癌・ギランバレー☆闘病記

二つの難病を抱えた夫の闘病日記

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H14.5

5月1日 (水) 曇り

昨日の検査で疲れリハビリも休む。気にすると胃も痛くなりそうなので、何も考えないでゆっくり昼寝でもしようと思うが、これがなかなか思うように眠れない。疲れが取れない事がちょっと気になる。

5月3日 (金) 晴れ

午前中、テレビを見ながらゲームをして過ごす。午後、弟親子と皆で伯母の墓参に行く。もうあれから丸2年になるなんて早いものだ。あの時、夢枕に出て来て涙を流した事を思い出し胃癌で無い様に手を合わせ祈った。

*主人が人工呼吸器を装着時、伯母が胃癌の為亡くなりました。亡くなる数日前(主人自身も苦しい状況下にいた時期)に伯母が夢枕に立ち「私は先に逝くがお前はまだ若いのだからこちらで頑張りなさい。」と言ってくれたそうです。伯母が自分の身代わりになって亡くなった為、自分は生かされたと思い感謝していました。まさか、同じ胃癌で逝ってしまうとは・・・。*

5月4日 (土) 晴れ

連休でゆっくりする。胃の痛みも止まっている。このままで何事もなければ良いのだが・・・。ここのところ相田みつをの書が気にかかっている。「道」という題材なのだが、どうしても避けて通れない道がある。その時は黙って歩けと言うのだが・・・。 俺にとっての今の状態も避けて通れないものだったのだろうか。今更どうこう言っても始まらないのだから黙ってその道を一歩ずつ歩いて行かねばならないのだろう。なんとなく「あきらめ・運命」のような気がして、焦っても仕方がないか、という気にさせられ少し落ち着くような気がしている。でも妻には申し訳ない気になる。このままゆったりした気持ちでいて良いのだろうか?

5月5日 (日) 晴れ

今年初めてスイカと冷やし中華を食べた。それらが食べたいと思うほど蒸し暑い一日であった。浮きとはどんなに引き込まれても必ず浮き上がってくる。小さいからといって馬鹿にするものでは無いと本に書かれていた。肝に命じよう。

5月6日 (月) 曇り

平行棒で歩く。250メートル位歩いて膝より崩れてしまう。携帯を持っていた為妻を呼び助けてもらう。力の無さをつくづく感じた。有ちゃんよりメール有り、友人達と映画を見たり、東京タワーへ行ったりと元気な様子で一安心。周りの人の協力と外出しようとする彼女の気持ち、たいしたものである。有ちゃんにも若い女の子としての楽しみを沢山味わって欲しいと願っている。

5月8日 (水) 曇り

午後から妻と平行棒を歩く。これで胃の方が潰瘍だけで済んでくれれば最高なのだが、今のところ気持ちは晴れない。

5月9日 (木) 曇り

T医大でCTとエコー検査。検査というだけで気分は滅入る。又この前の胃カメラの結果が出ているはずなのに対応のまずさと時間がかかり過ぎる事にへきえきだ。大学病院の不親切さと融通のきかない体質を見たような気がする。怒鳴り込んで来ている人もいた。例えば癌のような急を要する病気の場合、結果が出るまでに2週間以上もかかっては手遅れにだってなりかねない。患者の気持ち不安を優先してほしいものだ。

5月11日 (土) 曇り

朝のうちちょっと雨が降っていたのでゆっくり昼寝の一日。ゆっくりしていられるのは楽な事だけれど筋力が付かず太るだけ。 焦りの気持ちが強いが、検査中は激しい運動を控えた方が良いとのアドバイスを守り、身体が大事とゆっくりするよう自分に言い聞かせてがまんがまん・・・。

5月12日 (月) 曇り

昨日に引き続き寒い一日だった。検査食の為、朝からまずいおかゆを食べさせられ憂鬱で空腹の一日であった。何とか早く検査が終わりますように!今のところ胃痛も無いのだが果たしてどうなるのだろうか?癌なら痩せると思うのだが今の俺は逆に太っているのだから・・・。就寝前に下剤を2種類飲まされたので明け方より眠れなかった。

5月13日 (月) 曇り

朝7時前に家を出て大腸のバリウム検査を受ける。内視鏡より楽かと思っていたが台に乗せられ前後左右に動かされ苦しかった。でも、バリウムがお昼には抜けてくれたので午後からはどうにか楽になった。残りの検査は胃のバリウムのみとなる。早く終わらせ早く結果を知りたいと思う。そうでないとリハビリにも身が入らない。こんなところで立ち止ってはいられない・・・。

5月15日 (水) 曇り

いつも通り7時前に家を出る。普通の検査台では立っていられない為、この前の検査台に縛り付けられての検査である。やっとこれで全ての検査が終了した。早く結果を知らせてくれ~。

