癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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  ある日、あまり電話をかけてこない父から、電話があった。
父「今日、医者が気になる事を言う」
私「何を言われたの?」
父「金曜日に退院しろと。これからの抗がん剤は近所の病院ですればいいとも言う」
私「で、何が気になるの?(私は父が医師から見放されたと思っていることを感じていたが、わざととぼけるために聞いた)」
父「もう、医者はあきらめて何もすることがないし、ここでは面倒を見ることも出来ないということかなと」
私「そんなはずはないでしょ?近くの病院でも抗がん剤が出来るということで、見放したとは言ってないよ」
父「そうか?あ、それから今、坊主になってきた。それにしてもひどい顔だ」
私「髪の毛は生えてくるまでの我慢だよ。でもどんな顔なの?」
父「とにかくひどい。死人みたいな顔だ」
私「前よりはいいよ。もっとひどかったから良くなってきたと思ったけど?気になるの?」
父「そうか?もっとひどかったか?そりゃ、相当だな。あははっ」
私「今は、色々気になる事が多いけど、不安になりすぎたらだめだよ。KK先生はキチンと面倒見てくれる先生だから。安心して任せていいよ。心配なら、私が先生に事情を聞くから」
父「(泣き出した)うん。判った。(ブチッ)」
 私は父の気持ちを考えると、涙が止まらなかった。確かに父には慰めの言葉を言ったが、げっそりと痩せ、顔の相が変わったと思っていた。それに父の言うとおり、先生はもう父をあきらめたのか?そんな不安を感じ、涙は止まらない。不安で体は振るえ、父が一人で孤独と不安に耐えている姿が浮かび一層震える。私は正直言って、もう少し自分は強いと思っていた。しかし、強くならなくてはならないと自分に言い聞かせていただけで、この時限界に達していたのかもしれない。しかし、辛いときには弱音を吐き、涙を流し、誰かに頼る事で乗り切れることもある。 もう少し涙が枯れるまで泣いておこう。そして涙が落ち着いたら、父の顔を見に行こう。

 少し自分が落ち着き、考えてみると、いきなり退院は無いだろうと思った。だって、2日前までは「大切なときですから、退院はまだ先です」と言われたばかりなのだから。事実は、8月8日~8月10日までの一時帰宅が許可されて、退院はまだまだ先という事。どうして父が、そんなことを言ったのかは父に追求しても仕方が無いし、医師が自分をきちんと治療してくれると安心をしたようで、そのことのほうが大切であると思う。
 そして予定通り無事一時帰宅をした。8月8日のことである。一時帰宅をしても、特に何をするというわけでもない。殆どを布団かソファで過ごしたし、何処へ行きたいというわけでもない。しかし、家で、自分の好きな時間に好きなだけ寝て、看護師さんに起こされることなく睡眠をとり、好きなときに好きなものを食べ、美味しいとは言えない病院食を食べもしないのに運ばれる事無く、美味しそうだと思えるものだけを自分の目の前に運び、何より慣れた自分の布団で眠る事は一番静養になる様子だった。私も出来るだけ何も聞かずに、父の望む事だけに注意を払う事にしていた。あっという間に時間は過ぎ、病院へ戻る日になった。愛犬たちは、もう父は何処へも行かないと思っていたのか、ジュディーとさくらは父にべったり甘えている。又離れるのはかわいそうな気がするが仕方が無い。
 そして、病院へ戻る10日、釣具屋で買いたいものがあるので、釣具屋へ寄ることにした。釣具店では、他愛も無い会話をしながら釣具の必要なものを購入した。そして、釣具屋に売っている帽子が欲しいと言い、一緒に見ていた。しかし私が想像していたよりは帽子の値段が高く「結構高いんだね?」と父に言った。父は「そうだな。しかし、来年には髪も伸びているから、帽子は必要ないな」と言った。私は言葉が出なかった。それはいい意味で言葉がでなかった。もし父が自分の将来を短いものだとあきらめていたらそんな言葉は出ないだろう。しかし私が「来年は判らないよ」と答えるのは私が父の将来に絶望的な考えを持っているという事になる。ならば「来年は伸びているよ」と言ったらどうか?「来年」と言う響きにもどこかにこだわりを持っているように感じる。私は、とっさに「それもそうだね。無駄遣いになるね」と答えた。父は「他にも欲しいものが沢山あるからな」と答えた。
