癌・ギランバレー☆闘病記

二つの難病を抱えた夫の闘病日記

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私の主人は平成12年1月19日48歳でギランバレー症候群との診断を受けました。

1月10日頃より風邪をひき熱はありませんでしたが下痢の症状が4,5日続きました。

1月17日朝仕事をしながら「左の足に力が入らない、なんか何時もと違う」と初めて自覚症状が出ました。その日はどうにか午前中仕事をこなし午後近くのクリニックを受診。

まだ、その時は風邪の症状も残っており、風邪薬のみの処方箋をもらい帰宅する。

その夜左足にシップを貼り休みましたが、18日の朝トイレに行くにも足に力が入らず這って行ってどうにか用を済ませました。この症状は何が原因か解からず整形外科を受診。

レントゲンの結果、内科受診を勧められ紹介状を持っていくが同様のレントゲンを再び撮る。

この時点で一人では歩けなくなっており病院の車椅子を使用し入院となる。

病室で血液検査の為に4本採血。その夜担当医より「何が原因で歩けなくなったのか解からない為病名も付けられない」といわれましたが、たまたま近くの病院へ来ていたT医大K病院の神経内科の専門医の受診で「多分ギランバレー症候群でしょう」との診断。

19日朝にはトイレにも行けず尿瓶で済ませ飲み込みも出来なくなっていた為朝食も摂れず。

病院の救急車にてT医大K病院へ搬送され、検査の結果「ギランバレー症候群」と判明する。

その日の夕方1回目の血漿交換をし、2日間隔で2回目、3回目、4回と血漿交換を行う。

主治医の話によると4回で改善が見られないときは6回まで行うと言う事でしたので4回で終了した為、後は少しずつ良い方向へ向かっていくものと思っておりましたがその意に反して益々状態は悪くなる一方でした。

1月31日の夜呼吸が自力で出来なくなり人工呼吸器を口から送還し5日間眠り続けその後気管を切開し3ヶ月間人工呼吸器のお世話になりました。

5月の連休を前に個室から4人部屋に移れ、喜んだものの5月2日夜。

眠れない為、処方された睡眠剤を飲んでぐっすり眠ったのですが次の日の朝吐血と下血。

胃カメラ、小腸、大腸の検査をするが、原因がわからず「胃の壁がただれている為」で終わる。

胃壁を保護する為に胃薬を飲み始まる。

今思うとこの時の検査で癌が見つかっていれば命まで奪われる事はなかったであろうと悔やまれます。(自分勝手な思い込みかもしれませんが!!!)

ここでおわかりと思いますが、私の主人はその後スキルス胃癌との戦いを余儀なくされました。

これは両手両足に大きな後遺症を残した主人が当初リハビリを兼ねて書き記した日記です。

H13.2.26~28

平成13年2月26日午前10時
筆記練習開始。ボールペンを握って書いてみた。どうにか字になっている。
2月27日 天気 晴れ 気温 高し
リハビリのし過ぎ?で足の筋肉痛が残っている。
2月28日 天気 くもり 温度 高し
午前中部屋の移動。昨年いた608号室に入る。当時一緒にいたKさんを思い出す。Kさんどうしているかなあ。元気でいてくれる事を願っています。 

H13.3.1~31

3月1日 天気 小雨
この間まで正月だったのにもう今日より3月とは困ったものだ。ここへ転院して来てもう1ヶ月になる。
出来る事は大分増えたけれども下肢に力が思うように付いてこない。春の兆しが見えるようになって来た様に私の体にも変化を与えてほしいものだ。今日のお昼の食事はひどい物だった。小さな焼き魚が一切れあとはオクラと訳のわからない煮物。リハビリ室で「ろくな物を食べていないから力が出ない」と言って  いたおばあさんの言葉に妙に納得がいって可笑しくなった。
リハビリから帰ると部屋が移動になっていた。婦長さんがみえて他の二人に紹介をして下さった。私が以前この部屋にいた事等を交え色々なお話をして下さった。さすがに婦長さんである。後から入った私を溶け込みやすいように気を使って下さる。大変有り難い事である。同室の人たちも優しそうな人達で「出来ない事はやってあげるから言ってほしい」という言葉が返ってきた。涙が出るほど嬉しかった。妻はその言葉に涙した。
3月2日 天気 雨
朝少し雪が降っていた。天気が良くないと「今日も頑張るぞ!!」という意欲がわいてこない。週末のせいもあり少しバテ気味である。