5月16日 (木) 曇り

午前10時仕事を終えた妻に福島のYの湯へ連れて行ってもらう。車椅子での入場はなかなか難しい。家族で身体の不自由な人を連れて来ていたおじいちゃんが一生懸命に手伝ってくれた。やはり介護の大変さを身をもって体験しているせいであろう、有りがたかった。又一人で入浴出来ない為、入浴時間終了後に妻と入れるよう計らってくれた経営者の心遣いも嬉しかった。

*岩盤浴が癌に効くと聞いていた為、藁をもすがる思いで必死に主人を連れて行きました。車椅子での岩盤浴は大変な苦労がありました。車椅子から平らなところへ横にさせる、上体を起こし車椅子に引き上げる。(しかも通路が狭く横になる場所も狭い)心無い人の言葉に涙し、優しい思いやりの援助に悔し涙以上の感激の涙を流しました。*

5月17日 (金) 雨

岩盤浴2回。就寝前に入浴1回。ちょっと疲れたかな?ラジウム鉱泉の影響なのかベッドのせいか分からないが・・・。 生ビールを1ヶ月半ぶりに半分飲んで手のかゆみが現れ真っ赤になった。かゆみは鮮度の悪い筋子のせいかも・・・。しかし酔いが急にまわったようで自分の疲労度を知らされたような気がした。果たしてどれ程ラジウムが効くのかな?俺だけでなく妻の筋腫にもきいて欲しいと願う。車椅子の為嫌な思いも沢山したが、一生懸命に連れて来てくれた妻の為にも良くなれたらいいと願う。

5月18日 (土) 雨

磐越は大雨であったが常磐は小雨。途中高速を一旦下りて宝くじを買って帰る。何とも情けないが「当たってくれ」と本気で思う。仕事をバリバリやっていた頃は考えなかったが夢でなく現実に当たって欲しいと願う。10万人に一人という病気。当たってほしく無いこんな病気に当たってしまって・・・。

5月20日 (月) 雨のち曇り

乙武さんのテレビを見る。あの手足でペンを持ちパソコンを使い、ものすごい努力の末スポーツライターをしている。俺には考えられない事ばかりである。積極的にいろいろな所へ出て行く。今の俺には出来ない事ばかり・・・。外へ出て行きたくとも他人の視線、不自由な身体ゆえ人に迷惑をかける事、そしてその人達の言動、絶えられない事、不満等沢山出て来てしまう。それなら家の中にいた方が心も穏やかにいられるし、他人に迷惑もかからないと思ってしまう。それが凡人の俺と乙武さんの違いだろう。なかなか見習ってと思っても真似の出来ない事である。

5月21日 (水) 晴れ

T医大検査結果・・・。人生最悪の日となる。最初の病院からの電話、精密過ぎる検査。ある程度は考えていた事だが・・・。はっきり言われるとさすがにショック。目の前ががらがらと崩れ落ちるといわれるが本当の事だった。夢も希望も全てが崩れ落ちた。妻は泣いているし、何ともいいようのない寂しさ悲しさ悔しさ。俺の人生も終わりかな・・・。

なんで俺だけ後から後から困難が押し寄せてくれるのだろう。前向きに良い方に考えてと言われるが頭では分かっていても気持ちの整理がつかない。俺にもしもの時妻の事が心配だ。何とか考えねばと思うのだがなかなか妻に切り出せない。

息子の事もある。もし俺に残された時間が短いとしたら結婚くらいさせて一人立ちさせたい。金もない親もないで結婚出来ないでいるとしたら、俺に出来る最初で最後の子供への務めかも知れない。俺としても、なんとか決められる事はきちんとしておきたいと今月初めより考えていたのだが、本当にそのような状態になってくると辛いとしか言いようがない。でも、それを支える妻の方が実は大変だ。本当に感謝している、有り難う、そして申し訳ない。幸せにしてやれず世話ばかりかけて・・・。

5月22日 (水) 晴れ

夕方息子を家に呼んで俺の病名を伝える。親の勝手で別れ何も手をかけてやれず彼には申し訳ない気持ちでいる。Tさんに言われた「子供が頼ってきた時支えられる男になっていろ」という事が今の俺には果たせそうもなくなっている。何とだらしない事か・・・。何処で俺の人生軌道を外れてしまったのか。それともこれが俺の人生だったのか。何とも切ないものだ。しみじみ考えてみると病気になる一年位前から、町政、町議の動き、友人の行動と今まで気にならなかった事が気になりだし、イライラが募り他人に当たったりと、どうしようもない焦りの気持ちが募り心穏やかでない日々だったように思う。

焦って焦って人生を追い過ぎたのかも知れない。今になって思うとなぜあの時あんなに気が急いていたのか自分でも不思議な気がする。 でも、弱音ばかり吐いてもいられない。俺より辛い妻の為にも頑張らねば!!!

