癌・ギランバレー☆闘病記

二つの難病を抱えた夫の闘病日記

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6月4日 (水) 晴れ
医療大退院以来40日。もう闘病日記は書きたくないと思い日記を書くのを止めていたが、はからずしも又書く事になってしまった。
医療大のリハ後T医大診察。肝臓、リンパ等には問題ないが腎臓が疑わしいので入院という事になってしまい即入院。自分では尿の出が悪いのと食物の下がりが悪いくらいで他に異常を感じてなかった為ショックだった。今日までリハも順調に進んでおり希望を持っていた時期の入院。力が抜けると同時に恐れていた再発、転移の不安がよぎり涙がこぼれる。
俺もTさんと同様時間が限られているのかと思い又涙である。
妻にも又病院往復の生活をさせなければならないのかと思うと申し訳ない気持ちになる。

*今回の入院は外泊が出来ない為、退院までの1ヶ月間仕事を午前中に終え午後から毎日顔を見せに来る事を誓う。*

6月5日 (木) 曇り
夕べはなかなか寝付かれずにいたので昼間も一日ベッドの上での生活。点滴1本以外何も無くゆっくり昼寝をする。
まずは自分の気持ちを入れ替えない事にはどうしようもないので気分転換して行きたい。
6月6日 (金) 晴れ
夕方腎臓の検査レノグラムを行う。前回胃の手術前にもやったような気がするのだが・・・。不安で一杯であるがやらなければいけない事なので必死という感じだ。不安が無くならない限りリハビリをする気にもならない。又そのせいか今までの筋肉痛が出ているようで全身が痛い。これが癌のせいでなければ良いのだが、不安がまた不安を呼ぶような感じだ。妻の優しさが余計に身に沁みる。
6月7日 (土) 晴れ
毎日隣の声で眠れなかったが、個室が空いたからという事で移動する。一日15,000円はもったいない気もするが自分の思うようになるので気持ちが落ち着くし、気遣いで疲れることも無い為助かる。夕方弟親子で見舞いに来てくれた。
6月8日 (日) 晴れ
個室での一夜。看護婦さん曰く「死んだように眠っていたよ」との事。本当に良く眠れた感じだ。やはり熟睡出来ると身体は楽だ。
10時過ぎに来てくれた妻に足のマッサージをしてもらう。この所あまり歩いていないのでふくらはぎがはってしまう。ベッドの上での生活が多くなっている為体が痛くて困る。病気の進行が速いのかだるさが抜けないのが心配だ。明日泌尿器科の診察を受ければ分かるのだろうが・・・。ただ気にしだすと体中の何処もかしこも痛く思えてしまうのも事実である。窓から見えるヒマヤラ杉を見ると昨年の今頃を思い出し涙が出てしまう。このままここから出られないとは思わないがTさんの事もあるので不安は払いきれない。元気を出して前向きに考えないといけない事は分かっているが一人になると落ち込んでしまう。
やはり俺も単に弱い人間に過ぎないんだろうな。まだまだ妻の事息子の事やっておかなければならない事が沢山あるはずなのに・・。
思っているだけで何も出来ない自分が歯がゆい。
6月9日 (月) 晴れ
午後より泌尿器科の診察を受け、3時に腎臓から膀胱への管を入れる。尿道から入れたので麻酔はしたものの痛みが走る。
その後も血尿が出て辛い夜となる。どんどん悪い方向へ進んでいるようで悲しくなる。今日も涙の一日となってしまう。
夕方主治医より腹膜への転移が認められる為タキソールの抗癌剤の点滴をしましょうとの説明を受ける。ここまで来たら良くなる可能性のある事は全てやってみるほかないと思っている。残される妻には出来るだけの事はやっておいてやらなければならないと思う。子供がいない分将来が心配である。子供がいるから安心という訳ではないが、一人というものはなお更不安であると共に寂しいものだと思う。何とかしてから旅立ちたいものだ。メールなどでは「生有る者誕生すれば必ず死に向かって歩んでいる」等と訳の分かったような事を書いているが、本当は自分自身が受け入れられていないのが本音である。ギランバレーの時あのまますーっと逝ってしまっていれば今のこの辛い時期は無かったのだろうが・・・。
どうせ、今死んでも三途の川を渡れるほど歩けないのだから迎えなんか来なくても良い。まだ、伯母もTさんも夢に出て来ていない。もし出てきたら「まだまだやっておかなければならない事ばかりだから逝く訳には行かない」と言ってやるつもりだ。それが分かっているからまだ出てこない。今までは病気の辛さ、体が思うように動かない事等、イライラの為辛く当たってしまった事も多かったが残りの大切な時間を妻に感謝の気持ちで接してやりたい。しかし、死への恐怖や不安から心がぐらついて辛く当たってしまうかもしれないがその時は許して欲しい。今の俺にはお前だけが頼りなのだから!!!

*この一ヶ月位前より毎日「今日も一日ありがとう、お休み」の言葉を欠かしませんした。そして時には「お前と結婚出来て幸せだったよ」の言葉も付け加えられました。*

6月10日 (火) 晴れ
昨日のステント挿入の為痛くて眠れず座薬をもらい1時頃眠るが朝から寝不足の為体がだるい。寝不足の為だけなら良いのだが癌の進行の為なのではないかと不安になる。腹水が溜まっていると言われただけで腹が痛くなるのも事実である。朝看護部長が顔を出す。ご自身の旦那さんが札幌の病院で手術をした話をして、いろいろな患者さんを見て来たがいざ家族が病気になると複雑な心境であると言っていた。お互い涙を流しながらの話になっていた。看られる側看る側、どちらも不安で寂しく辛いものだ。
今日は大分痛みも薄らいで来ているが血尿(黒い尿)が相変わらず続いていて感じが悪い。
6月11日 (水) 晴れ
今回入院後初めてのタキソール点滴。昨年の初回は吐き気も酷かったので不安であったが今回は食欲は無いが眠気があった位で順調であった。このまま上手く副作用も無く行ってくれれば良いのだが・・・。タキソールが出来なくなれば先が見えてしまう事になる。妻とも「頑張る」約束をしたのだから最後までやれて功を奏してくれる事を願っている。ただ気になるのは血尿だ。明日もう一度泌尿器科の診察を受ける予定。痛み違和感は感じなくなって来ているが黒い血尿が気になる。
6月12日 (木) 雨
今朝は珍しくすっきり目覚める。タキソールが効いているのかな?お腹もすっきりしているように感じる。未だ出血は止まらない様で黒い尿が出ている。今のところこれが心配だ。naoさんより笹団子が届いたので電話を入れた。俺の元気そうな声にビックリしていた様子。入院した事を知らされもっと悪い状態を想像していたのか・・・。笹団子を食べられた事を喜んでくれた。
お互いに頑張り柏崎行きを約束する。頑張らねば!!!

