癌・ギランバレー☆闘病記

二つの難病を抱えた夫の闘病日記

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10月1日 (火) 雨
台風の影響で雨降りである。3クール1回目のタキソール点滴。白血球の数も大丈夫との事で無事終了。点滴中は眠くなってよく寝ていたが、吐き気やだるさは無くなった。食べる方も少しずつではあるが量も増えて来ている。精神的にも安定してきた気がする。このままの状態が続いてくれればいいのだが・・・。今年も残り3ヶ月。どんどん寒くなって気が滅入るが前向きに一歩一歩前進するのみである。
10月3日 (木) 曇り
何と言うことのない平凡な一日。リハビリもいつも通りである。とんちゃんの結婚も決まりこの家を出て行く日も近づいて来る。
今日は彼氏が来る。今まで妻の話し相手になっていた姪がいなくなるのは寂しいが幸せになって欲しい。
10月5日 (土) 晴れ
午後整骨院へ行く。前回は胃癌の手術後初めてであったので様子見であったが、今回はみっちりとやられたので膝周りの筋肉痛が出たようだ。客観的に見ても激しい運動ではないのだが筋肉痛になり力の無さをしみじみと感じる。ショックだった。
10月6日 (日) 曇り
昨日の筋肉痛で体も心も疲れている。そこへ妻のいった一言が気になり爆発する。俺は俺なりに一生懸命やっているし・・・。
妻は妻なりに一生懸命にやってくれている。お互いに頭では分かっているのだが・・・。

*お互いに気を抜く事をせず、頑張り過ぎていたようです。今はリハビリよりも癌の治療に重きをおいて欲しいと思う私と何が何でも歩きたいという強い意志を持っていた主人。スキルスである事を知らずにいた主人との会話は難しいものもありました。*

10月8日 (火) 曇り
3クール2回目のタキソールの点滴。眠けの他は吐き気も無く終了するが食事が入らなかった。胸がつかえて下がりが悪い。
妻は「ゆっくりでいいからもう少し食べて」というが食べたくても食べれない事を理解して欲しい。
10月10日 (木) 晴れ
I大、T医大神経内科診察。話を聞いただけで終わる。I大に再入院していたOさん。以前に比べ元気がなかったので寂しく思う。
今日はちょっと無理をしてロフストで歩いてみたが距離が長かった為少しきつかった。
10月12日 (土) 晴れ
昨日より今日の方が疲労が激しく休養日とする。ミニサイクルもやる気がせず休む。
ろくに無い筋肉が痛いと言って悲鳴をあげている悲惨な結果である。
10月14日 (月) 曇り
妻は実家の手伝いに行く。この所気分の乗らない日々が続いておりイライラの連続であったが、今日は一人の為妻に当たる事が無いので助かった。看る方も長いので大変だろうが看られる方も辛く惨めである。

*体調が悪く思うようにリハビリが出来ないでいた為、イライラが募って「どうして?」と思える事にまで当たっていました。*

10月15日 (火) 曇り
3クール最終の点滴日。連休明けの割には消化器科は混んでいなかった。白血球の数値もどうにかクリア。ただこの所副作用からか食欲が無い。無理をして食べるが下がりが悪く、吐きたいが吐くものが無く苦しい思いをする。髪の毛もずい分抜けてきていて妻が帽子を買って来たが俺は帽子は嫌いなんだ。
10月17日 (木) 晴れ
キャンターを売却する。植木やをやって来て一番欲しくて造った車である。自分でも思い入れのあった車。大切に乗って来た車。その車が今日車庫から消えた。寂しい。セルシオなんかからみるとはるかに大切なものだったのに、自分の体の不甲斐なさが恨めしい。涙が出た。もう俺にはどうしようも無い事なのだろうが・・・。心にぽっかり穴が空いたという感じだ。

*2年10ヶ月、主人公を失い車庫に納められたままの車が、主人公の判断で売却された。もう一度この車に乗って仕事に復帰する事を夢見ていた主人が手放す事を決めた。この時の思いを今改めて知らされました。*