 この父との会話は普段でもありそうなものだが、なんとなく、発病したときに「来年釣りに行けたら、後はもういい」と言った父の言葉と重なる。4月に「もしもの話だが、もし自分が7月まで元気でいたら釣りに行きたい」と前置きをし「希望を捨てないために釣竿を買う」とこの日と同じ釣具店に行って釣竿を買った。希望は現実となり、実際に釣りに行った。そして今、来年釣りに行くために準備をしている。病室に戻りパジャマに着替えると、父はどこか神妙な顔をしていた。愛犬たちは車で留守番をしていて、病院に長居をするわけにはいかないので、気になったが早々にして病院を後にした。
 翌日、お昼過ぎに病院へ行くと、父はやはり神妙な顔をしている。励ますつもりで愛犬の話をしたら泣き出した。私は訳が判らない。それになかなか泣き止まない。「どうしたの?何が悲しいの?」と聞くと「おうちに帰りたい」だそうだ。何が気に入らないのかと聞くと「医者も看護師も、病院も全部いやだ」と言う。精神的に大分参っているのだと思う。ほんの数日前は、退院させられると泣き、今日は病院がイヤだと泣く。これは涙が止まるまで泣いた方がすっきりするだろうし「泣きたいだけ泣いて。部屋には誰もいないから」と言って父の涙が落ち着くのを待った。
  そして話を聞くと「今までは病気に負けてはいけない、頑張らなくてはと思って頑張ってきた。しかし、昨日病院にはどうしても戻りたくなかった。どういうわけか今までみたいに、負けずに頑張ろうという気持ちが無くなってきて、頑張ろうと思うだけで悲しくなる」と言う。「医師や看護師も全く信じられなくなってきた。この先の見通しが明るいのか暗いのか、全く先がわからないから不安なんだ」とも言う。私の想像だが、頑張らなくてはならないという気持ちはかえってプレッシャーになっていて、ストレスを感じていたのではないだろうか? そしてその頑張りに見合うほどの回復は今のところ無い。それより悪化しているし、おまけに強い副作用に苦しむ毎日だ。自分は、「この抗がん剤をして、副作用が消えて、来年には又釣りに行けるほどの体力の回復がある」と希望を持っていたのだろう。しかしこのまま病院で治療を続けて一体自分はどうなってしまうのか?そんな不安を持ったのかもしれない。前の抗がん剤を使った時にはめざましい回復力を見せた。その記憶が残っているし、今頃は大分体が楽になり食欲も出てくるはずなのに、今は歩くだけでしんどいし、食欲も無い。点滴も離せない。どうしてこんなにつらい治療をしたのにいまだに回復しないのか?そんな不満もあるだろう。それならこの先ずっと治療を続けて少しでも良くなるのか?それは誰でも思うだろうし、治療の継続に不安も感じる。だからと言って副作用で苦しんでいるのに「退院です」と言われたらそれはそれで「この先が短いからか?」となる。しかし今は、身体的な治療より精神的な治療を優先すべきだろう。
 「今から一時帰宅をさせて欲しい」と先生に頼んでみた。看護師長さんには父のこの状態を正直に伝えた。間違って受け取られ「そんなに病院がイヤなら、退院してください」なんて言われたら元も子もない。師長さんはそんな父の精神状態をよく理解をしてくださり、この先も長く外泊を出来るようにしたほうがいいと、アドバイスをしてくれた。帰りたいときに帰れるという事は安心感にもつながると教えてくれた。しかし点滴が必要なために自宅に近い病院で点滴が出来るよう、手配をしてくれた。そして、担当の薬剤師さんもとても良い方で、私が困っているのを見て、そっと助言をしてくださった。「家に帰りたいと言うのはまだまだ希望が持てる状態です。中には家でも、病院でも、もうどうでもいいいわ、と言われる方がいる。こうなったときには完全に気力が失せている状態ですよ」とのことだった。父が家に帰りたいなら帰してあげるのは必要な事なのだろう。

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