癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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入院した日、Hさんが「何処が悪いの?元気そうだが」と父は質問をされた。父は「胃癌で、痛みがあるから入院した」と答えたが、「食事を取れば元気になれるよ。胃癌患者には見えないですよ」と励ましてくれた。父は「それより、あなたは何処が悪いの?」と笑顔で質問をし、「そんなに元気そうなら、直ぐに退院だな」と笑顔で励ましていた。すると、他のIさんと、Sさんも会話に入り、お互いが自分の病気の事を話し始めた。1人を3人が励まし、又他の一人を違う3人がはげまして結局4人が全員他の3人から励まされ、気持ちが通じていくようだった。
考えれば、癌患者同師が励ましあい、お互いにいたわりあうことは不思議な光景でもある。しかしそれは、病気を経験していない身内や、病気に関して詳しいことを知らない人が「元気になれるよ」と励ますこととは全く違って、同じ辛さを経験した者同師の心からの励ましは心へ伝わるものが違うのだろうと感じた。事実、「経験したものにしか判らない」という言葉が何度も出てきた。きっと身内が励ますときには、その励ましに答えなくてはならないという気持ちがどこかに働くが、同じ経験をしたもの同師は、励ましの中にいたわりの気持ちがあるのだろうと思う。それに健康な人が励ますとき、同情という気持ちが入る。しかし、同じ辛さを経験したもの同志は、友情を生むのだろう。
I氏が検査が終わり、思ったより病状が進んでいないと判った時、他の3人が、こぼれんばかりの笑顔でこの方と一緒に喜び、この部屋は和やかで、暖かく、素晴らしい空気に包まれていた。S氏が退院が決まったとき、父を含む他の3名が「寂しくなるな。でもSさんのお陰で、みんな元気になれた。ありがとう」と言って退院を喜んだ。Sさんは「検査があるからその時にここに来るから」と言い残し退院されたが、本当に部屋に顔を出してくれた。想像以上に元気になられたSさんの表情に皆が驚き、その元気な姿を皆で喜んだ。私には入る隙間も無い絆が出来ているような気がした。 Sさんの後に入院された方は、手術が決まっていて、初めて入院した日、随分と落ち込んで、暗い顔でベッドに座り「よろしくお願いします」と挨拶をした。すると、H氏は「何処が悪いの?」と、父の時と同じ質問をした。そして、同じように3人がこの方を励ました。そして「食事も取れないほど落ち込んでいたけれど、結構皆さん明るいのですね。なんだか励まされます」と、驚きの表情を見せた。時に毒舌交じりの励ましは、気力増加につながったらしい。この方は見る見る食欲が出てきて、表情も随分と明るくなり、手術の日には「皆さんのお陰で、手術室に笑顔で行く事が出来ます。ありがとうございました」と頭を下げて手術室への廊下を歩いていかれた。胸を張って歩くその姿は勇敢な感じがして、今でも私はその姿を忘れられない。
 その他にもTさんや、Yさんといった方達と友情が出来て、そして何より父は今までの中で一番笑顔を見せる時間が多かった。 私が毎日病院へ行くと、この方達は待っていたかのように「いらっしゃい」と言う。そして他の方たちに父は随分とからかわれるようになった。「娘さんが帰ると、火が消えたように元気が無くなる」という事らしい。父は「もう用は無いぞ。さっさと帰れ」と、勢いの良いところを見せる。「また強がりを言う」と他の人たちにからかわれ、そして明るく楽しい笑いがあふれる。 しかし、それを言われた時、父が一人で病室にいる時の状況を始めて知った気がした。

 連休前のある日、Hさんが一時帰宅が許可された。しかし、家では一人暮らしのため話し相手がいないから帰りたくないと、一時帰宅の許可を受け入れなかった。その時、やはり、気持ちを話せる相手、甘えることが出来る身内は患者さんの強い味方になるのだろうと改めて感じた。父も私が来ることを待っているに違いない。皆さんと楽しい会話をしていても、やはり身内の力は必要だと思うし、それに改めて気がついたからには、少しでも明るく楽しい時間を過ごせるようにしたいと思う。

 父は個室の空きを待っていたが「この部屋でいいぞ」と言う。前とはえらい違いだ。人間関係というか、人が人に与える影響は想像以上に大きい。他の方も、個室を待っている方がみえたがやはり「ここでいい」と思っていたそうだ。
 痛みのコントロールは、主治医にお任せをし、出来るだけ病気の事を考えないようにしていた。しかし現在どれだけの痛み止めの量になったのかを知りたくて父に聞いた。すると、想像以上に増えている。それだけで足りずにレスキュー(突然出る痛みの対して使うためのお薬の総称)を使う。父は「調子はいいぞ。痛みが前より楽になった」と言うが、当たり前だ。それよりまだ痛みが完全に治まらないと考えた方が良さそうだ。しかし、父の安心を私が崩す必要があるだろうか?いや無いだろう。痛みが無いから歩いて体力をつけなくては、と言う父に「痛み止めの量からして歩いたら又痛みが出る」とがっかりさせるような発言は今の私には出来ない。
 この頃の私は恭平の動物病院と父の病院と両方をはしごしていたのだが、どちらかと言うと恭平の容態の方が深刻になっていった。このまま父が痛みから開放され楽になり、そして治療をなんとか再開できるようにというのが私の望みでもあった。しかし、そんな望みは打ち崩される。
 

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