10月20日 (日) 曇り
久しぶりに夢を見た。ロフスト1本でバスに乗っている夢だった。途中でロフストを忘れて来て捜し歩いているものだった。正夢になってくれれば良いのだが・・・。ロフストを使わずに歩けるようになるまでにはまだまだ時間がかかるのだろうなあ。正夢になる事を願って頑張ろう。
10月22日 (火) 曇り
今日は3クールの一週休みの為ゆっくりする。抗癌剤の点滴も残り1クールとなる。頭は脱毛が進みずい分薄くなった。「禿げて来たという事は薬の効き目が有効」という事だと友人に励まされる。
10月23日 (水) 晴れ
I大PT。T先生、別に変わったメニューは無かったが運動し過ぎの心配をされる。オーバーワークになると逆に筋肉を傷めてしまうといわれるが、他にやる事も考える事も無い為ついついやり過ぎてしまう。わざわざ病院まで出向いて来て受けるPTでは無い様な気もするが、再入院の事もあるし病院内を歩く事も大いにリハビリになると思い通院している。
10月24日 (木) 雨
パソコンのインターネットを接続してもらう。早速ギランバレーのページを見る。俺よりも重症の人の手記が出ていた。
初めて俺よりも重症な人を見つける。読んでいるうちに自分の時と重なって涙が出て困った。7年過ぎても車椅子の生活のようだ。5年が過ぎて旅行にも行くようになったようだが俺にはまだそこまでの心の余裕が無いのが現状だ。これからはパソコンを通していろいろな情報を得たいと思う。
10月25日 (金) 晴れ
天気も良い為ヘルパーさんと外を歩く。有ちゃんよりメールで今日が誕生日であった事を知る。一昨年発病し早ければあと6ヶ月の命といわれたのに今もこうして頑張って生きているという。青春の一番良い年齢なのに電動車椅子での生活を強いられている。何と言っていいのか・・・。言葉が浮かんでこない。とんちゃんの結婚式への出欠の話題になる。妻が俺の体調が悪い時は「とんちゃん、もし出れなかったらごめんね」と言っていた。
10月27日 (日) 晴れ
午後K氏来訪。彼も心臓の方で半年に一度の検査入院をしているとの事。なかなか病院とは縁を切れなくなってしまったようだ。
年が大きくなって来るとろくな事がない。でも俺よりははるかに良いだろう。天気も良かったので外へ出て平行棒を10往復する。妻に「無理をしないで」と言われるが今日は調子が良かった。
10月29日 (火) 晴れ
天気は良いが風が強かった。4クール1回目。血液検査も良く順調ではあるが、点滴後吐き気がして体調不良。
10月31日 (木) 曇り
インターネットのオークションを見ていたらデリカワゴンの身障者仕様が出ていた。下値30万円よりであった。乙武さんの乗っているような車だった。俺でも乗れそう?であるがなかなか決心はつかない。乗りたい気持ちは山々であるがはたして乗れるか、減免は通るか、何処へ行けるかいろいろ問題がある。何事にもチャレンジしなければ始まらない事は分かっているのだが・・・。

*この車は購入したかったようでした。いろいろなことを頭の中で思い描いていたようです。乗れる状態にあったかどうかはわかりませんが、この時私の一押しがもう少し強いものだったらと悔やまれます。*

