癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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  父は6歳の時に父を亡くした。長男であった父は下の兄弟の分まで働き、家族を支え父親の代わりをしなくてはと、一心不乱に働いてきたという話をよく聞かされた。病に倒れたとき「6歳から働いてきたんだ。体も痛んでいるはずだ」と漏らした。確か「ゆっくり休めという事だよ」と答えた。ならば、どうしてそんなに頑張ってきた父がこんな目に合うのだろう?やはり運命なのだろうか? 血圧でかかっていた病院では父の訴える症状に「健康そのもの」という診断が下った。もしあの時に病気を発見していたらこんな結果ではなく、今も元気にしていただろうか? もし仕事をしすぎなければ今も父は元気だったのだろうか? 健康診断をきちんと受けていたら癌を早期発見できたのだろうか? そんな「たられば」を発病後は際限なく考えていた。しかし、出来るなら私はゴルフ・プレーヤーの後者の方になりたい。父は癌の発見が遅れたけれど、助からないと言われたけれど、それ以降の人生を力いっぱいプレーした。そう思いたい。 父は、癌と言うゴルフ・コースに出た以上は、池にはまろうが、バンカーにつかまろうが、パターが入らなくても、ダブル・ボギーを叩いても、一生懸命に前を向いてボールを打ち頑張ると言った。私も同じように、父がいない生活というゴルフ・コースに出た。そのコースに出てしまったのだからは「父がいてくれたら」と考えるより、父がいないけれど頑張らなくてはならないと思えるようにしたい。 こうしてこのゴルフ・コースに無理やり連れてこさせられたのを運命と言うのかな???? 

リビングの電球が切れた。いつもは父が交換をする。しかし父がいないために、私は近所のホームセンターで電球を買ってきた。電球を探しているうち言いようの無い感覚に襲われた。いつも父と来ていたホームセンターであったし、父はこの店のどこの棚に何が置いてあるのかを記憶していて、自分の欲しい物を見つけることは異様に早い。しかし、欲しい物を見つけた後は、店の中を歩き新しい商品等を見て、時に「棚の位置が変わったな」などと指摘もしていた。私はこの日、一人で出かけたが、電球を一つ見つけるのに時間がかかった。色にも種類があったり、様々なメーカーの物がある。必要な物を見つけるのにも時間がかかった。そうして探して歩いているうちに「父がいてくれたら」等と考えてしまう。それは寂しさを感じたと言うことだけではなく、父がどんな人だったのか今更だけど少し理解が出来たような感じだった。考えれれば、とても用心深く非常用の物はもちろん、様々な事に対応できるようにと考えて行動をする人であった。私や母は、停電になっても父が用意している非常用の道具が出てくることが当たり前であったため、自分達が用意するなんて疑った事も無い。包丁も研ぐのは父の役目で、いつも切れなくなったな、と思うより前に研いである。基本的に何があっても慌てないように準備を怠らない人だった。本当ならそういった事に感謝しなければいけないのかもしれないが、当たり前の事としか考えていなかったため感謝はもちろん、ありがたいと思うことも無かった。第一、父親がいて当たり前だったから、感謝をする事すら知らなかった。
父は父が6歳の時からいなかった。その分、人一倍頑張る必要があった。しかし、「親父がいるだけ幸せだと思え」と1度だけ言われた記憶がある。ある日、私の友人達と一緒に自宅でお酒を飲んだ時、友人に「自分にはオヤジがいなかったから、オヤジとは何をする人かが判らない。オヤジらしいということが何かも判らない。しかし、判らないながらに、娘には自分なりにオヤジとして出来る事をしてきたつもりだ。どうだ?自分は娘にオヤジらしい事をしてやったと思うか?」と、私の友人に聞いていた。酔っ払いのたわごとと、その時は流したけれど、何故かこの言葉はずっと頭から離れる事は無かった。
正直言って、父が発病をした時に父の事が心配であると同時に、後悔をした。「まだ親孝行もしていない」と。親孝行をする時間も無いのか、そう考えるとどうしていいのか判らなくなってしまったし、いつかは親孝行もするだろうぐらいにしか考えていなかった事にも後悔をした。例えば、花嫁衣裳を見せるとか、孫の顔を見せるとか私は娘らしい事も何もしてこなかった。第一親孝行が何かも判らない。「いつか」という、先延ばしには絶好の言い訳をして親孝行をしようとしなかったのが本当の所なのだと思う。しかし告知を受け、限られた時間と言われ焦る気持ちが先走り、答えが見つからずにオロオロしてしまった。その時父が友人に言ったこの言葉が頭の中に浮かんできた。「判らないながらに自分のできる限りのことをする事」。きっとそれが一番の親孝行に違いない。そう思った。自分自身が父の看病で辛くても、この思いは私を支えてくれたような気がする。少しは娘らしい事を出来ただろうか?と、今度は私が聞いてみたい。
そしてオヤジがいて当たり前だったということに、改めて感謝をしようと思う。
 

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