐があります。

今日も一日お疲れ様。。 

Date: 6月26日(土) 21時51分 posted by 麦わらのヨフィー

 

管理人さんの言うとおりですね。。確かの今現在ものすごく親子の会話をしています。そういう面では、充実していると言えますね。

母親は、51歳で、亡くなり親父は、まだ62歳になったばかりです。かなり平均寿命より下回っており、悲しいですね、平均寿命も今の自分にとっては、低い方がいい感じです。

誰でも大切な人を失う事は、本当に辛いものです。今日も親父は、痛みに耐えておりました。便、ガスが出ずに苦しんでおります。明日こそ出てほしいです。fu-chanさんもお子さん達家族にも支えてもらって、また明日から頑張りましょう!

麦わらのヨフィー さん    名前:HP管理者 日付:6月26日(土) 23時27分 

お母様もお若くて、言葉がありません。しかし、ヨフィーさんのように素敵な息子さんを持っておられて幸せでもあったのでしょうね。 お父様もまだまだこれからという年齢と他人からは言われませんか?
でも、今、親子の会話が出来て充実した時間を過ごして、そういう事の方が大切なのかなと思ったりします。 父の友人が時々家に来てくれますが「自分の娘とは会話も無い。病気になっても君のように面倒を見てくれるとは思えない。お父さんは幸せだった」と言ってくれます。お世辞だとしても、私は子供の頃父に抱っこしてもらった代わりに、父を車椅子で運んだり、おなかをさすったり、父に娘としてお返しが出来たのですから、会話の無い親子よりは充実していたかもしれません。そう考えるようにしています。
便は、おなかをさすると意外と出ますよ。右回りがベストです。暖めるのもいいので、おなかをさするのが照れくさいなら、暖めてみたらどうでしょう?  痛みにも効果があります。タオルを濡らしてレンジでチンしてビニールの袋に入れて、タオルで包むと、簡単カイロの出来上がりです

私の子供の為にも・・・

Date: 6月26日(土) 0時27分 posted by fu-chan

 

こんばんわ 今日は私の子供たちのはなしもしようかと思っています。

私の子供は長男中二、長女小二の二人です。今、それぞれ学校で「命」について先生達からお話を頂いたり、意見交換をしているようです。最近の低年齢化している犯罪にやっと学校も立ち上がったというわけです。私はあえて子供たちに父の病床を見せています。頑張って生きようとする姿を見せたくて。元気で、大型バイクのサイドカーに長男を乗せてツーリングに連れて行ってくれたあのおじいちゃんが、病気でこんなに痩せてしまい、昼夜の区別がつかなくなってしまっても、長男が病院に来ると 一生懸命に目を開けて、「学校は楽しいか?部活は頑張ってやってるか」と声をかけます。私や母にはそんな言葉をかけませんが、やはり初孫だけに可愛くて仕方がないようです。長男は「僕も勉強、部活頑張るから、おじいちゃんも早く退院して、またバイクに乗せてね」

なんて言う言葉を聞いたら、さすがに母も私も泣けました。子供たちにそんな姿を見せないほうがいいかも知れません。でも、父には悪いけど、先生の言葉より、ずっと命の尊さを知ってもらえるのではないかと・・・。生まれる命、消え行く命。父はいろんな事を教えてくれています。そう思うと介護も楽になります。殆ど最近は寝ていて、目を覚ますと夢の続きでおかしな事を言いますが、それに付き合うことにしています。つい先日、夜中に「たこ あるだろ? 取ってくれ」 と言うので、私が「8本足の蛸? それとも凧上げの凧?」と聞いたら「たこあげ」と言うので、「沢山あるよ、何色がいい?」と聞いたら、「真っ白な凧、飛ばしてくれ」って。「上手に飛ばせないよ、お父さんあげてよ」と言ったら、「糸はどこだ」 !!糸になりそうなものをさがしたら、テレビのイヤホーンのコードが!! それを渡したら一生懸命凧をあげていました。ここ何ヶ月も見たことのないような物凄く嬉しそうで楽しい顔をして・・・・。私も嬉しくなりました。ボケちゃっても、嬉しい顔見せてくれたらそれでいい。

