癌・ギランバレー☆闘病記

二つの難病を抱えた夫の闘病日記

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H15.1~

平成15年1月1日 (水) 晴れ
新しい年の始まりだ。今年はリハビリにも進歩がある事を願う。そして入院に備え少量ずつでも食べて体力をつけなければならない。
夕方弟家族が年始に来訪。二人の甥に足と上半身を持ってもらって移動。せめて家の中の移動くらい一人でスムーズに出来るようになりたい。
1月2日 (木) 晴れ
寒い1日であったが、妻の実家へ年始に行く。昼食後下がりが悪く、調子もあまり良くないため早めに帰宅する。
やはり食べられないという事が気になるところだが仕方が無い。
1月4日 (土) 曇り
徳さん夫婦が年始に来訪。正月に入ってから食事の量が減ってしまい、その事が気になっている。正月のおせち料理を食べたり時間も不規則だったりするのが良くないのかな?入院前までには改善しなければと思う。夜従兄弟夫婦来訪で励まされる。
1月5日 (日) 晴れ
Nさん来訪。市場の近況を聞く。何処も不景気で大変そうであった。余程上手に切り盛りしなければ乗り切れない年になりそうだ。
今までの常識を捨てなければやって行けない事を実感として感じられる。いろいろ考えても良い考えが浮かんで来ない。久々に病気の事を忘れられた1日となり有りがたかった。
1月6日 (月) 晴れ
51回目の誕生日。もう少し良い状態で迎えたかったが残念。相変わらず歩けずにいる。来年の誕生日にむけてリハビリしなければ!

*まさか来年の誕生日を迎えられないとは本人は勿論この時点では考えられない事でした。*

1月7日 (火) 晴れ
朝胸焼けがして早く目が覚めてしまい寝不足気味だ。ついうっかりしてオメプラゾンを飲まないで寝てしまったのだ。やはり薬に頼っていなければダメなのだろう。薬の数が1つでも減るようなら良いのだが、思うようにはいかないものだ。夜Tさんより電話があった。元気そうな声ではあったが病状は進んでもいないが良くもなっていないとの事。進行していなければ良い部類なのだろう。皆苦労しているようであった。
1月8日 (水) 晴れ
T先輩の見舞いに行く。暫く会っていなかったのでビックリするほど痩せていた。皆が術後の俺を見た時もこの様にビックリして見ていたのだろうなあ。手術待ちの為本人は大分参っていた。やはり精神的な面が大きい部位だ。思い悩む事により余計に悪くなってしまう。俺もそうだったから今のT先輩の気持ちが良く分かる。ゆったり気を落ち着けて過ごせれば良いのだがそうはいかないものだ。俺も一人の時はしょっちゅう涙を流していたものだ。思ったような慰めの言葉がかけられず帰宅する。
1月9日 (木) 晴れ
Tさん夫婦より電話で奥さんが10月に胃の摘出手術をした事を知る。俺と同じ癌だったらしい。飲み薬の抗癌剤を飲んでいるとの事だった。T先輩といいTさんといい俺の周りの人二人が癌だったとはちょっとショックだった。ただ、Tさんの奥さんの声が今までと変わる事無く元気だった事が救いだった。
1月12日 (日) 晴れ
午後兄夫婦が孫を連れて来訪。孫に接するのにはらはらドキドキのところもあるようだが連れて歩く事が楽しみの様子であった。幼子が家にいるだけで明るい笑い声が耐えない。久々に声を出して笑った気がした。
1月15日 (水) 晴れ
I大PTリハビリ。運動不足の為マッサージ中心にしてもらう。体重も2キロくらい減っているので筋力も落ちているだろう。
もう少し食べて体重も増やさないといけない。リハビリ入院が24日に決定あと9日である。T医大消化器外科外来。
血圧も64くらいしかなくちょっと心配。白血球も5000以下。夕べちょっと寝不足ではあったがそれだけでは無いのだろう。抗癌剤のせいかも知れないが疲労感が残るのが気になっている。一応抗癌薬は止めて様子を見ることになっているが・・・。入院も決まったのでもう少し食べられないと困る。

*体重が少し減って来ている為、入院中の食事がどれくらい取れるかが一番の不安でした。しかも抗癌剤を中止してのリハビリ入院でしたので癌の進行状態を心配しての入院となりました。*