*naoさんに宛てた携帯よりのメール(9月初旬)に残されていました。今の私には新潟が遠くなり過ぎました。元気な頃なら早朝に出て日帰り出来たのにね。残念です。  電話で約束してから3ヵ月後の事でした。*

6月13日 (金) 曇り
入梅らしい天気になって来た。夕べ止血剤も出たので血尿の色も大分薄くなって来ている為一安心、といいたいところだが体のだるさと食欲不振は相変わらずである。今日も午後より来てくれた妻に足のマッサージと手のマッサージをしてもらい、歩行練習も少しする事が出来た。今回の入院には毎日欠かさず1時間以上もかかる病院まで顔を出してくれている。
有り難いし気分的にも助けられている。個室にいて誰とも話をしない辛い日々となってしまうのを助けてくれている。本当に俺にはもったいない妻である。感謝。
6月14日 (土) 曇り
久しぶりによく眠れた。これで夜トイレに3回も起きなければ何も言うことは無いのだが。昼前に妻が俺の好物の炊き込みご飯を持って来てくれた為、久しぶりの美味しいご飯を食べる事が出来た。午後はいつもの様に散歩をして足のマッサージをしてもらう。感謝としか言いようが無い。合い間に居眠りをしているところをみると大分疲れている様だ。仕事をしながら毎日の病院通いで大分参っていると思う。今日は少し早目に帰ってもらう。本当にありがとう、俺は感謝しているよ。
6月15日 (日) 曇り
午前中両親が来てくれる。申し訳なさと悔しさ、悲しさで涙が出てしまう。何で俺だけという思いが再燃して涙になってしまう。何かしてあげなければならない年齢の親に足をマッサージしてもらうなんて悲しさ以外なにものでもない。俺のいなくなった後の事話し合っておきたいのだが言い出せずに終わってしまう。まだ今回は生きて帰れるという気持ちが強いせいだろうか。言ってしまうとそうなってしまう心配があるから怖くて言えなかったのか・・・。午後から妻と一緒に散歩。やはり入院して歩かないから筋力が落ちているのが自分でも分かる。でも、今回は諦めるより仕方が無いと思う。両方の結果を求めても無理だろう。
退院できたら一歩一歩積み重ね直しである。果たしてそれが出来るかどうか不安な気持ちが心の片隅にある。でも、今はそれを乗り越える気力が必要である。頑張れ伸一。Yの為にもこれで終わるな!!伯母のくれたトラのように強くなれ!!
伸一、お前にはいろいろ心配して励ましてくれた兄弟が、友がいるではないか!!ここでくじけたら皆が悲しがるぞ!!
お前の心意気を見せてやれ!!このくらいではへこたれない強い精神力を!!何と言ってもお前には素晴らしいYがいるんだから!!
彼女を泣かせるんじゃないぞ!!皆から怒られるぞ!!
6月16日 (月) 曇り
夕方妻との間で息子の事が話題となる。大人の都合で辛い思いをさせてしまったNには申し訳ないと思っている。しかし、今の俺には両方を守ってやるほどの力は無い。息子よ。役に立たぬ父で申し訳ない。しかしお前には未来がある。一歩一歩着実に歩いて自分の未来を切り拓いて欲しい。そして大きな実をつけて欲しい。
6月17日 (火) 雨
午後から骨盤CT。昨日ガス抜きの薬、今日造影剤のせいか夕方猛烈な下痢で大失敗をしてしまう。I大入院時にカレーを食べて失敗以来しばらくぶりである。何が悲しいと言ってこの年齢になってのお漏らし程辛いものは無い。幸いにも妻がいてくれたから処理してもらえたものの看護婦さんだったらと思うと冷や汗ものである。常に何処へ行ってもこの不安は付きまとう。
歩けぬ悲しさの代表的なものだ。O君来訪。顔も日焼けし、身体も引き締まり元気この上なし。病院の外へ出た事で一回りも二回りも逞しくなった。彼の思考も前向きの為、結果を良くしているのだろう。これからも頑張ってリハビリに励んでもらいたい。妻の持って来たアルファクラブ通信に、末期のスキルス胃癌の若い母親が「幼い子供の為に死ねない」と頑張って病気を克服。
現在では子供も成人しているという記事が載っていた。やはり病気には立ち向かう本人の気力が大事という事なのだろう。
俺も気分的には立ち直って来ているのであるが果たして病気より強くなれるか、やってみなければ分からない。Yの為ガンバルゾー!
オイ、俺の中の癌よ。俺を早くやっつければお前も早く命尽きるんだぞーっ。そんなに焦らず共存共栄で行こうや。そうすればお前も俺も永く生きられるんだ!!!