5月23日 (木) 晴れ

久しぶりの暖かさ、半袖で外出リハビリへ。気のせいか病状のせいか空腹時の痛みが強くなる。ダメなら直ぐにでも切ってほしい。いつまでも待たされると精神的に参ってしまう。多忙なスケジュールのもとオペされ、気が付いたら終わって寝ていたというのが一番理想だ。I大のI先生が「貴方は命に関わるような事故を避けて生き延びて来た運命にある人なのでこれ位の事では死なない。必ず復活します。リハビリのし過ぎの休養と思ってゆっくり休みなさい。」という言葉。手相を見るという彼女の言葉にちょっと励まされた気がする。どうあがいても運命には逆らえないはず。それならくよくよ考えず運命に身を任すほか無いのかなあ。

5月24日 (金) 曇り

胃の痛みで目を覚ます。昨日は食べた物の下がりが悪かったような気がした。痛みは食べれば治まる。やはり気にしないでいようと思ってもそうはいかない。今回の入院でまた筋力が落ちてしまうのではないかと不安と心配の連続だ。前回みたいに人工呼吸器と動かない全身状態に比べればましだろうと思うがやってみなければ分からない事ではあるし・・・。

5月25日 (土) 曇り

午前中、有ちゃんよりメール有り。皆に助けられながらも大学生をやっているとの事。ALS でありながら進行する恐怖にも耐えて前向きに生きている。俺も見習わねばと思う。何と返信しようか迷ってから本当の事を書いて夕方メールする。直ぐ送られてきた返信のメールを見てまた涙してしまった。今やっている事全てが無駄になってしまうのではないかとの不安が強い。その様に考えてはいけないと思いつつ、身体がだるかったり痛かったりすると気が滅入ってしまう。心理的なものが作用してやはり辛い。一日でも早く手術をして結果を出してもらいたいものだ。

5月26日 (日) 晴れ

1日妻とゆっくりする。夕べHさん来訪。世間話に花を咲かせて気分を紛らわせ楽しい時間を過ごす事が出来た。俺は妻に申し訳ない気持ちで一杯だ。妻の疲れた顔、そしていろいろ世話をやいてくれる姿、時折見せる涙、辛い思いばかりさせてごめん。何で俺だけ、何で俺に次から次へ試練を与えるのか!。考えても仕方の無い事をつい考えてしまう。なかなか前向き、プラス思考になれない自分が恨めしい。これではいけない事は良く分かっているのだが・・・。

*神様は試練を乗り切れると思える人に試練を与える、といいますが主人も私も試練に耐え切れる気力は持ち合わせていません。私も主人同様、どうして私達夫婦だけがこんな辛い思いをしなければいけないのかと運命を恨みました。*

5月27日 (月) 曇り

この所芸能人の癌、くも膜下、脳内出血と沢山の人が入院したり逝ったりの報道がなされている。健康な時は気にならなかった事が目や耳にやたらと入ってきて辛い思いになる。両親にも後から後へと心配のかけ通しだ。 それを思うと涙が出てしまい申し訳なさでいっぱいである。何としても生きて帰って来なければと思いを新たにする。

5月28日 (火) 晴れ

夕べよく眠れず寝返りばかり打っていた。そのせいか疲れもとれず身体がだるい為リハビリを休んでしまった。リハビリはリハビリで別なのだから気持ちを入れ替えてやらねばならない。しかしついつい自分に優しくなってしまう。折角ここまで良くなって来たのだから逆戻りはしたくない。でも、今日は何もしたくない心境である。今までの頑張りが全て無駄になってしまうのではないかと思うとやる気も失せてしまう。それを越えても頑張る、そんな強い意志を俺は持っていない。

5月29日 (水) 晴れ

夕方母がカツオの刺身を買って来てくれた。普通なら何とも無い事なのに時期が時期だけに涙が出てしまった。入院する時にまとめてお礼を言わなければならないと思いながら食べたがとても美味しかった。この所涙もろくなって仕方がない。この位の事では死なない、いや死ねないと自分に言い聞かせているが一人でいると弱気になってしまう。果たしてもう一度、車を運転して自由に自分の好きな所に行けるようになるだろうか?。果たしてそこまで筋肉がついてくれるだろうか?。自信も無いし不安も大きい。