fu-chan さん     名前:HP管理者 日付:6月26日(土) 23時16分

おっしゃるとおりです。 父がガンセンターに入院しているときに、愛犬の恭平が亡くなり私が最期をみとりました。その瞬間を見てしまうと、辛くてたまらなく毎日が地獄でした。恐怖感もずっと離れずにいました。
でも、ガンセンターの看護士長さんが「今は病気になると病院にお任せという人が殆どで、病気で苦しむ姿や、亡くなるときの姿を見ることは多くは無いのです。しかし、本当はそういう辛い姿を見ると、命のあり方、命の大切さが判るようになるのです」と、言っておられました。
私は、確かに恭平の事では辛い毎日を送りましたが、その経験は父に生かされ、そして、辛くても何があっても父を最後までしっかりと支えようと、そんな気持ちになれたのも確かです。そして、若年層の犯罪もこうした事が背景にあるのかなと思ったりしてます。
ですから、fu-chanさんのお子様はきっとこれから、命を大切にする素晴らしい大人に成長すると思います。
私が恭平の話を書き始めたのは、まだインターネットが普及する前でした。パソコンは普及していましたから、物語として書き残しました。 そのきっかけは、当時通っていた獣医さんが、ジュディーに子供が生まれたときに「命の誕生は本が1冊書けるほど素晴らしいものです。書いてみたら?」と言われたことです。
 痛み止めですが、これは主治医の判断によりますが、あまりそういう言動が多いようなら、痛み止めの量を少し減らして様子を見てみるという事も可能です。修正可能な幻覚症状なら直ぐに普通に戻ります。 父にもそういう時期がありまして、私は主治医にモルヒネの調整をお願いしました。その時はホスピスでしたのできめ細かく調整をしてくれましたので、直ぐに普通に戻りました

追記 管理人さん、ヨフィーさんへ

Date: 6月26日(土) 0時38分 posted by fu-chan

 

疲れて病院から帰って来て、夜寝る前にこのページを開くことが、私の精神安定剤になっています。

薬局のお薬よりもずっと効き目があります。

また明日も頑張れます。 ちょっと私も食欲が出て参りました。太って動けなくならないようにしなくちゃね。

早速ですが・・聞いて下さい。

Date: 6月24日(木) 21時43分 posted by 麦わらのヨフィー

 

この前、親父を看病していた時の事です。親父は、癌のせいで、あまり寝返りができずに、痛がるしぐさを見せました。。「親父痛いの我慢してないか?」と聞くと「我慢できる痛みだから」と言いました。親父は、かなり痛みに我慢強く、医師も驚くほどです。「親父、痛いならモルヒネの量増やせるから、増やそう。」と言い増やしてもらいました。今まで量は、親父が自分の判断で増やしてもらっていました。量を増やす事で痛みは、取れるけど、確実に寿命は、縮みます。。痛がっている姿は、とても辛いし自分の我がままで、親父の寿命を縮めてしまったのではと・・・親父は、まだまだ生きる気満々です。。この言葉を言って良かったのか悪かったのか・・すみません愚痴でした・・やはり辛く誰かに聞いてほしかったので。明日からまた頑張ります

でも    名前:HP管理者 日付:6月24日(木) 22時46分

痛みを我慢するのも寿命が縮むと聞きます。
難しい選択ですが、痛みが無い時間を作ることも必要だと思ってください。ご自分を責める必要は無いですよ。 それに、傷みが無くて明るい会話をする時間は必ず後になって、ご自分を支えることとなると思うんです。 痛くて苦しそうなお父様をずっと見ているより、穏やかな親子の会話をする時間がどれだけ貴重であるか、そう思います。
今手に入れるのは難しいかもしれませんが、ムートンの座布団が割りと床ずれとか、布団が固い場合にはいいです。
私、交通事故で3週間絶対安静だった事がありますが、その時に真夏でしたが使っていました。それから、さすってあげるのも楽になります。痛みも和らぐので、私は毎日さすっていました。 お父様は、ヨフィーさんの看護を待っているはずですから、ここで愚痴って明日は明るい顔でお父様の所へ行ってきてくださいね