11月2日 (土) 晴れ
久しぶりに整骨院へ行く。膝周りの筋力が付いたといわれる。ちょうど1ヶ月ぶりだったので良く分かったのだろう。自分でもミニサイクルを自力で動かせるようになって来ていたので自覚出来ていたが、人から改めて言われるとさすがに嬉しい。
夜妻の実家の兄夫婦来訪。とんちゃんの礼に来てくれる。考えてみると長いようで短い6年間であった。後の3年間は俺の病気の為世話になりっぱなしで、本当に有り難う。
11月3日 (日) 晴れ
午後息子を呼ぶ。相変わらずの生活をしているようだ。滅多に来ないのであまり言いたくは無かったが少し生活を改めるように言う。お見合いを勧める。俺だって先の事が分からないのだから、出来ることなら一日も早くなんとかしておきたいものだ。
11月9日 (土) 曇り
天気も悪く体調も良くないのでゆっくりする。伯母より大きなトラのぬいぐるみが届く。「トラのように強くなってほしい」という。
なかなか思うようには行かないものだ。特に今週は抗癌剤の副作用のせいかだるさと頭の重さで辛い。
11月10日 (日) 晴れ
今日は食べたものが思うように下がらず絶不調だ。何もする気になれずただ横になっている。抗癌剤も残り1回。我慢のしどころ。鶴さんにメールを送るがPCがうまく作動せず送れなかった。
11月12日 (火) 晴れ
抗癌剤4クール3回目で最終日。血液検査の結果で白血球値3900。点滴をやるかやらないかぎりぎりの数値らしかったが無理をおしてやってもらう。今までのだるさ頭の重さもそのせいだったのか?どうにか白血球も下がらずにいて欲しい。身体の疲れが自覚出来夜も深い眠りにつけないでいる。ちょっとした音にも目が覚めてしまう。そうするとその後がなかなか寝付かれない。
もう少し体調が良くなってくれればリハビリにも励めるのだが・・・。
11月14日 (木) 晴れ
今日PCで初めて鶴さんと有ちゃんにメールを送れた。GBSのHP掲示板に投稿してみた。自分のメッセージがPCの画面に表示されPCの素晴らしさを実感する。今までは見ていただけなのにその中に参加出来る事は素晴らしい。少しずつ仲間に入れるように頑張ってやってみたい。
11月16日 (土) 晴れ
今日も寒い一日だった。やはり寒い日は辛い。これからますます寒くなるので先が思いやられる。naoさんのHPにアドレスがあったので思い切ってメールを入れてみた。なかなか思いを文字に出来なかったがどうにか書いて送ってみた。はたして送信出来たかどうか不安であるがうまく送れて返事が来ればいいのだがなあ・・・。
11月17日 (日) 晴れ
naoさんよりメールの返事が入っていた。早速返事を頂きメル友になってくれるとの事。完全に理解しているわけでは無いので難しいが、相手がいるという事は素晴らしい事だと嬉しく思う。

*以前からnaoさんの『もう一度あおい空が好きになりたい!』というHPを見ていましたが、なかなかメールを送る勇気が持てずにいましたので返信があった事をとても喜んでいました。*

11月19日 (火) 晴れ
T医大消化器診察。白血球の数値は戻ったという。来週検査をしてその後薬を取り替えるとの事だ。やはり癌はきれいに取り切れていなかったのだろうか。きれいに取り切れていればそんなにしつこく薬を使う事も無いだろうにといろいろな不安が募る。
来週の検査後にもう一度良く聞いてみよう。ギランバレーといい癌といい俺からは容易に離れてくれそうもない病気だ。思うように行かないから余計に不安とイライラが溜まってしまう。

*抗癌剤の4クール使用は念の為のもの(主人には取り切れていなかった部分があったとしたら心配の為使いましょうとの説明)と思っておりこれで抗癌剤は終了すると思い込んでいましたので「薬を変えましょう」といわれた時はショックを隠せませんでした。

