癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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 父の状態を診る為に、父を一度はガンセンターの外来で診てもらわなければならなかった。主治医にも体調の良い日でいい、と言われていたけれど、中々思う通りにはいかない。痛みが取れずに私だけガンセンターで痛み止めを処方してもらうときに父は私に気を使うようになり「慌てなくてもいいぞ。ゆっくり行って来い。少しぐらいなら待てるからな」と痛みをこらえて私がガンセンターへ行くのを見送る。本来の性格では「気をつけて」等という人ではなく「気をつけて行くのが当たり前」と思っている人なので、余程私に気を使っているという事が痛いほどわかる。 そして「明日ぐらいには何とか行けそうだ」と毎回言う。それは無理をしてでもガンセンターで診察を受けようと考えているのであって本当にこの状態で行ったとしても体力的に持つかどうかは疑問だった。そのため「痛いのに無理をしなくていいよ。行くだけでも大変なのに、長い時間待って診察を受けるのはもっと大変だから」と無理をさせないようにした。父は「大丈夫だ」と言うけれど結局「やはり無理をしない方がいいなぁ」と申し訳無さそうに言う。「いいよ。慌てなくても薬をもらってきて様子を見てからにしたらいいよ」と答える。それに痛み止めを増量すれば痛みは治まり診察を受ける事が出来ると考えていた。
「私の痛みとの闘い」は父という支えがあったから頑張れたと思う。患者である父を頼りにするのも変なことだが、父が頑張っていると感じることは私には大きな支えになった。一番辛い父が頑張っているのだから、自分も負けないで頑張ろう、と思えるのだった。そして支えである父は、私を支えにして病と闘っている。しかし、父とここまで力を合わせ、同じ目標に向かって頑張った事があっただろうか。

 9月12日、父は「行けそうだ」と言う。状態も今までに無く良さそうなので父を連れてガンセンターへ。久しぶりに外へ出て歩く姿は力が落ち、痛みのある部分をかばっている。しかし病院に着くまではシートを倒して横になっていれば痛みは殆どない様子。それより病院に着いてからが一番大変で、車から診察室まで行くだけの移動が体に堪える。 この日は運の悪い日でもあった。いつもは朝9時に点滴を外す。しかし、この日に限っては、少し輸液が残った状態なので家を出る前に外すことにした。しかしいざ点滴を外そうとすると、ジョイントの部分が外れない。硬く締め付けられてしまいビクともしない。父も「やってみる」と言って外そうとするが、外れない。あせった私は点滴でお世話になっている病院に相談をした。今から病院に行けば外すと言ってくれたが、ガンセンターの診察時間に間に合わない。仕方なく、点滴をつけたままガンセンターへ走った。そして途中で主治医に電話し「点滴が外れません。どうしましょう」と泣きついた。「少しぐらいの時間はつけたままで大丈夫ですよ。こちらに来た時に外しますから。安心して下さい」と言ってくれた。父は痛い上に、点滴のバッグを引っ付けたままガンセンターへ行く羽目になった。  結局「今の状態で抗がん剤を入れるのは体力的に良くないので、入院して痛みのコントロールをしましょう。その様子を見て今後の治療を考える」と入院の手続きをしてきた。
 この日、父は車椅子を引く私に気を使い、ベッドを借りるお願いをする私にも気を使い、横になっている間に私の昼食の心配もした。当たり前といえば当たり前かも知れないが、何度も言うが、そのような事を口にするタイプの人ではない。見ているだけで辛そうだと言うことがよく判り、痛みを我慢しながら私を気遣う父を見るのは辛く、そして私自身が惨めにすらなった。もし私がもっと力があり父を車から担いであげる事ができるなら、父は少しぐらいの移動で痛みが出ることもなかったかもしれない、もっと早く痛みを取る事が出来ていたなら、などと、自分を責めてしまうのだった。
 9月20日、入院。痛みのコントロールがしてもらえるのは嬉しいことだけれど、なんとなく私には不安があった。個室をお願いしたが、待ち時間があり、長いときでは1ヶ月以上待たなくてはならない。その不安は、前の入院のように同室者の行動にイライラして病院を出たいとなったら困ってしまう。しかし、そんな不安を取り除いてくれたのは同室者の方たちだった。今まで2つの病院で3回の入院をし、何度も部屋を替わったりして随分色々な部屋を経験した。しかしどの部屋でも患者さんもその身内も、お互いに挨拶程度でお互いに会話をするなんて事は無かった。 いつも病室煮初めて入るとき担当の看護師さんが「Nさんです。よろしく」と同室者の方に声をかけてくれる。「よろしく」程度の挨拶はあるがそれっきりで会話を交わすという事は無いのが普通だった。しかし、今回の部屋では、初めて部屋に入って行った瞬間から挨拶をしてくれたり、父の容態を聞いたり会話があった。部屋の雰囲気も随分明るいことに気が付いた。 同室者のIさんはとても紳師で、私が部屋に入って行くと「ご苦労様です」と声をかけてくれる。Hさんは、いつも楽しい話題で笑いを作り、飼っている猫の話を楽しそうにしてくれる。もう、退院されたがSさんも私に「おぅ、来ていたのか?」などととても親しげに声をかけてくれる。 入院に対してかたくなだった父は、今までの部屋と雰囲気が違うことを気づくのにそう、時間はかからなかった。
 

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