管理人さんへ

Date: 6月22日(火) 22時47分 posted by 麦わらのヨフィー

 

始めまして。。管理人さんの手記読ませていただきました。感動しました。かなり辛かったでしょう。自分も去年愛犬であるテトを癌で無くしています。実際は、親父が一番かわいがっていましたから、親父が一番辛かったと思います。テトは、親父が入院してから、約1年後に亡くなりました、最後は、とても辛そうでした。その状況でも、自分は、涙が出せずにいました。。男は、無くものじゃない、と言う観念があり最近は、無くと言う事を忘れていました。でも、テトの最後を見た日の帰り道、ラジオから坂本九さんの「上を向いて歩こう」が流れてきました。その歌の♪涙がこぼれないように♪のところで母が死んだ時以来の凄い涙がこぼれてきました。そして信じられないくらいに泣きました。。これは、きっと泣けないで苦しんでいる自分をテトが助けてくれたのだと思います。 心からテトに感謝です。勝手ですが、かなり管理人さんと自分は、似ているように感じました。ありきたりで申し訳ないんですが、無理せず気楽に楽しく生きましょう!(難しいですけど。。) そして、思いっきり親孝行して下さい。。それと、ジュディーとさくらも大切に・・自分もそれほど強い人間ではないので、後で愚痴を書かせてください。

麦わらのヨフィーさん    名前:HP管理者 日付:6月23日(水) 23時13分

私の手記を読んでくれてありがとうございます。あれ程に長いものになるとは、始めは想像をしていませんでした。しかし、父の闘病を支えながら自分が書き残したものです。誰にも言えない辛い気持ちになった時、書いていると落ち着くのです。なので、校正が必要なのですが今読み返すとその時その時の自分の気持ちが思い出されて辛くなるので、いまだに校正が出来ません。誤字脱字が多く読みにくかったかもしれません。
恭平は、本当に私にとってはかけがえの無いパートナーでした。今までの人生でこれ程辛い事があっただろうか、と思うほど辛かったです。最期の夜抱きしめて泣いて泣いて、何時間恭平を抱きしめていたか覚えが無いぐらいです。でも、恭平は穏やかな顔をしていました。まるで「抱っこしてくれて幸せだよ」とでも言っているようでした。そんな恭平に最期まで支えられて、そして恭平の思い出と共に強く生きなくてはと、思います。
テトちゃんもきっとヨフィーさんにとってはそれと同じような存在だったのかもしれませんね。思い切り泣けて良かったのでしょう。悲しみの涙を我慢することには限界があります。我慢しているヨフィーさんを楽にしてくれたと聞いて、私達が似ているという気持ちは少し理解が出来たような気がします。
本当にこれから、無理せず、明るく楽しく生きたいですね。お互いに!!!!

さくらは恭平そっくりで、ジュディーととても仲良くやっています。やはり父と恭平がいない生活を支えるものはこの2匹なのかな・・・・
愚痴はあるなら書いてください。アドバイスは出来ませんがお話を聞くことぐらいは私にも出来ます。今は得にお辛い時期でしょうし、辛くなったらいつでも来て下さい

涙が出るほど・・・・ありがたいです

Date: 6月22日(火) 1時0分 posted by fu-chan

 

