癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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 悲しみ
今思い出しても、父が亡くなった瞬間からしばらくの間、私の心が悲しみも、辛さも、何も感じなくなっていた。不思議だと思う。どれくらいの間、そういった無感覚が続いたのかは覚えていないけれど、普通の感覚ではなかったのは確かだ。映画などではその瞬間には号泣したり、すがって泣いたりするようだけれどそんな事は全く無かった。

父が発病をした時に、余命を宣告されたためか父が生きているにも関わらず葬儀をしている様子が頭の中に浮かんできてしまうことが何度かあった。そして葬儀の時には私は「どうしてここにいるのか?これもひょっとしたら前に頭に浮かんできた映像であって事実ではないのではないか」と現実を否定していた。その為かあまり葬儀の時の記憶は無い。しかしアルバムを広げ一枚一枚写真を見た時のように私の記憶に葬儀参列者の顔やシーンが静止画像として残っている。アルバムは楽しい思い出をよみがえらせてくれるし、写真を残しておいて良かったと普通は思う。その思い出は動画のように思い出されその時の楽しい感情も思い出すことが出来る。しかし私の記憶のアルバムを広げると悲しみが押し寄せる。アルバムを広げたいわけでもないのに父の部屋に入ったとき、父の愛用の髭剃りを見たときその記憶のアルバムは頭の中で勝手に開いてしまう。父の闘病中の様子も同じように記憶のアルバムに残っていて過去のものまで勝手にどんどんとアルバムは開いてしまう。閉じようとするなら余計に激しく開く。その記憶のアルバムの写真は辛い表情や、痛みと戦った時の物、抗がん剤の副作用で苦しんだ表情など喜ばしい写真は一枚も無い。当然涙を流す事になる。
その記憶のアルバムの一枚に父が亡くなった時の物がある。その一枚を何度か見るうちに父が本当にいなくなってしまったと実感がわいてきたような感じがする。無理やり見させられて実感させられたとでも言う方が正しいのだが。あの無感覚の状態から私を無理やり現実に引き戻したのも、この記憶のアルバムかもしれない。

父が亡くなった翌日、父が父の部屋にいるような気がした。いつもの椅子に座っているような気がした。もちろん父はいない。しかしその後も父が自分の部屋に戻ってきたような錯覚を感じた。その錯覚に数日間苦しめられた。リビングや、食卓テーブルでも同じような錯覚を覚えた。昼間はホスピスにいる父の所へ行かなくてはと思ってしまい、「あ、行かなくてもいいのだ」と我にかえる。それらの錯覚はいつも涙を伴う。ホスピスへ行くということは日常の事になっていたが、行かなくてよくなるとこんなに悲しい事なのだろうか?いつもいる場所にいないということはこんなに悲しい事なのだろうか?それだけではなく父が好きだった食べ物、父の洋服、父の靴、父の時計、何を見ても胸が締め付けられるような悲しみが襲う。いつも使っていた物、一緒に買い物に出かけて選んだ洋服。これらにはそれぞれに思い出が残っている。「物」には感情は無いが、人は「物」を見る時に感情を持って見ている。この感情は普段は改めて感じることではないのに、一つの「物」にこれだけの悲しみを持つということは改めて感じさせられた。記憶のアルバムと、錯覚はどれをとっても自分の意志とは無関係に現れる。しかし現実ではないのだけれど、現実の「物」を見ることであの記憶のアルバムが事実であり父がいないと実感させられていく。悲しみと言葉では一つで表現するけれどそれぞれに絡み合っているし、結局、悲しみとはこういう事なのだろうか?もう使うことのない髭剃り、誰も使わない父の部屋。そしてもう父は帰らないと認めるにはあとどれ位時間がかかるのだろう?
 

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