*この頃には自宅での入浴も私一人の介助で可能になっていた為週末は外泊が許されていました。金曜日の夕方帰宅し日曜日の夕方帰院の繰り返しでした。*

3月5日 天気 晴れ
外泊より帰る。3泊した為気分転換が出来た。昨日医療大学生のTさんが見舞いに来てくれたメモが残っていた。国家試験も終え束の間の息抜きが出来るようになった様子である。外泊中の為会えなかったのが残念であった。
3月6日 天気 晴れ
今日も朝から救急車がにぎやかだ。今日もリハビリ頑張ろう。
3月7日 天気 晴れ
隣のMさん退院との事、おめでとうございます。元気で退院出きる事は素晴らしい。私も早く歩いて退院出きれば良いのだが! まだまだ先になりそうだ。リハビリは思うように進まないが月日の経つのは早いものだ。
夕方高校時代の恩師K先生が見舞いに来て下さった。予想もしていなかったのでびっくりである。皆から聞いていたより元気な様子に少し安心していただいた。「神様がくれた休日と思って、焦らずにゆっくりやりなさい。」との事である。夜、看護婦のOさんが来て「k先生来てたでしょう」の言葉。K先生の教え子だったという。世の中非常に狭いものだ。
3月8日 天気 晴れ
木曜日、中だるみにならないよう頑張ろう。隣のNさん、片目眼球摘出の為麻酔が切れて夜中痛かったのだろう唸っていた。片目がない事、歩けない事。果たしてどちらが良いものか、考えてみるが答えは見つからない。
3月9日 天気 晴れ
あっという間の1週間、もう金曜日だ。明日は家に外泊だ、今日1日頑張ろう。相変わらず起立台に立たされる毎日だ。

*リハビリも起立台に立たされ手足はP・Tの先生が手を添えての筋トレが主体でした。*

3月12日 天気 朝のうち雪
A・M9時外泊より帰る。午前中のリハビリ室は外来患者が多く、自分の思い通りにやってもらえない。午後はいつも同様。  家で休んで来た筈だが筋肉痛で辛い。
3月13日 天気 晴れ
夕方、主治医のカンファレンス。内容は「ギランバレーでも軸策型の人の場合発症から1年経過時の状態より良くなる事は無い。歩けるようにはならないでしょう。」と言われた。でも、自分でやる気を失くしてしまえばそこで終わってしまう。
悪い事は考えず前進あるのみ。今の俺にはそれしかないのだ!でも、このままかと思うと不安だ。何とか頑張ってくれよ、俺のこの足よ!!!
3月14日 天気 晴れ
予報によると今日は暖かいらしい。PTのK先生に昨日の主治医の話から「今日は先生の車のように俺も凹んでいる」と言うと「ここに来てから腰の周りの筋肉も付いて力が少しずつ付いて来ているのだから、前例は例として今はやるだけやれば良い」との助言。N先生にも膝の周りの筋力も付いてきているよと言われなんとなくホットする。嬉しくなりやる気がさらに増してくる。
まずは立つ事よりも起き上がる事が先決。今月中に起き上がりが出来るように頑張ろう!!!
3月15日 天気 くもり
だいぶ暖かくなって来た。階下の梅もきれいに咲いているのがここからでも良く見える。木々の新芽が吹き出す日も近い。俺の神経の芽もそれにつられて吹き出してくれと願いを込めて眺めていた。夕べ足をベッドより下へ下ろし前後に動かしてみた。右足はけっこう振れた。左足はわずかであるが動くようになって来ている。これも一つの進歩と受け止めよう。シャツのボタンも着ていてとめられた。歩みは遅いけれど動いている実感はある。でも、起き上がりをなんとかしたい。あと少しなのは自分でも解かるのだが思うようにいかない。残念だ。
3月16日 天気 晴れ
待望の金曜日ではあるが筋肉痛で辛い。シップを3枚貼ってもらって寝たが朝も痛い。体も痛いが心も痛い。

