癌・ギランバレー☆闘病記

二つの難病を抱えた夫の闘病日記

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H13.7~

7月1日 (日)晴れ
7月に入って本当に暑い日だった。常日頃冷房の中にいるので大変暑く感じる。整骨院の先生が「3ヶ月位で仕上がれば良いんだけれど」と言ってくれた。実際にそうはいかなくとも身近な数字を出されると嬉しく感じる。今月も頑張ろうという気になるものだ。
7月3日 (火) 晴れ
午後妻と自主トレでマットに下りる。四つん這いでマット1往復、膝立ち横歩き等をやる。初めてにしては良く出来たかな? 夜になって腕が痛くなる。やはり筋肉がないせいだろう。
7月6日 (金) 晴れ
夕方自主トレでマットに下りて横移動をする。前会に比べるとスムーズに出来た。前回入院時にいた学生さんが今日も見に来てくれた。時々見に来てくれる人の目には良くなっているのがわかる様だ。少し気を良くする。
7月7日 (土) 晴れ
予定外の外泊だ。今日は妻の友人の娘さんの結婚式。一緒に行った友人が4人我が家へ寄ってくれた。オバタリアン5人組のパワーはすごい。夕方まで大フィーバーの一日だった。こちらまで明るい気分をおすそ分けしてもらったかな?
7月12日 (木) 晴れ
もうあと少しで四つん這いになれそうだ。先生は「もうなれている」というがあと10センチ左手を引けない。でもその前までの動きは先週出来なかった事だ。健常者には「そんな事が、、、、」と思われる事でも今の俺には大変な事なのだ。
早く歩けるようになって帰りたい。そのために一生懸命やっている。俺のこの病気は治るんだからと信じて、、、、、。
7月13日 (金) 晴れ
今日は13日の金曜日であるが四つん這いになれた。自分で出来た。出来ないわけがないと言われていたが、十分にストレッチをして足の屈曲をしておいてからやったのが良かった。簡単に四つん這いになれた。俺にとっての記念日だ。
7月16日 (月) 晴れ
夕方友人Kが顔を見せてくれた。家に来てくれた方が近いのに、わざわざ遠い病院まで来てくれた。
「立派な家を建てたと聞いたから無職の身で行くのが気が引けたからこっちに来た」と笑っていたが、気にかけてくれておりありがたい。これだけの苦難を乗り越えたのだから人間が一回りも二回りも大きくなっただろうと言われたがそれだけは無理だ。そんなに変われるほどの素質は持っていそうも無い。せいぜい車椅子の人にやさしくなれる位のものだろう。
7月18日 (水) 晴れ
四つん這いから片足上げと片手片足上げが出来た。お尻の周りの筋肉も付いてきたと言われる。膝の上の収縮もはっきりしてきたと言われ喜ぶ。もう少し頑張れば本格的な歩行訓練が出来ると言われとても嬉しかった。ここの所出来る事を見出せないでいたので前進だ。

*このページには早く歩きたくとも歩けないもどかしさを575にして走り書きがしてありました。記しておきます。
リハビリは他人それぞれに挙がりゆく。白壁のおリ早く出たいな我が足で。気合では歩けねんだよ俺の足。
見ていた夢には歩いている自分がいつも出てきたそうです。*

7月22日 (日) 晴れ
俺より妻の方が調子が悪い為整骨院へのリハビリは中止にする。病院内は涼しいが外は大変な暑さだ。仕事と病院通いと両方だ。あの日から1年半もの月日が過ぎた。毎日俺のために頑張ってくれている妻にありがたく感謝の気持ちで一杯だ。
7月24日 (火) 晴れ
朝からSさん、来訪。家に帰る事に不安があるらしくその話を聞いてもらいたいのだろう。あの状態で家に帰ってもどうしようもないのだから、もう少し主治医と話をすればいいと思うのだが「追い出される」と思い込んでおりなかなか良い方向に向いていないようだ。夕方Cさん、明日退院という事で挨拶に見えた。一時はお葬式の打ち合わせまでされていたと言うCさんだが、元気に退院出来て良かった。同じ退院でもSさんとは訳が違う。やはり喜んで退院したいものだ。果たして年内に俺の退院はあるのだろうか!!!
7月28日 (土) 晴れ
整骨院へ行くが先生の都合でリハビリは休み、足の温水浴と電気治療のみ。筋肉痛がきつかった為ホットした気持ちもある。夜2ヶ月になる長女を連れて妻の実家の甥夫婦来訪。子供の元気さ逞しさには目を見張る。がその様子を見て自分の回復力の無さ非力さにがっかりする自分が情けなかった。外泊で家に帰って来ると、やはり早く家に帰りたいと思う。どうしても歩けなければ一棟増築して退院すれば良いと妻は言うが自分としては納得がいかない、是非とも歩いて帰りたい!!!頑張るぞ。
7月31日 (日) 晴れ
7月も今日で終わりだ。今月もたいした変化が無く終わってしまった。四つん這いになれた事、膝立ち移動が出来た事位だ。今日、同じギランバレーの60歳の女の人を見かけた。歩行器で歩いていた。なんで俺だけこんなにやっても歩けないんだろう。もうどうでもいいや!という気になってしまうが、風呂に外泊にと病院へ来てくれる妻と姪に申し訳ないので口には出さないでいるが。

*入院生活1年6ヶ月を迎えるこの間に二つの病院でギランバレーの患者さんを4人見かけましたが、どなたも歩行訓練後短期間に歩いて退院されて行きました。どうして主人だけがとの悔しい思いは私にもありました。運命という言葉を受け止められず神を仏を二人で恨んだり呪ったりしていました。*