*子を思う母親の思いと同じ様に「妻を慮る夫の思い」でこの母親と同じ様に「奇跡を起す」と約束してくれました。*

6月18日 (水) 曇り
2回目のタキソール点滴。前よりも良いみたいで吐き気も無く順調に出来た。午後姉夫婦が来てくれたが眠っていてお会い出来ず申し訳なかった。やはりタキソールの点滴後は無性に眠く熟睡していた時だったので、遠方より来て頂いたのに申し訳なかったです。
人間は健康でさえあれば貧乏でも利口で無くとも良い。今になって健康の有りがたさ、自分には無い失ったものの大切さをつくづく思わされます。しかし、今の俺はこのまま終わりたくはない。皆にいろいろ助けられてやって来たのだから、皆に少しでもお返しをしてから逝きたいと思う気持ちが強くなっている。生きたい気持ちが強くなって来ている。もう少し生きて頑張りたいと思う。
6月19日 (木) 曇り
夕べ洋ちゃんから入っていたメールを見てビックリ。肺癌だった?なんて一言も言ってくれなかったんだもの。今まで俺がいろいろな愚痴をメールで送っていてそれを受けてくれていたので甘えちゃっていたんだけれど・・・。そのショックは大きすぎた。くじけるな伸一、頑張れ洋ちゃん!!
6月20日 (金) 晴れ
台風の影響で風が強く暑い一日である。相変わらず隣室の元気なおばあちゃんの話し声で目が覚める。もう少し眠らせて欲しい。寝不足の為ベッドに横になっているとうつらうつらしてしまう。毎日こうゆう生活をしていると病人になってしまうもとの様な気がする。午後徳さんの見舞いを受ける。玄関まで散歩に行き電話中に来てくれた為ロビーで話をし病室に戻っても2時間余り世間話に花をさかせる。世間の話題から遠ざかっている今の俺には嬉しい事である。感謝。
今日の回診時主治医より1クール終了したら退院出来るという話が出た。体調も良いし抗癌剤の副作用も余り出ていないので大丈夫であろうと思う。余程の変化が無い限り今回はここから出られそうだ。体調もあるだろうが強い精神力「どんな事があっても生きて帰る」という強い意志を持たないと駄目だと自分に言い聞かせている。洋ちゃんからも馬鹿な事考えないで現代医学を信じて頑張れとメールが入っている。何かにつけて苦しい時悲しい時ふっと頼れる男。普段はつまらない事ばかり言っているくせに、必要な時には必ずサポートしてくれている男。またしても頼ってしまっている俺。自分の事だけでも大変な筈の洋ちゃん。俺にとっては素晴らしい友だ。洋ちゃんありがとう。これからも末永く宜しく!感謝、感謝、感謝、感謝、感謝!!!
6月21日 (土) 晴れ
今日も順調に一日が過ぎて行く。体調も良く、体が良ければ気分も軽くなる。この調子なら退院も予定通りだろう。
とにかく早く家に帰りたい。もう病院にはいたくない。何とか悪い変化も無く過ぎて行って欲しい。
6月22日 (日) 晴れ
手術をして丁度一年が過ぎた。自分でも長いようで短い一年だったし、また逆も言える。あの頃は涙涙の毎日であったように思う。もう涙の日々は繰り返したくは無い。何としても快復して笑顔の生活をしたいものだ。ある程度まで覚悟をすると開き直れるような気がするのだが、また体調が悪くなったりすると逆戻りしてしまうんだろうな。
6月23日 (月) 晴れ
夕べは眠れない夜だった。昼と夜が逆転してしまったような感じだった。義兄の選挙もあり心配はないと思っていても気になる一夜ではあった。以前、義兄の言った言葉「この世の中、神も仏も無いものだ」という言葉をしみじみ思い返していた。どうか神様仏様「Yの為にも神様仏様あって欲しい」どうか宜しくお願いします。
6月24日 (火) 雨
T憲さんの命日。早24年になるという。このような状態では墓参りに行く事すら出来ない。以前墓前に早逝の無念を思いYを幸せにする誓いをしたが今の俺には合わせる顔が無い。あの世からいろいろ心配してくれている事が手に取るように分かり辛い。何も出来ない今の自分が辛く切ない心境である。この後行く時には墓前に謝らなければならない。しかしもうひとふんばりこの世にいてYの為に生きなければという思いは強い。どうかこんな俺でもあの世から見守って頂きたい。宜しくお願い致します、T憲殿。入梅のしとしと雨が彼の涙のようで切ない思いで窓の外を眺めていた。
午後兄ととんちゃん来訪。いつもいつも心にかけてもらっていて申し訳ない。来週水曜日に退院出来る事に少しは安心してもらえたか・・・。久しぶりに晴れやかな気分になれた一時である。心穏やかに過ごせる時間は今の俺にとって大事な時間に思える。
また航ちゃんや遥ちゃんの話題等嬉しい事も多い。人生悪い事ばかり考えないで楽しい事、明るい事を考えるのが最良の策なのかもしれない。これからはもう少し楽しい事を考えて過ごそう。弟よりメールがあり急に一週間の韓国出張との事。彼も俺と同じ様に忙しい人生を歩んでいるのではないか心配である。余り無理をせず生き急がないで欲しい。俺みたいになるのは俺一人で十分である。いくら人生頑張ったって高が知れている。適当に頑張って欲しい。なんて言ったって俺のいなくなった後はお前に頼むほか無いんだから。長生きできる様に無理せずやって欲しい、兄の願いだ。頼むY実。Yを助けてやって欲しい。
6月25日 (水) 雨
3回目のタキソール点滴の日。夕べはトイレに3回、大便に2回起き眠れず。便は下剤飲んで寝たのだが1時頃よりシクシクと腹痛で眠れなかった。下剤が夜中に効いてしまいそれがきれいに出ず残りがもう一回という事になってしまい眠れない。シクシク痛い。便意を感じて早めに車椅子に移動しないと失敗するという不安の辛い毎日になっている。
今日の点滴開始時間が遅かったので、落とす時間を早めてもらったせいなのかものすごく疲れた。まるで泥の中に吸い込まれるような気がするという言葉があるがそんな感じである。だるくって眠くってどうしようもなくて、もうどうでも良いって言う感じだ。身体も火照っている。今までに無いほど辛い一日だった。折角心配して来てくれている妻にも当たってしまう。とにかく疲れていて体がこわい。食事もメロンやスイカは食べれるがご飯はつき返してしまう。
6月26日 (木) 曇り
昼間眠くて寝てしまったせいで夜眠れずに何回も起きだしてテレビを見る。どうも昼夜逆転である。又隣室のNさんの夜叫ぶ声が弱くなって来ているように感じる。昼食後移動になっていた。逝ってしまったのだろうか?午前中は親戚の人らしき人が見えていたが3時過ぎには別人が入室していた。ICUに入ったか?逝ってしまったのか?今これを書いている途中入ってきた看護婦さんに聞くと亡くなられたとの事・・・。合掌。本当にあっけないとしか言いようが無い。人間の
最期ってこんなものなのかとつくづく思う。Tさんの時だってあっという間だった。俺の最期もあんなものなのかな?逝くなら苦しまず心穏やかに「Y、ありがとう。お前と夫婦でいられて良かった」と言って「先に逝かせてもらうよ」と微笑んで逝きたいと思っている。しかし、今の俺はまだそんな事言ってはいられないんだ。しっかり食べてしっかり体力つけて癌と闘わなければならないのだから!!!他人の事で感傷に浸っている暇は無いのだ。気力体力共に充実させて頑張らねば!!!ただちょっと残念だったのは2日ぶりに歩いてみて、良いはずの右足でも膝ががくがくしてしまいショックであった。やはり筋力も落ちてしまっているんだな。体重は47kをどうにか維持している。体重を戻すと共に体力、気力も付けるゾー!!!焦らず諦めず意地やかず。体力。気力。
6月27日 (金) 晴れ
Yへ。こんな俺に嫌な顔一つせず毎日病院へやって来てくれている。俺の我がままにも黙って従ってくれる。ありがとう。
嬉しいでも悲しい。俺には何もしてやれないんだから。せめて力が戻って来る所を見せたいけれど体力は戻って来ない。気力だけではどうしようもない。ごめん。一生懸命やってくれているのに、応えられない自分が空しく悲しい。
 