*筋肉痛と自分の思うような結果が出せないリハビリに焦りを感じ、自宅へ戻ってもリハビリは休みませんでした。*

3月19日 天気 晴れ
だいぶ春らしくなって来た。今日は月曜日。学生さんの実習に付き合うが計測に時間がかかり自主トレの時間がなくなってしまった。でも仕方が無い。いつも自由に自主トレさせてもらっているのだから。
3月20日 天気 晴れ
春分の日の為、リハビリは休み。相変わらず右尻の筋肉痛が辛い。一日病室でゆっくりする。
3月21日 天気 くもり
お昼に主治医が病室へ。この前のカンファレンスとは少しニュアンスが違っていた。K先生が主治医に私のリハビリの報告をしていてくれたからだろうか。「腰の周りの筋肉も付いてきており膝が少し上がるようになってきたね。この調子で頑張って下さい。」先生の言葉はどうであれ、自分のやる事は同じだ。
3月22日 天気 晴れ
右尻の痛みが少しずつ薄れ、太ももの裏側に変わって来ている。そこいらじゅう痛いと本当は何処が痛いのかわからなくなってくる。リハビリ室を出ると医療大のNさんが待っていてくれた。卒業式を終え、PTとして働く為福岡へ帰る前に挨拶に来てくれた。だいぶ動けるようになった事を喜んでくれた。俺も頑張るが彼女も仕事に頑張ってほしい。
午後、起立台に立たされ膝の訓練をした後かかとを上げてみたら上がるようになっていた。K先生も喜んでくれた。
3月23日 天気 晴れ
午前中、初めて平行棒に立って2メートル位歩けた。平行棒といわれた時には不安だったがいざ立たされてみるとそのわりに負担は感じなかった。そして1歩、はじめは膝を押さえてもらって、次にそれ無しで、、、、、。
立てても歩けないかも?と言う言葉を聞いていた為不安だったが、右足もすんなり出た。K先生に思っていたより良かった。と言われホットした。嬉しかった。だんだんジワーッと嬉しさが増して来て涙がこぼれた。妻も泣いていた。

*主治医のカンファレンスで一生歩く事は出来ないでしょうと言われ、主人と二人で泣きました。このまま歩けないのならあの時死んでしまっていた方が良かったという胸にしまっておいた言葉を口にしました。でも、少しずつ良い方向への変化も見え始め希望を持ち直し頑張る事を約束してくれました。* 

3月26日 天気 雨  
今日はK先生がお休みの為リハビリも休みとする。少し歩く真似事が出来た事を担当の看護婦さんへ報告すると、婦長さんを呼んで来て皆で喜んでくれた。4月で婦長さんもデスクワークに回ってしまい担当看護婦さんも結婚の為辞めてしまう。一番重篤だった時を看てくれていた二人に、少し良くなった所を見てもらえて良かったと思う。
3月27日 天気 晴れ  
一緒にリハビリをしていた81歳のおばあさんが転院する。「若いのだから頑張って」と励まされる。有り難うございます。今日は金曜日に起立台に立って上がらなかった左かかとが上がるようになった。少しだが前に振り出せるようにもなった。本当に少しだが良くなって来ているんだと思えて嬉しい。
3月28日 天気 くもり  
二度目目の歩行訓練だ。右ひざの上太ももの後ろが筋肉痛だ。前回は夢中だったが今日は良く解かった。腰をしっかり支えてもらわないと左足が出ないのだ。あと真っ直ぐに立てず前傾姿勢になってしまう。膝をロックして腕だけに頼ってしる為だろう。まだまだ腰から下の筋トレが必要だ。準夜勤でKさんが今日で仕事が最後になるからと顔を出してくれる。4月中に新居を見つけ引越し結婚式を待つばかり。幸せになって下さい。大変お世話になりました。
3月30日 天気 くもり  
相変わらず太ももの筋肉痛は改善せず。お昼休みに恩師のK先生がみえる。ご自分の体験を元にやけを起こさない事、焦らない事等のお話をして下さり帰られた。近くに用事があったからとはいえ有り難い事だ。先生の手術の時は知らなかった為お見舞いに伺えなかったものを・・・。
3月31日 天気 小雪 
 さくらが咲いているのに小雪が舞い寒い一日となる。リハビリ疲れでゆっくりの一日。Hさん、国家試験合格おめでとう。晴れて4月から看護婦さん、頑張ってほしい。