折角お返事いただいたのに、お返事が遅くなってしまってすみませんでした。管理人さん、ヨフィーさん・・・・涙が出るくらい有りがたいお返事でした。 病院と自宅の往復で、あまり喋ることもなく母と看ている毎日で何だか取り残されているような妙な気持ちになっておりました。 初めてここにお邪魔させてもらってから、一週間たった今、父は意識障害が出始めて、殆ど寝ている状態ではありますが、時々目を覚ますと理解出来ないようなことを言ったりしています。でも・・・・父は幸いな事に痛みがありません。これは医師もびっくりしているくらいです。有り難いです。痛みに耐えている父を見るのは辛いですもの・・・。神様の温情でしょうか? 管理人さん、ヨフィーさん、こうしてお会いした事のない方からの励ましは嬉しいです。本当に(^^) 私だけが大変なんじゃない、皆頑張っているんですもんね。私も母と一緒に悔いが残らないように頑張るね。 それから、ひとつグチを言わせて下さい。くだらない事です。 私の叔父(父の兄)が、「お父さんの事、頼むな、頑張ってな」と、私に会うたびに言います。これ以上どう頑張ればいいんだ!!頼むななんて言われなくたって、私なりにやっています!! と 言いたいのをグっと堪えております。すみません。私もグチっぽくなりました。でも、ここだけです。ふうちゃんは頑張っております。また夜中になりますが、グチを聞いて下さい

fu-chanさん    名前:HP管理者 日付:6月22日(火) 13時52分

お父様の痛みが無いのは何よりですね。本当に痛みが出ると見ている方は辛いものです。
身内の中でも、似たような経験をしていると「頑張って」とは簡単には言えないんですが、きっとふうちゃんのご苦労を判っていないのでしょうね。頑張っている結果なんですもの。
私は父の弟に「よく面倒を見てくれた。ありがとう」といわれました。私からふうちゃんにも、本当にお父様のご面倒をよく見られてご苦労様。姿は見えませんが私は陰で応援してます、と言いたいです。
愚痴はここでしか吐き出せないなら、どんどん吐き出してください。麦わらのヨフィーさんも、頑張っておられますし、仲間がいると思って励みにして下さい。
前にも言いましたが、今は辛いですが、お父様は感謝をしているに違いありません

fu-chanさんへ    名前:麦わらのヨフィー 日付:6月22日(火) 23時8分

 

少しでも元気になってくれれば自分も嬉しいです。。まさに同じような境遇のfu-chanさんが元気になってくれる事は、自分にとっても励みになります。。 自分の勝手な意見ですが、「頑張ってくれ」この言葉は、本当に大切な人を無くしたことがない人のことばのように感じてしまいます。自分も以前は、そうだったかもしれません・・頑張っているのは当たり前の事で、それ以上頑張ったら間違いなく体がボロボロになります。。自分達には、言い方は悪いですが、息抜きが絶対に必要です。(精神的に強い人は、別ですが・・)fu-chanさんも愚痴は、どんどん吐き出しましょう。。自分も以前母親を無くした時の余命宣告を受けた1年は、母親が苦しんでいるのに楽しい事は、してはいけないと思い大変苦しい思いをしました。。 でもそれは、違ったと今、思います。前にも書きましたが、親が望むのは、元気な事です。自分自身が大変な今でも「胃は、大丈夫か下痢は、してないか」と子供の心配をします。。だから自分は、介護の時意外は、できるだけ元気になる為に可能な限り自分の好きな事をします。fu-chanさんお互い無理せず楽しく頑張りましょう!後で自分の愚痴も聞いて下さいね。。

父は、膀胱癌です。。

Date: 6月18日(金) 22時4分 posted by 麦わらのヨフィー

 