H13.8~

8月1日 (水) 晴れ
本日より8月である。今年も残り5ヶ月となる。どうしても歩かなければならない、歩きたい。気合を入れて頑張るべし。
夕べ、車椅子の上でうまく立てた。手を前方に持って行ってきっちりと立てた。そしてそのまま右手を離すことが出来た。これなら平行棒の前で車椅子を利用して立って手を平行棒へ移動して立てる。この練習を10回やる。ところがリハビリ室では上手く出来なかった。なかなか思うようには行かない。ガッカリだ。
8月3日 (金) 晴れ
初めてプッシュアップで立ち上がり平行棒につかまる事が出来た。これでどうにか立ち上がりつかまって歩く事が出来るようになった。来週から少しずつ自主トレに加えたいメニューだ。
8月6日 (月)晴れ
今週も今までと同じメニューだ。立てるようになったのだから少し歩く練習をしたいと思うのだが、先生の目では大して変わりがないのだろう。良くなっていると思うのは自分の考えだけなのかと思い悲しい。でも一つでも出来る事が増えたのだから喜ぼう。
8月9日 (木) 晴れ
昨日今日と外はだいぶ涼しいようだ。今までが暑すぎたせいかも知れない。今日も気合を入れてリハビリだ。と言いたいが足の力が思うように入らない。夕べ車椅子の上でプッシュアップから立ち上がりを10回やったのでなんとなく足がだるい。たかが立ち上がりで疲れるのだから、立っていたり歩いたりとなると大変な事に思えてくる。こんな事で歩けるようになれるのかと思うと大変不安になる。早く歩けるという確認がほしいものだ。年内に何とかなるだろうか!とても辛い。
8月10日 (金) 晴れ
週末の為、気合を入れてリハビリだ。夕べ、ベッドへ上がるのに靴を自分で脱ぐ事が出来たので、少し気分を良くしてかかる。午後平行棒の歩行練習も難なくこなせた。但し膝をロックして歩いているので、不十分だと膝が崩れてしまうはずだ。それがなければ「軽やかな足取り」となれるとの事。何とか膝の上に筋肉を付けたい。自分でやれる事は膝の蹴り上げ位だし、、、。何としてもクリアして目途を付けたい。

*年内には歩いて退院したいとの焦りから、筋肉痛をおしてまでリハビリに精を出している。車椅子の自分はどうしても受け入れたくないと頑張り過ぎが目立つ。PTの先生からは、やり過ぎはかえって良くないと言われるが、やらずにはいられないでいる。*

8月13日 (月) 晴れ
世の中、お盆休みなのだけれども病院はいつも通り。俺も普段通りにリハビリ頑張ろう!!今日は仰向けになってかかとを上げる運動で、左足も浮くようになった。今までは右足だけだったのが出来るようになる。自分ではたいした変化とは思わないが、先生には大きな変化であるらしい。少しずつではあるが変化あり。
8月14日 (火) 晴れ
午前中N先生が見てくれた。「以前と比べると大分力が付いて来たね」と言われる。たまに見ると良くわかるらしい。
正座をすると左に傾いていると言われた。股関節の周りはよくストレッチして可動域を広げた方がいいとのアドバイスを受ける。やらないで通る道はなさそうだ。どうにか気合で乗り切るほかないだろう。夕方M先生から「いつまでいても同じだから退院しましょう」と言われ、久々に涙。やはり辛い。死にたい。もうどうでもいい。暗い考えばかり頭の中を渦まく。俺も終わりかな。死ぬ気になればと言われるが死んだ方が楽だ。

*M先生の言葉は再び地獄へ突き落とされたような衝撃を受ける残酷な言葉でした。もしかしたら、もう少し頑張ったら歩けるかな!と思っていた時に浴びせられた言葉でしたので。このページにも落書きがしてありました。

仏様連れて帰ってよ極楽へ。あちらでは足がなくとも歩けるの。*

8月15日 (水) 晴れ
妻を交えての主治医との話し合いが持たれた。発症から1年7ヶ月も経ってこの状態では、良くなって歩けても短距離で、車椅子は離せないでしょう。最終的には家に帰らなければいけないのだから、そろそろその為の準備が必要だという事だった。でも自分では、今頑張りたいと思っている。膝の上の筋肉が付いてきているのが分かるからだ。仕方がない、周りがなんと言おうと頑張るのみ!でも、可哀そうなのは妻だ。幸せにしてやるからと言ったものを逆に苦労のかけ通しとんだ男と一緒になったものだ。夕飯を食べていて、それを考えると涙がこぼれた。すまない。妻のためにも頑張らなくては!!!
8月16日 (木) 晴れ
なんとなく眠れない夜だったが、お尻の痛みは薄らいだようだ。お盆中毎日妻が来てくれている為、お風呂に入っているのが良いのだろう。看護婦さん達が婦長と一緒に主治医に相当言い寄ってくれたらしい。私の事を思って色々言ってくれたとの事。本当に感謝しなくてはならない。皆が「大丈夫?」と声をかけてくれる。皆何も言わなくても気にしていてくれるのだなと思うと涙が出てくる。昨日で泣くのはよそうと心に決めたのに涙が止まらない。こんなに素晴らしい人たちに囲まれていて嬉しい。この人たちの為にも歩かなくては!と心に誓う。
8月17日 (金) 晴れ
あぐらをかいてから右ひざ立ちになって腰を上げたら四つん這いになれた。今までは腰が重くて絶対に上がらなかったのに、、、。また、トイレでズボンを上げてもらうのに立ち上がったまま、真っ直ぐ立って足の位置をずらして車椅子に座れた。これはまだちょっと危ない気もするがそれでも出来た。少しずつだけれど良くなっているんだよ~~~~~~~っ。
8月19日 (日) 晴れ
午後弟来訪。お風呂の改造の話となる。夕方ホームセンターに寄ってから病院へ戻る。2年近くホームセンターを覗かなかったので目新しいものが多かった。敷居と廊下の段差をカバーする為の段差スロープを購入。こんなものまで売っているとは知らなかった。少しずつ障害のある人の物も考えられて来ているのだなと感心する。