H13.4 ~

4月2日 天気 晴れ
午前中プッシュアップの練習をして体を止められるようになった。が、起き上がりがもう少しのところでダメだ。
しかしばかり言っていても仕方がないから一つ出来た事を喜ぼう。
4月3日 天気 晴れ 夕方雨
筋肉痛は相変わらずだ。リハビリもマンネリ化してきている。なんとかもう少し足に力が付いてほしい。交通事故で入院し一緒にリハビリして来た人の快復の速さが目に付く。怪我で歩けなかった人と比べてもどうしようも無い事は解かっているがやはり焦ってしまう。
4月4日 天気 晴れ
桜は満開天気は春がすみ。少し気分を入れ替えてリハビリ頑張ろう。夕方姪が来てくれ入浴。
実の親でも嫌がる年頃なのに娘以上に良くしてくれる、有り難う。
4月5日 天気 晴れ
同室のAさんが退院。おめでとうございます。もう一人の方も来週退院だ。またまた自分だけが居残り組みだ。もうここに転院してから2ヶ月が過ぎてしまっている。
4月6日 天気 晴れ
リハビリも週末なので先生にお願いして歩行訓練を行う。あれから一週間が過ぎたので膝にも力が付いているだろうと思っていたが相変わらずだった。「そんなに急には良くならないよ、焦らないで」と言われる。
4月7日 天気 晴れ
地元ではさくら祭りが開かれていた。妻に行こうと誘われるが車椅子ではなかなか出かける気持ちになれない。
外へ連れ出したい気持ちはわかるのだが、歩けるようになるまでもう少し待っていてくれ。
整骨院の先生2週間ぶりだった為少しの変化を認めてくれた。このまま頑張っていけば何とかなるかもしれない。少し安心する気持ちとここで気を緩めてはいけないという気持ちと半々だ。

*週末ごとに殆ど外泊出来ていましたので近くの整骨院の先生やマッサージの先生にもお世話になっていました。
その先生が月3回程診ていてくれており「ずいぶん力強くなってきたね歩く事も夢じゃないかも」と変化を認め励ましてくれていました。その頃の私は家の中にばかりいたのでは良くないと考え、外に出ることを進めましたがそれには応えてくれずその事に不満を持っていました。 車椅子の自分を認める事が出来なかった頃です。*

4月9日 天気 晴れ
月曜日、今週も始まってしまった。今日も起き上がりにトライするが、もう少しのところでダメだ。今回は家で3日続けて入浴出来たので、体も柔らかくなっており、出来そうなんだが、、、ダメだった。  やはり運動音痴のせいだろうか?
4月10日 天気 くもり
夜9時に就寝、7時起床。十分寝ているわけだがなんとなく寝不足のようだ。今日の体調はあまり良くなかったが指先立ちのプッシュアップで静止する事が出来た。期待していなかったので良い結果が出て嬉しい。
普通なら何という事無い事が出来なくなりそれが一つずつ戻ってくるような感じだ。
4月11日 天気 晴れ
今日も暖かな朝だ一日の始まりだ。毎日同じスケジュールでリハビリをしている為書く事がなくなり困っている。
振り返ってみると2月末から書き始めたのだが全然文字の上達が見られない。少しは力の入った字が書けているか比べてみるがあまり変わりは無いようだ。毎日細かなものを持ったりスポンジを握ったりしているのだがなあ。
4月12日 天気 晴れ
何度やってもダメだった起き上がりが今日はじめて出来た。嬉しい。リハビリ室が混雑しており思うように先生の指導が受けられなかった為ストレッチを十分やったのが良かったのかな。でもストレッチをする為には起きていなければ出来ないのだから本末転倒のところがある。指立ちでのプッシュアップと起き上がり今週はまあまあかな。

*指が大きく変形している為、この手でこの字が書けるの?と思えるようですが、握力が無く力が入らない為インクのうすい文字ですが、書き始めに比べるとずいぶん上達して来ています。一人で起き上がれるようになりナースコールの回数が減った事をとても喜んでいました。*

