癌・ギランバレー☆闘病記

二つの難病を抱えた夫の闘病日記

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H13.12~

12月1日 (土) 晴れ

午前中整骨院へ行く。電気治療後、立ち上がりの練習をするがなかなか思うように出来ない。立たせてもらえばロフスト2本で歩けるのだが・・・。夕方鶴さん夫婦とMちゃんと久しぶりに食事をする。前回会った時は車椅子だったが今日はロフストで歩いて行く。鶴さんも前回は念のためにロフスト(1本)を持って来ていたが今日は何も無しで歩いて来た。Mちゃんも元気そうだった。PTとして働き始めて半年以上経つ為大分自信が付いてきたようである。頑張って欲しい。

12月4日 (火) くもり

CK値は高いまま安定という所。お昼前外来で来たIさんと会う。元気そうであったが病院は何ヶ所も行っている様子で大変そうだ。俺の現状を聞いて喜んでくれた。「お互いに辛い事は沢山あるが頑張ろうよ」と励まされる。彼女は自分の方が大変なのにも関わらず、他人の事を気にかけてくれる。俺にもその様な余裕が出てくれば良いのだが!なかなか自分の事で精一杯でそこまでには至れない。もう少し人間が出来なくっちゃなあ

12月7日 (金) 晴れ

PT病棟からリハビリ室まで歩く。リハビリ前なので疲れずに下りる事が出来た。OTはI先生が肩が痛く休みの為自主トレに励む。病棟に帰ってから廊下の手すりを使い立ち上がりの練習をする。I先生の肩の痛みも俺のせいかなと責任を感じる。重たい俺が何回も立ち上がりの練習で先生の肩をつかむから、その為の痛みかな?とも思える。これからは良い練習法を見つけたので自主トレで立ち上がりの練習はやって行こう。女の子のI先生に無理はさせられない。

12月8日 (土) 晴れ

朝外泊で家に帰る途中プールに寄る。今日はロープとロープの縁に?まってプール内を50メートル歩く事が出来た。水の中なら少しずつ良くなっているのが分かるが、家の中での移動となると思うように行かない。そこへ細々と言われると頭が痛くなる。自分だって何ともしようの無い事を分かっているのだから余計苛立つ。退院した後の事を思うと前途多難だ。

*病院内の環境は主人にとって生活上は最高の場所でした。その為看護婦さんの手を煩わす事はありませんでしたが家に帰ると私への甘えからか自分ですると時間を要するからか「やれば出来るんじゃないの?」と思えることでも私にやってもらおうとしました。その為、時間をかけてでもいいから自分でやらせようとする私との意見の相違で言い争った日もありました。*

12月10日 (月) 晴れ

週明けの月曜日。体は昨日より軽く順調であるが精神的に参っている。家に帰って思うように動けない事と俺への妻の期待の大きさのギャップだ。病院の暖かさは身体にもいいし、動けるように出来ている設備がものをいう。先が決まっているのだから余計辛い。午後疲れて昼寝をするが寝ても疲れが取れない、気分の乗らない1日であり、Gさんの歩行練習が恨めしく思える1日だった。

12月12日 (水) 晴れ

エルボメーター30Wが回るようになった。窓際で立ち上がりと屈伸60回を行うがふくらはぎがパンパンになる。相当筋肉を使っている事が伺える。壁伝いに先生の手を片方つかんで5メートル位歩いた途端、膝折れしてしまいストンと落ちた。先生はびっくりであったが俺は全然痛くもなかった。膝の屈伸をやった後とはいえ自分の実力を思い知らされた感じでがっかりする。

*私が病院へ行っていた日で、二人の後ろを歩いていましたが、急に両膝から崩れたのでびっくりしました。転んで骨折でもしたらここまでの努力が無駄になってしまいますので、転ばないように無理は禁物と常々言っておりました。私の想像以上にショックを受けており、病室へ帰ってもおやつを口にしませんでした。午前中の自主トレのし過ぎだといって慰めた記憶があります。*

12月14日 (金) 晴れ

夕方家庭訪問。K先生I先生と学生さん二人。家の中の改造については今まで言われていた事は済んでいたので見学だけで特別の指導は無かった。Oさんより塩原の温泉病院へ行ってきた話を聞く。温泉プールの中でのリハビリが魅力だ。寒い時期の退院なので暖かな温泉病院へ行きたい気もする。そうすれば家族の負担も少なくて済むし妻との口喧嘩もしないで済む。どうしたらよいものか?

12月17日 (月) 晴れ

土日とプールにも整骨院にも行けなかった為今日は身体が硬く辛い1日だった。やはり休まずにやらなければダメだという事を実感。

12月18日 (火) 晴れ

気にしていたCK値は前回同様高いまま。リハビリ室までの往復をロフストで行い3メートルの段差越えどうにかクリアする。午後鶴さん夫婦来訪。遠い所を何度も来て頂き嬉しい。久々に楽しい時間を過ごす事が出来た。早く鶴さんのように歩きたいものだ。

12月21日 (金) 晴れ

夕方外泊途中にT医大に寄りS先生にロフストで歩く姿を見て頂く。さすがに歩いた姿を見て喜んでくれる。色々と複雑な気持ちはあるが、再入院させてくれ7ヶ月半も入院させてくれたのだから感謝しなければいけない。でももう少し初期の病状を良くつかんで欲しかった。まあこれが俺の運命と言われればそれまでであるが・・・。早期発見であったはずなのに・・・。