1月18日 (土) 晴れ
16日から体のだるさが続いている。今日も体調が良くない。食欲も無い。妻が心配していろいろ言ってくれるのは分かるし有りがたいのだがどれもこれもいろいろな問題が有るものばかりなのだから、そしてそれをやってもらうにもいろいろあるだろうし少し静かに見守っていて欲しい。
1月19日 (日) 曇り
T先輩も手術日が決まった。胃を全摘出で腸は開けて見てからでないと分からないという事だった。ショックだった。見舞いに行けない為手紙を書いた。夜心配してくれている友人に入院日をメールで知らせる。
1月22日 (水) 晴れ
T先輩より電話が入る。明後日手術の為気分的に落ち込んでいて泣かれてしまう。自分でも通って来た道であるだけに気持ちが分かり辛い。手術に関しては執刀医に頑張ってもらい、本人には気持ちだけしっかり持って頑張ってもらうほか無い。
「前向きに考えないと頑張れないから!」と自分に言い聞かせる言葉をT先輩に言っていた。
1月23日 (木) 晴れ
妻が明日の入院の為の用意をしている。またこれから3ヶ月の病院往復をさせるのかと思うと辛い。自分で自分の事くらい出来るようにならなければと思うのだが出来ないでいる自分が情けない。
1月24日 (金) 晴れ
6回目の入院。手続き、心電図、レントゲンのあと即日外泊。考えられないような日程である。帰宅後naoさんにメールするとしっかり笑われる。夜、T先輩の手術が無事終了したとの電話があった。早く良くなって皆で福島へ行かねばなるまい。

*この病院への入院も3回目であり、前回も週末ごとに外泊していた事を主治医も認めていた為すんなり外泊許可が頂けました。*

1月25日 (土) 晴れ
朝Hちゃんより電話が入りT先輩の術後の報告を受ける。ダメかもしれないという気持ちでいた為、周りも「良くなる」という
心構えで接しないと本人も頑張れないからと言って励ました。俺なんか絶望の淵から妻に引っ張られて生きて来たような気がする。こうなった時の女の強さを改めて知る。逆に俺だったら乗り越えられないだろう。妻に感謝である。
1月26日 (日) 晴れ
午後病院へ戻り入浴。日曜日で外泊している人が多く院内は静かそのものだ。明日より本格的始動である。O先生より神経内科の薬は細胞の増殖を促すものだが、抗癌剤は逆の作用が有り末梢神経に麻痺がでる事もあると言われる。今までこの病院にはいなかった入院患者である。言われてみると難しい事になっているんだなと思う。
しかし、折角入院できたのだから頑張らねばならない。
1月27日 (月) 雨
PTのS先生、測定と評価だけであった。夕方Mさんが障害児の書いた絵の入ったカレンダーを持って顔を見せてくれた。味わいのある作品である為世に出してあげたいのだがいろいろな制限があるらしい。俺に何かできる事があったら是非協力してあげたい。今日は大したこともしていないのに膝の上の筋肉が痛い。
1月28日 (火) 晴れ
久しぶりの暖かい朝であった。PTは身体を柔らかくする事から始まる。歩行練習は2周行ったがきつかった。午後筋電図の検査。モニターで見ていても何が何だか分からない。先生は神経の伝導は良くなっているからあとは筋力をつけるように言われる。OTのO先生による筋力の評価。力を入れても先生の太い腕の前では非力が余計非力に感じ空しかった。それが現実なのだから仕方ないか。・・。
でも筋力アップの為には力強い男の先生の方が良いのかもしれない。いろいろな小手先の技術より体力で面倒見てもらった方が筋力が付きそうだ。とにかく担当の先生を頼りに頑張るほか無い。主治医のO先生からは前回同様くれぐれも運動し過ぎ無い様にとの言葉を頂戴してしまう。適当も大事な事であり心掛けなければいけない。
1月29日 (水) 晴れ
今日より本格的なリハビリが始まる。O先生の筋トレはきつかった。PTは3周の歩行をする。2時過ぎに妻が来ておやつを食べ風呂に入れてもらう。又週3~4回の病院往復が始まる。申し訳ない気持ちになる。
しかし今の俺にはリハビリを頑張る事しか出来ない。後を見ていては前進出来ないのだから前を見て、気持ちも前向きに持って頑張るほか無い。今週も残り2日頑張ろう!!!
1月30日 (木) 晴れ
天気は良いのだが風の強い寒い日であった。週末は雪が降るような予報である。こんなに寒ければ外泊せず病院内の方が良いかもしれない。PT、OT共に午後からだった為少し疲れた。午後ずっと車椅子に乗っていた為就寝時に足が浮腫んでいた。
1月31日 (金) 晴れ
昨日に続いて午後からのPT、OTとなってしまった。OTによる腕、指の動きの評価。平均の人の70%の動きであるらしい。
夕方外泊。のらくろ会のY君の父の通夜から帰宅した妻に「4年続きのプレゼントの無い誕生日でゴメン」と誤る。

