癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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 しかし、意に反して病院では抗がん剤治療の準備が進んでいる。血液検査を済ませ、明後日から治療に入るという。承諾書にサインもしていないのに、と思ったが止める方法を私は知らない。そして食事の量が減ってきたために、明日から点滴をするということらしい。父は「点滴をしてから愛犬たちと会うと、はしゃいで点滴の針やチューブにからまるといけないから、愛犬の顔を見るまで待って欲しい」と主治医に相談したらしい。「そうしましょう」と主治医は承諾してくれたので、愛犬たちを病院まで連れてきて欲しいと言う。実は、この日私は愛犬と一緒に病院へ来ていた。それを知っているのか?と不思議になったのだが、単なる偶然だった。
そして、運のいいことに病室から見える裏庭は愛犬を遊ばせるにはもってこいの場所で、父の病室からも良く見える。階段を下りるとすぐに裏庭に通じるので父にそこまで降りてきてもらい愛犬と会わせた。とても喜ぶ。3匹の愛犬のうち、恭平は私にべったりで父とはそりが合わない。しかし、この日恭平は真っ先に父に甘え、離れようとしない。
「そうか、恭平まで喜んでくれるか?」と言い、泣き崩れた。
「こんな事になってしまったんだ。命がけで頑張らなくてはならないから、しばらく会えないからな」
と泣きながら途切れ途切れに恭平に言った言葉は私達には言えない自分の本心だと思った。この日が発病以来始めて見る父の涙であった。愛犬たちも父が泣き止むまで離れることはしなかった。
父は病室へ戻ったが、愛犬たちは裏庭で走り回り、その姿を父は病室から見ていた。すると、大きな病室の幾つかの部屋の人たちがそれに気がつき、同じように愛犬の走る姿を見ている。その人たちも私の愛犬から癒しの気分を味わってもらえたらと願った。 

 運命というのは不思議なもので、明日から抗がん剤という時、検査の結果が伸びて来週になるという。この時はまだ、弟が知り合いの医師と相談した結果を待っていて「署名捺印した承諾書」を請求されていた。このタイミングならもう一度医師と相談する事も出来るだろう。冷静になると、治療を始めるには承諾書が必要なのに、サインがもらえるのが当然と言う状況であることに気がついた。それとも、黙って医師の提示した治療方法に従うのが一般的なのだろうか?どちらにしろ、もう一度相談をしてみる必要はあると思う。

翌日、相談の席を設けてもらった。抗がん剤専門のあのMM医師も参加した。熱心に「この抗がん剤は一般に使われているし、自分はその研究のメンバー」とかなんとか説明した。英語の書類をテーブルに広げ「この辺りに僕の名前が書いてあるはず」と言っている。この人は私達が英語の文字を理解できると想像したのだろうか?だから英語の書類なのか?もしそうでないとしたら失礼ではないか?そう考えただけでこの人の人間性を疑い、はっきり言って説明なんて聞いていなかった。しかし、その先生が自分の名前をその英語の書面から探し出すより先に、私が探し出し読み上げた。その人はすぐさま「ま、そういうことです」と言ってその書類をさっさと片付けた。なんだその態度は!
しかし、一番の目的である治療方法についての話はまだ出ていない。そこで「セカンド・オピニオンでの答えは他にも治療方法があるはずという事なので、でその違う治療方法を知りたい」と言った。すると「私の提案した治療方法は受けないということなので、私は今後一切相談には乗りません」と言ってのけた。すばらしい。見事なまでの態度だ。ふざけるのもいい加減にして欲しい。が、あきらめず「先生の提案した治療を受けないという意味ではありません。他にもある違う治療方法を知りたいのです」と言ってみた。「ですから相談には乗りません」と言い残しご退席。私達親子はお口あんぐりであった。SM主治医が「本人の納得のいく治療方法にしましょう。しかしガンセンターは僕達より対処も早いし確実です」とフォローをしてくれて、結局私達親子はガンセンターに転院を希望した。直ぐに私はガンセンターへの転院を手配した。運がよく、来週早々に部屋が空くので転院が出来ると知らせを受けた。もちろん、転院が決まった。
父はこのMM医師のこの態度のおかげで、自分の病気に対して悲観的になっていた気持ちが、前向きなものに変って行った。
もっと良い治療がありその治療を受けるなら良い結果が出るに違いない。ならばがんばって闘おうという意欲を持つことが出来た。結果として、MM医師の態度は私たち親子には辛いものではあったが、それを乗り越える事でより良い未来を見つけ、親子としての結束も強まった気がする。
転院が出来るという知らせに父は「すまなかったな」と一言だけ言った。これは父の心の底からの言葉である。今までに一度もそういった言葉を口にした事が無い。いつも強がり、我慢をし、何でも自分で処理をしたがる父の性格には「素直」というものが欠けている。しかし、今回だけは自分だけの力ではなく、家族の力を感じたに違いない。何でも自分で出来る父が、初めて私の力を借りた。それを素直に認めたのだろう。そんな父の言葉を励みにこの先も頑張ろうと思う。

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