*発病当初主治医の口から出た言葉。「1ヶ月の入院は必要ですが、最低の所まで行ってしまえば後は徐々に回復してくる病気ですからリハビリをしっかりやって行きましょう。」その言葉に主人は1ヶ月後には退院できるものと信じ、仕事にも直ぐ復帰出来るものと疑いませんでした。主人が亡くなった今も「早期発見、早期治療ではなかったのか」との疑問が残っています。*

12月23日 (日) 晴れ

午後プールへ行く。25メートルプールをロープに?まり2往復歩く。膝の屈伸も前回より良く曲げられるようになる。水の中での生活なら楽に出来るのになあ。妻は俺の休んでいる間に泳いでいる。俺にも水に浮かぶ事を奨めるが、自慢じゃないが俺は浮く事は出来ないが、沈んでいろと言われたら一生沈んでいられるよ。

12月24日 (月) 晴れ

妻が仕事の為一人で家に居る。トイレもゆっくりやればどうにか一人で出来た。居間でストレッチを中心に運動をして夕方帰院。寒さと環境が整っていない為、自宅での長い年末年始の休みがどうなる事か不安であるが、なるべく自分でやるようにしよう。

12月26日 (水) 晴れ

いつもの装具ではなくプラスチックの装具を付けて歩く事に初挑戦。左足はロックしなければ無理だったが右足はロックせずに歩く事が出来た。今まで気になっていた膝が崩れなかったのは嬉しかった。もう少し頑張れば左足も何とかなるかな。

12月27日 (木) 晴れ

年内最後のリハビリを午前中に終了する。この1年間を反省してみると昨年の今頃はトランスファも出来ず、何も出来ずの状態からロフストを使い歩けるまでになれた。もう少しという気持ちも強いのだが仕方が無いという感じもする今年1年であった。来年は気持ちを切り替えて、仕事の方にも目を向けるようにし社会復帰を目指したいと思う。

12月29日 (土) 晴れ

昨日は妻が仕事の為小六の甥と家に居たが思うように動けず不安を感じた一日だった。今日は今年最後の整骨院。その後床屋へ行きパーマをかける。来年は退院する事もあり、仕事もしなければとの思いから病気前の髪型に戻し、やる気を出そうと思い切りパンチをかけて気合を入れる。皆さん今年も一年お世話になりました。ご苦労様でした。

*来年(平成14年1月)退院を前に主人から私宛に送られた手紙です。
Y様。
長い間の看病と仕事、そして親の事本当に有り難う。大変感謝して居ります。良く長い間頑張ってくれたと思っています。今の俺には何もしてあげられず迷惑ばかりかけて、夫とは言えない立場になってしまいました。「幸せにするから」と言いながら、約束も守れず大変悲しく思っています。でも、Yの大きな協力によってここまで来る事が出来ました。自分の事を自分でやれる様になるまで、まだしばらくかかると思いますが、少し気を永くして見守って下さい。いつか又二人で旅行のできる様、頑張って行きますので待っていて下さい。
俺は本当にYと一緒になって良かったと思っています。皆に自慢のできる妻です。Yにとって自信を持って「夫です」と言われるような男となれるよう頑張るので、これからも宜しくお願い申し上げます。

平成13年12月30日           伸一*

H14.1~

平成14年 1月1日 (火) 晴れ

集落の新年会に2年ぶりに出席する。今月の半ばに退院できる事の報告をする。元気になれた事を皆が喜んでくれ嬉しかった。

*主人が集落の皆さんの前に元気になった姿を見せられたのは、この日が最後になってしまいました。主人が皆さんにお礼の挨拶をしている姿が昨日のことの様に思い出せます。*

1月2日 (水) 晴れ

Hさん来訪。一緒にお酒を飲む。午後、妻の実家へ年始に行く。元気になった事を年老いた両親、兄弟達が喜んでくれ賑やかにお酒を酌み交わす事が出来た。ただ、年老いた父の元気のない姿が気になった。

1月4日 (金) 晴れ

整骨院へ行く。休み明けの為お年寄りが多かった。久々のリハビリであったが先生の出す課題にどうにか応えられた。その帰りにTさんの店に寄る。移転の話を聞いていたのでお祝いを届けに行ったのだが4月との事だった。この不景気に自己資金で土地購入が出来るのだから大した者だと思う。開店までには歩けるようになってお祝いに来たいものだ。

*この時兄のように慕っていたTさんが、この後主人と同じ胃癌でしかも主人より後に手術をしたにも関わらず、7ヶ月も前に逝ってしまうとは想像もしない事でした。*

1月5日 (土) くもり

寒い一日であった。午前中は家の中でストレッチをするだけだった。午後プールへ行く。自分を含め5人位であったので大変静かである。退院した後一人で家にいる事は出来るが、思うようなリハビリが出来ない事が不安である。暖かくなるまでの2~3ヶ月をどの様に過ごすかが難しい。

1月6日 (日) 晴れ

今日50歳の誕生日を迎える。まさか病院生活中に迎えるとは思わなかったが仕方の無い事だ。午前中Sさん、K君来訪。帰院後看護婦のKさんとの話で18日に退院する事とする。後何日もないが頑張りたい。いつまでもいられないので覚悟はしていたものの退院日が決まると大変である。