*しばらく涙を見せる事がなかった主人が、主治医やその上の先生から「絶望的な言葉」を投げつけられ、毎晩のように泣いていました。反対に優しく励ましてくれる看護婦さんたちには感激の涙を流していました。かける言葉の難しさを実感した時期です。*

8月22日 (火) 雨
台風11号、関東直撃の為雨が強かった。I大10日~14日の間には間違いなく入院出来るとの事。それまでもう少しだ頑張ろう。この所Sさん元気が無い。「目の焦点が合わない」と言う。そこへ来てM先生が「そろそろ退院だね」との事。目の事の心配の言葉ならまだしも、その言い草は無いだろう。頭が良くて医者になったのだろうが人間としてはまるっきりだ。俺の所に又回って来たら今度は相手にしないでおこうかな、、、、、。
8月23日 (木) 晴れ
K先生休みの為N先生に診て頂く。以前よりも蹴る力が強くなったと言われる。自分ではあまり自覚出来ないのだが、、、、。お昼に主治医よりI大に行く日までリハビリに励んで下さいと言われる。これで安心してリハビリが出来る。
8月25日 (土) 晴れ
朝一番で外泊そのまま整骨院へ行く。大工さんに段差スロープを付けてもらいトイレに手すりとベンチと付けてもらう。夜兄来訪。世間話をしていると現状を忘れる事が出来嬉しい。いろいろ気を使っていただき有り難いと思っている。
8月28日 (火) 晴れ
医療大への転院9月4日に決定。いよいよ来るべき時が来た。入院生活はこれで最後だろう。家に帰っても生活出来るようにならなければならないのだ。果たして杖をついてでもいいから歩けるようになれるだろうか。不安な気持ちでいっぱいだ。何としても歩けるようになりたい。その為の努力は惜しまない。
8月30日 (木) 晴れ
Iさん診察の為来院。とても元気そうだ。松葉杖も要らないように見える。「前会った時よりはるかに良くなっているよ」と言われる。俺の立った姿を見て安心して帰って行った。リハビリ後、以前同室だったHさんと話をする。以前から見ると顔つきも変わり、目の光も違ってきたと言われた。誉められれば嫌な気はしない。人生の理想論のような話を聞かされる。俺にはそんなになれる器量はない。ただ、心掛けは持って生きて行きたいものだ。夕方妻にお風呂に入れてもらう。
俺にとっての一番の感謝しなければならない相手である。

H13.9~

9月3日 (月) くもり
T医大最後のリハビリだ。K先生にお願いして歩行器で歩かせてもらう。膝下からの装具を付けて立ち上がった時は不安であったがそれなりに歩けた。ただ腰周りが弱いのか、腹筋が無いからかふらふらする。松葉杖も使ってみたが、握力が無い為、杖を前に出す事が怖かった。でも、どちらも思っていたよりは楽だった。午後、看護部長室へ挨拶に行く。歩行器で歩けた事の報告をし自分で歩いて会いに来る約束をする。K先生が初めて「歩ける」という言葉を口にしてくれた。今までは絶対に言ってくれず、「ひょっとするとひょっとするかも」が精一杯の言葉だったのが、、、、。嬉しかった。ここで気持ちに区切りを付けて明日より又頑張りたい。そして自力で歩いてお世話になった方々にお礼を言いに来たい。
主治医のS先生をはじめ沢山の方々に支えられて、本日を迎えたわけだが、これからもあと二歩(K先生の言葉)頑張ってどうにか歩きたい。それが応援してくれた人達への恩返しであり、共に苦労をしてくれた妻の為でもあると思う。
とにかく明日から又新しい環境の中で頑張ろう。俺の人生まだ終わりにしたくない!!!
9月4日 (火) 雨
N看護部長、S婦長はじめ看護婦さん達に見送られて転院となる。前回みたいな涙、涙では無かった。医療大プライマリーはKさん。O主治医からも「今回は射程距離だから頑張ろう。」との言葉。嬉しさと共にやるぞという意志を固くする。
Kさんからも「そんなに出来るようになったの!」と言われちょっぴり嬉しい。自分のやって来た事が少しは認められたような気がする。これからの4ヶ月は今後の俺の人生にとってを左右する日々となる事だろう。これからの事もふまえ歩いて帰れるように頑張るのみだ。又今日は前回一緒に頑張った沢山の人達の顔も見えた。皆外来で頑張っているようだ。
俺は入院してリハビリが出来るのだから皆の分も頑張らねばならない!!!

