癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

HOME 闘病記 がんと闘う父の記録 一年 2

  今の医療の現場では、癌の治療をするかしないか、出来るか出来ないかという境目がはっきりしすぎているのかもしれない。父は癌は治らないと知っているし理解もしている。しかし万が一治療が出来るほどに体力が回復したら、という期待や希望も残っている。しかし境目の向こうへ行ってしまったら、その期待とか希望をあきらめなくてはならないと父は考えていた。その境目で気持ちは揺れ動き、ガンセンターに残るかホスピスへ行くのか悩むのだろう。実際には、ホスピスで治療受けて回復したら又、ガンセンターに戻って治療を受ける事だって可能である。しかし、境目がある限りは、境目を越すか越さないかなど精神的に影響をするのは間違いないと思う。
 癌の治療の流れとして、緩和ケアがあるのならそういった事は考えなくてもいいのかもしれない。治療はしていないけど、痛みはとりましょうね、とごく自然な流れになるのだろうと思う。しかしそれ以上に患者の心のケアがもう少し充実していたらと思うのも事実だ。 告知については、様々な意見があり、考え方があると思う。しかし、過去を振り返ると告知は深い意味を持つものであると経験した。 私も最初は告知反対派だった。「余命は短い」と宣告されれば辛い思いをするに違いない。残り少ない人生なのにそんなショックを受けるのは酷だと思っていた。最初入院した医大病院で、主治医と相談をし「胃潰瘍で一部にがん細胞が見つかった」と虚偽の事実を父に告げた。もちろん肝臓に転移をしている事も隠しておいた。 父の場合は癌が見つかった時にかなり進行していて、自分でも「ダメだな」と思ったという。そのため余計にこの先に対し神経質になり、疑いも持ち、時に怒りをぶつけていた。「早く治療してさっさと手術しろ!」等と言った事もある。このとき病状の把握はやはり必要なのかと考えが徐々に変わっていった。不可能な事に期待を持ち続けることは良いのだろうかと疑いを持ったのである。 これは父の人生であり父の時間なのだ。病気と闘う必要があるし、制限はあるけれど、自分の時間を自分のために使い、できる限りの生き方をしたほうが良いのではないか? 大好きな釣りに行く事は父の人生にとって大きな意味がある。私は交通事故で危うく命を落としかけた事があるが「死んだ」と事故の瞬間に思った。もし本当にそのまま天国に行っていたのなら心残りや心配事が沢山あり、悔いが残る人生だったに違いない。必ず未練を残していただろう。父は釣りに行きたい、という希望を持っていたし唯一の楽しみでもあった。それにその希望をかなえるための時間があった。直ると信じて治療を続けたのに結果として治らなくて釣りへ行くチャンスを逃がすより、行ける時に行き、出来るときにした方がいいと思う。後になって「釣りに行けなかった」では悔いが残るに違いない。 実際には父は2回アユ釣りに行き、海釣りも1度行った。釣具屋さんへは何度も足を運び、気に入ったアユの竿があると購入した。ある日「行けるかどうか判らないが、行きたいんだ。いや、行けると思うが」と言った言葉を私は忘れる事が出来ない。そして看護師さんに「釣りに行ってきた」と今までに無いほどの笑顔を見せたという。癌であっても、あきらめかけた自分の命であっても、未来が不安でも、こうして希望がかなったという事は何より素晴らしい。 抗がん剤の予定とにらめっこして、旅行へも行った。今の自分で出来ること、やりたいことを自分の体調に合わせてやっていた。 私が思う告知とは病状の把握であり、余命の宣告を受ける事ではない。自分がどのような人生観を持っているかにもよるとは思うけれど、自分の病状を知ることでその後の人生を考え、設計をする事が出来たのだと思う。 もし、虚偽の事実のまま今まで来ていたらどうだっただろう?全身状態が悪いにも関わらず抗がん剤治療を続けたのだろうか?多分答えはYes。治療をして病気を治して、仕事に戻ると言っていた。「どうして直らないのか?転移もしていないのに、手術もしないし」と不安を持ち今度こそは手術が出来るほどになる、と期待していた可能性もある。どこかで「直らない」と判っていても認めないに違いない。そして自分の残された時間を治療に充てていたと思う。実際に父は「副作用がひどくても少しでも良くなるなら我慢して治療をしなければ」と言っていた。苦しくて「死にたい」と思うほどの副作用を経験したのに、治療をするなら又同じ経験をしないといけない。虚偽の事実しか知らないなら虚偽の選択をする事になる。しかし事実を知っている父は「治療はしない」と決断した。そして苦痛の無い時間を過ごしたいと言った。「この先どれだけ生きていられるか判らないが辛い治療をするより、一日でも長く元気に過ごしたい」と話した。 この時私は告知をしていて良かったと感じた。抗がん剤の辛さを経験し、自分だけが知る自分の体調と相談して出た父の決意は強かったし、父の生きかたを見た気がする。

 癌と告知をされると本人も辛いが回りも辛い。本人に告知をしないで欲しいという身内の気持ちの中に「辛い思いをさせたくない」というのがある。確かにそうだと思う。大切な人が「癌」と言われただけで絶望的な気分になるのに、落ち込む本人を見なくてはならない事はもっと辛い。どうやって励まして良いのか、どうやって患者と接したらいいのか、考えるだけで私はめまいがした。だから父には事実を告げることが出来なかった。しかし、隠し通しても辛いことが出てくる。隠さなくてはならないプレッシャーもあるだろうし、容態が悪化した時に「俺は直るのか?」などと聞かれたら何と答えるのか?「頑張ってね」等と無責任なことは言えない。看護する側はみな同じではないだろうか?病院の看護師や医師でもそうだと思う。虚偽の事実しか知らないなら看護にも嘘が混じってしまう。私にはその嘘をつき通す事より、真実の看護をしたほうがいいのではないかと思える。本人も「苦しいから直るように治療をして欲しい」と願う事だってあるだろう。一時しのぎに何らかの治療をしても、又症状が出て来て何故こんなに治療をしているのに直らないのか?という不安は出てくるだろう。しかし事実を知っているなら「苦しみを取り除いて欲しい」と願い、苦痛が取り除かれるなら「ありがとう」となる。

 

index: トップページに戻る  ◊  前ページ  ◊  次のページ