*帰宅中の誕生日でしたので、外食でもと思ったのですが「外には出たくない」との事でした。車椅子での外出を嫌っていました*

1月7日 (月)晴れ

PTは部屋からPT室まで歩いて行き、筋力は落ちていないと言われる。OTは学生さんの実習の相手をし、その後立ち上がりとバランス(立位)をする。こちらも筋力は落ちてなく体の硬さも思ったよりは良いとの事。これなら退院しても安心だと言われる。整骨院やプールに通っていたとは言えず、苦笑いというところだ。自分ではやらなかった割には力が付いているように思えるのだが。

1月8日 (火) 晴れ

OT、PT共に筋力は年末より良いとの言葉。年末年始そんなに運動をしていたわけではないのに皮肉な言葉だった。もしかしたら今までやり過ぎていて結果が出なかったのかと疑いたくなる。でも、今までこれだけやって来たからこれだけになれたと思いたい。果たしてどちらか分からないが今朝の採血の結果はいかに・・・・・。CK値今までになく高く、260との事。下がっている事を願っていたのに上がっているとはショックだった。Iさんに病棟へ帰る途中に会う。自分も大変な彼女が俺らを励ましてくれる。なかなか出来ない事と感謝する。夕方、妻が姪の書いた手紙を届けてくれる。もう少し我が家にいてくれそうだ。寂しさが先送りになったような気分である。
でもどこかでは別れるわけだから覚悟!!!

1月10日 (木) 晴れ

外用の装具の型どりを行う。今年の春から夏にかけて、これで外を歩いて力をつけなければという気持ちになる。

何とかこの装具で歩けるように頑張らねばと思っている。

1月12日 (土)

昨夜は妻の都合でめずらしく病院で過ごした。外泊の人が多く寂しい夜だった。朝迎えに来てくれた妻とプールに寄ってから帰宅する。水中で100メートル歩き膝の屈伸を50回。少しずつではあるが力がついているような気はする。

1月13日 (日) 

家で自主トレ、ストレッチをして過ごす。夜集落の集まりで若い人がどんどん意見を言うようになって来たとの事。

大変良い傾向であるが、自分だけがなんとなく取り残されるような気がして寂しい。

1月14日 (月) 晴れ

午前中家で自主トレをして午後帰院。夜有ちゃんが成人式の和服姿にて帰院。とても可愛らしかった。色々な思いが入り混じり涙がでた。

*なぜか主人は娘や息子のような年頃の人に慕われておりました。普通でしたら傍に近づくだけでも嫌われる年齢の人たちにです。かと言ってその会話は父と娘のようなものでは無く友達同士のような会話を楽しんでいました。退院後も電話やメールの交換が続いていました。*

1月15日 (火) 晴れ

千ちゃんと有ちゃんに手紙を書く。有ちゃんにはどんな言い方をしたら良いのか言葉を選ぶのが難しかった。とにかく自分の思いを変に飾らず書くことにした。

1月16日 (水) 雨

久しぶりの小雨の一日。リハビリもいよいよ明日一日となる。有ちゃんも明日家庭訪問でいないとの事なので手紙を渡す。18日に俺が退院するまでは開けない約束をする。なんとなく言葉を選んで手紙を書いたので難しかった。進行性の病気の有ちゃんだから難しい。彼女にも無理のない程度に頑張って欲しい。 

1月17日 (木) くもり

PTは病室とPT室間を往復で歩く。その後筋力測定。OTはストレッチ。入院生活最後のリハビリが終了する。後は自宅でどれだけ出来るか自分の精神力にかかってくると思う。とにかく頑張ってどれだけに為れるか。やらなくてはと心に誓う。

1月18日 (金) 晴れ

皆に笑顔で送られての退院であるが不安のスタートでもある。今までは温室の中でぬくぬくとしてきた感であるがこれからはそうは行かない。自分の精神力を強めていかなければ持続するのは難しいと思う。

*皆さんには「これだけの病気に立ち向かって来た精神力の強い人」と思われて来ましたが、自分では「弱い人間だ」と自分を評していました。今思うと頑張りやで努力家、本当に強い精神力の持ち主だったと思います。*

1月20日 (日) 晴れ

寒い一日だった為、集落の会合には出席しなかった。父に親戚への快気祝いを配ってもらう。いよいよ病院から離れたという感じだ。ちょっと寂しいというか追い出されて怖いという気持ちが強い。

1月21日 (月) 雨

午後、徳さんの紹介でマッサージに行く。良いといわれるものは何でもやって見ようという心境だ。自分の仕事が忙しいにも関わらず俺の施術中ずっと付き合ってくれていた。有り難い友である。

1月23日 (水) 晴れ

午前中温室へ行って歩行練習をするが、思うように歩けずこれから先が不安になる。体重ばかりが増えて筋力が落ちてはどうしようもないので、ミニサイクルを午前と午後両方やることにする。病院とは全く条件が違うので自分で考えてトレーニングをして行かなければならない。

1月24日 (木) 晴れ

一週間ぶりの初めての外来である。11時の診察が12時過ぎになり、その後PTとOTだったので1日がかりとなり疲れてしまった。PT、OT共に筋力は落ちていないと言われたが、筋力をつけて行かなければならないのだから大変なのだ。夜Hさん来訪。久々に世間話を聞く。やはり歩けない辛さはたくさんあった。