4月16日 天気 晴れ
なんとなく熟睡出来ない夜だった。朝方歩いている夢を見た。そんなに苦労しなくてもすんなり歩いている夢だった。これが本当に正夢になるよう頑張ろう。
4月17日 天気 晴れ
Nさんより国家試験合格したとの電話が入る。おめでとう。立派なPTになってくれる事を信じ祈っています。リハビリから帰ると恩師K先生がいらした後だった。今回このように何度も来て頂き心配をおかけし何とも心苦しい気持ちになる。
4月18日 天気 晴れ
夕べ車椅子からベッドへ一人で移動する事が出来た。今朝は足を下に下ろして起き上がり車椅子へ自分で移れた。
これで靴を脱ぐ事が出来たら完璧なんだけれども・・・。マジックテープは外せてもかかとが上がらないので脱ぐ事が出来ない。まあそれでもいいか・・・。夕方ベッドへ移り車椅子の上に足を乗せて一眠り出来た。とても気持ちが良かった。
4月19日 天気 晴れ
久しぶりに夜雨が降った。リハビリもいつも通り筋肉痛も同じ、何もかもいつも通り。このところ良い事なし。夕食後主治医の診察。このところの様子を話す。「この調子で行って病棟2週でも出来るようになったら身体障害者1級も見直しが必要になってくるかな」と笑っておられた。歩けたならこちらから手帳など返したい!。転院の話はまだ出なかったので一安心
4月20日 天気 晴れ
週末一週間があっという間だ。病院を早めに出て筑波山までドライブ。平日の夕方の為人も車もまばらだった。
早いところではつつじも咲き始めており水田に水を這った所は光って見えた。連休にはつつじも満開で沢山の人で賑わうだろう。

*月末まではリハビリに関した記述や病気への思いが記されておらず、見舞いに来てくれた友人、姪、兄夫婦弟家族への感謝の言葉が書かれています。*

H13・ 5~

5月1日 天気 くもり
連休の谷間の二日間。歩行練習をする。今まで左足が出にくかったが今日は上手く出た。少しずつだが進歩は見える。ただし、立ち上がるのには膝が真っ直ぐ伸びるようにならないと無理との事。まだまだだなあ。
5月2日 天気 くもり
ゴールデンウィークの為明日から病院も休みになる。4日間の外泊願いを出したが2日しか認めてもらえず我慢する。夜主治医の診察。現況を見て少しずつ良くなっている、昨年の今頃やっと個室から4人部屋に移れた話から「来年の今頃は歩いているかな?」とおっしゃる。おいおいこの間は「一生歩けない」と言ったではないか!
でもやはりそう言われると嬉しい。予想に添える様頑張ろう。
  
5月7日 晴れ
連休も何という事無く終わってしまった。昨年の今頃は個室から4人部屋に移ったばかりだった事を思い出す。あの頃は苦しくてひどかった。それを考えると今は何のようだかわからない。これで歩ければ何も言う事は無いのだが、、、、、。
その為にはリハビリ頑張らねばと思いつつ、今日は身体が硬く力が入らなかった。4日間の連休は長過ぎたようだ。
5月8日 くもり
ここ数日膝を上げる自主トレをしているが少しずつ上がるようになっている様に思える。まだ完全には上がらなくても筋肉は付いているので続けてやるように心がけている。なんとか大きな変化を見たいのだが!!!
5月9日 くもり
連休前あたりから体温の方も36℃~36、5℃と安定している。以前に比べ1℃位上がったようだ。これも正常に近づいている証拠なのかな。血圧も100~110を維持している。
筋肉痛は相変わらず襲ってくるがもう痛いなんて言ってはいられない。無理してでもリハビリだ。昨日も先生に「やけになってやっていない?」と言われたが、やけになってやっているわけではないがやらねば通れない道ならば、向かって行かなければ道は開けない!そういう心境だ。
5月11日 (金) 晴れ
平行棒で歩行訓練を行う。休まずに1往復したが最後の頃つま先がついてしまうようになる。前回よりは良かったと先生には言ってもらえたが自分では納得がいかない。もう少し膝が上がらないとダメだ。 また立ち上がりの為の筋トレもしなくては!!!だが、それについての決定的な方法が無い事が辛い。
夕方外泊だが妻の提案でドライブを兼ね潮来経由で帰るが何処を通って帰宅しても自分の足で歩けない為気晴らしにはならない。せめて杖を使ってでも歩ければ、車から降りたいと思うのだろうが今はそんな気持ちになれない。