始めまして父は、今、癌と戦っています。先週とうとう医師より「最終手段の痛みをとるモルヒネ点滴に移行します。ただこれには、副作用があり痛みをとる代わりに余命平均して1・2週間です。。」と宣告されました。自分は、いままで親父の介護をしてきて大変だけど、いつの日か必ず直ると信じていました。。それが壊された今、かなり辛いです。ですからfu-chanさんの気持ちは、凄く分かります。自分は、10年前に胃癌で母親も無くしています。。 親父は、自分が癌だと言う事を知っています。。この前看病している時、「何で家だけが・・・」と悔しいと涙を流しました。。自分も「俺も悔しいよ、早く良くなれよ!」と言い涙をこらえました。癌という病気は、見ている方も本人も本当に辛い病気です。自分は、10年前誰にも相談せず親父と二人で頑張ってきました、でもそれでは、自分の体が壊れるだけでした・・今、自分が言えるのは、頑張っている親父のためにも、元気でなくてはいけないと言う事です。それには、信頼できる友人、家族、親戚に全て打ち明け相談する事。それでもダメなら軽い精神安定剤を内科から貰い服用して下さい。。かなり楽になると思います。。自分が元気な事が親父にとっても一番嬉しい事だと思います。fu-chanさんお互い最後まで全力で頑張りましょう。必ず良い事がきますよ!そうでなければおかしい、ファイトです!

麦わらのヨフィーさん   名前:HP管理者 日付:6月18日(金) 23時18分

お父様が大変なときに、こうしてアドバイスを下さるなんて、とても頑張っておられるのだと、感じました。 私の父も点滴のモルヒネに移行してからは、眠っているときが多く、辛い経験をしたことを今のように覚えています。 今は、大切な叔父が癌なりこれから手術を控えています。癌という病気は本当に見ていることが辛く、一体どうしてこんな目に合わなくてはなら無いのかと、運命をのろったことさえあります。 でも、今更ですが、麦わらのヨフィーさんのおっしゃる通り、自分が元気でなくてはならないですよね。 私は父と愛犬を癌で同じような時期に亡くしましたが、今でも「元気」というものが本来のレベルまで戻ってきていません。元気にならないといけないと、実感しました。 それから、fu-chanさん、麦らわらのヨフィーさんがおっしゃるように少しでも元気を出して頑張ってくださいね

父が肝臓ガンです

Date: 6月14日(月) 0時1分 posted by fu-chan

 

昨年の5月3日に突然腹痛に教われ、救急車で市大病院に運ばれました。その時は医師におなかのマッサージをして頂いて、すんなり便が出て、その日は帰宅しましたが、後日精密検査をという事で検査を受けました。 病名はS状結腸癌で(5期)すでに肝臓に多発転移していました。大腸の癌は取り除けるが、肝臓は切除出来ないという事で、取りあえず大腸がんの切除をしました。術後、なかなか便が出ないので、鼻から5メートルもの管を大腸に通し、そこから便を出すという日々が3週間、検査の結果、腸の粘膜を一緒に挟んだまま縫合したので、腸が詰まった状態だといわれ、再手術しました。 さすがに2度に渡る手術で父も体力が消耗し、歩くのさえ困難になりました。おなかの傷が治まった頃に、肝臓に大腿部からカテーテルを通しリザーバーで直接抗がん剤を入れるという方法で3度目の手術をしました。 幸い抗がん剤による独特な副作用はなく安定していました。入院してから3ヶ月後、退院出来ましたが、今度は大腿部が腫れあがり病院に行ったところ、カテーテルを入れた部分から出血しているという事で、応急処置をしてもらい「もう大丈夫ですよ」と言われ自宅に戻りました。しかしまた次の日も次の日も大量の出血をし、そのたび夜父を病院に連れて行きましたが、同じ処置をするだけで何ら治療をしない医師に思わず、 「応急処置は一回でしょ? ちゃんと治療をしてください。今日は家には戻りません」と言いました。 急遽その日から入院となりました。退院してからわずか19日後の事です。 父が検査をしている間、担当医師から「あと2ヶ月、3ヶ月もつかどうか・・・。いつ何がおきてもおかしくない状態だ」と聞かされ、私は、「そんな先が短い父をいつまで病院にしばりつけるのか。今までの事は医療ミスの連続ではないか」と医師に辛く当たってしまいました。 検査の結果、カテーテル挿入による仮性大動脈瘤でした。折角辛い思いをしてした手術だったのに、わずかな希望、延命処置であるリザーバーを取り除かなくてはならなくなりました。術後、なかなか傷口が治らず、やっと退院できたのが動脈の手術をしてから3週間後です。その後自宅で薬を飲んでは休んで、時々歩行訓練をしながら毎日すごしていましたが、だんだん足が浮腫み始め 年末の定期検診の時に、再入院と言われました。腫瘍マーカーがどんどんあがり始めていました。肝臓に点々とあった癌が今はまったりと覆いつくされ、血圧も不安定、黄疸、浮腫みもひどく立ち上がることも起き上がることも出来ません。食事も一口食べれる程度です。ほとんど寝ている状態で朝晩の区別もつきません。 平日は母が病院に泊まり、週末は私が泊まって看ています。 そろそろ私たちも疲れてきました。父には肝臓癌とは知らせていません。もし、知っていたら私たちに言い残したい事もあったと思うのです。私も父が意識のあるうちに「ありがとう」の言葉を掛けたいです。でもそれが聞けない、言えないというジレンマを感じています。毎日少しづつ悪くなっていく父をみています。病室で、ふと「私は今、死ぬのを待っているのではないか」と恐ろしいことを思ってしまいます。それを母に話したら「言ってはいけない事だと思って言わなかったけど、同じ事を思っていた」と母は言った。父は意識が遠のいていく中でも頑張って生きている。しかし介護をする私たちにしか解からない辛さがあります。良くなるための介護ならまだしも、父を看取るための介護は本当に辛いです。母も私もやせこけてしまいました。本当に疲れました。 ごめんなさい。グチになってしまいました。 でも、誰かに聞いて欲しかったんです。 ごめんなさい

