癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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 愛犬の散歩
父がホスピスにいる頃は、できる限りジュディーとさくらを連れて行った。周りは散歩をするにはとてもいい環境だった。しかしどういうわけか散歩へ行くと無力感が襲う。うちの愛犬たちは、散歩といっても走ることが好きなので、のんびり景色を見ながら歩くということは無い。走り回る姿を見ると私はいつも幸せを感じていたのだけれど、それが無くなった。時々散歩が苦痛になるときもあったし、時間も短くなった。
庭に花を植えることも、出来なくなった。パンジーやビオラなど定番の花ばかりだけど、花が咲くと幸せを感じていた。しかし、今年の冬は花を植えることすらしなかった。買い物へも行かなくなった。特に大好きなほうではないけれど、ふらっとして気に入った洋服を見つければそれなりに喜びを感じていた。しかし、買い物へ行く気もなかった。
どうしてだろう? 食欲も同じで、何かを食べないといけないから、食べるけれど、何が食べたいと思う事が全くなくなった。この無気力感には今も悩まされているが、それにしても一体どうしたのだろう? 私の精神はバランスを崩したのだろうか? 
そして、ふと気が付くと「どうして生きているか」と果てしも無い問題を何時までも繰り返し自分に聞いている。はっと気がつくのだが、又「どうして生きているのだろう」と考えてしまう。
よく考えてみると、外に向かう事が苦痛なようだ。愛犬の散歩をしていても、父が元気な頃に一緒に行ったことを思い出してしまうし、これはホスピスにいた頃からそうで、もう行けないのかと考えるだけで気分が滅入る。
庭の花も温かい日は、デッキで日向ぼっこをする愛犬たちと一緒に庭の花の手入れをしていた。しかし、恭平がいない。散歩に行っても何かがかけている。父のことを考えるだけではなく、恭平が足りない。
買い物も、お友達と外出する事もなくなったし、出かけたくないから洋服を買っておしゃれをしたいとも思わなくなっている。行く場所は、ホスピスならなおさらおしゃれより、動きやすさが要求される。 食べるものも、父の看病をしていると、「ゆっくり食事を楽しんで」という気にはなれない。
記憶のアルバムや、錯覚は何もしなくても沸いてくる感情だけれど、普段の行動にも、父と恭平がいないとうことは大きな影響を及ぼす。今も、似たような症状が続いている。愛犬たちは天気が良くて温かい日を選んで「どこかへ行きたい」とせがむ。しかし、今までなら愛犬がせがむより先に「今日は何処の公園が好いかな」なんて考えていたのに、せがまれても近所の散歩で済ましてしまう。今までしていたことが普通のことなら、その普通の事の中には父と、恭平の姿がある。しかし今は無い。それを自分が気づかされる事が嫌で、普通の事をしないようにしているようだ。
この症状は父がガンセンターで私に言った言葉がきっかけのような気がする。11月2日。忘れもしないこの日、父は激しく嘔吐した。翌日私がガンセンターへ行くと「もう死ぬな」と強い口調で私に言った。弱弱しいならまだ理解できるが、かなりはっきりと強い口調で力を込めて言った。確信を持ったという感じだった。 一気に私の中の何かが崩れていくのを感じた。それからは、健康食品も飲まなくなり、私も父に飲んだ方がいいと薦める事もしなかった。 抗がん剤の副作用がひどかった時、「これではあかん」と、良くなることを期待しているのに思うようにならないことに弱音を吐いた。そのほかの弱音も全て、良くなると期待しているのに、という気持ちが根底にはあった。しかし11月3日のこの父の言葉には明らかに「もう死ぬ」と判った、という気持ちが含まれていた。 きっとこの日、父と私は「死」を認めなくてはならないと悟ったのだと思う。恭平が亡くなって間もないときであったし、恭平が頑張って生きたいけれど、ダメだったという姿を見たからかもしれないが、これ以上父に頑張って生きて欲しいとは言えなかった。恭平に言ったように「あまり辛かったら楽になっていいよ」というべきタイミングだったのかもしれない。
なんのために生きるのか?どうして生きているのか?その疑問はこの日から出てきたのだろう。今まで悲しみや辛い気持ちに隠れていただけで、ずっと感じてきた疑問のような気がする。 そしてこの答えは見つかるのだろうか?
 

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