1月25日 (金) 晴れ

午後S氏来訪。世の中大変な話をして帰る。皆で不景気を嘆いているが身体が自由になって何処へでも歩けるのだから良い。俺なんか誰もいなければコタツに入っていつも一人ぼっちなのだから・・・・・。

1月27日 (日) 雨

快気祝いを配りたかったが雨も降っているし昨日の疲れも残っている為、一日家でごろごろして終わりになる。それにしても歩けないという事の情けなさ。本当に嫌になってくる。今我が家では携帯のメールにはまっているが、メール等より何処へでも出かけて行って話が出来る方がどんなに良い事か。夜息子来訪。相変わらずの生活をしているようで心配である。先々の事も考えていかなければならないだろうし、自分の身体が恨めしい。

1月28日 (月) 晴れ

整骨院へ行って筋力が落ちているとの指摘を受けがっかりする。ストレッチは十分やっているつもりだが、やはり歩かなければ足の力はつかないらしい。午後プールに行き水中を歩いたが、動きは変わらないように思える。

だが外へ出るとダメなんだなあ。思うようには行かない。

*病院の日以外は私も仕事をしていましたので、自宅での歩行訓練が思うように出来なかった事を不満に思っていたようです。*

1月31日 (木) 晴れ

2回目の外来でのリハビリ。一日がかりとなってしまい疲れて帰宅する。午後介護用のベッドが入ったので今度は立ち上がりの練習も出来る。夜、のらくろの友人達が集まってくれ久しぶりに賑やかな時を過ごす。

H14.2~

2月1日 (金) 晴れ

T医大のS先生の配慮で、近くの病院でのリハビリを火曜日と土曜日に受ける事になる。午後マッサージに行く。前回よりも少し良いように思える。足をマッサージしてもらったので血の流れが良くなったように思う。

2月2日 (土) 晴れ

午前中整骨院へ行き、午後から快気祝いを配りに行く。Tさんは房総のへ旅行中で留守だった。旅行に行けるのは何とも羨ましい限りだ。

2月4日 (月) 晴れ

午前中、徳さん来訪。社協を利用してリハビリをしてはどうかとの事。色々気を使ってもらい有りがたい。早速午後社協のIさんが訪れてくれ、ベッドを借りる事やヘルパーさんによる歩行訓練などの提案が出る。 週3回お願いしてみる事にする。

*友人がいろいろ心配をして下さり、実費で借りていた電動介護用ベッドも無料で借りれるよう手配をして下さる。*

2月5日 (火) 晴れ

午後、病院でのリハビリ。PTは腹筋と歩行練習と足首のストレッチ。OTは可動域と筋力測定で終わる。今まで言われなかった所とか、やり方も指摘されまたやる事が増えた。やはり膝の力の無さを実感する。

2月7日 (木) 晴れ

I大でのリハビリ。今日は車椅子を持たないで行って見た。そのせいか歩行距離は今までにないくらい長く思えた。体重も63kgと増えが止まったようだ。PTにて足の筋力は付いていると言われるがなかなか実感が持てない。

2月9日 (土) 晴れ

自主トレでミニサイクルを30分2回行う。ふくらはぎがぱんぱんにはっている。少しずつではあるが膝上げをすると上がるようになって来た。でもやり過ぎると尻っぺたの奥の方が痛い。午後整骨院へ行く。自分では少し力が付いて来ていると思うのだが、先生からは何の言葉もかけてもらえない。客観的に見ると変化が見られないのかなあと思い、なんとなく辛い。やってもやっても結果が出ない程辛い事は無い。

2月11日 (月) 晴れ

午前中マッサージへ行く。歩行練習も前回よりは良くなっていると思うが足の冷たさは良くならない。血行を良くして神経の回復を待つほかないのだろうがなかなか思うように行かない。一番辛いのは夜中2時3時に足が冷たく目が覚めてしまう事だ。そうなるとお尻が痛くなり余計辛い。寝ていても座っていても辛い所は同じだ。本当に嫌になってしまう。

2月12日 (火) 晴れ

午後病院でのリハビリ。通院の為のボランティアを試しにお願いしてみる。60歳の男性で、移動については素人という感じだ。「膝が崩れてしまうから膝をブロックしてもらいたい」と言ったが理解できず。片麻痺の人を扱った事はあるのだろうがボランティアさんでは無理なようだ。リハビリについては先生も良くやってくれるので、休まずに通いたいと思うのだが妻にばかり負担はかけられないし、いくら焦っても膝の力は付かないし、ストレスが溜まるばかりだ。

*近くの病院だった為、ボランティアさんに送迎だけでもお願い出来れば私の負担も小さくなる為、試しにお願いしてみましたが上手く行かず、2度とお願いする事はありませんでした。やはり私には大きな信頼を寄せていたようです。*

2月14日 (木) 晴れ

I大外来。一日がかりになってしまう。CK値を見てもらう為採血もしてもらう。足の筋力を付ける為、車椅子を使わずに移動して来たが結構きつい。OTもPTも膝の力は付いて来ているという事なので、これからも車椅子無しで通院する事にする。立ち上がりも座面が高ければ、上体を前に傾ける事によって立ち上がれそうである。このまま止まらずに良くなってくれと祈る。