*2度目の入院の為、看護婦さん達も前回の状態を見ていたので「回復してきた体」に驚きと感激の言葉をかけてくれました。その言葉に喜ぶ主人の晴れやかな顔が、これからの頑張りを示しているようで、私も嬉しかったのを覚えています。*

9月5日 (水)晴れ
PTはK先生。前回に比べ良く動くようになったと驚かれる。K先生が「諦めない事がいかに大事な事か勉強になりました」という。俺はそんなにひどかったのかと思うと同時にやり続けて来て良かったという複雑な心境だ。「歩行器で歩いて帰りたい」の俺の言葉に「それは無理です」と言ったK先生の言葉が思い出される。OTはI先生に決定する。初日より洗面台の前に立たされ膝の筋トレ。手の方も、手のひらの中の筋肉が動くようになればどうにかなりそうな話だ。とにかく歩く事に向けて足りない事だらけだけれども頑張らなくては、、、、、。俺に関わってくれている何十人もの人達の為にも、乗り越えなければならない大きな坂だと思う。そして妻の為にも、、、、、。はるちゃんの初節句にも行かなければならないし、、、、、。
9月7日 (金) くもり
PT平行棒2往復し自主トレ。OT2時間位良く見てくれる。隣にいたI先生よりアドバイスありがたい。やはり足りないのは腹筋が一番のようだ。夕方妻の迎えで外泊。金、土、日と三日続けて風呂に入れる事はありがたい事だ。風呂の改修の件で大工さん工務店さん来訪。久しぶりの世間話に花が咲く。早く家に帰りたいと強く思う。
9月11日 (火) 台風の為大雨大風
OTのリハビリはきつい、ついて行くのが大変だ。学生さんと二人で良くやってくれる。7ヶ月ぶりにマシンに乗ったが思うように動かなかった。午後、風呂に入り風呂改修の打ち合わせを妻とする。茨城新聞に鶴さんの記事を見つけ電話を入れる。元気そうな声。今、俺のいる部屋は鶴さんが最初にいた部屋だから縁起の良い所に居るのだからと励まされる。夕方Tさん、とんちゃん来訪。
9月13日 (木) くもり
OT筋肉痛の為今日も手のみ。手の方はだいぶ柔らかくなって来ている。以前入院中も外来で来ていたおばさんに会う。この人も頑張ってリハビリをして手が動くようになったと言う。話を聞くと俺よりも頑張って来た様子だ。すごいおばさんだと感心した。O先生も「この病気はやればやっただけの事はあるんだ」とおっしゃる。今日から気合を入れ直して頑張るぞ~~~~っ。
9月14日 (金) くもり
OT手のリハビリがきつい為ボールペンを握るのも辛い。お箸も今日からリハビリ用の物ではなく普通の箸を使う事にする。少しずつでも出来る事を増やして行きたい。ドラムも20Wで10分間回せた。来週からは25Wと言われる。出来る限り続けて行きたい。「私は足が悪いから車椅子に乗っているだけ、普通の人と変わりないから」成田真由美さんの言葉。
肝に銘じておこう。
9月17日 (月) くもり  
入院して早くも第3週目に入る。PTは歩行器5メートル平行棒2往復。どうにか形になって来たが、立ち上がりは7分程度位だ。OTは体が硬く苦労する。でも手の方はだいぶ柔らかくなって来た。手の平が赤い斑点のようになっているのと同じ様に太股もなって来た。いくらか足のほうにも血が回り始めてきたように思える。足の裏もむずむずした変な感じがし始めている。歩く事によって刺激され、筋肉や神経が動き始めているのだろうか?この期を逃さずに何とか歩けるようになりたい。
9月18日 (火) くもり
午前中ベッド上で自主トレ、どうにか靴を脱ぐ事が出来るようになる。履くのは紐で膝を組んでから履くやり方だ。(工夫が実る)少しずつだが体も柔らかくなってきている。妻がいる時は自主トレでの歩行練習が許されていた為、何時ものように難なくこなす。とにかく膝周りの筋肉を付けなければならない。車椅子の上に枕を載せて、その高さからなら立ち上がりが可能だった。
9月20日 (木) くもり
OT自主トレがんがんというところ。気分も充実やる気満々という感じだ。それもこれもこの所調子が良いせいだろう。足首も昨夜あたりから動くようになってきており、やればやっただけという気にもさせられる。オーバーワークにならぬ程度に頑張りたい。夜の着替えが始めて一人で出来た。くつ、靴下、ズボン、シャツ、パシャマ何とかまとまる。パジャマのズボンのような薄い物ならば座位でも履く事が出来たがジャージになるとベッドの上で転がる方が早かった。あともう少し体を柔らかくしないといけない。
9月21日 (金) くもり
3連休前の金曜日だ。平行棒3往復休み無しに出来た。疲労感もあまり感じない。初めてのトライだったが出来て嬉しかった。これからも少しずつ距離を増やして行きたい。外来では無理な毎日のリハビリが、入院しているからこそ出来るのだから、その事に感謝し頑張って行こうとしみじみ思った一日だった。

*出来る事が増えてきた為、今までのような悲観的な言葉(文字)の出現が無くなってきており、毎日の着替えが自分で出来るようになり看護婦さんの手を煩わす事が一つずつ減ってきた事が嬉しかったようです。*

9月25日 (火) 晴れ
PT本日より松葉杖の練習を始める。片手平行棒で片手松葉杖、思ったより安定している様に思える。これが出来ないと平行棒から出られないから頑張らねばならない。3日休んだ為体も硬くストレッチを十分してからOTに行く。ドラムも初めて22W10分がクリア出来た。外は秋の色が濃くなって、富士山に初雪の声が聞かれるようになりちょっと焦り気味だ。
9月26日 (水) 晴れ
リハビリは順調、ちょっと筋肉痛だ。夜の着替えは全部自分一人で出来るようになった。筋肉も付いてきたと言われる。
おそいながらも着実に進んでいる。夕方妻にお風呂に入れてもらう、今のところの一番の楽しみだ。
我が家の風呂も今日から職人さんが入ったとの事で今週末の外泊を楽しみにしている。
9月27日 (木) 晴れ
爪切りに初挑戦してみたが薬指が切れず切ってもらう。平行棒と片手杖での歩行練習、鶴さんの使用した物と同じロフスト。そんなに難しくもなかった。今すぐは出来ないが将来的に使えるかどうかというところだ。何とかなりそうな気がする。
屋上で坂の上り下り10週と車椅子バックで坂の上り下り2週。バックはさすがに難しい。OTのI先生昨日の会議で「歩いて退院させたいのでもう少し入院を延長させたい」と申し出てくれたところ、婦長があっさり快諾してくれたと言う事だ。争うつもりでいたのに拍子抜けしたと笑っていられた。婦長が自主トレをしている私を誉めていた事等色々聞かされる。自分では、良くなりたい一身でやって来た事を皆に認められ、色々と私の事を考えてくれている事を知り涙がこぼれる。良くしてくれる皆さんの為にも頑張りたい。とにかく出された課題は、歯を食い縛ってもクリアして行きたい。