看護婦さんの若やいだ笑い声が賑やかである。果たして俺はいつあんな笑い声を出して笑ったであろうか記憶に無い。おそらくここ3年半は心の底から笑った事が無いのではないだろうか。明るい笑い声には素晴らしい免疫力があるのだろう。俺も心の底から笑える日を迎えたい。散歩で外に出て中央3Fを見上げるとTさんのような後ろ姿を見つけハッとする。体型といい頭の剥げ具合といいそっくりであった。何度も見直したが見たのは1回きりであった。あれは夢でも幻でもなく似ているだけの他人であったのか?ちょっと気になる姿である。俺を迎えに来たわけではないだろうし・・・。世の中似ている人は沢山いるんだよなあ・・・。そう思いたい。もしTさんだったら・・・。まだ俺は一緒に行けないから先に行っててくれ。まだしばらくはYの傍にいさせてくれ。頼むTさん。俺を誘わないでくれ!!!
6月28日 (土) 曇り
眠れない夜が続く。隣室の吸引の音や苦しそうな寝息が気になってしまう。自分ももうすぐあんな風に苦しい思いをするのかな等と考えてしまう。それならこのまますっと逝きたい。何も考えず知らぬ間に逝けたら楽だろう等とついつい考えてしまう。馬鹿野郎、まだ逝けるか!!頭の中では二つの考えが交互に目まぐるしく動いている。もう3年半も苦労をかけているのだから速く逝って楽にさせてやりたいという考えもある反面、生きてそばにいてやらなければという思いもある。眠れないせいでいろいろつまらない事ばかり考えている。そして眠ろうと決め「Y、ありがとう」と言って眠る事にしている。もしかしたら今日かける言葉が最期の言葉になるかもしれないという気もするからだ。どうも病院という所は良い事は考えなくなる所だ。自分でもだんだんと考えが前向きでなくなるような気がする。早く家に帰りたい。もうこんな所には一日たりとも居たくない。そして外の空気を思う存分吸いたい。あと4日のがまん、がまん。
Y様。いつもいつもありがとう。幸せにしてやる約束守れずごめんなさい。俺はお前と夫婦になれて良かった。そして兄弟、素晴らしい兄、姉持てた事ありがとう。そしてYの友達、皆良くしてくれる友ありがとう。もし俺がいなくても、Yの周りには沢山の素晴らしい人達が残っている。これからも皆と仲良く楽しく暮らして欲しい。むこうで会えるであろうT憲さんとお前の笑顔を見つめているよ。
6月29日 (日) 晴れ
午後鶴さん夫婦来訪。遠い所誠に申し訳ない限りである。メールの返事がすぐに返らなかった事から心配しての事。またY中さんの所へ行ってすぐの事でもありいろいろ心配してくれていたらしい。鶴さんの元気な姿歩き方を見るにつけ自分の運の無さ、元気でない姿が余計感じられ辛くなる時もある。俺もあの位歩けたら・・・。癌にさえならなければ・・・。いろいろ考えるが考えたってどうにもならない運命なのだ。運が無かったとしか言いようが無いのだろうか・・・。でも、どうにか水曜日には家に帰れる。一番嬉しい。不安は大きいが家が一番だ。ただそれだけだ。今日は体の調子も良いしだるさもあまり感じない。今週は抗癌剤が休みなのでもう少し良くなると思う。とにかく食べて力をつけなければ生き残れない。今の俺にはそれだけしか考えられない。
Nへ。俺もあとどの位持つか分からない。してやれる事も無いかもしれない。どうしようも無い。そんな自分が悲しくて悔しいよ。本当に申し訳ない。でも、お前はまだ若い。これからの人生自分の力で頑張ってくれ。わがままな父であった事を詫びたい。お前の父と母があの時もう少し大人であれば良かった。
6月30日 (月) 晴れ
体調が良い為、昨夜は温室内で挿し木をしている夢を見ていた。あれもやりたいこれもやりたい、望みだけは沢山あるようだ。色々仕事に頑張っている夢であった。まだ希望を持って生きられるのかな?ついつい考えてしまう。もう前のように元気に仕事は出来ない事を自覚している筈なのに・・・。俺の夢の中には車椅子に乗っている自分は出て来たことが無い。これはまだ自分が車椅子生活を受け入れていないせいなのだと聞いた事がある。やはり俺には今現在でも歩く事は諦められない事である。ある意味で言えば癌に侵される事よりも辛い事のように思える。やはり歩きたい!!午後のろくろのメンバーが見舞いに来てくれた。先日憲さんにメールで退院予定を入れておいたにも関わらず遠い所まで来てくれた。久しぶりの顔もありさすがに嬉しい。やはり持つべきは友である。30年来の友人達に感謝である。楽しい一時を過ごす事が出来た。明日から又頑張れる気がする。頑張ろう。いつも心配をかけ愚痴を聞いてもらっている洋ちゃんに退院出来ることをメールで知らせる。常に感謝である。心細くて泣きたい時誰かに頼りたい時の相手としていつも快く返事をしてくれる洋ちゃん・・・。本当にいつも損得抜きで付き合ってくれてありがとう。
ただ何もしてやれずいつもしてもらってばかりでごめんなさい。洋ちゃん、俺ももう少し頑張るから宜しく!!
どうか見捨てないで面倒見てください。お願いします。


7月1日 (火) 曇り
おーい、俺に中の癌よ。お前もそんなに馬鹿じゃあるまい。そんなに慌てて俺の体を征服するなよ。早くすればする程お前だって早く終わるんだぞ。お互い慌てず仲良く共存共栄しようや。それがお互いの為というもんだぜ。なあ、癌よ!!
夜は頭の中でいろいろな言葉がひらめく。よし明日メモしよう。あんな事も書いてやろうといろいろ思うのだが朝になると思い出せない。ボケたのかな?夢の中だから名文句が浮かぶのかな?やはり俺は相田みつをにも星野富弘にもなれない。
やはりレベルが違いすぎる。何の取り得も無い自分を見てがっかり。何か出来たらYに残せるのに・・・。
やはり最後は宝くじで1億円狙いかな?又これもくじ運が悪いときている。八方ふさがりの人生かなあ。明け方消防団で活躍している夢を見た。今日も又元気に駆け回っている。俺の夢はいつもこうである。歩けない姿は出てこない。まだまだ夢目指して頑張らなければ・・・。いろいろ考える事は多い。今春、妻の友達のご主人が交通事故で亡くなった。即死状態だったらしい。一瞬のうちに仮眠の途中で逝ってしまったのだから何も分からず良かったのか?痛みを感じなかったのがせめてもの救いだろう。しかし今になって考えるとどちらが幸せか?俺のように死を突きつけられいつ訪れるとも分からぬ死を思いながら生き永らえている。一方は何も分からずあっという間の別れ・・・。今までは俺の方が辛い悲しいと思っていたが、いろいろ逆の発想から考えてみると友達のご主人は奥さんに言い残したい事、感謝の言葉、これから先の事いろいろあっただろうが何一つ言えず残せず旅立ってしまった。心残りの事だったろう。今の俺は死を突きつけられてはいてもYに対して言っておきたい事、心配だから気をつける事、そして心の底からありがとうが言っておけるのだ。そう考えると自分の方が幸せなのではあるまいかと思える。これからどれだけ命の灯が燃え続けるか分からないが、残りの人生悔いの無いようYに両親に兄弟に皆に感謝の心で生きて行きたい。
夕方甥夫婦が遥ちゃんと来訪。明日退院なのにわざわざ申し分けなかったです。遥ちゃんの元気と明るさに久しぶりの笑顔。とても良い時間を過ごせました、ありがとう。
7月2日 (水) 晴れ
待望の退院の日を迎えることが出来て嬉しい。入院時は生きて出られないかも知れないと覚悟はしたもののどうにか元気で出られる。リハビリも今までのようにやり過ぎたりせずに体力と相談しながらやって行こうと思う。俺の体内の癌とも仲良く共存共栄して行かなければならず、心の休まる暇がないかもなあ~。せいぜい無理せずのんびり行こう。もう生き急ぐ必要は無いのだから。これからもY様宜しくお願いします。(ハート)