5月30日 (木) 晴れ

今日はリハビリも乗り気になれずパソコンでゲームをする。楽しんでやっている訳ではないが、何かをしていないと気が紛れない。本を読んでも俺はそんなに哲学的になれないしやる事が無いのだ。元気に忙しく仕事をしていた頃が懐かしい。 昔のあの頃の生活に戻りたい。

5月31日 (金) 晴れ

早朝2時、胃の痛みで目が覚める。救急車を呼びたいくらいの痛さだ。メロンを食べて様子を見るが治まらず3時頃牛乳を飲む。ここ4~5日だんだん痛みが強くなって来ている。癌の進行が急速に進んでいるのではないかと不安が強くなる。 午前中病院へ電話をいれ明日外来受診の予約を入れる。

H14.6~

6月1日 (土) 晴れ

朝一番で病院へ行くが時間がかかってしまった。遅めの昼食を病院内で済ませ薬をもらって帰宅する。土曜日だというのに3人もの入院患者さんがいた。相当混んでいる様である。車椅子での入院の為個室をお願いしたが、今現在は満室の為空くまで待って欲しいと言われた。出来ない事は出来ないと看護婦さんに頼むほかないと思っているが不安である。

6月2日 (日) 晴れ

気晴らしのため大子方面へドライブに行く。手術をして胃が無くなってしまう前に食べたいと思っていた「鮎の塩焼き」を食べに行く。温泉つきの新しい施設でありながら、車椅子の専用駐車スペースにシャコタンの車が止まっていたり、店内に品物が所狭しと並べられており、車椅子が通れない状態。身体障害者の視線から設計されたものでは無かった。そういう俺だってこんな身体になったから分かる事で・・・。以前の健康な自分だったら分からなかった事だ。

6月3日 (月) 晴れ

ここへ来てどうにか痛みも止まり落ち着いている。こうなってくると切らなければならないなんて思えない。でも、事実は事実なのだから仕方がない。精神的にも落ち着いて来ている。手術が避けて通れない道ならば、悲観せずにそれに向かうほかない。 ただリハビリはなかなかやる気になれないでいる。やらなければと自分に言い聞かせるがついつい自分に甘くなっている。

6月4日 (火) 曇り

有ちゃんにメールをする。なかなか自分の気持ちの整理がつかないでいるが、他人に自分の意志を伝えようとすると自然と考えをまとめ心の整理をつける。覚悟を決めて前向きに立ち向かって行こう。「もしもの時」に備えて色々書いておきたい事もあるが「前向きに」帰って来るという強い意志で入院しようと決めたのであえて何も書かずに行こう。 こんな覚悟をすると何となく落ち着いたようなすっきりしたような気分になる。もうまな板の鯉である。 どんな事になっても、どうしてでも帰って来る。そう思う。

6月6日 (木) 晴れ

久しぶりのI大診察。ロフストで歩くがちょっときつかった。やはり歩きの訓練を毎日やっていなかったせいかなとがっかりする。O先生に手術後再々入院をお願いする。帰宅途中鶴さん宅に寄って装具を借りる。

6月9日 (日) 晴れ

明日入院という事で覚悟はしているものの落ち着かない。やはり行先の不安と手術の不安とがダブルでやって来る。

6月10日 (月) 曇り

T医大南2階202号室入院。どうにか個室に入る事が出来第一関門は突破かな。入院して直ぐ看護部長とM先生が顔を出して下さった。以前と入院病棟は違うが顔見知りの看護婦さんもいて心強い。看護婦のSさんにも涙ぐまれたが、ここまで来るとそんなに 悲観的にはならないから不思議なものだ。相変わらず冗談を言ってごまかす。南2階のお風呂は段差があって使用できない為東6階のお風呂の使用許可をもらう。トイレも座面が低くどう頑張っても一人の介助は必要だ。でもなるべく手を煩わす回数を少なくする様頑張ろう。これもリハビリだと思うしこれから先、手術後手間をかけさせる事になるのだから・・・。

6月12日 (水) 雨

午後より妻が来た為歩行練習をする。Mちゃんよりメールがあった。手術日を知らせるメールが鶴さんより有ったとの事。 色々心配をしてくれ励ましてくれる人がだんだん増えて来ている。今回は黙って入院手術をして帰りたいので皆には伏せて入院する。

6月13日 (木) 雨

午後とんちゃんが来てくれる。今の所は何も用事が無いのだが必要な物を持って来てもらう。手術後どれくらい手をかけさせる事になるか分からない為、手術前は少しでもゆっくり身体を休めてもらいたいと思っている。