主治医からは「悪い部分は全てきれいに取りきれました」と説明を受けた主人はその言葉を信じていましたので。*

11月20日 (水) 晴れ
ヘルパーさんが入れ替わり立ち代わりいろいろな人がやってくる。本当は同じ人の方が気も使わずに済むしやってもらう事も一定するのだが・・・。でも考えようで慣れない人が来た場合あてにならないからと気を引き締めて運動するのでかえって良いのかもしれない。naoさん宛に自己紹介を書いたメールを送ろうとしたが送れなかった。掲示板を見る事は出来るのだが難しいものだ。
11月21日 (木) 晴れ
夜隣のHちゃんに教えてもらってnaoさんにメールを送りなおす。ちょっとしたところなのだがまだ良く理解出来ていない。
ヘルパーさんが来たが寒いので室内でのリハビリとする。この寒さが悪いのかやる気が出ないのが現状である。
11月23日 (土) 晴れ
勤労感謝の日。俺には何の関係もない一日。全然気分の乗らない日が続いている。姪の結婚式が近づいている。祝ってないわけではないのだが複雑な思いでいる。
11月26日 (火) 晴れ
午後T医大。CTとエコーの検査。造影剤の承諾書を前回診察日に書いて渡しておいたのに紛失したらしくもう一度書き直し。この前も他人の点滴と間違えられるしひどいものだ。結果は来週出るがそれまでが不安で心配だ。I大PTはS先生の学生実習の相手をさせられる。身体の管理はしっかりやっているようですねと誉められる。普段自己流にやっているストレッチが認められたのは嬉しい事だ。

*主人よりも先にベッドで休んでいた人がいたにも関わらず点滴の開始が主人の方が早かった為「あれ?」と思い書かれていた名前を見てびっくり、別人の名前が書かれていました。直ぐに看護婦さんに訴えましたが「使用している薬は同じものですから心配要りません」でした。念の為カルテを見せて頂き安心しましたが、もし別の薬の点滴がされていたらと思うとぞっとしました。医療ミスが騒がれていた時期でしたので「簡単にあり得る事だ」と変に納得してしまいました。*

11月28日 (木) 晴れ
T子さんより星野富弘氏の詩画集を借りる。口で絵筆を執る作者には頭が下がる。時間をかけてゆっくり読んで見たい。
11月29日 (金) 晴れ
平行棒を暫く歩いていなかったので歩いてみた。足がよく上がっているといわれる。自分では自覚出来ないでいるが久しぶりに見る人には違いが分かるらしい。嬉しい事だが目標はまだまだ先の方にある。
11月30日 (土) 晴れ
のらくろS氏の長男の結婚式。自分に代わって妻が出席する。おめでたい日が続く。明日はとんちゃんの結婚式。妻を送りながら友人二人が寄ってくれ話をして帰る。明るい話は聞いているだけでも自然と顔がほころんでくるから嬉しい。

H14・12

12月1日 (日) 雨
肌寒い雨の日。とんちゃんの結婚式。久しぶりの人ごみの為少し疲れたがとても良い結婚式だった。幸せになって欲しいと願う。そして元気な赤ちゃんの顔を元気な姿になって見たいものだ。

*6年近く同居していた姪の結婚式。体調の悪い時は出席も不可能と思っていましたがどうにか出席する事が出来ました。予想外の花束贈呈に主人も号泣。この涙は今まで流していた涙とは違う意味を持つ涙でした。車椅子であった事、痩せ細ってしまったことが出席する事を拒んだ時期もありましたが出て良かったと帰宅する車の中で申しておりました。*