*この頃は私の思いが主人に伝わらず、また反対に主人の思いが私には理解出来ず、お互いに「どうして解かってもらえないのか!」と 言い争う日もありました。看る側と看られる側の思いの違いを痛感した時期でした。*

5月14日 (月) 晴れ
今日も頑張ろう。左足の力のほうが右足を追い越したようだ。自分でも左の方が力が入るのがわかる。左足ぐらい力があればもう少し歩行訓練の時間を取ってもいいかなと先生に言われる。少しずつでも頑張ってきた結果として喜びたい。テレビ番組でアメフトの選手が試合で怪我をして脊髄損傷となったが6年かけてリハビリをして装具を付けて立たされ3メートル歩いていた。今まで使われていなかった神経を見つけ出して電気療法等によりリハビリをしたとの事。歩けないと宣告されてから6年ものリハビリ後に復活宣言。並大抵の精神力ではない。俺にはあれだけの精神力があるとは思えないが、あのような人もいるのだから俺も頑張らなくちゃあ!!!
5月15日 (火) 晴れ
夕べの脊損の人の事をIちゃんに手紙を書いて励ました。半分は自分に言い聞かせているようなものなのだが!転院の手続きの話が出てきた。手続き後2ヶ月近く待たされるだろうからその間に頑張って立ちたい。夕方主治医が学生を10人ぐらい連れてくる。ギランバレーはこんなに経過しても見本になるのだろうか?改めて変わった病気なのだと寒心する。
5月16日 (水) 雨
筋肉痛で辛い。お尻の裏側は全く痛みがひかない。何とかこの時期を乗り越えなければと歯を食い縛って頑張っている。交通事故とかの怪我ならば、リハビリをすれば筋肉が自然と付いてくるが病気が違うのだから仕方が無い。手の方は左手でお箸が持てるようになった。右手は親指の細かい動きが出来ないせいか物を思うように掴めない。本当に手の筋肉は難しいものだ。
5月17日 (木) 晴れ
空腹の時、時々胃が痛む事がある。薬を変えてもらう。病気になる前は良くあった事だが今は抵抗力も弱っているだろうから用心の為にお願いした。少し整腸剤も効きすぎる時がある。飲む量を減らして調整して見ている。

*この時の自覚症状をもっと強く先生にあるいは私に訴えてくれていたら、この時点でもう一度胃カメラを飲んでいたらと思うと悔やまれます。今回この日記を読む事になるまでこのような自覚症状があった事は一言もいわなかった為解かりませんでした。一年前の吐血、下血時の検査でなぜ見つからなかったのだろうか?と考えても仕方の無い疑問がわく。のちの手術後にスキルスと判明するが納得がいかなかった。*