*(ハート)は「愛しているよ」と書きたかったんだよね伸ちゃん。この夜、これからも抗癌剤の治療が続くにも関わらずI大のリハビリに通いたいので予約を入れて欲しいという主人の言葉に、今まで隠し通してきた腹膜播種のスキルス胃癌であった事、ステージⅣであった事を伝えました。しかし余命告知だけはしませんでした。伝えた当初は良かったのかどうか悩みましたが後に生あるうちに離れて暮らしていた息子の結婚を決め、我が家の跡取りに決め、父親としての最後の務めを果たせ、悔いを残す事が少しでも少なく済んだであろう事を思うと、あの日告知した事は間違いではなかったと信じています。私には沢山の言葉を思い出をそして新たな家族を残してくれました。*

7月3日 (木) 曇り
俺の心のように重苦しい天気だ。夕べYより俺の癌はスキルスのステージⅣと聞かされショックであった。夜も眠れなかった。発覚から手術まで2ヶ月もあったのでまさかスキルスとは思わなかった。転移の覚悟はしていてもスキルスとは思ってもいなかった。確かに腹水については転移を考えていたのだが・・・。今まで明るく振舞って隠していたYも辛かったであろう。1年以上も隠し通した妻の方が俺より辛かっただろう。本当にありがとう。ごめん辛い思いばかりさせて・・・。泣くまいと思っても涙があふれてしまう。本当にごめん。今の俺には何もしてやれないんだよー。せいぜい一生懸命ご飯を食べて力を付けて1日でも多くYの傍にいてやるくらいしか出来ない。しかしこれだってYの負担が増えるだけだ。本当に辛い、泣きたい。泣いたってどうしようもないんだけれども・・・。退院時の薬が一週間分しか出てない意味も分かったような気がする。俺に残された時間はどれだけあるのだろうか?
7月4日 (金) 曇り
一日一人で家にいるといろいろ考えてしまう事ばかりである。インターネットで癌の人のHPを見たり、遺言状の書き方を見たりとあまり良い事では無い。popoさんのHPを見ているとこれからの俺のやらねばならない事が書いてあるようで辛かった。尿のステントの次は大腸へのステントか。だんだん癌に責められると腸も狭められて便も出なくなるらしい。これからが苦しいらしい。死に対しては仕方が無いが苦しまず楽に逝きたいものだ。あまり見たくないHPではあるが、これが現実である事も自覚しなくちゃいけないのだろうがなかなか辛い。Yの全ての行動、俺にしてくれる姿を見ていると涙が出て止まらない。二人で涙涙である。俺に良くしてくれた。わがまま聞いてくれて大変だ。感謝すればする程涙が出てしまう。事実を知ったから悲しくて泣いているのではない。Yに対する感謝の気持ちで涙が出てしまうんだ。夜兄が来訪。兄にも元気なうちに感謝の気持ちを伝えておかなければと思ってはいたのだが、いざとなると何も言えなかった自分が歯がゆかった。もう少し素直に言っておけば良かったと思う。おそらく今度入院したら生きて帰れないだろう。そうなる前にもう少し良く話をしておかなければいけないと思っている。今回は食べる事、水分の補給、排便等全てに気をつけて体調を維持して少しでも長く家にいたい。Yの傍にいて心穏やかに感謝の気持ちで過ごしたい。
7月5日 (土) 晴れ
夕べはトイレの為2時間おきに起きていた。脱水症状になりたくないので水分を多めに摂っているからだろうが、さすがに2時間おきでは自分も辛い。その度にYも起きてくれる。これでは体が持たなくなってしまうだろう。俺は昼寝をすればよいのだが。別に寝ようかと提案してみるが何処で寝ても気になって起きてしまうというので解決にはならず。今日は仕事も休みの為昼食後に二人で昼寝をした。早く逝けるならそれに越した事はないと思ったり、かといって逝きたくも無いし・・・。先祖様の仏壇に向かい涙を流し、もう少しこちらにおいて欲しいと願ってみたり・・・。本当にわがままな俺である。自分でもあきれてしまう意気地の無さである。
7月6日 (日) 曇り
午後退院以来初めて外へ出る。前の道路まで歩くが体力の低下をしみじみ感じさせられがっかりする。癌のせいか悲しい。夕方弟が韓国の土産を持って顔を出す。仕事の話や世間話で終わり俺の事にはあまり触れてこない。やはり全てを知っているからだろう。PCのデジカメのインストールをしてくれて帰る。いろいろ言っておきたい事はあるのだがなかなか言えないでいる。
まだ早い、まだそこまで言っておかなくとも大丈夫だろうとの思いがあって迷っている。そのように思いながら何も言えないで終わってしまうのかもしれない。Yにも名義変更の手続きをしておこうと話したが「そんなに慌てる必要も無い」と言われ正直ホッとした気分になる。やはり死にたくないんだろうな。昼寝をすると夜眠れない為ずっと起きていたがさすがに疲れた。体力の無さを痛感する。このまま低下して行くのだろうか?不安である。
7月7日 (月) 雨
夕べ下剤を飲んで寝た為早朝トイレへ。その後もう一度便意がありトイレに行くが間に合わず失敗。惨めさと共に申し訳なさ悲しさもろもろだ。なんで俺だけこんな思いをしなくっちゃならないんだよ!!なんでなんで・・・気が滅入る。今日は七夕。願いでも書いて明日から頑張ろう。自分の足で歩けますように!!もう一度元気になれますように!!癌消滅!!!!!焦らず、意地やかず、諦めず!!美味しい物が食べられますように!!楽しく旅行に行けますように!!家族みんなが幸せになれますように!!Nが一人前になれますように!!そしてYに楽しい人生を与えて下さい!!!気力、元気、活力、努力、体力、共存共栄、友人、先輩、親族、妻子。
7月8日 (火) 曇り
朝新聞で同級生の事故死を知る。突然の死。言っておきたいこと、やっておきたい事いろいろあったに違いない。残された家族も無念だったろう。今日も一日生きていられる事の幸せに感謝しよう。午後Oさん来訪。Tさんの話題で二人ともが涙。何気ない言葉のはしはしに気遣いを感じ涙が出そうになる。メルアドを教えてもらったので早速ありがとうございましたのメールを入れた。
7月9日 (水) 曇り
朝naoさんにメールを入れる。自分の心のうちを吐き出させてもらう。もしかしたら外来=入院になってしまったら言う事も出来なくなってしまうと思い全てを書く。でも書いてみて心の整理がついたようなすっきりとした気持ちになる事が出来た。naoさんには申し訳なかったですが・・・。不安の中の外来だったが、無事にタキソールの点滴を受ける事が出来た。命が延びたような気がする。夜裕次郎の17回忌特集番組を見る。自分と比べ身につまされる。やはり同病相哀れむものを感じる。
7月10日 (木) 曇り
梅雨寒の寒い一日である。しかしいくらか気分は落ち着いたように思う。外来での抗癌剤が出来た為の安心感からか。こうなったら為るようにしか為らないのだからジタバタしても仕様が無い。今日は吐き気もだるさもあまり感じず順調だ。
このままの状態が続いてくれますように・・・。
7月11日 (金) 曇り
お昼のテレビ。胃癌特集でステージⅣでも16,4%の5年生存率があるとの事。この前見ていた名古屋大学の5年前のデータ8,4%の倍になっていた。他臓器転移でも20~50%は生存しているとのデータ。少し救われたような気がする。5年の間にこれだけの医学の進歩があり生存率が上がったのであろう。いくらか希望が持てるデータに出会えて嬉しい。
7月12日 (土) 曇り
下剤を飲んでいるが思うように出ず。食欲も思うようでなく調子良くない。疲労感もあり体調不良。不安が先に立って考えても仕方の無い事を考えてしまう。天気の良くないせいもあるが歩こうという気力もない。俺も裕次郎と同じ51歳。あんなに有名な人とは比べられないが年齢と癌という事だけは同じ・・・。とにかく気力だけはしっかり持ってと気を引き締める。
7月13日 (日) 雨
