癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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 父が発病をして、約1年になる。去年の今頃は黒い便が出るし便秘だと言っていた。病院で検査をしたときには「最期のお正月」と言われたのは記憶に新しい。というより振り返る事がやっと出来た感じがする。今までは一生懸命に父の癌と闘う事にのみ心身が費やされ、その間に恭平を失い、全く余裕が無かった。
 振り返ってみると、余命宣告を受けたのは何時が最期だったろうか。「最期のお正月」「7ヶ月から8ヶ月、治療をして1~2ヶ月の延命」「見る限りでは3ヶ月、いいところまで行って6ヶ月」とそれぞれ表現や長さは違ったけれど、そう言われてきた。しかし、宣告された余命をクリアすると言う事は、父に限らず、余命を宣告された患者にとってはとても重要な目安になる。生きる希望になる場合すらある。
 私も余命宣告を経験して、心が痛めつけられ、悩んだ時期があった。寝ていても夢にうなされ目が覚める。起きていても指折り日数を数える。食事は無理に食べても腹痛を起こし食べられなくなる、といった症状に悩まされ、精神的に参っているなというのは自分でも明らかだった。まるで自分が余命の宣告を受けたかのような辛い日々だった。
 そんな頃、ちょうど父は精神科へイライラの症状の為に通っていた。「癌になった事を気にして精神が異常をきたす」とS主治医に言われ、そのためにカウンセリングを受けるつもりでいた。しかしKN教授は「お父さんは他人に弱みを見せる人ではありませんし、精神的なところから来るイライラでは無いように思います」と判断され、結局一度もカウンセリングを受ける事は無かった。しかし「回りの家族もとても大変です。あなたがカウンセリングに来られてもいいのですよ」と付け加えた。まるで私の精神状態が見透かされているようで怖かったが、後日一人でカウンセリングを受けに行った。 そこではカウンセリングというより余命宣告の事や、患者との接し方を話してくれた。「まず、余命を告知には病院側の姿勢だったり、告知の意味の捉え方だったり様々な背景がある。しかし、個人的には余命を宣告する事は少々行き過ぎであると思う。必要なのは、余命の宣告を受ける事より、病状をしっかり把握する事にある。直るのか直らないのか?それを聞かないことには自分の人生を自分で決めて歩いていくことが出来ない。 その余命の宣告と、病状の説明を混同してはならない。宣告する医師の器により、どのように説明するのか、どのような印象を受けるのかという違いが出てくる。 奇跡と言う言葉があるが、奇跡とは起こり得るものだ。」 等と話をした。とても参考になり、宣告された余命をあまり気にすることなくここまで来れたのはこのカウンセリングがあったからだと思う。特に余命日数を数えるような事はしなくなり、今父がどんな状態なのかを観察する余裕が生まれた。例えばある症状が出たとして「悪化したのかな?あと余命はどれだけ残されていたっけ?」などと考えることはしなくなり「この症状は深刻か?直るのか?入院が必要か?」と考え、直そうとする方向へ自然と動いていく。
 そして、病気には信頼できる病院、主治医、看護師はとても大きい影響を与えるということも確信した。やはり患者は直らないと判っていても、ほんの些細な治療でも受けることが出来るのは、安心を医師や看護師からもらえるのと同じだと思う。そして何でも知りたい事が聞けるような先生ならば、不安は解消される。完治を望めないからなおさら、些細な安心は欲しくなるのかもしれない。医者が見放したと勘違いして号泣した事があるが、やはり癌が直らなくても先生や看護師さんにはかまってもらわないと辛い。
 奇跡に関しては「奇跡が起きることもあるのだから」と、くじけそうになっても自分を励ます事が出来た。たとえ奇跡が起きなくとも、奇跡が起きる「可能性」を信じることで前向きになれるのだから、この気持ちは最期まで持ち続けたい。今は奇跡の起きる「可能性」が限りなくゼロに近づいただけで、ゼロではないのだから。
 ただ、父の立場からすると少し違う。父は釣りに行けるほどに回復したとき「奇跡が起きた」と周りが表現した。父はその奇跡を信じすがっていた。癌が治らない事実と、奇跡が起きたのか?という気持ちで揺れ動いていた。余命宣告と、奇跡は隣りあわせの状態であったのかもしれない。そしてその揺れ動く心理を支えるのは主治医であり、看護師さんたちであり、そして身内だと思う。
 私は、癌患者の身内こそ、カウンセリングを受けるべきではないかと思う。癌患者を支えるという事は、精神的にも悩みが多いし、辛い事が多いと思う。それに今までに経験をしなかったような事が次々と起こる。末期の癌に対して、非常に多くの問題を突きつけられたようなものだと感じる。しかし患者を支えるには心身ともに健康であることは大切だし、不安を持って患者を支えると、患者の方はそれを敏感に感じ取ってしまう。  負けない力をつけるためにも、心が風邪を引いたら又カウンセリングを受けに行こう。

患者の心の問題も病気と同じようにケアされてもいいと強く思う。とくに治療をしないと決めてからの父の心の揺れは大きく「抗がん剤をしなくても食事をして体力をつけて頑張る」と言った翌日には「抗がん剤以外でもガンセンターで治療があるはずだ」と治療を望む発言をしてその心の揺れが大きいことを私は感じていた。不安定な心は不安定な症状と似ていて私も戸惑う事が多くなった。そして、緩和ケアに移ると決めたにも関わらずガンセンターで治療をしたいという気持ちになった時には一体、どうするべきか悩んだ。本当は、父は治療を受けたいのだろうか?それともホスピスに不安があるだけなのだろうか?もし治療に賭けたいと思っているなら治療を受けてみるべきか? 特にホスピスからベッドが空いて引越しの日にちが決まってからはその不安はとても大きくなっていくようだった。どんな治療が受けられるのか? 看護の体制はどうなのか? 痛いときには薬はもらえるのか? そういった不安は際限なく広がり「ガンセンターにこのまま入院はできないか?」とホスピスを拒否し始めた。
 

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