H15.2~

2月2日 (日) 晴れ
風邪の冷たい一日となる。病院と違って朝の冷たさ筋肉痛で目が覚めてしまう。やはり病院の暖かさよ!である。週末何となく外泊して2日が過ぎてしまった。病院の様子を鶴さんとYさんにメールで報告する。正座の練習をした為膝が痛い。
2月3日 (月) 晴れ
リハビリ2週目、今週も頑張ろう。体重も1キロ弱増えたかな。皆にも顔色も良くなったと言われ調子も良いようだ。ただ、周りに風邪をひいている人が多いので気をつけなければいけない。気分的にも落ち付いて来ている。前向きにプラス思考で生きたい。
2月4日 (火) 晴れ
来週の火曜日が休みの為外来が混んでいた。Tさんが外来診察後に病棟へ顔を出して下さった。大変元気そうで良かった。
Tさんも以前大腸がんで大腸の半分を切ったとの事。またまた俺の周りの癌の一人だ。しかし元気である。皆一つではなく幾つもの苦難を抱えているんだな。俺も頑張らなければ!!!
2月5日 (水) 晴れ
午前中雪がちらちらした。午後妻ととんちゃんが来てくれる。現在のリハビリ少し物足りない気もするが、トイレでの立ち上がりも一日7回位有るので今までよりは動いているわけなのであまり焦らないようにしている。食べる方もどうにか少量ではあるが食べているので体調も良くなっている様に思える。あまり焦らず一ヵ月後位先に良くなっている事を願ってリハビリをして行きたい。
午前中足のMRIをしたのでどの様な結果が出るか楽しみである。
2月6日 (木) 晴れ
今日もMRI。手の方をやる。他の患者さんとの都合上片方の手だけで終わる。OTは手の細かな部分の筋トレが中心となる。ゴムを指で摘まんで引っ張るが少しやると疲労感が出てくる。やはり掌の数多い筋肉を動かす事は大変である。筋トレの後の文字は今まで以上に酷い。お箸を持つ手にも力が入らない。ほんの少しの事なのに前に出れないでいる。ここに再々入院出来ただけでも恵まれているのだから頑張らなければ申し訳ないから・・・。
2月7日 (金) 晴れ
残りの右手のMRI。リハビリはいつも通りである。手の細かな筋肉はあまり力を入れ過ぎて他の指を動かしてはダメなのだそうだ。
でも、一本の指に集中しても他の指が一緒に動いてしまう。簡単なようで難しいそして疲労感が残る。
2月8日 (土) 曇り
お昼頃T先輩より「今から退院する」との電話が入る。早い退院なので経過も順調なのだろう。涙声だったのが気になるがとりあえず良かった、おめでとうTさん。
2月9日 (日) 晴れ
夕べ雨が降ったが暖かな日であった。病院へ戻る前にTさんの家に寄る。痩せて声に力強さは無かったが元気そうだった。もう何でも食べられると喜んでいた。胃が三分の一残っているとこうも違うものかと思わされる。俺の場合全摘出なのだから比べても仕方が無いが元気だった事が何より嬉しかった。暖かくなったらYの湯に行く事を約束して帰る。
俺もそれまでには足に力を付けておかなければ・・・。

*TさんとのYの湯ヘ行くことの約束も叶う事無くTさんが先に永眠されました。主人と最後に行った思い出のYの湯。いつの日か主人探しに行って見たいと思っていますが、いつの事になるでしょうか・・・。(涙)*

2月11日 (火) 曇り
小雨の降る寒い一日であった。10時頃妻の実父の訃報を知らせる電話が入る。ずーっと気になっていながら見舞いに行けずにいて他界されてしまった。合掌。自分ひとりで行けない事の辛さ、有から無になる事の無常さを思う。とても辛い一日となってしまった。
2月12日 (水) 晴れ
PT、OT共に午前中にしてもらい午後T医大消化器外科受診。抗癌剤はこのまま休んで現状通り。CTは来週予約を入れる。3時頃
鶴さん来訪。歩き方もしっかりして来ている鶴さんを目標に頑張りたいと思う。PTのS先生も力が付いて来ていると言ってくれた。自分でも少しは自覚出来るが目に見えるほどの進歩では無い。今日は30分ずつ3回立っていられた。もう少し力を付けて立ち上がれるようになりたい。直ぐに鶴さんのようにはなれないけれど少しずつ近づいて行きたいと願っている。ただ、焦らずに行かないと無理をしてしまう為気をつけよう。
2月14日 (金) 晴れ
リハビリ午前中にしてもらい午後一番で外泊、妻の実家へ直行しお線香を上げさせてもらう。お通夜、葬儀共に参列を諦める。大変寂しいし、何もしてあげられない事の申し訳なさで涙が止まらない。

*寒い日の葬儀、せめてお通夜だけでも参列したいと強く願った主人を「今風邪でもひいては元も子も無くなってしまうから」と説得。辛さと寂しさから見せた切ないあの日の表情は今もはっきり思い出せます。ゴメンね、辛かったよね。*