午後Yの友達5人が遊びに来てくれる。俺の事もあってお落ち込んでいるであろう妻を励ましに来てくれた。友達とはありがたいものだ。久しぶりの再会で大声で笑いあっている姿が羨ましい限りだ。あんな大きな笑い声、俺は心の底から笑った事が久しくない。本当は大きな声で笑わないといけないのだろう。でも、今の俺にはその元気も無い。
7月14日 (月) 曇り
ヘルパー久しぶりにYさん。相変わらず元気な笑顔でこちらまで元気を分けてもらったようだ。元気が出たついでに外へ出ての歩行訓練をした。Sさんよりメールが入っていたので返信する。折りに触れ夫婦で顔を出してくれたりメールをくれる事は嬉しい事だ。感謝、感謝、感謝です。
7月15日 (火) 曇り
夕方母がめまいがするという。無理をさせているせいだろう。申し訳ない限り、親不孝である。仕事は年度末で辞めてもらおう。もうこれ以上Yにも母にも苦労はかけられない。それなのに何も出来ない自分が情けない。(涙)
7月16日 (水) 曇り
外来での抗癌剤2回目の点滴。血液検査もクリア。無事タキソールの点滴を終了する。毎回出来るかどうか不安の外来であるが今のところ最低ラインは維持出来ているようである。どうかこのままタキソールの点滴が続けて出来ますように・・・。Tさん、俺を迎えに来てもまだついて行けないからね。8月の新盆に帰って来ても一緒にはいけないからね。俺はまだまだこっちに居てYと一緒にいたい!!!
7月17日 (木) 曇り
弟の命日。生きていれば48歳になっていただろうに3歳にて他界した。早いもので45年にもなってしまうのだろうか。幼くして何も経験せずに逝ってしまった弟。弟に比べたら51年間生きてこれた俺は幸せとしか言いようが無い。好きな事をやらせてもらって51年生きていられるのだから。仏壇に手を合わせ今の幸せに感謝しもう少し生かせてもらえるよう祈る。
今日は体調も良く便通も上手く出て気分も良い。この調子を維持していければいいのだが・・・。頑張れ!!
7月18日 (金) 曇り
ヘルパーYさん。予定が午後からになった為Yさんが来てくれる事が多くなった。Iちゃんの頑張っている様子を知らせてもらえ嬉しい限りだ。若いのだから希望を持って頑張って欲しい。大分心の整理も出来たのでN子さんにメールする。思い切って言いたい事を書く。言ってしまった方はすっきりするが、言われた方は何といって答えてあげたら良いか困ってしまうかも・・・。
7月19日 (土) 曇り
午後東京の姉夫婦が来訪。遠方わざわざ見舞いに来て頂き有りがたい。今日で何回顔を見せてくれたであろうか・・・。
一人ぽつんと家にいる孤独というものは辛いものだ。元気に仕事をしていた時はいろいろな人と接し、楽しい事ばかりではなかったが毎日が充実していた。こんな身体になってしまうと自分から出て行けない為受身になって誰かが尋ねてくれるのを待っているのは悲しい事だ。そんな折わざわざ来て頂きこの上ない喜びである。いろいろありがとうございます。
7月20日 (日) 曇り
妻の実家へのお中元を届けに行くが体がだるい為一人家に残る。T憲氏のお墓参りにも行きたかったが、どうしてもそこまでの気力が無い。体力の低下を自覚さぜるを得ない。このままだんだん落ちて行くのだろうか。不安だ。帰宅後義姉の話を聞かされた。実家の兄は大変だ。俺の心配だけでも大変なのに、姉の事も増えてしまった。本当に申し訳ないと思っている。
7月21日 (月) 曇り
夕べの雨のせいで思うように眠れず体調不良。Yの覗いているPCのHPに訃報があったようだ。朝からあまり気分が良くない。明るく前向きに頑張っていても、ありとあらゆる治療を受けても死んで行く人はいくらでもいるわけだろう。今日は天気のせいか体調のせいか朝から訃報を目にしたせいかYに当たってしまった。悪いとは分かっているのだが自分の気持ちに勝てない日もあるんだ。こうして生きていてどうなるんだ。何の楽しみも無くただ単にその日暮らしをしている無意味さを感じて滅入ってしまう日もあるんだ。一生懸命に元気付けて頑張るように仕向けてくれるYには感謝しているが、それに応えられない日もあるんだ。本当に申し訳ないとは思うが俺はそんなに強い男じゃないんだ。Oさんには、ここまで頑張って来たのだから精神力は強いと言われたが他の人が思うほど強くは無いんだ。人の前では強がっているだけなんだよ。もう少し強くならないといけないな。まだまだ頑張らねば・・・。Y宜しく頼むよ、ありがとね。
7月22日 (火) 曇り
Iちゃんよりメールの返事が届く。Iちゃんも結構現状になじんで頑張っているらしい。やはり順応しないと駄目なんだろうな。
7月23日 (水) 曇り
外来での3回目のタキソール点適の日。だんだんと副作用もなくなって来ていて吐き気もしなくなった。髪の毛はたいぶ抜けてきているのがよく分かる。又昨年の暮れのようにつるっぱげになるのだろうな。
7月24日 (木) 曇り
やはり抗癌剤のせいだろう疲労感と足の冷たさを感じる。昼間横になって眠りたいのだが、そうすると夜眠れなくなってしまうので我慢する。
7月25日 (金) 曇り
ヘルパーTさんにいつもより多く足首のマッサージをしてもらう。マッサージをすると血液の流れが良くなるのか暖かくなる。自分でもやるのだが思うように動かせない。Yにもやってもらっているがいろいろ忙しいのでそれ以上は頼めない。N子さんよりメールの返事が届く。心から嬉しく心強く思える。あまり近くの人に吐き出すと迷惑もかかるだろうが、彼女は遠方でしかもプロでもあるので言いやすい。また「何でも言って」と言ってくれる彼女の優しさが大変嬉しい。娘のようである。
7月26日 (土) 曇り
T家の結婚披露宴に妻が代理で出席する。T氏も体調が良くないとの事で心配である。朝一番に友人Tさんの奥さんの訃報が入る。俺と同じ癌でも「初期」と聞いていたので驚きであった。妻が見舞った時は元気そうであった報告を受けていた為安心していたのだが俺より早い旅立ちとなってしまった事がショックだった。今の俺はご冥福を祈るほか無い。合掌。心沈む一日となってしまった。
7月27日 (日) 晴れ
夕方弟一家がお中元に来てくれる。韓国産の朝鮮人参のカプセルをもらう。足が冷たいと言っていた言葉を覚えていて「血液の流れが良くなるように」と買って来てくれたのだろう。早速飲む事にする。メシマコブ、鮫の軟骨エキスを飲んでいるが抗癌剤の副作用が少ないのはこのお蔭なのだろうか・・・。
7月28日 (月) 曇り
夜中に目が覚めて眠れずTさんの事を考えている。俺もこのまま「朝目が覚めなければいいな」なんて馬鹿な考えもしてみる。先の目安がつくなら良いが、このままの状況では長く生きていても意味ないように思えてしまう。本当のところどうして良いか何が一番良いのか何も分からない。しかし生きている事は事実である。その事に感謝しなければいけないのかな?考えてしまう一日である。不安。
7月29日 (火) 雨
Tさんの奥さんの告別式。涙雨が時折強く降る寂しい一日となってしまった。俺と同じ51歳だ。いくら孫を見たからと言ってまだまだこの世への未練はあった事と思うと涙が出る。自分の事のように思われ身につまされる。「神も仏も無い」この世の無情を感じさせられ寂しい思いになる。葬儀にも参列出来ないで家で手を合わせるしか出来ない無礼を詫び悲しい日になってしまった。
7月30日 (水) 雨
7月も終わりだというのに梅雨明けしないでいる。本当にしんどい年である。家にいるので涼しいのは良いのだが米も不作に為りかねない。こんな不況の時代に米や秋野菜が駄目となると農家の人達は大変だろう。
7月31日 (木) 晴れ
久しぶりの晴天で気分も良い。食欲もいつもよりはあるようでやはり天気が良い方がいい。明日からは8月。あまり暑くない程度に晴れてほしいものだ。


