癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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 体調が良くないと思うときは医大病院のSM主治医の所へ診察を受けることは続けていた。特別に治療をしてくれるわけではないが、転院したいという父の希望を知っていたので快く診察をしてくれる。SM主治医に「調子が良いようですね」と一言でも言われると「自分が元気になった」と確認が出来て明るい笑顔を見せる。父の心の病院といった感じの存在だった。「たとえ癌であっても、自分の今の調子をSM先生はきちんと言ってくれるんだ」と父はつぶやいた。 私にはフォローしきれない部分であったし、SM主治医には感謝をしている。
 結局、転院も主治医を変えることもなく、迷っているまま、状態も安定しているかに思えていた。ただ、何処と無く元気が無いのが気になっていたが。 この頃から、味覚異常が起こり、しょうゆの味がすっぱく感じると言う。 6月には数人の夫婦と旅行が予定されていて、この状態なら元気に行けそうだと思っていた矢先、急に痛みが出て、急患で医大病院へ行った。この日、退屈だと言う父を連れて、買い物へ出かけた。普通に歩いているときに急に腰に激痛が走ったらしく、歩いても痛みがあると言う。急いで家に帰ったが、やはり旅行を控えているので、念のために病院へ行った。実は骨への転移があるのかと疑いをもってしまったのだ。父には言わなかったけれど、どこか私の中で不安が出始めたのは確かだった。病院についた頃には傷みが大分治まっていたため、たいした事はなく一時的なものだろうと帰された。
 その後痛みは出る事は無く、旅行へは元気に出かけ、無事に帰ってきた。とても楽しい旅行であったらしい。皆が父を中心に輪を作り、元気になった父を喜んでくれたらしい。旅行から帰っても数日はこの旅行の話をするほどで、今までの旅行の中では最高に良い思い出ができた。 翌週は、家族で海釣りに出かけた。愛犬たちも一緒だったが帰ったときには階段も上れないほど遊んで、楽しい思い出になりそうだ。しかし、父は気力がなんとなく衰えていて釣りはしないまま帰ってきた。抗がん剤の副作用だろうか?
 旅行から帰ってきて直ぐに骨塩値の検査をした。検査の結果は異常なし。骨に転移がないので問題は無く、一時的に痛みが出ただけだと判断された。しかし、不安は消えていない。なぜなら、その検査の前の診察で腫瘍マーカーが上昇しているのを見たからだ。それは診察のときにテーブルに置いてあるパソコンからちらっと見えた腫瘍マーカーの数字が上昇しているのを発見した、という表現のほうが適切で、実際には主治医には血液検査の結果は何も問題が無い、と言われ診察を終えていた。
 しかし、主治医に遠慮がある私はその事を追求することはできず、不安だけが残っていた。でも主治医が何も言わないのはやはり問題が無いのだろう、あの数値の上昇は誤差の範囲なのだろうと不安を自分の気持ちを切り替えることで解消しようとしていた。
 その間に父は痛みが出始めて、その痛みは激しくなっていく。私の不安はピークになっていた。食欲も落ち始めたこの頃、疑問がわいてきた。その疑問は、こういった不安な症状が出てきても、何も出来ずに、自宅で痛み止めを飲んで痛みを抑えることしかないのだろうか?という事だった。  痛みは薬で抑えることが出来ても、もし癌が進行をしているのなら、治療を変えるなどの対応をしたほうが良いのではないか?
  しかし、主治医は問題が無いと言ったから痛みは治まるのかもしれない、と気持ちは揺れて、父の症状にも気持ちが揺れて、何が一番良いのかという事を見失っていた。   
 癌という病気は何と闘ったらよいのだろう?今まで父を支えてきたつもりであったが、父の痛みなどの症状を完全に消し去ることは私には不可能だ。ならば父の抱える不安を取り除くことも、不可能なのだろうか?
  7月7日、父の痛みがかなりひどかった。診察の日では無いが、明日急患で診てもらうことにした。急患で診察が受けられるか電話をすると、S主治医が電話で対応をしてくれた。 痛みがひどいので予約なしで診察をお願いしたいと言うと「食事が取れなくても水分が取れるのなら、深刻ではない。急患で来るほどの問題は何も無い。それに僕は今から検査がありますから」と言い、診察に来いとも言わなかった。しかし、私はこのやり取りで反対に父を連れて診察に行く決心をした。 病院に着くと、予約が無いために、以前主治医の事で相談にのってくれた看護師さんが対応をしてくれた。 今日はたまたま2人いる主治医のうちの1人のKK医師の診察の日であったため「お父様の事情がわかっているからこの先生に診察を回します」と手配をしてくれた。そして、主治医をこのKK医師に変えるようにしてくれた。この日、父の主治医はKK医師となった。
  4月に1度だけ、KK主治医の診察を受けた事がある。その時の対応にとても安心感を持ち、父も気に入っている様子だったのを思い出した。腫瘍マーカーも記録をコピーして渡してくれたし、副作用である症状にも対応をしようとしてくれた事は父を勇気付けたことは間違いなく、症状が治まったわけでは無いのに、診察を終えたときに安心した表情を見せたのは印象的でもあった。父も今まで医大病院に戻ろうかと迷っていたけれど、この日以降、医大病院に戻りたいとは言わなくなった。 診察で、父の腫瘍マーカーが上昇しているために、治療方法を変える事になり、入院の手続きを取ってくれた。そして食事が取れないので、点滴をすると少し楽になると、点滴の手配もしてくれた。父は医師に治療を受けているという実感を感じ、安心をした顔を見せた。自宅へ戻ると、傷みが無くなったわけでも無いのに「やっぱり入院だ。思った通りだ。このままで何もしないほうがおかしいからな」と父は笑顔で言った。
 いくら治らない病気だと理解していても、今生きている父を一人の人として大切に扱って欲しい。父が直るための治療が無くても、今、苦しむ父のために安心を与えたい。そう思ったとき、ずっと悩んでいたことに答えが見つかったような気がする。
  入院が決まっても直ぐには入院することが出来ない。ベッドが空いたら病院から電話があり、指定された日に都合が悪いなんて言うと、他の人にベッドは回され、次にベッドが空くまで入院できないというシステムになっている。そのため、具合が悪くても入院が出来るまで、自宅で過ごすしかない。今回の入院では1週間待った。その間食事の量は減り、体力は落ちていく。しかし、なんとか乗り切らなくてはならない。背中やお腹を毎日擦り、父と少しの会話でもするようにし、不安を和らげるように努力をした。それぐらいしか私には出来ない。それに癌の広がるスピードが少しでも遅い事を祈った。そして。入院をしたら、必ず今までよりは強い抗がん剤が使われることは間違いない。しかし、不安を感じていた今までとは違い、父が頑張れるように、父を支える努力をしたいと思う気持ちを強く持てる。

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