5月21日 (月) 晴れ
土曜、日曜と二日続きで整骨院でリハビリをしてもらった為今日は筋肉痛がひどい。早く歩けるようになって帰りたいのだが思うようにいかない。夜一人になるとどうしても涙が出てしまう。少し低迷期で気弱になっているせいかもしれない。何としても乗り越えないと、、、、。
皆が待ってくれていると思うとプレッシャーがかかる。今日はじめて握力が測れた。左5K右1K。ちなみに妻の握力、左30k超右40k超。びっくりだ。
5月23日 (水) 雨
今まで出来なかった車椅子の上でのプッシュアップが出来た。また四つん這いになろうとする時ずい分お尻が上がるようになって来た。少しずつではあるが良い傾向だろう。これからも頑張ろう。
それしか俺に与えられた道は無いのだから!!!
5月24日 (木) 雨のちくもり
今日はプッシュアップを指先でする時、立ってから左手の指先を伸ばす事が出来るようになった。この頃肩の周りに筋肉が付いてきた様な気がする。トイレでズボンを上げてもらう時も手すりに?まって立つ事が出来た。もう少し頑張れば平行棒でも立てそうな気がする。まずは手を使ってでも何でもいいから立ち上がってやろう。上半身の変化ぐらい足のほうにも意地が欲しいものだ。車椅子に乗ったまま膝の上げ下ろしや、立ち上がりの練習をしている為膝の周りが痛い。
5月25日 (金) 晴れ
歩行練習をするが前回と違って膝割れもせず歩けた。少しずつではあるが前進していると思い嬉しい。夕方兄夫婦よりメロンが届く。リハビリ室へ持って行き喜ばれる。忙しい時にも関わらずわざわざ病院まで見舞いに来て励ましてくれる。私にはもったいない兄夫婦である。早く歩けるようになって安心させたい。
5月26日 (土) くもり
初めて外泊出来ずに病院にいる。何もやる事がないので早めに来てくれた妻にお風呂に入れてもらう。
さすがにお風呂に入ると関節が柔らかくなって気持ちがいい。本当は毎日入れればいいのだがなあ。
5月28日 (月) 晴れ
久しぶりの快晴今週も痛みに負けずに頑張ろう!!早いものでここに転院してから4ヶ月になる。当初の目標にはほど遠く未だに立てないでいる。土、日二日休んでも体の痛みは取れず成果は無し、焦りの気持ちが強い。また停滞期に入ってしまったのか?こんなに疲労感が残るまでやっているのに何とかならないのか。
自分でも嫌になる。でも、やらざるを得ない。車椅子は壊れてくるし何も良い事はない。自分ではどうしようも無い事なのに不安と空しさと悔しさだけが心に残る。なんで俺だけ歩けないんだよ~っ!なんで、なんで!!!こんなに苦しいのならいっそあの時死んでしまった方が良かった!!!
でも、現にこうして生きているのだから頑張らなければならないのだろう・・・・・。

*目に見える進歩がない為、焦りの気持ちからいらいらしている様子がうかがえる。同室の患者さんの事が気になりだして夜眠れない事も大きく影響している。この時期に見舞ってくれた兄弟友人への感謝の言葉が目に付く。

