友人
父の同級生や、友人が、時々訪ねてきてくれる。その友人達は父と交わした会話や、私の知らない父のことを話してくれ、悲しみの中にも楽しい笑顔が出る。頑固な父、威張りたがる父、自慢をしたがる父、シャイな父。これらの友人達の父との思い出の中には、悲しい事より楽しい事の方が多い。中学の同級生であるO氏は中学のころの父のことも覚えていて、どんな子供であったのかなど、とても興味深い話を聞かせてくれた。
父はいないけれど、父の話でこんなに心が和んだのは何時ぶりだろうか? 闘病中の父の辛い表情や、一緒に戦っていた頃の父の記憶は徐々に遠のき、元気だった頃の父の記憶が徐々によみがえって来た。父の友人達には感謝をしなくてはならない。もし、そういう話を聞かなかったら、まだ私は長く出口の無い暗い道を歩いていたに違いない。
もう父が戻ってこないと考える事はやめようと思う。それより、こうして父を想い、父を知り、父の元気だった頃の話を聞き、明るい笑顔の父を思い出すようにしたい。
父はいなくなり全てが終わり、悲しみだけが残ったとずっと考えていた。しかし、全ての事に終わりは無く、終わりは又新しいことの始まりでもある。父が亡くなったことは終わりではあるが、これは、新しい始まりでもある。その始まりとは、父の思い出とともに生きるということではないだろうか?悲しいだけで過ぎていた時間も終わり、新しく父の思い出に笑顔を見せる時間となった。
そして、父のアルバムは辛くて見ることが出来なかった。しかし、明日はアルバムを開いてみよう。頑固な父、威張りたがる父、自慢をしたがる父、シャイな父。そして涙もろいが頑張りやだった父の思い出に会えるのだから。
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