2月15日 (土) 晴れ

午前中妻の仕事も休みの為ゆっくりする。午後病院でのリハビリ。車椅子を使わずに歩いて行く。行く所は何処でも良くやってくれるので有り難い。ただ行く所は多くなっているのに送迎が問題だ。妻の負担ばかりが多くなってしまい可哀想だ。だが安心して任せられる人がいない為、妻にもうしばらく頑張って欲しい。

2月17日 (日) 晴れ

午前中プールへ行く。しばらく行かなかったので、少しは良く歩けるようになったかなと思ったが、思うようには歩けなかった。一緒にリハビリしていたH君も来ていたが、彼は上手に歩いていた。病気が違うので比較しても仕方の無い事だがやはり気になる。

2月19日 (火) 晴れ

午後病院でのリハビリ。歩行練習はリハビリ室内を10周300メートル位歩ける。妻との自主トレという感じだ。自分で出来る人はどうしても自主トレになってしまうのだろう。やはり自分のやる気の有る、無しになってしまうのだろうが、今日はちょっときつかった。夕方ラーメンを食べて帰る。時には外食もしたいのだが現状ではなかなかきつい事ばかりだ。

*この日は自分から外食を言い出しました。大変な時期に見舞ってくれていたご主人のお店でしたので、車椅子を使わず杖を付いて歩いている姿を見て欲しかったのでしょう。「又、来ます」と別れましたがこれが最後になってしまいました。*

2月21日 (木) 晴れ

I大リハビリ日。入院中一緒に頑張ってきていた人達の姿も大勢あった。皆さん、元気が無くなっていたり、痩せたり太ったりでそれぞれに大変な様子が伺える。なんとなく惨めな気持ちになってしまう。もう少し暖かくなったら是非一人で好きな所へ散歩出来るような形になっていたい。

2月23日 (土) 晴れ

今朝2時に有ちゃんからメールが入っていた。時間が遅かったので、忙しかったのだろうがちょっとびっくりした。彼女の場合、家に帰っても大変な事は前から解かっていた事なので想像がつく。俺だって毎日大変なのだから・・・。でも、何とか頑張って生活して行って欲しいものだ。彼女は外出する事が難しい事になってしまうだろうから、こちらからメールでのエールを送ってあげたい。

2月25日 (月) 晴れ

社協のヘルパーさんが二人で来てくれる。体が硬いうちの運動だったのでちょっときつかった。外へ出て歩いてから玄関に入るのに苦労した。歩く前に膝の屈伸等を多めにやったせいもあるのだろうが、ヘルパーさん一人の時に困らないように玄関前に板を1枚敷いてみる事にする。

2月26日 (火) 晴れ

午後体調が思わしくなくリハビリを休みにする。精神的に鬱状態だと思う。体は思うように動かないし、妻の期待は大きいし、どうしようも無いほど苛立つ。もうどうでもいいやという気にさえなっている。夜は眠れず、2時頃まで目がさえていらいらするし焦りと不安の毎日だ。

*大きな期待をかけていたとは思いませんでしたが、これ位出来るからやって見ての言葉がプレッシャーになっていたようです。*

2月28日 (木) 雨

I大外来日。主治医診察の折、膝の腱反射を調べたところ、今回はびっくりするほど反応があり自分でも驚いた。先生も良い方向へ向いていると言ってくれ嬉しかった。なんでこの位の事が今までに無かったのかと思う。しかし、少しでも戻っているという事は嬉しい事だ。明日より3月。暖かくなって来るので今までよりは良くなってくると思いたい。

H.14.3

3月1日 (金) 晴れ

午前中、リハビリに病院へ行く。S先生の診察は話を聞くだけの形式的なものだった。筋肉の反射がわかる様になってきた事を喜んでくれる。長い間何の変化も無かっただけに、少しでも戻って来たのは嬉しい事だ。

足首の方も、もう少し良くなってくれればいいのだがなあ。

*T医大のS先生が近くの病院へ週1回見えており、そこでリハビリを受けられるように手配をして下さり、週2回外来での通院が可能な状態でした。病院以外の日は家にヘルパーさんが派遣されて来ており、ほぼ毎日のようにリハビリ漬けでした。*

3月2日 (土) 晴れ

昨日に引き続き病院でのリハビリ。300メートル歩くのはきついがそれを目標にして歩く。手の方も少しずつだが良くなっている様に思える。Mさんからのメールにも「1日ではなく毎日の積み重ねがものをいう」と書かれていたが本当にその通りなのだ。焦る気持ちが大きいが言われる通り、でも急に変わる事が無い事にやはり焦りを感じる。明日は、遙ちゃんの初節句であるが挨拶の言葉をまだ考えていない、これもまた焦る。

3月3日 (日) 晴れ

遙ちゃんの初節句。挨拶をせよと言う事なので夕べ一生懸命に考えた言葉を述べた。会場内をロフストだけで歩いて移動が出来た。出席者の皆が車椅子を使わず歩いた姿に「良くなって良かった」と喜んでくれた。心配をしてくれた方々と顔を合わせお話が出来た事が嬉しかった。午前10時に家を出て夕方の6時に帰宅したが、たいした疲労感も無く普通の生活に近いものだった。これで歩けさえすればなんという事はないのだが・・・。

*念の為に車椅子を持参したのですが「ロフストで歩くから車椅子は降ろすな。車椅子を使用するならここから帰る」と言う始末。折角の皆さんに会える機会を「歩く姿」で華々しく飾りたかったのですね。*