2月15日 (土) 晴れ
妻の実父の葬儀には弟と親父に参列してもらう。11時頃Tさん来訪。3時頃までゆっくりして行く。お互い胃癌で胃を切った者同士いろいろな苦しみ、心の葛藤、共通の話題が出る。お互いに涙を浮かべながらの話になってしまう。
2月16日 (日) 雨
雨の為早めに帰院する。脳に障害を持ってしまった人と身体に障害を残してしまった自分。時々どちらが良かったのかと考えてしまう事がある。悩み苦しむ事が良いのか何の考えも無くただ生きているだけが良いのか・・・。しかし、今の俺はギランバレーと癌。その両方を受け入れそれに立ち向かっていかなければならないのだから、他人と比べても仕方が無い事だが、この人はどうなんだろうか?と考えてしまう事がある。
2月17日 (月) 晴れ
今週もいつも通りのリハビリが午前中PT、午後OTと始まる。なかなか思うような進歩は見られないが少しずつ良くなっている。手の方も指と指の間が少しずつ開くようになって来ている。この様な小さな変化を見つけては喜ばなければいけないのだろうが、素直に喜べないのが現実である。健常者と比較するとまだまだ出来ない事ばかりで遥かかなたに目標があるようで気が遠くなる。暗澹たる気分に落ち込む事もある。
2月19日 (水) 晴れ
予報では雪であったが降らずに晴れた。PTで初めて両足プラスチックの装具で歩く事が出来た。滑るような気がして不安だったがどうにか一週する事が出来た。以前挑戦した時は片足だけでも全然歩けなかったのに今回は楽に歩く事が出来た。この事だけでもすごい進歩だろう。お昼にT医大へCTをとりに行き昼食にスパゲッティを半分近く食べた。おやつのフランクフルト入りのロールパン残さずに食べて入浴。今日は全てにおいて絶好調だ。夕方テレビの前でも50分くらい立っていられた。今までには考えられない成果である。この調子で進んでくれれば最高なのであるが・・・。胃の方も転移再発が無い事を祈っている。暖かくなる頃までにはなんとかなっていたい。でも焦らずに行こう。
2月21日 (金) 曇り
午前中PTで来週より病棟でも歩行練習をするように言われた。やっと自主トレが出来るようになった。少しずつではあるが力が付いて来ていることが認められたのだろう。この力を維持して行きたい。外泊に迎えに来てくれた妻も喜んでくれた。

*足の力も随分ついて、後ろを付いて歩いていた私の不安も少なくなって来ていました。ただ本人は知らないものの癌の進行がどのくらいの速さで進んでいるのか留まってくれているのか、リハビリが順調に進む反面胃癌の進行のみが不安でした。*

2月22日 (土) 曇り
小雨の降る寒い一日であったがT君と妻と木更津へ植木を見に行く。行く時は首都高速が混んで4時間かかったが帰路は2時間。途中何事も無く無事帰って来れた。これから暖かくなるに連れ妻と一緒にいろいろな所に出かけて行きたい。

*高速道路でのトイレの心配は無いのですが、それ以外の所でのトイレの問題があってなかなか出かけられずにいました。もっともっといろいろな所へ出かけてもっともっと沢山の思い出を作りたかったです。*

2月23日 (日) 曇り
一日家でゆっくりPCでゲームをして過ごす。夕方早めに帰院し入浴。2階の病棟を2週自主トレでの歩行練習。駐車場から歩いて上がって来た後の割には上手に歩けたと思う。2週240メートル今までの最高歩行距離かもしれない。あまり調子に乗ってやり過ぎはいけないが、明日からの自主トレに自身がついた。
2月24日 (月) 雪
入院して丁度一ヶ月である。朝から降り出した雪が夕方になってもまだやまない。ここは積もっていないが妻に電話を入れると我が家の方は真っ白に積もっているという。明日よりの仕事が大変だろう。車の運転には気をつけてもらいたい。
自主トレも初めて自分で靴を履く事が出来、病棟2週が軽く?歩けた。本当に嬉しいくらいに順調に仕上がっている。
2月25日 (火) 晴れ
昨日の天気が嘘のような良い天気となる。PTで装具の角度をゆるめて歩いてみるが違和感無く前日同様歩く事が出来た。同じ様に病棟でも2週無事に歩く事が出来た。今回は順調である。夕べO先生も「今回は希望通り立ち上がって歩く事まで出来るだろう」と言ってくれた。やはり少しずつでも良くなれるのは嬉しい事だ。
2月26日 (水) 晴れ
お昼間際に「仕事のついでに寄った」といって友人H氏来訪。忙しい中心にかけてくれ顔を見せてくれる有りがたい友だ。
彼も肺炎で2週間入院したとの事。無理のし過ぎだから気をつけて欲しい。もう、皆が何があってもおかしくない年齢に
なってしまった事を深く自覚させられる。
2月27日 (木) 晴れ
今日もPTにて装具の角度調整をする。中二日なのだが歩けそうなのでもう少し大きくしてみる。PT室内は違和感無く歩けたが病棟での2週はちょっときつかった。でも、少しずつでも進歩しているのだからついて行かないと・・・。鶴さんが昼寝していた事を思い出して俺も休息をとるようにしている。今が一番の踏ん張りどころのような気がする。精神的にも肉体的にも充実しているので今やれる事はどんどんやって行きたい。
2月28日 (金) 晴れ
今月も今日で終わりである。今月は自分でも想像以上の結果が出せた。この調子で頑張って行きたい。
夜マッサージに来てもらい一週間分の疲れをとってもらう。今回の土日は家でゆっくり身体を休めよう。