*初めの1年に流した涙は、悔し涙失望の涙でしたが、ここへ来て流す涙は、希望が見えてきた事で、喜びの涙感謝の涙に変わって来ていました。*

H13.10~

10月2日 (火) 晴れ
久しぶりの秋晴れで暑いくらいだった。朝の採血の結果「オーバーワーク」との事。少し自主トレを控えるようにとの注意を受ける。自分では何とも無いのだが、数値として出てしまうのだから仕方がない。少し焦らずゆっくりやって行くしかないだろう。
でもこの所調子が良いので残念に思うが、体を壊してしまっては元も子もないので我慢しよう。

*その後の採血検査でもこの数値(CK値)は高いままの状態が続き、少し運動を控えるように言われました。CK値とは私達素人にも解かり易く、筋肉が再生しようとする働きを破壊してしまう数値と簡単に説明されていました。この時はただ単に運動のし過ぎと思っていましたが、後に癌が発覚した時に、この数値が癌と何らかの関係を示していたのではないかと思われました。*

10月3日 (水) 晴れ
自主トレはストレッチの30分だけとする。リハビリについては現状のまま少し様子を見る事となる。次回の検査で下がって欲しい。病院もあとからあとから色々な人が入ってくる。面と向かって「一生歩けないの?」と聞いてきたり・・・・・。ギランバレーと同じ様な症状が出る神経硬化症と言われた30代女性に「ギランバレーは治る病気だからいいですね。」と言われた。その女性は足は諦めて手を、しかも片手を中心にリハビリをしているのだ。この病気になって羨ましがられたのは初めてだ。それだけに彼女の前では複雑な心境にさせられているのに・・・・。あの人は・・・・。もう少し言葉を選んで話しかけてくれ!!!
10月4日 (木) 晴れ
短下肢装具の型取りを行う。やっと自分の装具を作る事が出来て嬉しい。又一歩前進というところだ。自主トレを控えるといっても大して違わないのだが精神的に少し楽かなと思える。少しゆったりとした気持ちでかかりたい。 
10月5日 (金) くもり
午後OTでも杖2本で立たされる。PTと違って装具も無いので無理かと思ったのだが、どうにか為るかなとの感触を得る。これが出来るようになれば外を歩く事が出来る。何とかマスターしたい。PT室でも歩行器で入り口から平行棒のところまで歩き、杖で平行棒の長さ分の距離を3往復歩けた。入院から1ヶ月経ったが順調なのかな?
10月6日 (土) くもり
自宅にて気孔の治療を受ける。足を中心に治療を受ける。股関節が硬く足の平と裏側も大変痛く辛かったが我慢する。今まで足は常に冷たく冷えていたが、その後はぽかぽかするような感じだ。血液の流れが良くなって来たのだろう。
何とかなってほしい。神頼みである。改装後の風呂と廊下の段差が無くなり自分で車椅子にての移動が可能になる。浴室まで車椅子が入れるようになった。ただ浴槽が思ったより深く、もう少し腕の力が付かなければ、浴槽から手すりにつかまり腕だけの力で上がれないのが残念だ。少しでも妻が楽になれば良しとすべきであろう。
10月7日 (日) 晴れ
午後鶴さん夫婦来訪。とても元気そうで室内は装具無しで歩けるとの事。羨ましい限りだ。頑張れば俺もいつかあのようになれるのだという気持ちで目標にして行ける為、時々顔を見せてくれる事は有り難い事だ。CK値が上昇して自主トレ禁止となったがNHKの番組でクエン酸を摂ると良いと言う事なので内緒で梅干を食べる事にする。そのクエン酸を粒状にした物とマグネシウム、カルシウムを粒状にした物を注文し、しばらく飲んでみようと思う。水についても軟水より硬水の方が血管を広げ血の巡りを良くし、手足の末端まで暖かくなるとの事。1日2リットルで5日間で効果が有るというテレビ。ここのところこのような健康番組が盛んであるが、出来る事は何でもやってみようと思う。その中で一つでも効果のあるものがあれば最高なのだから・・・・。

*同じギランバレーを、同じ頃発病し、年齢も近く、同じ様に自営業をしていた鶴さんは、発病から1年後に歩いて退院されました。

鶴さんは血漿交換を7回行い、1ヶ月半後に本格的なリハビリが始まったそうです。

常に主人の前を行っていた方で大変な努力家で、主人の目標とする人でした。自分も頑張れば鶴さんのようになれる!と信じ、会う度に目に見える回復をして行った鶴さんの姿を見る事が楽しみだった様です。ありがたい事に、それを知ってか知らずか何回も見舞ってくれていました。*