3月5日 (火) 晴れ

病院でのリハビリ。やる事は毎回同じメニューだ。将来の結果を夢見て黙々とひたすらリハビリするのみなのだろうか。どうしてもマンネリ化すると休みたくなってしまうが、それを我慢して我慢してリハビリして行くほかないのだろう。午後社協よりベッドを借りる。無料で借りられるのは有りがたい。ベッドの柵の注文にHちゃんの旦那が来るが、以前病院に来てくれた頃と比べると大変良くなったと喜んでくれる。(最初は同一人物と思えなかったと言う)そう言われて嬉しかった。

3月7日 (木) 晴れ

I大でのリハビリ。Tさん、千ちゃんと一緒になるが二人とも同様であるようだ。その後T医大へ寄る。K先生も喜んでくれた。腱反射の話をすると驚かれる。「今頃になって普通の足に戻るなんて・・・ずい分経つのにね」という事だ。東6階に顔を出す。婦長さんがいて良くなった事を喜んでくれる。大変お世話になった所であり看護婦さんの顔も懐かしかった。考えてみれば俺はここに通算1年4ヶ月もいたのだから仕方の無い事だろう。顔は懐かしいけれど二度と戻って来たくない所だ。

*この日病院で計った体重が65キロになっており、まさかこの1ヵ月半後に胃癌の宣告をされるとは夢にも思わず(胃癌は痩せるとの考えしかありませんでしたので)ましてこの病院へ再び入院する事になるとは思ってもいない事でした。*

3月8日 (金) 晴れ

午前中ヘルパーさんと歩行練習をする。午後整骨院へ久しぶりに行き、帰りにIちゃん宅へ寄り運動器具を見せてもらい試して見る。立ち上がりの器具は無くとももう少しで何とかなりそうな気がする。以前病院にいた頃のIちゃんの元気さがなかったのは、リハビリの疲れかストレスかという感じだ。皆それぞれに苦労しているんだなと思う。

3月10日 (日) 晴れ

久しぶりの休養をとる。木曜日にI大、K医大と続けざまに歩いて来たのでちょっと筋肉痛気味だ。時にはゆっくりするのも良いかと思い、妻とゲームをして一日過ごす。

3月12日 (火) 晴れ

午前中ゆっくりして午後病院でのリハビリ。患者さんが多く自主トレのような感じになる。夕方自宅で立ち上がりの器具を使ってみたが、膝の上が痛かったのでその辺の筋肉に動くのだろう。何とか早く立ち上がり膝が崩れないようになりたい。

3月15日 (金) 晴れ

テレビで桜の開花の報道がされるようになって来た。だいぶ暖かくなった訳だ。木々の新芽がふくように神経も芽が吹いてくれるといいんだが思うようには行かないものだ。立ち上がりの練習も始めたが膝の上の筋肉が痛くなってしまう。やはりこの辺の筋肉が無いのだろう。少し多めにやりたいのだがやりすぎると逆にマイナスになると思い我慢する。思うようにいかずストレスが溜まる。いろいろ考える事が多くいらいらしてたまらない。又家の中にばかりいると見なくてもいいことまで見えてしまうから余計に苛立つ。わかってはいるのだが・・・。

3月16日 (土) 晴れ

午前中プールに行きたかったが寒いので中止にする。午後病院でのリハビリ。いつも通り自主トレに近い感じだ。脳外は急性期の患者さんが多く重症な人が多いが早い時期に回復する人も多いので驚く。この前眠っていた人が1~2週間で話をしているのだから。俺みたいに変化の見られない患者はどうしても自主トレになってしまうのだろう。

3月17日 (日) 晴れ 

流山のYさんへ快気祝いのお返しを届けに行く。これで全ての人へのお返しが完了する。初めての高速使用で料金半額は有りがたいが、出来る事ならこんな物いらない様になりたいものだ。夜弟がパソコンを持ってき
てくれる。明日より少しずつ勉強したい。

*指のリハビリにもなるとの思いから弟に購入をお願いしていたパソコンが我が家へ。兄の退院を祝ってプレゼントしてくれると言う有りがたい言葉に気持ちだけを頂き、新しい物への挑戦で家の中にいても他の事に目を向けられるようになった事を喜びました。*

3月18日 (月) 晴れ

もう本当に春という天気だ。ヘルパーさんとストレッチ後に外を歩いたが気持ちが良かった。早速パソコンの入門編を案内に沿ってやってみるが結構疲れる。特に目が疲れた。

3月20日 (水) 晴れ

午前中ヘルパーさんといつも通りのリハビリ。夜鶴さんより電話が有りMちゃんが23日に来るので食事に誘われる。鶴さんは自分で移動が出来るから良いが俺はそれが出来ない事が辛い。でも会いたい気持ちが大きく出かけることにする。

3月21日 (木) くもり(大風)

お彼岸の中日であったが風が強かったので外出せずに一日家の中で過ごす。パソコンを買った為妻とトランプゲームにはまり夜も遅くまでやるようになる。こればかりやっていると運動不足になってしまうので気をつけなければ・・・。

3月23日 (土) 晴れ

午後リハビリ後学園で鶴さん夫婦、Mちゃんと会う。鶴さん杖が外れる。杖なしというのは素晴らしい事だ。俺をしても希望の持てるところだ。ただそこまで行くのにどの位かかるのか。それが気にかかるところだった。