12月2日 (月) 晴れ
午後から中学校にてヘルパー3級の開講式をI大付属病院院長を招いて行う。今までに無い試みを中学生が行う事はいろいろ大変な事だろうが、少しでも年寄りや障害者に理解のある子供が育つように努力してもらいたいと思う。
12月3日 (火) 曇り
消化器診察日。検査の結果今のところ異常無し。今日より飲み薬(5-FUとクレスチン)を処方される。異常なしという事でちょっと安心するが、これから先の事は分からない為不安も大きい。
12月4日 (水) 雨
ヘルパーさんが来てくれたが雨の為室内のみの運動とする。寒いせいもあり筋肉が痛いと悲鳴をあげている。薬が変わった為かな?食べ物の下がりが悪いような気がする。
12月5日 (木)晴れ
午後、年賀状をパソコンで作ってみた。住所録を上手く作れずに苦労するがどうにか出来上がった。
12月6日 (金) 晴れ
ヘルパーさんとリハビリ。寒かったが外を歩いてみた。やはり寒い時は思うように行かないものだ。食欲も無く辛い週末である。夜妻が友人のHさんのお見舞いに出かけたので、一人ゆっくりテレビを見ていたが面白いものもやって無かった為早めに就寝する。
12月7日 (土) 曇りのち雨
寒い日だったので一日コタツの中にいる。夕方妻がのらくろ妻達の忘年会に出かけた。美味しいものを食べて楽しんで来て欲しい。俺も食べたいのだが食べられずに辛い!!!
12月8日 (日) 曇り
雪の降りそうな程の寒さである。今日も相変わらずコタツの中にいる。GさんよりTELあり。やはり寒さで苦労している様だ。リハビリの方も通院出来なくなりそうで心配であるとの事。お互いに心配事は沢山ある。
12月9日 (月) 雪
朝目が覚めると一面真っ白の雪であった。ヘルパーさんがボランティアさんの運転で来てくれた。寒さの為筋肉痛もありストレッチを中心とする簡単な運動で終了する。寒さの為か腹の傷が痛む。起き上がりの時に引っ張られる感じで痛む。
12月11日 (水) 晴れ
ヘルパーさんが二人来てくれたが、外が濡れている為家の中で立ち上がり、足踏み等をして筋肉痛があった為早めに終了する。
やはりこの雪は俺のこの身体には堪える。naoさんより小田和正のCDが届く。早速パソコンに入れて聞いてみた。良い曲良い詩だ。暫くは繰り返し聞くことになるだろう。ありがとうnaoさん。
12月12日 (木) 晴れ
I大診察とPT。来年早々に入院出来そうだ。O先生の面倒見の良さには頭が下がる、有り難い。PTは筋肉痛の為マッサージを中心に軽めのメニューをこなす。その後T医大S先生の診察を受けて帰宅する。

*主治医にお願いしてリハビリでの再々入院を予約。スキルス胃癌・腹膜播種の事実を知らない主人は、再発の心配はあったものの今すぐ命に関わる事は無いと信じていました。その為、ここでリハビリ入院を決めた主人に大きな不安を抱えながらも付いて行く事の選択しか私にはありませんでした。振り返ってみましてもこのリハビリ最後の入院が、長い入院生活の中でも一番充実した日々だったのではないかと思います。*

12月14日 (土) 晴れ
致知を見ていたら四肢切断の中村女史の話が書かれていた。俺だったら考えられない事だが、それで二人の娘を育て口で裁縫もする。考えられないものすごい精神力だ。星野富弘氏の詩にも涙させられるが中村女史の話には感動せずにはいられない。
自分の生き方を考えさせられる一日だった。身障者は健常者の10倍の努力が必要だという。この言葉しみじみ感じさせられる。
12月16日 (月) 晴れ
ヘルパーさんに良くマッサージをしてもらう。足も硬くなっているようだ。風呂にも暖房、脱衣所にもハロゲンヒーター。
居間にはコタツ、エアコン、ストーブと付けているにも関わらず手足の冷えが思うようでない。ベッドにも電気毛布が敷いてあるが朝、膝の痛いのが治らない。雪が降ってから良くない。やはりこの時期は入院するに限る。
12月17日 (火) 晴れ
消化器外科診察。腫瘍マーカー正常値との事。少し安心していいのかなあ。現在は癌の事よりもリハビリの事の方が頭にある。寒さの為思うように身体を動かせない事が辛い。I大より入院許可の連絡が入る。これが最後の入院になるだろうから筋力アップを目指し頑張りたい。

*すっかり無くなってしまった髪の毛が生え始めて来て、つるつるだった頭に黒々としたテンテンが見え始めて来ました。このてんてんが希望の光のように思え、スキルスで有った事を一時的に忘れられた時期でした。この調子ならリハビリ入院も何の心配もないかと思えるほどでしたが・・・。*