H15.3~

3月2日 (日) 晴れ
午後妻の実家によって父の仏前にお線香を上げその足で帰院する。明日より3月のリハビリ頑張らなければ・・・。
暖かくなって梅も咲いている。良い季節になったので何処かへ出かけてみたいものだ。
3月4日 (火) 晴れ
昨日に続いて喉が痛い。昨日は36、3℃であったが、今朝は37℃になっていた。薬を出したもらって飲む。看護婦さんやその家族も風邪をひいているようでありそれがうつったのかな?。ゆっくり静養して早めに寝よう。明日は治っているように願っている。
3月5日 (水) 晴れ
同室のYさん個室に移動。人工呼吸器を付けるとの事で大変そうだ。俺の3年前を思い出す。あの時は本当に苦しかった。死にたくとも死ねない。足を動かしたくても全然動かない。痛くとも痛いと声に出して訴える事が出来なかったあの頃・・・。Yさんが今からあのような苦しみを味わうのかと思うと他人事ながら思いやられる。改善されて又戻ってくる事を祈るだけだ。
3月7日 (金) 雨
天気も良くなく風邪の方も熱は無いがちょっとだるいので外泊は中止にする。家に帰ればストレスも溜まらないが仕方が無い今回は諦めよう。S氏の上棟式にも行けずに残念であるが今は自分の事を中心に考えたい。
リハビリは普通にこなすが立ち上がりがし難い事が気にかかる。風邪のせいなのだろうか?。とにかく今週末はゆっくり静養する事に専念しよう。
3月8日 (土) 晴れ
昨日の天気が嘘のように爽やかな朝であった。病棟の廊下の窓から富士山が良く見えた。休日の病院はやる事も無く眠るに眠れず。午後妻と一緒に病棟を4周して入浴。風邪の方も少し鼻水が出る程度に快復した。何もする事がないという事は辛い事である。
3月9日 (日) 晴れ
予報では天気が悪いと言われていたが晴れる。S氏の心掛けが良かったのであろう。長~い一日であった。午前と午後に2回自主トレで病棟を3周する。看護婦さんに付き合ってもらってどうにか間が持てた。昨日妻が持って来てくれた致知を読む。病院の本も読みたいものが無く退屈していたので助かった。今日は身体も軽く感じられるので明日からのリハビリもこの調子で頑張ろう。
3月10日 (月) 晴れ
鼻水が出る位で元気であるが念の為に薬を出してもらう。前回と薬を変えてもらう。歩行訓練も足どりも軽く?調子が良い。今までになく軽く歩けた。自主トレでも看護婦さんから以前より歩き方が良くなって来ていると言われ嬉しくなった。
今までは人の歩く姿を見ていることだけしか出来なかったが、今は自主トレでの歩行練習が許されている。こんなに嬉しい事はない。まだまだ歩き方もぎこちないが一歩ずつ着実にこなして力を付けて行きたい。

*病棟での自主トレが許されて歩行練習をしている人達をいつも羨ましく思って見ていた主人です。初めのうちは車椅子をお供についていましたが、お供の車椅子が消えすぐ後ろをついていた私が主人の脇に寄り添って会話をしながらに為っていました。*

3月12日 (水) 晴れ
T医大受診。前回のCTの結果異常無しとの事で一安心。やはり再発転移が一番気がかりな事だけにこれで暫くはリハビリに専念出来る。T医大にて昼食にカレーを半分弱食べたがI大に戻ったと同時に激しい腹痛に襲われ下痢。普段は便秘に悩まされ下剤を一日おきに飲んでいるのにと恨めしく思う。刺激の強いものを食べたせいなのかと反省。今後は気をつけなければならない。病室へ戻るとYさんが介護認定を受けて退院後は訪問看護のサービスを受けるとの事。その点俺は妻がいてくれて何でもやってくれるからその心配は無用だ。改めて妻に感謝。
3月13日 (木) 晴れ
今日も順調にリハビリを終了する。今の所順調に行っている。入院期間は4月中旬までと今日言われた。まだ一ヶ月余り有るので出来る限りやれる事を増やして退院出来るように頑張ろう。午後PTで初めて砂地を歩いてみた。左足のつま先で砂を蹴散らしていたがどうにか歩けた。しかし力不足を感じた。
3月15日 (土) 晴れ
2週間ぶりの外泊で家にいる。やはり何と言っても家が良い。今回は家の中でゆっくりする。妻には感謝の連続だ。
3月16日 (日) 曇り
昨日同様ゆっくり過ごし午後早めに帰院し入浴する。病棟を4週していると看護婦さんに杖の音が軽くなって来たと言われ喜ぶ。明日より又リハビリ頑張ろう。今週は木曜日までなので4日間の全力投球。明日のスタートより飛ばして行こう。