6月14日 (金) 雨

午前中胃カメラの検査。前回同様苦しかった。今回は執刀医が見てくれたようである。午後肺機能の検査。同年齢の基準値と比べて80パーセント弱位との事。自分では半分くらいの能力しかないのではないかと思っていたので一安心。 70パーセント位あれば手術OKじゃないかというK先生の言葉に、人工呼吸器に頼らずに済むかなと思い安心する。もう二度とあの苦しみはあじわいたくない心境である。検査後のpTは辛かったがついつい頑張ってしまった。もう少ししたらやりたくても出来なくなってしまうのだから・・・。

6月15日 (土) 曇り

早朝から腎機能検査で500mlの水を飲む。15分後、30分後、1時間後、2時間後と小水を採る。何の為かと聞くと麻酔科への提出資料との事。あと一つの腎機能検査がありそれで終わりとの事。徹底した検査づくめであるが、手術前にしてくれるのだから安心と言って良いのだろう。もうここまでくれば先生を信頼して全て任せるほかないのだから安心できる方が良い。 夕方弟家族が来てくれた。Sさんも勉強会の後に寄ってくれた。やはり病室は一人より皆がいてくれた方が心が安まっていい。

6月16日 (日) 曇り

お昼頃妻が来てくれた為2階のフロアーをロフストで歩く。膝の上の筋肉疲労で思うように歩けなかった。術後の不安を感じるがどうしようもない現実である。あまり先の事を考えないようにしているがどうしても不安になってしまう。俺の人生どうなってしまうのか不安で一杯だ。致知を読み心を冷静にしよう。偉人の業績を読み自分は到底至らないのであるがいくらか心が静まる。

6月17日 (月) 曇り

妻、妻の兄、弟と4人で主治医より手術の話を聞く。手術は執刀より縫合まで約6時間。今の所転移は無いが切ってみなければ分からないという。病名進行性胃癌。胃の全摘出。リンパ節と胆嚢の摘出も時間に応じて行う。どんどん悪い方向へ行くようで不安が募る。でも先の事を考慮して最良の方法をとってもらうほか無いのが現実。それに運命を任せるほか無い。

6月18日 (火) 雨

お昼に体温を測ると37・3度Cあったので手術の事を考えリハビリは休みにする。手術の時に風邪をひいていると手術が出来ず延期になってしまう。そうならない様に気をつけなければと思う。皆の心遣いに報いる為にも元気になって早く帰らねばと思う。

応援してくれる皆の為にも死ぬわけにはいかないと強く自分に言い聞かせ頑張る!!!

6月19日 (水) 晴れ

久しぶりの夏空。午後から最後の検査の動脈からの採血を行う。昨日リハビリを休んだので今日は二日分頑張る。明日出来るかどうか分からないからだ。昨日休んだ事でリハビリ室の皆さんやM先生が心配して下さっていた。M先生はお昼にわざわざ病室へ来て下さり、安心して手術が受けられるような配慮をして下さる。皆の応援に応える為にも頑張らねばと改めて思う。

*6月20日 (木) 

義父の運転にて義母と三人で病院へ。いよいよ明日に手術が迫りイライラしている様子がうかがえる。点滴が終わり手術前の準備が終了し入浴を済ませると少し落ち着く。おやつを食べテレビを見ながらゆっくりする。夜9時に睡眠剤を飲まされ眠りにつく。今夜より泊り込みとなる。*

*6月21日 (金) 

朝8時50分病室を出る。手術の成功を願い、エレベーターまで送った私と弟と姪に両手を上げうっすらと涙を浮かべて「頑張るから」と言った夫。午後4時過ぎ両親と兄夫婦姉達が加わり病室で夫を迎える。手術後覚醒するまでの時間も含め7時間を要した。夜主治医より術後の説明を弟と2人で聞く。他の臓器への転移は無いが腹膜播種のスキルス胃癌である事。リンパ節の切除に時間がかかり胆嚢の摘出が出来なかった事。今後の治療は延命の為のものである事。余命までは聞く余裕がありませんでした。 術後23日目に胆嚢炎で痛められ、抗癌剤の投与も延期となり退院まで2ヶ月半もかかってしまう。*

*手術二日前(6月19日を最後に)から退院当日(8月27日)まで日記は書かれていませんでした。*

H14.8~

 *8月27日 (火)

退院。当初の予定を大幅に延期しての待ちに待った退院の日。ダンピング症状に悩まされたり、急に吐いたり下痢をしたり、食べ物の好みの変化、脱力感、微熱、激しくなってきた脱毛等、さまざまな抗癌剤の副作用に悩まされての抗癌剤との闘いが、この後11月まで続きます。体調の良くない日は特に精神状態が不安定になりイライラを募らせ、傍にいる私や姪にまで不満を当り散らす事もありました。再発の恐怖が死への恐怖につながり悶々とした日々を過ごしていた当時の夫の心のうちを思うと今でも辛くなります。*

