癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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  ここの所、日ごとに父の体力は奪われていく気がする。気がするというのは、事実は体力が次第に減っているのだがそれを認めたくない。自分の気のせいにしたい。体重の減少がこの所激しくて「体重の減少は寿命の減少」という言葉を思い出す。父も体重は気にしていて「頑張ってメシを食うと体重が増える」と頑張る気力を私に見せる。これは急に2キロ程体重が落ちた時の言葉だが、さらに2キロ落ちたときには「体重が又減った」としか言わなかった。頑張る気力より心配の方が大きいのだろう。恭平も最期の1週間では体重の減少が著しかった。一時期は「デブ」と私に言われる程だったのに、病気になり痩せていくのを見ることはとても怖かった。その痩せる恐怖は父にもやってくるのだろうか?そんな事を考えると心配は心配を呼び、発病から今までの間で一番弱気になっている。今までのように「良くなったら・・・」とか「退院したら・・・」という言葉も出なくなっていた。もちろん父のことをあきらめたわけでもないし、直らないからと放り投げたわけでもない。しかし、恭平の「死」という事実が今の私をすごく弱気にする。

 恭平が亡くなってから初めて父に会ったとき「一生懸命に恭平の面倒を見てやったらしいな」と私に一言だけ言った。私にとって恭平は大切であると知っている父の精一杯の言葉だった。そして元気の無い私に「用が済んだら帰ったらどうだ?」と言う。「自分は大丈夫だし、特に用も無い」と付け加えたその言葉は、私を心配する不器用な言葉だった。父も辛い。恭平を亡くして落ち込んでいる私に看病をされるのは父も辛い。それに気がつき「恭平は頑張ったよ。だから同じように頑張らないと」と父に言った。「判っておる」としっかりとした表情で答えた。私が弱気になったら父も弱気になる。それではいけない。明日は明るく過ごそうと思う。
 この時の父の会話と、父の表情、そして最期まで頑張った恭平の姿を思い出し、弱気な自分を払いのけ、明日は明るい笑顔で父の元へ行こう。

 同室者のメンバーが入れ替わったこの頃、父は病院の中でストレスを感じるようになった。今までは抗がん剤での副作用に苦しむ患者さんはいなかった。そのためにおしゃべりで時間をつぶす事が多かったようだが、今はメンバーの内のお2人が副作用に苦しんでいる。そのため部屋の空気は重く感じるらしい。そのため体調が悪くない日は、昼間の間だけ自宅に戻る事にした。本当は外泊をしてもいいのだが父は外泊をすると、もしも何か急変したらという不安を持っているために、夜は病院で寝たいと言う。
 土曜日の昼間を選んで自宅に戻った。ジュディーとさくらと一緒に病院に迎えに行ったのだが、恐ろしい勢いで父を歓迎した。車の中では父から離れずずっと父の横にいた。父もジュディーとさくらと一緒になって喜んだ。しかし車に揺られたのが良くなかったのか自宅に戻るとすぐに嘔吐した。血液が混じっている。やはり癌は父の体を蝕んでいると思うといたたまれない気持ちになる。しかし、助けたのは愛犬たちだった。自宅で嘔吐した父を見て愛犬たちは少し驚いた様子を見せ、その後はあまり大げさな態度は取らないで大人しく父を見守っている。しかし父はそんな愛犬たちに笑顔で接し、愛犬たちより父の方が喜びが大きいのではないかと思うほどであった。
  昼寝をすると言い、ソファで横になると2時間ほど眠っていた。少しの移動は父をここまで疲れさせるのだろうか?しかし残りの2時間は病院にいるときより動きは軽快でこのまま退院してもいいのではないかと思わせる。父に「退院して家に戻ろうか」と薦めると「病院の方が安心できる」という。悲しい返事でもあったが、今は父の望むことに忠実であることのほうがいいのだろう。
 一日おいて又自宅へ戻ってきた。同じように愛犬と一緒に昼寝をし、べったりひっついている愛犬たちと笑顔で過ごした。病院の帰りには買い物へ立ち寄り、平和な時間を過ごした。そしてもう少しこういう状態が続くと思っていた。 看護師さんたちも自宅で一泊してきたらどうかと薦めてくれたが父は夜は病院で寝たいという。この日どう見ても体調は良く無さそうだった。息の匂いが気になりだしたので通過障害をおこしそうであると私は判断をしていた。ならば近いうちに嘔吐をするであろう。その通り、嘔吐をし、それからはしゃべる事も辛そうになってしまった。この時は母が病院に泊まりこんで父の面倒を見た。母は深刻な状態になったと不安をひどく感じたが意外に私は冷静であった。なぜなら黄疸症状もないし、腹水が溜まっている様子も無い。嘔吐の回数もその時だけで増えていくわけでもない。
 しかし、翌日父の所へ行くと、「もう死ぬな」と私を見るなり言った。驚いた。それはあまりにしっかりした口調で、確信を持った言い方だったからだ。自分で固い決心をした時にはよく見られる口調だが、こういう否定的なことなのに、あまりにはっきりとした口調に驚いた。私は「どうしたの、急に?」と答えるのが精一杯だった。なんと父が答えたかは覚えていない。
 気分を変えるために売店へ行ったけれど、足は震えていた。父は何かを感じたに違いない。父は何かを確信したに違いない。自分がもうじき確実に死を迎えると、確信をしたのだと思った。私はそれを感じ取った自分も怖かった。しかし、父は悲しそうでもなく、怯えている様子も、落ち込んだ様子もない。普段と変らないためか、かえってその父が怖かった。空白の時間が過ぎ、どうやって父と向き合うべきなのか、それはその時の私には、答えの出ない問題だった。

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