*歩き方も良くなって来ており歩く距離も伸びて来ていた為気分を良くしていました。我武者羅に頑張り過ぎる事も無くなって来ており心に余裕が出て来ていた時期でした。*

3月17日 (月) 曇り
いつも通りのリハビリ。午前中は何もなかったのでゆっくりする。午後はいつもよりハードになり自主トレもどうにかこなす。OTのI先生が指を見てビックリする。今回は前回の入院時よりも遥かに良くなっているとの事だ。あの指からこれだけ快復出来たのだからすごいと驚き、素晴らしいと喜んで下さった。自分でも今回は良くなっているのがわかるので嬉しかった。入院期間中、目一杯頑張らなければと思う。
3月18日 (火) 晴れ
午後仕事が空いたからといって妻が顔を出す。入浴中に昨夜カラオケに行って来たと嬉しそうに報告をしてくれた。もう、3年近くその様な場所へ行っている暇など無かった事を申し訳なく思う。退院したら一緒に行こうと言うが俺は遠慮したい。
3月19日 (水) 晴れ
今日は水曜日。月曜日、火曜日より調子が良い。月曜日は週明けで足が重いが、水曜日あたりから調子に乗ってくる。PT室でもロフスト杖に余り頼らずに歩ける。本当に形だけ杖をついているような感じで上手く歩けて嬉しい。このまま持続し続けて力がついて欲しい。今まで気付かずにいたが、口笛が吹けるようになっていた。暇な時間に発声練習を真似て一緒にやっていたのが良かったのかもしれない。「薄皮を剥がすように良くなって行くから焦らないで」と言われていた言葉を思い出した。
3月21日 (金) 晴れ
春分の日の為、昨夜快調に進んだリハビリの後に外泊し今日の午前中はゆっくりしていた。午後妻の実家へ墓参りに行く。姉達や姪と顔を合わせたが「顔色もよく元気そうだね」と喜んでもらえた。兄の顔色が優れない事が気になり妻から精密検査を勧めさせた。
3月24日 (月) 晴れ
春分の日を過ぎたせいか急に暖かくなったような気がする。PT室より外へ出てぐるりと回って玄関へ出、フロアを一回りしてPT室まで戻る事が出来た。外は微妙な凹凸があり足も疲れるがどうにか歩く事が出来た。
OTは手を柔らかくしているせいで字も書きにくくなっている気はするが柔らかくなって来ている事は事実である。ともかくは順調というところだ。
3月25日 (火) 雨
今日も一日順調。昨日より今日の方が良いような気がする。お昼にトンカツが出た。ソースのミニ袋が初めて自分で開けられた。今までもせんべい等の袋は開けられていたが、それより難しい小さなソースの袋が開けられ、少しずつではあるが指の力がついてきている。薄皮を剥ぐようにという言葉がここの所実感として感じられ嬉しい。

*主人自身の努力で少しずつではありましたが目に見えて良くなって来ていました。缶ジュースの蓋が工夫によって開けられるようになり、お菓子の袋が口を使わずに手で開けられ、お弁当についている様な小さなソースの袋が開けられた事がとても嬉しかったようです。残すはペットボトルのキャップを開けられれば完璧なんだがなあと言っていた事が思い出されます。*

3月27日 (木) 晴れ
今日も暖かな一日であった。午後とんちゃんが見舞いに来てくれた。風邪も治ったとの事で大きなお腹を抱えての訪問である。あと一ヶ月ちょっとで出産予定。無事安産でありますように!!夕方Yさんの死を知らされた。ギランバレーではなかったようだが神経が麻痺してしまう病気であった。先日の3月5日まで同室でいた事を考えると複雑な思いになる。俺ももう少し重篤だったらあの時死んでいたのだろうに・・・。Yさんの苦しさを思うと身につまされる。どんなに苦しかった事か・・・。頭が正気だっただけに周りの事も考えると余計に不憫さを感じた。合掌。
3月28日 (金) 晴れ
午後外来で有ちゃんに会う。ちょっと丸くなっていた。薬の副作用か気になる。T大入院検査後Mセンターへ入院していたという。やはり病気が進行しているのか気になるところだ。昨日のYさんの事もあり心配である。
午後仕事で近くまで来た妻の運転するトラックに乗って外泊。座席の高いトラックに乗れるか心配したが、Sさんに助手席から引き上げてもらい、妻にしたからお尻を持ち上げられ思ったよりも簡単に乗る事が出来た。
3月29日 (土) 晴れ
午後Tさんを見舞いに行く。奥さん、娘夫婦、兄弟が顔を揃えていたのでビックリ。面会して又ビックリ。以前の面影は全く無く衰弱している事が目に見えてわかった。なぜ短期間にこんなにという驚きの気持ちでいっぱいであった。
肝臓に転移していたと言う事であったが、病魔の怖さをつくづく感じ涙の帰路となる。
3月30日 (日) 晴れ
義父の四十九日の法要に妻だけ出席する。朝K君よりTさんの死を知らされる。朝方異様な感覚と変な胸騒ぎで目が覚めてしまい「もしや?」と思っていた事が本当になってしまった。後で聞くところによると朝の6時頃だったとの事。その前に最後の別れに来てくれたのかと思うと涙が止まらなかった。Tさんには30年近くいろいろとお世話になり、また勉強もさせてもらい、兄の様に慕っていたのに残念である。MさんといいTさんといいなんで俺の頼りにしている人は先に逝ってしまうんだろう。先に逝かれてしまった事で力が抜けて何もする気の無い1日であった。合掌。
3月31日 (月) 晴れ
朝Tさんに最後の別れをして病院へ帰る。今日は気分を入れ替えてTさんの分まで生きなければ!!!とリハビリに励もうと思う。