8月28日 (水) 晴れ

悪夢のような3ヶ月が過ぎ昨日退院する。帰宅してのこの暑さ、抗癌剤のせいかだるさの残る身体には堪える。80日にわたる入院の間毎日のように病院へ通い看病してくれた妻には感謝しており有り難いと思っている。2年半もの間面倒のかけっぱなしで申し訳ないとも思っている。でも、動けないからついつい口から先に出てしまい妻にも言いたい事を言ってしまう。 いつ再発するか分からない不安がイライラを募らせる。人間一度は誰でも死ぬのだがその死を今の俺は受け入れられないでいる。

8月29日 (木) 晴れ

抗癌剤の副作用で脱毛が激しくなって来たので丸坊主にする。最初はたいしたことも無いと思っていた抜け毛も昨日あたりからごっそりと抜け始めて来た。身体に対するダメージはかなりのもののようである。果たして4クール続けられるのか身体がもつのか?食べ物も美味く感じられなくなって来ている。悪い事ばかりのような気がしてならない。とにかく身も心も静養しない事には参ってしまう。こんな状態がいつまで続くのやら・・・。

8月30日 (金) 晴れ

K先生の父の訃報を新聞で知る。61歳C型肝炎からの肝臓癌と聞いていたが、やはり夏は越せなかったのかとショックを受ける。 テレビでも毎日のように癌の話題がされている。最終的には心臓、脳、癌のどれかの病気で死ぬわけだから話題に上るのは当然の話であるが、自分の心の整理がつかない状態で聞くのは辛い話である。T子さんの弟さんにお守りのお礼状を書いたついでに仏門の身からのアドバイスをお願いした

8月31日 (土) 晴れ

夜、妻の友人Hさんが夫婦で来訪。今回の入院手術は皆に伏せていた為知っている人少ないはず。たまたま妻への電話で知ったHさん。話を聞いて早速来て頂き有り難い。健康で働いているうちが花、病気になってしまってはお終いだ。

H14.9~

9月2日 (月) 晴れ

今日より社協またお願いする。今日は暑いので外に出て平行棒を歩く事は休みにする。血圧が低いのが気になる。朝起きるのが辛いのもそのせいかなと思う。少しずつ涼しくなって来るので身体と相談しながらリハビリに励みたい。

*胃を摘出してからの血圧の低下が気になり、主治医に訴えるが日常生活に支障が出るような自覚症状が無ければ大丈夫と言われ何の治療も無し。*

9月3日 (火) 晴れ

初めての外来での抗癌剤点滴の日。点滴に時間がかかるのは仕方が無いとしても、準備の悪さから5時間以上もかかってしまいベッドの上でお尻が痛くなって来て辛かった。ベッドが狭い為横向きになる事も出来ず、仕方なく妻を呼んで足を曲げてもらう。夜、Oさんが喫茶店開店のお返しを持って来訪。胃癌の事は伏せていた為「前回会った時に比べればはるかに良くなった」と言ってくれた。確かに前回見舞いに来て下さった時は、手も足も動かなかったのだから無理も無いが・・・。本当は今回この手術が無ければもっと良い状態になっていた自分の姿を見せられたのになあ・・・。

9月4日 (水) 晴れ

N子さんより手紙が届く。良き妻良き母をやっている様子である。今回の胃癌についての記述はされていなかったのでまだ知らないでいるのだろう。前の同僚の看護婦さんから、もしかしたら耳に入っていたかなとも思ったが・・・。

T子さんの弟さんからも礼状と励ましの文が届く。家族の愛、兄弟の愛、周りの人の愛。病気をしなければ分からなかったという記述。俺はそれに加えて妻の愛を一番先に加えたいと思う。その他普通では何とも思わず出来ていた当たり前の事が、ある日突然に自力では出来なくなった時の不安と恐怖。また少しずつ出来てきた時の感動。 それまでの苦しみ辛さ等、同じ病気をした人でなければ分からない事が沢山書いてあり涙が出た。

Kさんは通って来た道、俺はまだまだこれから中程を目指さなければならない道。そこが一番辛いところだ。Kさんも鶴さんも今の俺には大きすぎる目標になってしまった。お昼休みに友人N来訪。退院前日の日に家に寄り、父より胃の手術をした事を聞かされ心配して顔を見に来てくれた。いろいろな話を聞きながら「何も無くてもいいから歩きたい」それが俺の今現在の偽らざる心境である。

9月5日 (木) 晴れ

今日は昨日までと違いずっと涼しくなり窓を開け放しておくと寒い位である。俺にとっては何も変わらない一日であるのだが・・・。 午後友人Hより電話。仕事が忙しく休日も無いとの事。身体も無理を強いられている様子だが、俺にとっては元気で飛び回っていられるのだから羨ましい限りだ。だが彼には彼なりの苦労がある。皆いろいろ苦労ばかりだとつくづく思う。

