癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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 9月6日。突然の痛みがあり、レスキューを使う。しかし、痛みは治まらずに、どうする事も出来なかった。しかし、何とかしなくてはと思っているうちに、痛みが楽になったという。しかし、痛みが無いのは数時間。又険しい顔で「痛いんだ」と私に訴える。レスキューを飲むのかどうかなどの判断を自分では不安で出来ず、私の判断を頼りにしている。私は「レスキューを使って様子を見よう。念のために座薬も使おう」など、その時その状況父の様子を見ながら判断をし、父に伝える。しかし、この些細な行為が父を安心させるようだ。
 しばらく、「痛いと訴える父、薬と座薬を持って走り、痛みが取れないとガンセンターに走る」、という図式が続いた。特に痛み止めを飲んでも痛みが治まらないと、又私に訴える。不安なのだろう。痛み止めを飲んでも治まらないほどの痛みは、痛みからの苦痛と一緒に不安を感じる。私も出来る限りの対応をしているつもりだが、一日のほとんどが痛み止めを持って走るか、痛いと訴えるのを待っているか、そんな感じで心身ともに休まるという時間が無くなった。しかし、私を元気付けるのは父の安心した表情である。薬を飲んで30分して様子を見たとき、痛みが治まっているととても安心をした顔をする。笑顔すら出てくるし、食欲も出てくる。その父を見ると、負けないで父を支えようと、辛さを跳ねのける事が出来る。父も私が「痛みが取れてよかったね」と言うと「もう大丈夫だからな」といつもの父の口調で言う。病気とは一人で闘うより、二人で闘った方がいい。家族全員で闘えばもっといい。それは大きな励みとなるし、力もわいてくる。痛い、苦しいと訴えるなら、手を握るだけでもいい、優しく声をかけるだけでもいい。必ず患者である父はその支えに答えてくれる。

毎日の点滴の時に、父は私に少し気を使うようになっていた。痛みがある時でも注意が点滴に向かうようで「痛いが何とかなるぐらいだ」と言う。そんな父を見ていると、疲れていてもお腹を擦ってあげようと思う。擦ると痛みも少し楽になると言うが、点滴をするようになってからは私の負担が大きくなったためか遠慮をしていた。お腹をさすり始めると、癌や痛み以外の会話になる。不思議なもので、それまでは痛みがあっても、まるで痛みが無くなったかのようで、お腹をさする時間は段々楽しいものになっていった。痛みがあるうちは、ジュディーとさくらが近づくのを嫌がるが、お腹を擦っていると「2匹はどうした?」と気にしはじめ、結局2匹を部屋に呼び、「一緒に寝ような」と満面の笑みで2匹に言っている。2匹も尻尾を振って喜んで、まるで2匹も父の癌との闘いに参加しているようだ。

 一方で痛みは完全に治まらず、又ガンセンターに走り、主治医と相談して、もう少し痛み止めの量を増やす事にした。しかし、痛みが治まるのはほんの少しの間で、継続して痛みが取れて安心できる状態にはならない。特に寝ていると痛くないが、起き上がると強烈な痛みが出るという。そのため寝たきりの状態で、トイレ以外は自分で起き上がることもしない。寝たきりに近い状態だ。身の回りのことは殆どやれないために、痛みで走り回る+身の回りの世話+毎日の点滴、これが私の日課となった。しかし父の痛みより、私の不安の方が大きくなっていくような気がしてきた。 痛みのコントロールのための4~5日の入院という方法もあると、クリニックの看護師さんから教えてもらった。ひょっとしたら、その方が、父の為にもいいかもしれない。自宅では手元に限られた薬しかないが、ガンセンターならどんな方法でも可能だ。それに集中してコントロールが出来る。KK主治医もその方がいいと、入院手続きを取ってくれた。

 痛いという経験は誰でもあると思う。私も歯が痛かったときと、交通事故で怪我をした時の事を痛いというと思い出す。しかし、それは自分が経験した痛みで、人が痛いと苦しむ姿を見るのは本当に辛い事だと経験した。父が発病をしたときも痛みには苦しめられたが、その時より今の方が痛みは激しく、体力も衰弱している。痛みで苦しむ姿を見るのをこれ以上は私は耐えられない。痛み止めが効いているときにはとても穏やかであっても、痛み出すと顔をしかめ、痛みを通り越して苦しいと言う。その父の変化にも私は対応できないでいる。父の痛みが取れると「何時まで薬が効くのだろう?」痛み出すと「何時になったら薬が効くのだろう?」となってしまう。痛み止めを飲んだから様子を見ようと言うけれど、私の心は悲鳴をあげている。薬がコントロールできれば痛みから解放されると理解していても、どうしても感情は冷静になれない。しかし父は私の看護を頼っている。この痛みから救ってくれると頼っている。自分では動きがとれず、ただ布団の中で私の看護を待っている。そして今、痛みが取れて安心しきった顔をして昼寝をしている。

 9月14日。父の痛みが少しコントロールできそうな気配。少し私も落ち着くことが出来るだろうか?そんな矢先、愛犬の恭平の具合が悪くなった。おトイレがきちんと出来ない。寝ている間に漏らしてしまう。激しい痛みもある様子。慌てて動物病院に連れて行った。先週の検診で、前立腺の腫瘍が小さくなってきて、経過は順調と言われたばかり。なのに、何故こんなことになったのだろう。検査をすると、膀胱炎と尿道結石を併発していて、状況は深刻であるといわれた。その翌日から、「痛みで走り回る+身の回りの世話+毎日の点滴+恭平の世話+動物病院への通院」が毎日の仕事になった。そして、恭平にはすまないことをしたと思う。父の世話に追われ、恭平の些細な変化を見逃した。父は2階にいて、ジュディーとさくらも父と一緒にいる。私が父の世話をしている間、恭平は1階でぽつんと一匹でいることが多かったし、私に甘える時間も無かった。もう少し私が余裕を持っていろいろな事をこなしていたらもう少し早く恭平の病気を見つけることが出来たのにと、反省した。しかし父にとっても、恭平の病気はよくない。私が今まで以上に忙しくなるため、今まで甘えきっていたのにこれからはそうはいかない。多少遠慮もするだろう。父には気を使わせないようにしなくては。そして恭平の事も今まで以上に大切にしなくては… 

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