3月25日 (月) 晴れ

へルパーさんに「少し丸くなったね」と言われる。気をつけなければと反省する。夜鵜の岬で夫婦揃っての「のらくろ新年会」車椅子の俺を気遣って身障者の宿泊できる宿をとってくれた。有りがたい友である。あまり飲めなかったが楽しかった。

3月26日 (火) くもり

朝食後現地解散。妻の実家に寄って彼岸に行けなかった為お墓参りをして帰る。妻は車に乗っていても良いと言ったが降りてお参りがしたく、入り口の坂が気になったが妻の手を借りどうにか上れた。帰りは後ろ向きで下りたらスムーズに下りれた。夕べ寝返りが出来なかったせいで少し体が痛い。

*主人の為になかなか予約の取れない宿を苦労して取ってもらい、ホテル内の移動は全て友人達の手で。夜皆が体の不自由な主人をお風呂に入れてくれるといってくれた言葉が嬉しかったと帰宅後申しておりました。*

3月28日 (木) 晴れ

I大でのリハビリ。診察が入ると1日がかりになってしまう。その割りにはリハビリの時間が短くなってしまう。折角の1日なのだからもう少し長くやってもらえると良いのだが・・・。採血と体重測定をしたところ66キロもあった。今までに無く最高に重い。(発病前の最高体重は63キロだったのに)家のコタツの上には妻が俺の好物ばかりを載せてあるし・・・。ダイエットをしなければならない。

*亡くなった時の体重を思うと涙が出てきます。この時点で既に胃癌の病に蝕まれていたはずですが、体重は減る事はなく増える一方でした。胃癌の人は痩せるとの考えが翻されました。*

3月30日 (土) 曇り

病院でのリハビリ。木曜日にI大で装具の角度を変えたので思うように歩けず腹筋も落ちている感じだった。体重が増えて筋力が落ちていたのでは話にならない。また膝の痛みがちょっと歩いただけで出るようになってしまった。装具の角度を少し変えただけなのに膝にかかる負担は大きいのだろうか。無理しても歩けば膝の上に力がつくのだろうが、無理し過ぎてもまずいだろうと悩む。

14.4

4月2日 (火) 晴れ

百ちゃんの義父葬儀の為脳外のリハビリを休みにする。14年間介護を受けた生活に終止符。ご家族もご本人も大変だったろう。 俺も2年が過ぎてしまった。何とかしなければという追い詰められた気持ちに迫られる時もある。そしてそのせいかな、時々胃が痛い時がある。

*今日のこの記述。私には胃の痛みを訴えませんでしたので、日記を見ていなかった私には全く知る事のない事実でした。*

4月3日 (水) 晴れ

暖かい一日だった。午後中学の恩師S先生退職の挨拶に来訪。いろいろな教育界の苦労話をされて帰られる。どの業界でも苦労は多いようだ。夜、Hさん仕事の帰りに寄って下さる。年に数回山登りに行く楽しい話を聞く。俺はいつになったら低い山でも登れるようになることやら・・・。

4月4日 (木) 晴れ

I大へ行く途中腹痛でひどい目にあう。こういう時自分の足でトイレに行けない事を恨めしく思う。辛い、惨めだ。早く自分の足で歩けるようになりたい。

4月6日 (土) 晴れ

昨日ぺルパーさん二人の肩をかり、歩行練習をした。両方で支えてもらうと軽い感じで歩けるのだが、片方だけの支えだと思うように歩けなかったのが面白くなかった。今日の午後脳外でのリハビリ。腹筋の回数が前回より多くなった。一回でも多く出来ると安心出来る。少ない時は不安を感じる。そしてストレスが溜まる。夜妻の実家の兄より電話で父の具合があまり良くないとの事。妻に父のもしもの話をされると寂しい思いと自分の事を重ね合わせ辛かった。

4月7日 (日) 曇り

午前中妻が父の様子を見に行って、午後は友達が来訪。プールへは行けず終いとなる。なかなか思うようには行かない。でも、毎日のリハビリで日曜日位は休みにしても良いのかもしれない。

4月10日 (水) 曇り

午後T子さんと弟さん来訪。20年前にギランバレー発症で現在は普通に生活している様子を見ると、将来自分もこのようになれるのかと希望が湧いてくる。くれぐれもやり過ぎないようにとの忠告を受ける。肝に命じよう。

*同じ病気で仕事復帰までに2年を要したKさん。発病当初の人工呼吸器を装着時にご自分の辛かった体験を話して励まして下さり退院後も自宅へ見舞って頂き、励まされた事に大変感謝をしていました。*

4月11日 (木) 曇り

I大、秋篠宮御来訪という事で警備が大変であった。診察も混んでおり2時間待ちであった。その後Iさん宅に寄る。入院時よりも病状が進行しているようであり、かける言葉を選んでしまうような状態であった。良くなっている人を見れば、俺も頑張らねばと思うが、その反対の人にはなんとも言われぬ寂しさを感じてしまう、辛いところだ。

4月13日 (土) 晴れ

午前中プールへ行く。久しぶりのプールで疲れる。水の中ならもう少し歩けるかと思ったがそれ程良くはなかった。ただし腰を支えてもらえば?まらずにどうにか歩けた。これでは水の上に出てはどうしようもないところだ。

