癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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 9月3日。朝、突然激しい痛みに襲われる。痛みで苦しい程らしいしく救急車を呼ぼうと思うほどだった。とにかく座薬で対処し、様子を見て直らなかったら救急車を呼んでくれという。30分後、少し治まってきたがすっきりと痛みは取れないらしい。しかし父はこのまま様子を見たいというので救急車のお世話にはならなかった。お昼ごろには落ち着いていた。一体何の痛みだったのだろう?退院後、3回ほど突然、痛み出したことがあるが、座薬で痛みが取れたために、一時的なものだろうと思っていた。しかし、この日の痛みはなんとなく嫌な印象を受けるものだった。そして、新しく「痛みとの戦い」の日々が始まった。大げさかもしれないが、それほど痛みとは辛いものだと知った。
 抗がん剤は、1日点滴で抗がん剤を点滴し、3週間後に又同じように点滴をし、と3週間に1日のサイクルを繰り返す。しかし、副作用が続いたのが2週間。そして楽になりかけたら痛みが出る。今までの抗がん剤とは全く違って、楽に生活できる日が殆どない。これからこのようなことを繰り返すのだろうか?

 9月4日。発熱を伴って痛みが出る。座薬を使ったら熱は直ぐに下がった。しかし痛みはすっきりとは治まらない。しかし、まだ食欲は少し残っていて、少量だが食事は取っていた。しかし、私の不安と動揺は増していくばかり。癌の進行を疑うまでもなく、進行していると断言した方が良さそうだ。このまま家にいて大丈夫なのだろうか?病院で適切な治療を受ける方が懸命ではないか?癌が進行しているなら、なおさら、このままではいけないのではないか?そんな事ばかりを考えて、夜も眠れず、いつ父の痛みが出るのかと不安を抱えたまま時間ばかりが過ぎていった。
 9月5日、朝から痛みが激しい。痛み止めと座薬で対応をするが効果なし。父は何故か浣腸をすれば直るという。しかし手元に浣腸はない。急いでクリニックへ走り、浣腸を処方してもらったが使い方が判らない。恥ずかしいことだが座薬と浣腸は同じものだと思っていたので、看護師さんが丁寧に浣腸のやり方を教えてくれた。しかし、痛みで苦しむ父を見て取り乱していたためか看護師さんが気を回して「往診でやります。その代わりガンセンターで痛み止めを処方してもらった方がいい」と言ってくれた。この看護師さんはガンセンター出身の方なので、こういう場合はどうすべきかを適切に判断し対応してくれる。その通り、浣腸はお任せして直ぐにガンセンターへ走った。
 この日、本当は抗がん剤をする日であったが、KK主治医に事情を説明し痛み止めを処方してもらった。が、主治医の顔をみたら涙が出てしまった。しっかりしなくては、きちんと状況を説明しなくてはと、思っているのに、情けない。主治医はそんな私を見て、椅子を私の方に向けた。私に落ち着くようにと、促しているようなそんな気がした。やっと出た言葉は「痛みでこんなに苦しむ姿を見るなんて」でそれが精一杯だった。主治医は「痛みは大変なものです。でも痛み止めを調整すれば楽になりますから、安心してください」と父の痛みと一緒に私の苦痛を取り除きましょうと、言ってくれているような気がして同時に落ち着きも取り戻した。結果、痛み止めの基本の量を増やし、突発的な痛みに対応するレスキューと呼ばれる痛み止めを処方してもらった。抗がん剤も痛みが取れて体力が回復してからにすることにした。そして「いつでもいいですから、困った事があったら電話してください」と言って下さった。この言葉はとても私を安心させ、取り乱しそうになる私の精神状態も落ち着かせ、これから先も、安心できる程、ありがたいことだった。
 やはり、自宅にいる場合は色々な不安がつきまとう。「少しでも長く自宅で過ごす」と言ったS医師の言葉はすごく理解が出来るが、それは患者のためだけを考えればその通りだと思う。しかし、家族はそうはいかない。患者が自宅にいれば、様々な症状が出てくるだろうし、それに対応できるほどの医学的な知識は無い。自宅で療養をする限りは色々な状況に対応できるようにしておかないといけないと思う。

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