8月1日 (金) 曇り
8月に入ったのに今日も梅雨明けにはならないようである。ヘルパーさんと久しぶりに歩行練習をする。庭から砂利道を歩いてアスファルトの方まで行って見たが疲れた。
8月2日 (土) 晴れ
久しぶりに温室へ行ってみたが通路が濡れていた為滑って歩けなかった。やはり体が前傾して歩いている為杖が滑ってしまって歩けない。筋力が落ちている事がものすごくショックである。このようにだんだん体力が落ちてきて終わりになるのだろう。
午後出かけたついでにTさん宅を訪問。お線香をあげさせてもらう。昨年秋にオペしてその時点でどうしようもなく閉じたとの事。
やはり徐々に体力が落ちて最後は立つ事さえ出来なくなり入院して2週間。俺のこれから先を見ているような気になる。夜中に目が覚めると考えてしまう。しばらくは忘れられないだろう。
8月3日 (日) 晴れ
本当にしばらくぶりの夏の天気である。昨日のTさんの奥さんの事といい、俺の事といいなんでなんだ。天気のように気分は晴れてはくれない。夕べあまり眠れなかったので眠いが暑い為昼寝も出来ないでいた。
8月4日 (月) 晴れ
どうにか5日続いた晴れの天気で夏が来たという感じだ。足の冷たいのは無くなくなり良いのだが尿の出が悪く量も減って来ている。なるべく水分を多く取るように心がけている。尿毒症にでもなったら大変だからなあ。
ヘルパーYさんいつも通り元気で、元気を分けてもらえるようで気を強くされる事がある。これも一つのヘルパーさんの大切な仕事と思っている。ありがたい事だ。
8月5日 (火) 晴れ
午後より雷がなり夕方雨が降り出した。やっと夏らしい天気になったようだ。暑さのせいか夜思うように眠れず体がだるい。これも抗癌剤の副作用なのか髪の毛も大分抜けてきているので影響があるのだろう。体力低下も自覚できる。トイレに行っても腹筋が落ちている為思うように力めず便が出せない。今日は一時間かかって大汗かきながら頑張ってどうにか出た。これから先こんな苦しみが続くのかと思うと不安だ。まず食べる事そして出す事。これがうまくいかなければ大変である。水分も多めに取るように努力はしているが思うような効果が出ない。
8月6日 (水) 晴れ
3クール目初日の外来日。不安の外来であったが無事に点滴をする事が出来た。抗癌剤の効果が出ているのかどうか分からないが今はこれに頼るほか無いだろう。だんだん点滴に来ている人の数も減ってしまい、どうしたのだろうと言う感じだ。皆良くなっているなら良いが逆の事もいろいろと考えられる。なかなか良くなれるものではない・・・。またまたショックな出来事があった。前々から大便の時、便意を感じてから我慢出来る時間が短くなってきていた。その為移動でもたもたしていると間に合わずに失敗という事があったが、尿意の方も同じ様に為ってしまった。全ての筋力が使っていない為低下しているのだろうか。膝立ちとか立位でいるとか腹筋をつけようと努力はしているのだが、力は付くどころかだんだん落ちているのだろう。N子さんからのメールのように「沢山食べて、力をつける」より仕方が無いのだろう。
N子さんにはいろいろと励ましのメールをもらいありがたい。病気にも「激しいものとおとなしいもの」があるというが俺の病気は、はたしてどんな性格の病気なのであろうか。不安の中の一日であったが今日もどうにか無事に過ごせたと言う感じである。
8月7日 (木) 曇り
台風が沖縄接近中。天気も良くないが体調も良くなく昼間ベッドで過ごす。夜も思うように眠れず調子よくない。このまま落ちて行くのかな?
8月8日 (金) 曇り時々雨
今日も調子悪くベッドの上にいる。病院にいた時はいつも昼間から眠っていたのであるが、家に帰って来てからは初めての事である。それを考えると仕方の無い事かも知れないが、やはりベッドの上というのは辛い。体がこわくてだるい。
食べなければと思うのだが思うようにいかない。
8月9日 (土) 曇り時々雨
今日も体調が良くない為ベッドの上である。
8月10日 (日) 晴れ
台風一過の良い天気となる。午後Nさん来訪。社長宅の新盆をお願いする。社会情勢の悪さを聞くが元気で働ける事は良い事なのだからと励ます。俺に比べたらどんなに良いか羨ましい限りだ。
8月11日 (月) 晴れ
今日も調子よくなく一日ベッドの上にいる。ヘルパーさんも休みにする。体がだるく重い感じがする。このまま進んで行くのかな?
8月12日 (火) 曇り
午前中寝ていたが午後気力で起き出す。ヘルパーさんに筋力ストレッチをしてもらう。でも、歩く気はせずマットの上だけで終わる。夕方Yが婦人科の検診結果を聞いて来た。何事も無かったようで一安心する。後は胃カメラの結果だけだが何事もありませんように!
8月13日 (水) 曇り
3クール2回目のタキソール点滴。体力低下によって出来ないかなと思っていたがどうにか0Kであった。今回も点滴まで1時間半も待たされた。あげくに他人の点滴と間違われる始末。同じミスを2回もである。酷いものだ。こんな病院に世話になりたくないが今更どうしようも無いのが現実だ。今更愚痴ってみても仕方が無い。これも運命なのであろうか?