9月6日 (金) 雨

久しぶりの雨の為寒く感じる。午後姉夫婦来訪。3人目の孫が誕生した。新しい命が皆からの祝福を受けこの世に誕生する。 めでたい事である。俺の未来はどうなるのだろう。夕方徳さん来訪。いろいろ活躍中の話を羨ましく聞く。 何で俺だけがという心境になる。何で何でなんだと思っても仕方の無い事を思ってしまう。これが俺の持って生れた運命なんだと思いながらも本当に辛い。

9月7日 (土) 曇り

Nさんに返事を書く。看護部長やYさんより報告があって知っているかも知れないと思い胃癌の手術を受けた事も書く。 肉体的にも精神的にも不安定であったがここへ来て少し落ち着いて来た事も書く。なかなか自分の事を客観的に見る事が出来ないのだが手紙を書くと、頭の中が少しは整理出来る様な気がする。夜北の国からの最終回。やはり癌の人の死が出てきた。今注目されている病気は癌なのだろう。

9月8日 (日) 雨

源ちゃん吐血にて入院中との事でのらくろ会で見舞いに行き、帰りに皆が寄ってくれた。源ちゃんも食事の制限をされ点滴治療との事だが元気そうな様子を聞かされ安心する。そのほかの皆は元気に忙しくしている様で良かった。俺だけ落ちこぼれてしまったようでちょっと寂しい気持ちになる。

9月9日 (月) 雨

下剤を飲んでいるが便秘になってしまう。水分不足と腹圧のなさが原因だろう。やっとの思いで出したが不安が残る。こんな思いはもう二度としたくない。午後T子さんが弟さんからのお守りを持って来て下さる。以前も頂いているのに寺の本山のお守りとの事だ。ありがたい心遣いに感謝する。今の俺は何にでも頼りたい、すがりたい、力にしたいという心境である。皆に暖かい声援を受け、後押ししてもらっていると思うと頑張れる気持ちになる。

9月10日 (火) 曇り

2クール2回目の抗癌剤の点滴。前回同様診察後の待ち時間は1時間。それが当たり前のようである。あまり調子が良いとはいえない。調子が悪いとリハビリをする気になれず先が思いやられる。焦っても仕様がないのであるがついついイライラして周りに当たってしまう。明るく笑って免疫力を上げなければ等というのは、元気なやつの言う事であって病人の気持ち等分かっていないのだ。

*笑う事で免疫力が上がるのならと、心から笑う事の出来ないでいた主人にはこの上ない酷な言葉だったようです。*

9月12日 (木) 晴れ

I大診察日。顔見知りの人が多くいた。これでは新患がなかなか入院出来ないはずだ。俺の入院は抗癌剤が終了後に様子を見てからになりそうだ。体重53.7キロとT医大退院時と大した変化は無い。

9月13日 (金) 曇り

午後T子さんの弟さん(Kさん)来訪。同じ病気をしたと言う事でいろいろと他の人には分からない事で話が弾み、いくらかふっ切れた様な気になる。ギランバレーで死の直前まで行ったのだから、その後はおまけで生かされている。だから焦っても仕方がない。自然のまま頑張らずに少しずつが良いのだろう。お坊さんと話をさせてもらい今まで思っても見なかった事を考えている。頑張って頑張って絶対もう一度歩いてやる。との思いが強かった。頑張らないでの言葉に少し気が安らいだように思えた。

*ついつい「頑張って」とかけてしまう言葉。Kさんに初めて「頑張らないで」という言葉をかけて頂き涙を流していました。*

9月14日 (土) 雨

姉夫婦来訪。娘の所に来たからと言って寄ってくれる。秋というよりは初冬のような寒さで足が冷える。良くマッサージをするがなかなか暖まらない。これから寒くなってくるので辛い嫌な季節の到来だ。

9月16日 (月) 雨

夕方友人O氏来訪。いろいろな花や関係の情報を話して聞かせてくれる。この景気である、危ない所の話が多かった。それでもOだけは元気である。経済面でも余裕があるからであろうがあの元気は見習いたいと思う。俺ももう少し楽天的になれれば良いのだろうが・・・。