H15.4~

4月1日 (火) 晴れ
Yさん外泊。330日ぶりの外界という事だ。俺には帰れる家がある。Yさんはあの身体で一人暮らしは大変だろう。頑張って欲しい。リハビリより戻るとYさんのベッドが復帰室へ移動になっていた。あっという間の動きにビックリする。でも、Yさんの為には一番良い事だと思う。
4月2日 (水) 雨
Tさんの告別式。Tさんの涙雨のような気がする。心の中で手を合わせる事しか出来ない自分が情けないが仕方ない。今の俺にはリハビリを頑張るほかないのだから・・・。OTにて手動のアクセル、ブレーキで車の運転のシュミレーションに初めて挑戦する。ハンドルの遊びが少なく操作が難しかった。物損事故2件、死亡事故無し。これが結果である。もう少し握力がつけばもっと楽に運転出来るだろうに・・・。ハンドルの補助装置をつけると方向指示器を操作後、ハンドルに手を戻すのに時間がかかり後のハンドル操作を慌ててしまう。その辺が課題である。車に乗る為にもう少し握力をつけよう。
4月3日 (木) 晴れ
いつも通りのリハビリ。昨日もプラスティックの装具で歩かされたが筋肉痛も残らず、前より一歩進んだかなと思う。少しずつではあるが筋力がついてきているのだろう。ぎりぎりのところでやると筋力はつくという。退院までまだ少しあるので頑張ってみよう。
4月5日 (土) 雨
同室の一人が昼間寝ていて、夜になると騒ぎ出す為眠れない日が数日続いていたが昨夜は自宅でゆっくり眠れた。やはり家はぐっすり眠れるし十分に休養が取れる。筋肉痛も大分和らいでいる。病院では今日が花見であったがあいにくの雨で残念な事であったろう。
4月6日 (日) 晴れ
昨日の雨が嘘のような好天である。桜の花もだいぶ開いて来て綺麗だ。桜を見ながらの早めの帰院。入浴後におやつを食べゆっくりする。ここでの生活も残り20日を切ってしまう。明日もまた頑張ろう。
4月7日 (月) 晴れ
今朝も3時に起されてしまうが、昨日家でゆっくり出来たのでなんとかなる。婦長さんに言って個室を用意してもらい移る。慌ただしい移動で、一番遠い部屋であるが静かさはこの上ない所だ。午後少し昼寝をする。今日H君、伊豆の施設へ入居の為退院。若いので何とか自立出来るように頑張ってもらいたい。前向きに生きて行って欲しいと願う。
4月8日 (火) 曇りのち雨
甥の高校入学式。昼間はあまり雨が降らなかったので良かった。早いもので、ギランバレーを発症時に初めて病院へ見舞ってくれたのが小学6年生の冬。あれから3年以上が経っている。そして俺は二つの病気と戦っている。個室は少し寂しい気もするが気楽で良い。あと少しなので頑張ろう。
4月9日 (水) 晴れ
T医大消化器外来受診。異常ないだろうとの事。次回腫瘍マーカーを調べるとの事だ。今日より病棟ロフストフリーになる。昨日までは車椅子で食堂に行っていたが、夜の食事の時からロフストを使っての移動とする。両肘かけ付きの椅子に座って初めての食事をしたが、帰り際立つ事に苦労をする。腹筋がもう少しついてくれれば立ち上がりも楽なのであるが難しい。

*完全に一人で立ち上がることは出来ませんでしたが、頭の回転の速い主人は少しの工夫で出来そうも無い事にまで挑戦してどうにかやり遂げていました。*

4月10日 (木) 晴れ
今日もロフストで食堂へ行く。立ち上がりはどうにかごまかして行い無事成功。昨日は不安でやってみたのであるがどうにか1回でクリア出来た。また一歩前進出来たかな・・・。ただ、運動量が増えている分筋肉痛も出て来ている。
PTにてY先生より「大分良く歩けるようになりましたね」と声をかけてもらい嬉しさに思わず感謝である。あの1週間、Y先生に見てもらえなかったら今の筋力はなかっただろうと思うと感謝の言葉しか思い浮かばない。本当に担当の先生ばかりではなく皆さんに支えられ応援してもらっていると思うと感謝の気持ちで一杯だ。でも、一番の感謝の相手は妻であろう。
4月11日 (金) 晴れ
プラの装具でPT室を出てOT室の前を通り戻って来る。あの装具でこれだけ歩けるようになったのかと思うと感慨深いものがある。これを持続出来ればすごいと思う。どうにか持続出来るように頑張ろう。

