癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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自宅に戻っても食事がきちんと摂れるわけではないので、点滴だけはやらなくてはならない。通院では一日に必要なカロリーを点滴で補給するのは難しいため、自宅で出来る高カロリーの輸液を入れることにした。私でも1週間ほど講習を受けると自宅で点滴が出来るようになる。
 その点滴をお世話してもらう病院は自宅から車で10分程の距離にあるクリニックをガンセンターから紹介してもらった。運のいいことにそのクリニックの先生はガンセンター出身の方で、看護師さんもガンセンターにいた方を採用していた。父はそれがとても気に入り、歩いて5分ほどにある病院よりもその病院を選択した。早速、退院の翌日にその病院へ紹介状を持って診察を受けて来た。とても明るい先生で看護師さんもとても感じの良い、安心して任せられるというそんな印象であった。
 その診察で、食事が取れるかと言う質問に「食べれます」と答える父。嘘っぱちだ。一日に必要なカロリーは、寝たきりでも最低1400カロリー位なのに、一日で1食分食べれるかどうかだ。なのに強がっているのだろうか?先生は高カロリーの点滴をすすめたが、父は3時間ぐらいで済む点滴をして足りないカロリーは食事から取ると言い張る。3時間ぐらいだと通院で可能なので、毎日通院する気らしい。私が、カロリーが足りないから高カロリーの点滴をしようと言うと、思いっきりすねた表情で、口もきかなくなってしまった。まるで子供だ。愛犬達よりたちが悪い。どうやってなだめても父はすねたままで、見かねた看護師さんが父のいないところで「本人が希望する方法を取りましょう。後はまた考えながらいけばいいですから」とアドバイスしてくれた。ま、この時の事は、「父がわがままを言えるようになったのは私を信頼しているからだ」と考えておこう。
 そして、翌日から通院で400カロリー程度の点滴のために通院した。父はえらく満足な様子。翌日朝病院に出かけ、お昼頃迎えに行ったのだが、暑くて車で移動するだけで大変そうだ。しかし父が決めたことだから、頑張ってもらうしかない。
 そして又次の日も点滴をしに行くと「家でする点滴は直ぐ出来るか?」と私に聞く。なるほど、大きな病院ではないので、処置室で小さなベッドに横になり、入れ替わり立ち代り出入りする患者さんや看護師さんの計ハイで落ち着く事が出来ない。それにその状態で3時間横になり点滴を受けるのは毎日となるといやになるのだろう。それに、ここでの3時間の点滴も、家で点滴をしても同じ事をするということに気がついたのかもしれない。
 明日から、私が点滴の手順を教えてもらい、自宅でする準備にかかることにした。しかし、通院3日目、いかにも辛そうで、歩くのも嫌な様子。が、なんとか病院まで行くと、車椅子で移動をしなくてはならないほど弱ってきた。点滴の講習は1週間だと聞いているが、このままでは通うのはしんどいだろう。それも夜点滴の針を入れて、翌朝は抜かなくてはならない。そのため最低一日に2回足を運ぶ必要がある。木曜日から講習を受け初めて土曜日の朝、点滴を外す事は私一人で大丈夫と言う看護師さんの判断で朝は行かなくてもいいことになった。しかし夜は点滴をしなくてはならない。すると看護師さんがお休みにも関わらず自宅に来てくれるという。なんという親切な人だろう。 夜7時ごろ自宅に来てくれて、私が点滴をするのを看護師さんが見てみて、もし私一人で出来ると判断されたら翌日、日曜日からは私一人でやることになった。言ってみれば、卒業試験みたいなものだ。その試験を受けながら、色々話をすると、この看護師さんは私の自宅の横に立っているマンションに住んでいると言う。すごい偶然もあるものだ。看護師さんも住所が近いなとは思ったけれどまさかこんなに近いとは思わなかったらしい。その後も、点滴の道具で足りないものがあると自宅に届けてくれる。とても心強いし、ありがたい事だった。
 父はこの時期、一人で起き上がることは出来ないほど状態が悪く、しゃべる事すらえらいと言う。一体これは癌の進行のせいなのか、抗がん剤の副作用なのか?しかし見守るしかなかった。クリニックの先生も診察を受けた時には、どうする事も出来ない。抗がん剤の副作用としても、それは仕方の無い事で避けては通れない。癌の進行かどうかは検査をしてみないと何ともいえないと言われた。しかし、こんなに体力が落ちると、見ているだけで不安で、なんとか楽にしてあげたいと思う。が、何も出来ない。もし副作用なら時間が必要だと、と自分に言い聞かせて、時が過ぎるのを待った。
 
ガンセンターの検診の日がやってきた。車から診察室までは車椅子で移動するほど体力は無かったが、行くという気力があるだけまだいいのかもしれない。そして診察でKK主治医はとても熱心に耳を傾けてくれたが、やはり取り立ててどうする事も出来ないらしい。癌という病気はいかにやっかいなものだろうか?抗がん剤をすると癌の進行を止めることは出来るが、副作用で体力が落ちる。だからといってほっておいて癌の進行をただ横目で見ているということは出来ない。中には抗がん剤治療を受けながらも元気にされている方もいる。私が同じ立場だとしても、抗がん剤治療を拒否する事は難しいだろう。たとえ副作用が強いと知っていても、少しでも癌が小さく、少しでも癌の進行がおそくなるようにと願うのが当たり前でだと思う。しかし、今までで一番といってよいほどの父の弱り方を見ていると、癌が進行するという恐怖より、これ以上父が弱っていく事の方が恐怖に思える。

 少し気分がよくなったのか、起き上がってリビングのソファに座って、テレビを見たいという。今まではテレビを見るどころか、ソファに座っている事すら出来なかった。抗がん剤の点滴後1週間ほど体がだるくなるという副作用が出ると説明を受けたが、父の場合は約2週間体のだるさが続いたということになる。そして食欲は無かったが、寝たり起きたりして、気分がいいと新聞や雑誌を読む事も出来るようになっていた。そしてある日スーパーに行きたいという。外は暑いので涼しいところで運動のために歩きたいらしい。少し改善した父の状態を用心深く見守っていく事にした。 スーパーで少し離れたところから父の姿を眺めると、なんとなく穏やかな表情をしている。その表情意外は、とても痩せて、生えかけた髪はまだらで、肩の力も落ちて、少し丸くなった背中は今までの辛い闘病生活を物語っている気がした。しかし、仕事をしていた頃の父は、時間に追われ、仕事に追われ、家族から見えないプレッシャーに追われていた。その頃のキリッとした表情や胸を張って肩に力を入れていたそんな頃よりは、ひょっとしたら、気持ちは穏やかなのだろうか?とてものんびり、優しい表情の父をその場でしばらく盗み見していた。
 今の父は、決まった時間に布団に入らないと明日の仕事に差し支えると考える必要もなく、疲れたら寝たらいい、食べたくなったら食べればいい。振り返ってみると、病気でありながら、昼間に布団に入って寝るとか、ソファで横になってテレビを見るなんてことは絶対にしなかった。長年のきちんとした生活が身について、自分の中で常識を作ってしまったために、なかなかその常識を破る事はできなかったのだろう。よく私にも「昼間からゴロゴロしてテレビを見なんてだらしない」「テレビを見るときは座って見るものだ」とか「一日3食、食べたらそれでいいのに、菓子を昼間に食べるなんて口がいやしい」などと怒られていた事を思い出す。しかし、今は私の常識の勝ちである。父は疲れたら横になり、テレビを見ながらソファで横になり、時間に関係なくおやつを食べる。そして穏やかな表情を見せることが多くなった。

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