9月17日 (火) 雨

2クール3回目の点滴。白血球も下がらず結果は良いようである。待ち時間も今日は珍しく15分と短かった。夜テレビの特番で癌の最前線をレポートしていた。胃癌では70~80パーセントが生存するようになって来たとの事。早期発見で1センチ以下ならば全治する可能性は大。俺の場合これらの条件には入らないが少しずつでも新しい治療法が出来てくる事は嬉しい限りだ。今までの事はいくら考えても仕方がないのでこれからの事を考えるようにして行きたい。またテレビに出ていた胃癌患者が俺よりも若い人が多かったのに驚かされる。40歳前後の人で3~8年生存の人が多かった。俺はまだ若いのにとの今までの考えを変えなければと改めて自覚。皆が前向きに生きている様子(登山等)が紹介されていた。でも俺には「歩けない」というハンディキャップがある。これが一番のポイントである。歩ければ胃が無くとも何処へでも行けるのだ。妻は癌の方で前向きになれないでいると思っているようだが違うんだ。俺にとっては癌よりも歩く事の方が常にウエイトを占めているのである。抗癌剤の影響で思うようにリハビリが出来ないでいる。その辺の焦りが一番強いんだ。

*再発の恐怖が常に頭の中にあり、体調の悪い日々を過ごしていた主人の苦しみが、癌で命を失う事の怖さよりも歩きたい事への願望が大きかった事に、この時点では気付きませんでした。*

9月19日 (木) 晴れ

リハビリ、月1回の主治医の診察。しばらく歩いていないのでロフストで病院へ行く。午後からだったので駐車場もどうにか空いていたので思ったよりは楽であったが膝の上の疲労感は予想以上であった。やはり歩かないという事は筋肉を衰えさせる原因なのだろう。ミニサイクルも今日修理から戻って来る予定なので明日から頑張ろう。膝上は一時より太くなっている様に思えるが中身が伴っていなかったみたいだ。

9月20日 (金) 晴れ

午前と午後とミニサイクル30分ずつ行う。回す力は以前とあまり変化は無いが疲労感は大きい。やはり筋力が落ちて持久力が無い。あまりやり過ぎると筋肉を傷めるのである程度で止める。1番ついて欲しい腹筋と膝の上の筋力。どちらも辛いところだ。

*以前お世話になっていた整骨院へ自ら電話を入れ、週1回のリハビリをお願いしました。抗癌剤の治療中でありながらも、再発の不安より歩けなくなる事への不安の方が大きかったようです。*

9月21日 (土) 曇り

昨日の筋トレと寝不足のせいか朝起きられなかった。低血圧と疲労のせいなのだろう。食欲も無くあまり状況は良くないが無理をすればなんとか起きられる。なかなか思うように行かないものだ。

9月23日 (月) 曇り

午後弟一家来訪。甥の受験の話題になる。つくづく時の流れの早さを感じる。また自分の療養期間も3年近くになるのを考えると本当にあっという間だと思う。面倒を見ている妻から見れば長いと感じるかもしれないが・・・。夜、徳さん夫婦来訪。いろいろ気を使ってもらいありがたく感謝する。

*私の友人達にも3年は「長いねえ」と言われましたが、この3年間が「長い」とは一度も思いませんでした。が主人の没後は療養時期の4年間がとても長く感じられ、逝ってしまった後の月日はあっという間に過ぎて行きました。*

9月24日 (火) 晴れ

午後整骨院へ行く。久しぶりであったが良く見てくれた。筋力はあまり落ちていないが膝の上と足首が細くなった事に驚いた様子だ。少し歩いてストレッチを中心に電気もかけてもらって帰宅。筋トレはあまりしなかったが膝が痛くなった。これも筋力が無いせいかと思うとがっかりしてしまう。沢山の人にいろいろやってもらっているが力が付かず変化の見られない自分が恨めしい。

9月26日 (木) 曇り

久しぶりで昼寝をする。やっぱり寝不足はキツイ。ここのところミニサイクルや立っている時間等も長くなって来ているので寝不足が続くとちょっとキツイ。立っている時もつかまらずに少しの時間立っていられる様になって来た。立ち膝でも静止出来る様になって来た。少しずつではあるが力が付いて来ている。それでも立ち上がるのにはまだまだ時間がかかりそうだ。

9月28日 (土) 雨

天気も良くない為整骨院は休みにする。土曜日でしかも雨・・・。この様な日はどうしてもリハビリをする気力が萎えてしまう。K先生もたまにはリハビリを忘れてゆっくりする事も大切な事、と言っていたがパーッと忘れる事は出来ず、何もしない日は自己嫌悪に陥ってしまう事がある。

9月30日 (月) 曇り

久しぶりに外へ出て平行棒を歩く。もう少し歩けないかなと思っていたが楽に歩けた。やはり10キロの体重減は大きいのだろう。これでもう少し筋力が付いてくれればいいのだがなあ。

*体調が良くないにも関わらず歩きたいの一念からリハビリに励んでいました。抗癌剤の副作用で身体の脱力感、食欲不振、吐き気にも見舞われていましたが気力を振り絞って頑張っていました。*

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