*プラスティックの短下肢装具は、目標としていた鶴さんが使用していたものと同じでしたので、鶴さんに少しでも近づけた事の喜びは大きかったようです。*

4月14日 (月) 晴れ
病院の窓から見る桜もだいぶ散って色あせて見える。月日の経つ早さをしみじみと感じさせられる。歩く距離が伸びたせいか便通も良いように思える。今日は一日がかりで病棟10周(1Km)歩く。疲れているようでも休まずに3周くらいはこなせるようになる。今の状態のMRIを撮ってもらいたい気持ちになる。前回は霜降り状態だったと言うがこれだけ調子を上げてきているので、どのような変化をしているのか見てみたいものだ。
4月15日 (火) 曇りのち雨
今日も10周歩こうと思っていたが、夕食後にダンピング症状が出て吐いてしまい車椅子で病室まで運んでもらった。夕食前までに8周半していたので疲れが出ていたのか、食べ方が雑になり早食いになっていた為詰ってしまったのか・・・。横になって落ち着いて来たので、明日は様子を見ながらやって行こう。
4月16日 (水) 晴れ
昨日の事があったので心配したが今日は順調だ。朝食後に2周10時のおやつの後に5周連続(初めてである)。PTでもプラの装具で室外歩行と5cmの段差越えをクリア出来た。夕食後は控えて休む。トータルで9周、この位で止めておいて正解だろう。慌ててやりすぎても身に付かないだろう。継続する事の方が大事である。それは分かっているが思う様に行かないのがリハビリだ。
4月17日 (木) 晴れ
午前中MRIを撮る。その結果、赤身の筋肉が良くついているといわれ嬉しい。以前霜降り状態だった筋肉が赤身の筋肉に変化した。力が付いて来ていることは自覚出来たが画像でも結果が出ると嬉しいし、今後の自信にもつながるというものだ。もう少し頑張ろう。
4月18日 (金) 晴れ
PTではプラの装具で砂地を歩いた。プラの装具では歩けないと思っていたのだが歩けた。砂地まで来るとは・・・。
夕方仕事のトラックに乗せられ外泊。
4月19日 (土) 晴れ
仕事の打ち合わせに妻に引っ張り出されたが、先方が不在だった為温室内を歩き、家の庭で足ならしをする。退院後は庭を歩いてトレーニングするほか無いだろう。

*庭に敷いてある小さな小石にも足が引っかかり思うように歩けませんでしたが、この歩き辛さが返ってリハビリになるだろうと前向きな考え方になっていました。*

4月21日 (月) 曇りのち晴れ
午前中病棟を休みなしで10周する事が出来た。1時間かかった。PTでは今日もプラの装具で外へ出る。今まででは想像もつかなかった事であるが少しづつ現実化出来ている。嬉しい事だ。このまま進んでほしいと思う。
4月22日 (火) 晴れ
OTにて退院後の自主トレメニューの確認と車のシュミレーション。自主トレメニューはいろいろあるので気合を入れてかからねばなかなかこなせないだろう。PTはプラの装具で外へ出て砂地歩行。疲れていた割には歩けた気がする。
4月23日 (水) 曇り
入院最後のリハビリ。PTは室外歩行。OTは車のシュミレーション。3ヶ月の間大変お世話になりました。
4月24日 (木) 曇り
退院。3ヶ月もいたので寂しい気がする。後は自宅でどれだけ出来るか不安である。午後、初めて一人で玄関を出て表の道路まで歩いてみた。凹凸がある砂利道の為思う様に歩けないがどうにか歩ける自信がついた。

*退院を期に日記が一時途絶えています。この後6月4日に転移が確認され再び入院するまでの主人の頑張りは脱帽ものでした。雨の日以外は毎日、温室までロフスト杖を付いて歩いて来ていました。5月の始め頃は自宅から500mくらいの距離を往復で1時間以上かけて歩いていましたが、少しずつ時間が短縮され5月後半には40分ちょっとで歩いて帰れるまでになっていました。 食べる量は少なかったですが、体調も良く福島のYの湯へも二人で行って来ました。主人の頭の中には「再発」「転移」の二文字が常にありその不安との戦いの辛い日々でもありましたが、あの悪夢のような6月4日を迎えるまでは「スキルス胃癌で延命治療のみ」と宣告された人なのか!!!「一生歩けません」との宣告を何度もされながらロフスト杖をついて歩けるようになった様に奇跡を起して生き長らえてくれるのではないか!!!と思えるような安定した生活を送っていました。*

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