10月9日 (火) くもり
3日休んだ後のリハビリ始まる。PTは足の上がりが良かった。K先生が良いって言うのだから上がっていたんじゃないかな?ただちょっと腰がふらついていたのが解かる。まずまずの出足と言うところか!夜日記を書いていると前回の入院時に担当だったOさん来訪。すっきり痩せて元気そう。アメリカへ行った為のお土産を届けてくれた。俺の事はKさんから聞いており良くなった事を喜んでくれた。色々病院の内輪話も聞けて参考になる。当時いた山さんや鶴さんの話も出て2時間以上話をして帰る。元気に退院したら訪問する約束をする。
10月10日 (水) 雨
車椅子からベッドへの移動が、いつも同じ方向からやっている為、反対側からやってみる事にする。スムーズに出来たのでしばらくこちら側からの移動でやって行こう。午後OTは学生の発表がありリハビリの実演をさせられる。その中でI先生より沢山のアドバイスを頂く。今までやって来たトレーニングの欠点を指摘され、なるほどと思える事が沢山あった。まだ1ヶ月ちょっとだが好感触を持ってくれているようだ。普段でも気にかけて見ていて頂くし、I先生には大変感謝している。もう少し力を付けて良い結果の出た所を見てもらいたい。歩けるようになったら、見せに行かなければならない人が沢山いる!!!
10月11日 (木) 晴れ
久しぶりに晴れて暖かい一日だった。リハビリも順調だ。OTの方は昨日のI先生のアドバイスでメニューが変わる。立ち上がりの練習が追加となる。なかなか力のいるトレーニングだが、なんとかマスターしたい。エルボーマシンも23Wで20分やったが以前のように必死という感じでなく出来るようになった。自分でも力が付いてきたのがわかる。この調子が続いて欲しい。血液検査でCK値が下がっています様に。プロテインとクエン酸が効きます様に祈りたいものだ。装具の型合わせを行い歩いてみる。かかとの角度の設定がゆるい為、膝が前に崩れそうになる。やはり今のところ膝の力は付いていない事を実感させられる。そこを調整してもらえば問題無しである。
10月13日 (土) 晴れ
整骨院へ行く。病院ではやらない部分を動かしてもらえるので行かないではいられない。通販のらくらくウオークが届く。1分間に20~30回転で5分位やってみるがふくらはぎが張ってきてすごい。股関節も動かされるので良く曲がるような気がする。これも病院内で使えれば良いのだが・・・難しいだろう。夜兄来訪。少しずつ良くなっている様子に安心してくれた事と思う。正月には杖をついてでも歩いて行き、皆に会ってここまで回復した姿を見て欲しいと思う。

*兄弟や友人が顔を出してくれて昨年の今頃はソファーの背と両側に支えを置かなければ座っていられなかった事を思い出し、口々に良くなったねと言ってくれ、座っている姿は歩く事の出来ない病人には見えませんでした。精神状態も安定していた時期です。*

10月15日 (月) 晴れ
休み明けでなんとなく体が重いように感じる。健康食品を摂り始めて5日目。腹の調子がいまいちの感じ。下痢では無いのだがなんとなく渋り気味である。今夜は下剤を飲まないで寝てみよう。明日は採血があるのでちょっと気がかりだ。
10月16日 (火) 晴れ
採血の結果CK値は少し下がっていたが平均値よりは上。ただ筋肉の回復は急激に上がっていた。その為リハビリは現状で様子を見る事になる。ちょっとほっとする。おそらく筋肉の回復はプロテインのせいかな?と思う。CK値についてはクエン酸は効かなかったのか?せっかく梅干も食べていたのに・・・・・。
10月18日 (木) 雨
午後装具合わせがあり出来上がる。来週末の外泊には自宅に持ち帰り練習が出来る。期待と不安である。OTではトイレでのズボンの引き上げが上手く出来た。最初の目標とした着替えとトイレは一応クリア出来た。後はどの位歩行訓練が出来るかである。K先生は退院の日を気にするし、ちょっと不安なところもあるが、一応年内はOKとの事。それまでにどの位出来るか、、、。
10月19日 (金) 晴れ
午後昨日出来上がった短下肢装具を付けてロフスト2本で3メートル歩く事が出来た。どうしても歩いて帰りたいので必死のトライだったが、案外簡単に歩けて方向転換も出来た。涙が出るほど嬉しかった。これも今まで応援してくれた大勢の人達のお陰と思うと本当に涙が出る。夕方外泊の為、夜勤で出てくる担当のKさんに歩けた事の報告をと思い、嬉しかった由メッセージを置いて帰る。

*初めて人の手に触れる事無く歩いたのです。リハビリ室にいた皆さんからも歓声と拍手が湧き上がり、嬉しさのあまり二人で泣きました。両足両腕に装具を付けながらも立って歩けたのです。発病から1年9ヶ月が経過していました。涙の後の笑顔は最高でした。*

10月21日 (日) 晴れ
弟がボイラーの点検をしてくれると言うので久しぶりに温室を覗いた。俺がやっていた時よりもきれいになっていた。確かに仕事量も半分以下になったのだから当然とも言えるが、妻やその周りの人に感謝する。もっとひどい状態になっているだろうと思い不安で覗かなかったのだが、大変嬉しかった。だが照れくさくて「ありがとう」が言い出せなかった。
10月23日 (火) 晴れ
午後妻が来た為、週末自主トレ用歩行器の練習をする。歩き方が悪い(尻が出ている)と妻から指摘される。がっかり落胆である。自分では良くなっていると思い一生懸命やっているのにあっさり否定された。こんなに辛い事は無い。俺の今の心境なんかは健常な妻にはわからないだろう。入院期間も長いのでお荷物になって来ているのだろうが。精神的な疲れが出て心の整理がつかない夜だった。