落ち込んでいる時に病気以外の話をする事は心のリハビリになっていたようです。*

H13.6~

6月1日 (金) 雨
いよいよ6月に入ってしまう。昨日で入院から4ヶ月になってしまった。気分的にはすぐれない。我が心は今日の天気のようだ。膝の蹴り上げが思うように出来ない。これが出来るようにならないと歩けない。
早く立って歩ける目途をつけたいのだが思うようにいかないのがじれったい!
6月4日 (月) 晴れ
今日もリハビリ室は大賑わいだ。他の人よりやる事が多いのだから俺も皆に負けないように一生懸命やらないとダメだな。先週は低迷期でめいっていたが、ここへ来て少しずつ動きが出てきたように思える。気のせいで終わらすわけにはいかない。手の平も少し曲がるようになってきている。この時期に何とか頑張らなければ・・・。
PTとして頑張っているMさんより手紙が届く。大変頑張っている様で良かった。俺も「歩けるようになったよ」との報告が早く出来るようにならないといけないな。今日は右手で割り箸を持って軽いものをつかむ事が出来た。
ほんの小さな事だけれど出来るようになった事は嬉しい。明日は大きな事が出来るようになっていますように!
6月6日 (水) くもり
入梅に入ったような天気である。同室だったKさんが亡くなった。個室に移ったその日の夜亡くなったとの事。
何ともあっけない死である。俺の方が苦しくて苦しくてという日を何十日も過ごし、自分でももう駄目だと思った事が二度もあったと言うのに、現にこうして生きているのだからわからないものだ。でも、こうやって生きているということを実感しながら生きて行くべきなのだろうなと思っている。
6月8日 (金) 晴れ
午後、平行棒内を歩く。だんだんと力を入れなくても足が前に出るようになって来た。K先生にも「いいね」と言われ少し前進したように思え嬉しかった。脊損のIちゃんに会う。以前の元気な明るいIちゃんではなく実社会における厳しさについて行けない様子が感じられ身につまされる。
6月12日 (火) くもり
今日は四つん這いにされて足が少し前に出るようになる。後ろへ下がることの方が楽に出来た。ベッドの上で淵にかかとを引っ掛けて靴を脱ぐ事も出来るようになった。少しずつの上達が工夫により出来る事になり増えてゆく。他の人はもう少し早い上達であるが、人と比べても仕方の無い事と自分に言い聞かせる。
あまりにも長い入院生活の為、待っている方の妻にとっては長い時間だろうがやっている方の自分にとっては短い時間だ。感謝と共にすまないと思っている。でも、現実にどうしても出来ないのだから辛い。
6月13日 (水) くもり
Sさんが主治医に「歩けない宣告」をされたという。「俺なんか何回言われた事か気にするな」と「頑張って歩いてやろう」と励ましたが、どんなにショックだった事か!彼の心情を察するに余りあるが俺も人の心配どころではないんだ。共に頑張るしか道はないんだから!
夜主治医の診察があった。膝の屈伸などを見て今まで希望の持てる言葉を発しなかった先生が「自分の足で歩けるようになるでしょう」と言ってくれた。3ヶ月前には「歩く事は無理でしょう」と言っていた先生だ。はっきり結果が出たわけではないが嬉しい言葉だ。これからも気合を入れて頑張ろう。
6月16日 (土) 雨
昨日ビデオで歩行練習を撮って見た。右足は良く出ているようだが左足がたれ足になっているのがよく分かる。もう少し引き上げる力がないと良い格好には歩けないようだ。整骨院の先生にもお世話になって半年が経つ。「膝も上がるようになってきたので年内にどうにかなるかな?」と言ってもらえた。車椅子の上で毎夜やってきた事が形になってきたのかなと思うと共にあと半年との思いもあって「頑張ろう」と改めて自分に誓った。
6月18日 (月) 晴れ
今日は調子良かった。休まない方がいいのかな?四つん這いになっての体重移動が出来た。K先生も不思議がる。「秘密の特訓が効いたかな」と言って喜んでくれた。夕方低めの平行棒へチャレンジしてどうにか立てた!!!徐々に高くしていって普通の高さにしたい。ただ、しばらく立っていると座る事が出来ない。情けない話だ。だが立てた事を喜ぼう。
6月20日 (水)くもり
今日も四つん這いだ。だが今日は足が前に出た。外泊時家でもやるように言われる。手の方の動きも良いようだ。
良い変化がわかる今少しでも多く出来る事が増えますように・・・・!
6月21日 (木) くもり
夕方平行棒で歩行練習をする。休まず2週を2回出来た。最後はバタバタであったが1週以上は初めてだったので気持ちがいい。夜も膝の周りがジワーッとなっている。歩いたせいか?膝の後ろに枕を挟んで正座の練習をしたせいかな?。とにかく一つでも出来る事を増やし出来たらその回数を増やす事だ。今週も残り一日だ。頑張れ!
6月22日 (金) くもり
だんだん色々な事が出来るようになって筋肉痛も今までになく酷い。今回は外泊をせずにゆっくり寝ていよう。
6月25日 (月) くもり
昼食後高校の友人Tが顔をみせてくれる。いつも気にかけてくれており大変ありがたい。上半身は良くなっているのだから社会復帰の準備をしておけと説教される。仕事についても今までの延長線上の事しかあるまい。
新しい分野は無理だろうからどのような仕事でもディスクワーク(インターネット)でも成り立つ時代なのだから足のリハビリをしている間に考えておけ。とのアドバイス。親身になって考えてくれた事が嬉しかった。いつかはその日が来ると本気で思えるような気になった。
6月27日 (水) 晴れ
蒸し暑い一日でリハビリ室でも汗が流れっぱなしであった。夜テレビで紫外線を浴びれない三人の兄弟を紹介していた。
世の中には想像も出来ない奇病があるものだ。年を取るにつれ癌になりやすく、神経にも障害が出て来るとの事。身につまされるところもあり悲しかった。ただ、この子達の父親が30歳なのに人生に対してものすごく前向きであり明るいところには驚く。三人の子供がその様な病気になったら、あのような気持ちに果たしてなれるだろうか?考えられない。俺などは自分一人でも持て余して苦しんでいるのだから、、、、、。
なかなか人生をプラス思考では生きられない自分がいる。

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