大変なことですね   HP管理者 日付:6月16日(水) 15時35分

確かに、看護をした経験が無いと判らない部分が多いと思います。私の父は癌であると知っていましたので、最後はホスピスにいました。しかし、体力が衰え、動くことも、しゃべることも出来なくなってくると本人はもちろん、家族は同じように辛く、何のための看護をしているのかと考えることすらあります。 そう思うのは、きっとfu-chanさんが一生懸命に看護をされたからであると思います。 痩せてしまわれるほど、一生懸命に看護をされても、ゴール地点は「直らない」というものなのですから誰でも一度は「死ぬのを待っているのではないか」と考えてしまうものなのです。その気持ちを罪であると思わないで下さいね。 しかし、そう考えてしまうほどに一生懸命に看護をされたあと、お父様がたとえ最期の時を迎えても、「一生懸命にやったのだ」という気持ちになれると思います。今はそうは思えないと思いますが。 お父様が癌であるか無いかにかかわらず、「ありがとう」の言葉はかけるべきだとも思います。 後悔は人を苦しめます。今、できることは是非してください。 お父様も、ご自分の体調は判っておられると思うので、癌であると言う必要もないでしょうし、それより何より、自分の娘にかけてもらった言葉は短い時間であっても、嬉しいに違いありません。 私も父とは仲が良い方ではありませんでしたが、亡くなる前はずっと父の手を握っていました。そして、「今までご苦労様。私はお父さんの娘でよかった」と何度も声を掛けました。 父はしゃべることが出来ませんでしたが、穏やかな顔をして安らかでした。 それは、父が亡くなった後自分を支えるものとなります。 頑張ってください。 辛くなったら又、吐き出しに来て下さい

闘病記その他

  • 病状・症状の経過

    闘病が始まった時から通院の記録、食事、検査、痛みの出方などを記録していました。父は自分でカレンダーに治療の予定などを書き残していました。それを一つにまとめたものがこちらの「病状・症状の経過」です。

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  • ダックスの恭平

    恭平が我が家の家族になってからのストーリーをまとめていましたが、父ががんと宣告されるとすぐに恭平もがんと宣告されました。同じ時期を病と闘いその記録を掲載してあります。

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