*歩き方の指摘以外に主人の気持ちを害するような言葉を吐いていたようですが今となっては思い出せません。*

10月24日 (水) 晴れ
OT休みのため長い一日だった。PTは杖で帰りたいと言ったので歩行器よりロフストの練習になる。なかなか思うように行かない為いらいらする。自分でもどうして良いのかわからない。焦りと不安が湧き出てくる。リハビリが忙しければ気にならないのだが時間があると余計な事を考えてしまう。
10月26日 (金) 晴れ
ロフスト2本でOT室を半周歩く。PTは1週する。少しずつではあるが距離を伸ばしている。ほんの少しずつしか進歩はないが努力をして少しずつ力を付けて行きたい。土日歩行器を借りられそうなので家でも練習してみよう。
10月28日 (日) 雨
気孔の治療を受ける。足腰を中心に施術してくれる。両手の小指間接が縮んでいて動かなかったものを伸ばしてくれた。痛かった。あとはアキレス腱を伸ばして足首が動くようになれば良いのだが・・・。姉夫婦来訪。毎週兄弟が入れ替わり見舞いに来てくれる。ありがたい事だ。早く退院して安心してもらいたい。
10月29日 (月)晴れ
立ち上がりの練習の後ロフストで一番奥から入り口まで歩く。バテバテであるがどうにか出来た。やる事が少しずつ増えて来ている。少し歩いただけで体中汗びっしょりになってしまう。夕方来てくれた姪にお風呂に入れてもらう。一汗かいた後のお風呂は最高だ。

10月30日 (火) 晴れ  (たまたま日記を読んだ私の記述です)
*10月23日の日記を読んでがっかりしました。ほんの冗談で言った言葉をあのような受け取り方をするなんて・・・。貴方が身も心も疲れているように私も疲労困憊しているのです。貴方の気持ちを察しようとはしているのですが、体中が痛かったりストレスが溜まったりしていると、ついつい貴方が嫌な思いをする事が分かっていながら、意地悪をしたくなってしまうのです。悪い冗談で貴方の困った顔が見たくて、それで又反省して・・・の繰り返しが今の私の唯一つのストレス解消法なのです。*

私の帰宅後(夜)主人記述
もう入院して2ヶ月、自分でも焦っているのが分かるんだ。いつになっても膝の筋肉と腹筋が付かなく立ち上がりが出来ないでいる。立ち上がればロフストで歩ける気はするがその第一歩が出来ないんだ。目の前をスーと歩かれるのを見ているとついつい苛立ってしまう。皆病気が違うんだ。俺は頑張れば歩けるんだと自分に言い聞かせてもどうしようもない気持ちに駆られる。思いっきり暴れたいと思う事もあるんだ。死んじゃいたいと本気で思うこともあるんだ。常に気持ちを一定に保てない現状である。お前には申し訳ないと思っているが今の俺には日記の中で鬱憤を晴らすくらいしか出来ない男なんだ。わかってくれ。

10月31日 (水) 晴れ
リハビリいつも通り。妻が後で読んで、気分を害するような事は書くなと言うので、本日は書く事無し。

*あらあら・・・。その後主人が亡くなるまで、私が日記を見る事はありませんでした。*

H13.11~

11月1日 (木) 晴れ
OT学生さん今日で実習終了。お世話になった礼状を書いて渡す。大変ご苦労様でした。I先生が担当で無いのに見て下さり適切な指示をしてくれる。大変ありがたい事だ。立ち上がりの練習も大変ハードであったが頑張った
11月4日 (日) 晴れ
整骨院へ行く。昨日は祝日の為休みだったので、自宅でストレッチを十分やって置いたのが良かったようだ。鶴さんの父死亡の記事を新聞で見つける。体が思うようでないのに葬儀とは大変であろう事が思われる。お悔やみに行けない自分が情けない。合掌。
11月6日 (火) 晴れ
PTにてロフストを注文する。段差の乗り越えに初挑戦するが出来ず。力の無さを自覚させられる。まだまだ膝の上の筋肉が付いていないのだ。更なる努力をしなくてはならない。I先生より粒状のクエン酸を頂いて飲んでみる事にする。来週火曜日の採血結果が気にかかる。
11月8日 (木) 晴れ
午前中生活の中での行動訓練。3年生の学生さんを相手にお湯を沸かしてお茶を入れ茶菓子を並べる。トーストを焼いてバターを付け茶を入れる。全ての動作を立ってやらされる。最初は出来ないと思ったがどうにか出来た。両手を使う茶筒を開ける時など心配だったが、何とかクリアする事が出来た。I先生は「筋肉は出来るのを待つのではなく作るもの」との考えのもと、ぎりぎりの動作をさせられるので気が抜けない。どうにか今の所はついて行けるので、今後も課題は沢山出されているが本気で頑張ってついて行こう。
11月9日 (金) 晴れ
夕方OTをしっかりやった後ロフストで初めて部屋の外へ出る。エレベーターまで頑張ってみようと言われたが途中で断念し車椅子に腰を下ろしてしまう。いくら疲れているとはいえちょっと情けなかった。
11月11日 (日) 晴れ
午前中プールへ行く。横歩き、膝の屈伸、立ち上がりの練習と水の中だと普段出来ない事がたやすく出来る。本当は病院でもプールの訓練をメニューに加えてもらいたいのだが思うようにいかない。

*隣の市の小学校のプールが一般に開放されており時々行っていました。病院にもプールはあったのですが介助の必要な人は使用出来ないという状態でした。最初の入院時は私が一緒に入る事を条件にメニューに入れてもらっていました。プールの中での訓練を主人も私も希望しましたが今回は使用許可が下りませんでした。本来なら自主トレに使える人より、介助の必要な人こそプール内での訓練がより大きな効果を出せるのではないかと主人を見ていて感じました。*

