癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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父は自宅に戻った。ジュディーとさくらはシッポを振りありったけの愛嬌で寝ている父を起こそうとした。しかし父は起きない。布団の中に入って一緒に寝ようとするが、異様な雰囲気に気がついたようだ。それは「冷たい」ということだった。布団から出てきて父の顔をなめる。しかしやはり「冷たい」2匹は動きを止め、私の顔を見て尻尾を振る事をやめ、代わりに私の顔をなめた。「とーちゃんは、どうして起きないの?どうして冷たいの?」といっているかのようだった。泣いた。そして謝った。2匹が大好きな父を助ける事が出来なくて謝った。

自宅の出棺からお通夜が終わるまでの事は記憶に無い。本当にお通夜があったのだろうか?葬儀もあまり記憶に無い。悲しみに耐えているという記憶しかない。はっきりとあるのは父のお骨拾いをした時。あまりにショックでどうやって耐えたらいいのかと思えば思うほどお箸を持つ手は震えてしまった事だけだ。
後で聞くと、「娘さんが可愛そうで、本当に可愛そうで」と父の友人達が母に言ったという。その父の友人達が「よく面倒を見たね」と私に言ってくれた。
茨城の弟が「仕方ないよ。泣くな。頑張ったんだ」と言ってくれた。父のほかの兄弟も「よく兄貴の面倒を見てくれた」と私に感謝の言葉をかけてくれた。
母の兄弟も私と一緒に泣いてくれた。
茨城の父の弟と私は闘病中にファックスでやり取りをしていた。その叔父が「兄貴の写真を1枚でいいから送ってくれ」と言った。そして私は叔父さんに「ありがとう。おじさんがファックスで励ましてくれて私は本当に嬉しかった」と言うと今まで涙を見せなかった叔父が、号泣した「ダメだよ、男泣きは許せないんだ。ここにいたら涙が出るから帰る」と言った。叔父さんには父の血が流れていると感じた。嬉しかった。ガンセンターに入院しているときも「会いたい」と叔父のファックスを見て泣いた時、直ぐに飛んできてくれた。父でも同じ行動をとっていただろう。そのガンセンターの帰り新幹線の中で泣いたと言う。涙が止まらなかったと。しかし、私にも父にも絶対に涙を見せることはしなかった。それが一度だけ見せた涙となった。

父は姿を変え自宅に戻った。小さくてそして恭平と同じ姿になった父。父の部屋には父がいるような気がしてきた。その父の横に恭平がいる気がする。

応援してくれてありがとう。本当に頑張ってきました。父が安らかに穏やかにその瞬間を迎えた事は私に対する父の優しさだと思っています。亡くなっても悲しむ余裕が無かった恭平の分も、今、私は悲しむ事が出来ます。それは悲しいだけではなく、感謝の気持ちも一緒に。
恭平は父を途中で待ってくれていて、父の先を歩き、父が6歳の時に亡くなった父のお父さんの所へ導いているに違いありません。きっと父は一生懸命働き家族を支え、立派に生きてきたと、父のお父さんに誉められているに違いありません。お父さん、あなたの娘であることを自慢できます。誰もがあなたを立派だったと言ってくれるのですから。
そして、恭平。父を安らかに迎えに来てくれたのですね?ばかげていると人が言っても私はそう信じます。私が悲しまないよう、苦しまないよう、父を楽に、安らかに迎えに来てくれたのだと、そう信じます。恭平は私の素晴らしいパートナーです。
恭平、これからはお父さんをよろしく。お父さん、恭平をよろしく。そしておじいちゃん父は素晴らしい父でした。優しく迎えてあげてください

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