夕方弟親子来訪。お盆である。妻は俺の代わりに新盆参り。自分では6月に入院した時、お盆まで生きられないかも知れないと覚悟はしたもののどうにかお盆を迎える事が出来た。今度は年を越せるかどうかである。どうにか年が越せますようにと先祖様に手を合わせる。
8月14日 (木) 雨
Yは実家の新盆の手伝いに行く。親父さんの新盆にも行けない自分の情けなさ、心の中で手を合わせるほか無い。
8月15日 (金) 雨
体調はまあまあだが早朝3時頃便意を感じトイレへ行った為寝不足である。トイレも1時間もかかるようにようになってしまいどうしようもない。ヘルパーさんも雨の為マッサージのみとする。
8月16日 (土) 雨
朝から便意あるも出せずに苦戦。2時間かかりやっとの思いで出る。苦しいも何も無い。腹圧が無い為だけではなく、腸の閉塞も進んでいるのか?今後どうなって行くのか不安である。朝一番にMさんの訃報に接する。又俺のまわりの一人が癌で亡くなった。寂しい一日の始まりとなってしまった。
8月17日 (日) 曇り
今日はどうにか便が出てくれた。今の俺には一番の心配事である。もう下剤の助けを借りなければどうしようも無い状態だ。
8月18日 (月) 曇り
今日もあまり調子良くないがヘルパーさんは頼む。午後とんちゃん来訪。航ちゃんの元気さには感心する。あの元気の10%でもいいから欲しいものだ。誕生して100日目位との事。子供の成長の早さには目を見張る思いである。同じ100日でも死んでしまえば忘れられてしまう位の日数である。Mさんの通夜と共にいろいろ考える事ばかりである。
*幼子の産声耳に百日目 わが夫の百か日比べ涙する。*
8月19日 (火) 曇り
今日もあまり調子良くない。食べられない。食べてないのに空腹感も無くただだるいだけだ。こんな事をしていると体力が落ちてしまう事は分かっているのだがどうしようもない。食べて美味しいと思えるのはアイスくらいのものだ。何かさっぱりした物が食べたいと思うのだが、いざ食べるとなると入ってゆかない。
8月20日 (水) 曇り
3クール3回目のタキソール点滴。今日もどうにか出来た。毎日下剤を飲んでいる為かタキソールの副作用のせいか毎回下痢である。
来週タキソールが休みなので少し副作用の心配が無くなれば良いのだが・・・。まずは食べる事と出す事。どちらも簡単なようで難しくなって来ている。
8月21日 (木) 晴れ
抗癌剤による延命平均月数が8ヶ月。抗癌剤の効果のある人50%。(但し少しでも癌細胞が小さくなった人は効果有りとみなす)ある新聞のコーナーに書かれていた。俺の場合も少しは効果ありだろうが・・・いつまでもつことやら・・・。
気持ちは頑張っているのだが体力がついてゆかない。
8月22日 (金) 晴れ
今日もトイレ出ずに明け方から苦しむ。こんなに苦しいのなら、もう今日で終わっても良いような心境だ。しかし迎えは来ない。夕べから足もむくみ始め熱も37、5℃。この微熱のせいでだるくて仕方ない。1日ベッドで寝ているが疲れは取れない。辛い、苦しい。辛い。
8月23日 (土) 晴れ
今日も調子悪くベッドの上にいる。食べる方も思わしくなく最悪である。トイレの心配もありオムツにしてもらう。情けない、辛い、悲しい・・・いろいろあるが仕方ない。今は耐えるのみ、我慢、我慢。夜24時間テレビを見るが素直な気持ちでは見られない。心までゆがんでしまっているのだろうか?辛い、こわい。「早く楽になりたい。もうこれ以上頑張れない。」と言っていたTさんの言葉が耳から離れない。
8月24日 (日) 晴れ
Nが午後から彼女を連れて来る。しっかりした娘さんであった。どうにか上手く行って欲しいものだ。AさんNを宜しくお願い致します。
8月25日 (月) 晴れ
今日の体調も良くない。食べられるのはアイスクリームくらいのものだ。ヘルパーさんも休みとする。
8月26日 (火) 曇り
午後CTをとる。今更検査をしてもどうなるものでもないだろうが・・・。帰りに床屋に寄って坊主頭にする。これで仏様に少し近づいた心境になる?
8月27日 (水) 曇り
今日も午前中ベッドの上で過ごす。朝食は食べる気がしない。寝てばかりの為足の力は落ちているようだ。又筋力でも腹の方が一番落ちているように思える。
8月28日 (木) 曇り
午後Nを呼んで細かな話をする。早く決めて結婚させたい気持ちが強い。何とか元気なうちに決めたい。本人達は急な事で戸惑っている様子だが俺には時間が無いんだ。Yよ、いろいろありがとう。お前は本当に心の広い女性だね。
8月29日 (金) 曇り
今朝もトイレ失敗である。身体も痩せてしまっているのでオムツの隙間から漏れてしまい下まで通ってしまう。
情けない涙が出る。「病気なんだから仕方ないよ。」というYの慰めの言葉に余計涙。ありがとうY。
8月30日 (土) 曇り
毎日明け方トイレで起される。今日も失敗悲しい事だ。夜良く眠れないので午前中はベッドの上だ。疲れが抜けずにだるい。
8月31日 (日) 曇り
午後NとAさん来訪。結婚の事について話し合う。Aさんと会って2回目なのに早すぎる話ではあるが俺には時間が無い。
決める事は一日も早く決めなくてはならないんだ。

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