11月13日 (火) 晴れ
夕方実習生だったK君が来てくれ立ち上がりの練習をした。女性のI先生よりは気兼ねなく立ち上がりの練習が出来る。CK値がやや下がったがまだ最高値をオーバーしている・・・・。気になる数値だ。主治医の代理の先生にプールの自主トレをお願いしてみる。プールの中での立ち上がりは簡単に出来るのでやりたいものだ。
11月15日 (木) 晴れ
OT休みの為自主トレ。なんとなく中だるみの日となってしまう。焦っても良い結果は出ないと思いつつ考える事はいつも同じ。「早く歩いて家に帰りたい」である。筋肉はこんなにも付かないものかと出るのは溜め息ばかりなり。
注文したロフストが届く。外泊時に家でも少し歩いてみよう。
11月17日 (土) 晴れ
とにかく寒い日で、気孔の先生が来ても指圧したところよりホッカイロを貼ってくれる。膝下の血液の流れが良くなりアキレス腱も伸びるようになったので、神経の伝達が良くなるという事だが信じてみよう。午後鶴さん来訪。手を少し診てもらう。二人とも何とか元に戻りたいものだ。

*鶴さんに最初に表れた症状が手、主人は足。最初に症状が出たところに重く後遺症が残ってしまったようです。*

11月18日 (日) くもり
午前中プールへ行って歩く。前回ほどふくらはぎの疲れが無いような気がする。今までは車椅子で行っていたが今日はロフスト2本で歩いて行ったので、プールにいた係員の方がびっくりした顔で「回復されて良かったですね」と声をかけてくれた。病院へ帰る前に自宅の玄関から犬走りを2往復し、病院の駐車場から2階病室まで、途中1回休んで歩いて帰る事が出来た。自分では考えられない結果であった。確かに膝の上の筋肉がないから立ち上がれないが、着実に少しずつ力が付いている実感が持てて嬉しかった。口に出しては言いにくいけれども妻のおかげと感謝している。もう少し頑張るので待っていて欲しい。宜しく。
11月21日 (水)晴れ
OT朝一番の為、思うように体が動かず。やはりストレッチをしてから行った方が良
かった。PT休みの為エルボーメーター
25W30分やって見たが足がものすごく疲れる。
11月22日 (木) 晴れ
PT休みの為OTを午前中にしてもらい午後外泊。帰りにT医大へ寄る。K先生初めリハビリの先生、東6の看護婦さん達の歓迎を受ける。車椅子姿の自分しか見てもらって無かったのでロフスト2本で歩く姿を見て喜んでくれた。ただK先生にはもう少し上手くなってから見てもらいたかった。

*ベッドから車椅子への移動の時もバスタオルの四隅を4人がそれぞれ両手で持って移動していた事が話題にあがり、歩いている姿を目にした皆さんが大変喜んでくれました。*

11月24日 (土) 晴れ
午前中整骨院へ行く。初めてロフスト姿を見せる。皆さん喜んでくれた。立ち上がりには股関節を柔らかくする事と膝の上の筋肉と腹筋だとここでも同じ事を言われる。
11月25日 (日) 晴れ
プールへ行く。前回より足が思うように動かず。ちょっとがっかりだがこういう日もあるかと自分に言い聞かす。午後妻の実家へ寄って病院へ帰る。年老いた母が「良くなったね」と喜んでくれた。この母が俺の病気を知り、我が娘の苦労を思い娘に宛てた手紙を読んで、妻と二人で泣いた日の姿が思い出された。ちょっとした段差や車椅子で越せる位のスロープは登れる事がわかる。ほんの少しだが「良くなった」と自分に言い聞かせる。良くなれたところでも見つけなければ気分が滅入っていまい前に進めなくなる。ほんのちょっとでも喜びを見つけていかなければいけない。気持ちの持ちようだという事は分かっているのだが!
11月26日 (月) 晴れ
PTいつものように筋トレと歩行練習。月曜日の割にはピリッとしない1日であった。明日の採血もあるのでこれ位でちょうど良いのかも知れない。トイレがどうにか自分で出来るようになった為本日より介助無しになる。

*トイレの介助が無しで出来るようになった事の喜びは大きなものでした。これで看護婦さんの手を煩わす事は無くなりました。*

11月27日 (火) 晴れ
PT体育館2週歩く。OTは筋トレ、屈伸、立ち上がり後2階病室まで歩く。訓練の後でもあり、歩き方を直されるので気になりやっとの思いで病室まで上がる。もう少し筋力が欲しい。それでも左足の感覚が戻ったように思う。右足との感覚の違いが無くなったようで踏みしめている感じがしてきた。もう少し力が付けばと思う。
11月28日 (水) 晴れ
午後腹筋と立ち上がりとバランス。午前中イージースタンドに乗っていたせいか足首が柔らかくなったと言われた。またエルボーも28Wで15分間出来るようになる。ここに再入院した時は18W10分だったのを思うとかなり力は付いたように思える。土日の自主トレがきつ過ぎるのではないかとI先生に冷やかされる。
11月30日 (金) 晴れ
午前中筋トレ、立ち上がりの後2階食堂まで歩く。リハビリ後できつかったがどうにか歩ける。少しずつ前進していると思う。外泊途中、ホームセンターに寄り木製のベンチ(台)を購入する。高さ28センチの物で膝立ちになってそれに座りソファーかコタツの上に移動し車椅子に乗り移る。これで何とか居間での生活が出来そうだ。自宅のトイレも靴を履けば滑らずに移動出来そうだ。

*自宅に帰って早速購入してきたベンチを使い、居間のコタツへ車椅子から一人で移る事が出来た事を喜んでいました。反対にコタツから車椅子に移る事が、最後の腕の力が足りず難しく、時間をかければ出来たのですが私という強い見方を当てにしてしまいしばらくは私が引き上げ車椅子へ移動していました。時々自分でやらせようとする事で気まずい思いも何回か繰り返しました。*

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