12月20日 (金) 曇り
ヘルパーさんとのリハビリも寒さの為室内での運動のみとする。世の中の不景気な話が聞えてくる。ボーナスが半分だったり半分でも出れば良いと言うことだったりする。先の見えない状況だ。H氏が仕事上で行き詰っているようで気になっている。
能天気なのは俺だけか。毎日少しのリハビリとパソコン三昧の生活である。このままではいけないと焦るのだがどうしようもない現状である。
12月21日 (土) 雨
妻はお歳暮配り。K先生に近況報告をしようと思いパソコンで書いたが、プリントアウトが出来ずにまとまらず自筆で書いた。
この字なので、パソコンならと思い直しもう一度チャレンジするが思うように行かず。上手く動いてくれれば便利な機器なのだが、駄目となると説明書を読んでも解からず・・・。妻は友人達と健康センターで忘年会、楽しそうに帰宅した。
12月24日 (火) 曇り
朝、夢を見る。マラソンをしている夢だった。暫く見なかったがここのところ同じ様な夢を2~3回見ている。絶対に正夢にして見せるぞ~!!!H氏より℡があった。精神的に参っているようだ。世の中が不況の為おじさん達には辛い時代のようだ。
12月26日 (木) 晴れ
天気は良いが風の強い日だった。I大リハビリ。身体が硬いのでストレッチ中心である。室内は暖かく汗ばむ程だ。我が家にいるのとはまるっきり違う。入院したらこの暖かさが筋肉痛から開放してくれる事を願っている。そして筋肉が付きますように!!!社協に来年3ヶ月ぐらい入院の為休む事の連絡を入れる。入院できる事を喜んでくれた。
なんとか入院中に立ち上がれるようになりたい。
12月27日 (金) 晴れ
ヘルパーさん、最終日。いつものようにストレッチ中心で終わる。K先生より返事が来る。いろいろな励ましと人生についての言葉が書かれていた。先生も大腸がんをなさったとの事。皆いろいろあるんだなとつくづく思う。
12月28日 (土) 晴れ
妻仕事納め。家は餅つき。いよいよ年も押し詰まって後3日である。とうとう立ち上がれずに終わってしまった。でもこの所どうにか筋肉痛が治まって来ている。
12月29日 (日) 晴れ
残すところ2日になってしまった。室内でのトレーニングを一生懸命にやる。毎日やっているのだが自分で改善が認められない事が残念である。naoさんのHPがリニューアルとの事で見直してみると、以前には感じなかった所に感心してみたりする。ちょっと自分の見方も変化があるのかなと思える所があった。とにかく焦らず、意地やかず、諦めず。
K先生の言葉で行きたい。我が家を新築して以来立派な手作りのしめ縄と玄関飾りを毎年届けてくれる兄来訪。有り難うございます。
12月31日 (火) 晴れ
いよいよ今年も最後になってしまった。息子が来て「来年は嫁さんを見つけて来る」という。頑張ってもらいたい。そして早くしてほしいものだ。今年は希望を持って退院したのだが無残にも再入院。
しかも胃癌の手術。あの頃は絶望だけだった。精神的なダメージが大きかった。が秋頃からいくらか落ち着きを取り戻して今日に至っている。焦る気持ちも消え今は平静を取り戻したと自分では思うのだが、涙もろくなって困っている。気が弱くなっているのかもしれない。
でも、これで終わるわけにはいかないのだから気持ちを強く持って生きて行きたい。一緒に頑張ってくれている妻に申し訳がないから、焦らず・意地やかず・諦めずで頑張る!!!

*飲み薬(5FU)になってから体重が減ってきた為、体力を付ける事が一番大事な事なのでという理由で抗癌剤の使用が中止となりました。抗癌剤を止めて大丈夫だろうかとの私の不安は大きかったですが、主人も飲み辛いクレスチンを飲まなくて済むといいながらも不安は隠せませんでした。病気との闘いも3年目を迎えようとしていた年末でした。*

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