4月14日 (日) 曇り

1日休養日となる。昨日午前と午後リハビリに精をを出したので時には良いかと、指のトレーニング位とする。指は自分で出来る所なので、常に意識して動かすようにしているのだが、筋力は殆どつかないといっても良い位だ。それでもやらなければ筋力は付かないし前進しないのだ。

4月16日 (火) 曇り

脳外のリハビリ。側位になって足上げ、足を引く等新メニューが入る。以前医療大に入院中やっていたが暫くやっていなかった。もう一度、いろいろな方法を思い出してやり直して見たい。今年はいつもより早く新芽が吹き出し、もう藤まで花の咲く時期となってしまったのに、俺のリハビリは牛歩よりも遅い回復となっている。もう少し早く回復してほしいものだ。

*この日はじめて「空腹時に胃が痛む」と言い出しましたので胃カメラの予約を入れました。まさかこれから1年半の癌との闘いが待っているとは想像もしていない事でした。*

4月18日 (木) 曇り

医療大OT、I先生体調不良の為休みとなる。PTも2週間に1回の予約となってしまった。だんだん自分の力で頑張って行かなければならなくなって来ている。昨日頂いた筍を見ていると生命力のたくましさ、成長力の速さをつくづくと感じる。遅いのは俺だけという感じだ。

4月19日 (金) 曇り

胃カメラを飲む。前回同様苦しかった。その上潰瘍が2つも出来ていると言われショックだった。でも今は良い薬があるという事で薬を飲む事になる。やはりストレスからかなあと自分でも思う。もう少し気楽に生活して行ければ良いのだろうが、なかなかそうも行かないところが難しいところだ。

4月21日 (月) 雨

身体も精神的にも疲れているようなので、天気の悪いのを良い事にゆっくりした一日だった。あまりリハビリ、リハビリと考えないようにしていると胃の痛みも軽いような気がする。また薬のお蔭もあるのだろうが・・・。ただ一日ぶらぶらしていても腹がすくのは事実である。腹がすかなければ太らずにすむのだがなあ。

4月23日 (火) 曇り

午後脳外でのリハビリ。起立台で腹筋35回行うが暫くして筋肉痛が出る。ここのところ膝立ちも静止して出来る様になって来たがその時、腹筋とお尻の筋肉を使うので筋肉痛を感じる事が多くなっている。少しずつ腹筋は付いているのだろうが、思うように行かないのが辛いところだ。PTもOTも自主トレだった為早めに切り上げて帰宅する。

4月25日 (木) 曇り

今日はI大がOTだけなのでキャンセル。午後テレビのアンビリーバボーを見ていたら、北海道の脊髄を手術して「歩けない」と宣告された女の子のドキュメントをやっていた。奇跡としか言いようのない事だろうが、今現在保育園に通い這って歩けるようになっていた。奇跡の中には本人のやる気が大切であるとの言葉。自分でも大事な事だと気持ちを引き締める。

4月26日 (金) 曇り

午前中脳外よりTELあり。先日の胃カメラで気になる事がある為T医大でもう一度検査を受けるようにとの事。ショックである。自分では薬を飲み始めて痛みも無くなって来ていたので良いのだろうと思っていたのに・・・。もう一度検査と言われると不安になる。体重も減っていないので癌ではないと思うが、はっきりしない限り不安は消えない。もう一日も早く病院とは縁を切りたいと思っているのに、病気が増えてしまうのは困ったものだ。妻の事もあるので、自分の事位は自分で出来るようになりたいと焦る気持ちが大きいが焦ってもどうしようのない。出口の見つからない迷路に迷っているようだ。

4月27日 (土) 曇り

この所進歩が見られず、胃の方も再検査と言われなんとなく落ち込み気味の日々である。口ではつまらない冗談を言ってはいるが思うように行かないイライラが募る。もうどうでもいいという投げやりな気持ちになってみたり、思い直してみたり、ここのところ情緒不安定というところだ。再検査の結果が出ない事にはどうなる事やら・・・。弟親子に平行棒を庭に作ってもらう。これから少しずつ真っ直ぐ立って歩く練習をしたい。

4月29日 (月) 晴れ

明日の受診を前に気持ちがいらつく。いらいらする事が一番良くないのは分かっているのだが、細かな事にもついつい目がいって怒ってしまう。情緒不安定だ。妻には申し訳なく思うのだが甘えているのかもしれない。

4月30日 (火) 雨

T医大朝一番に出かけて帰宅は夜8時になってしまう。お昼も食べず胃カメラは4時、病院を出たのが6時。いくら連休の間で混んでいたとはいえ酷い状態だ。2日にも検査をするとの事。これから半月検査づくめでうんざりだ。思わしくない結果が予想されるのだろうか。明日から半月間ドキドキの日々となってしまう。疲れと不安とで参った、参った。
そんなわけでS家の上棟式に行けず終いとなってしまった。

*この日主人が胃カメラを撮っている時間に診察室に呼ばれ「胃癌です」との宣告を受ける。「えっ?癌ですか!今痩せるどころか太りつつあるのですが」と言うのが精一杯でした。全ての検査が終わるまで「癌」告知はしないで欲しいとお願いしました。主人に涙を見られ無いように、私の動揺を悟られないように必死でした。泣き虫の私にとってこの後の半月は辛い毎日でした。*

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