癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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    この少し前の検診のとき、S主治医は頬杖をつき「はぁ、それで?」としか言わず、嫌な印象を持った。背中が重い感じがすると訴えても「はぁ、背中がね」。としか答えない。そして今後の治療に関して聞いてみると「どうして治療を変えるのですか。何の為に?」と質問を返す。「今の治療はたまたま薬が効いているのです。これからも一日でも多く元気な日が過ごせるように、ということでTS―1(経口抗がん剤)にしたのです」と、質問とは関係ない返答を返す。原因不明のイライラが自分を襲い自分のこの先が不安で、治療に関しても不安だった。そのために今後はどんな治療になり、このイライラが無くなるのかをS主治医に相談したかった。 しかし、痛みは癌だから仕方ないし、薬も今はこれしか考えていないし、ましてやこの先の治療方法はどうして今僕が答える必要があるのか?イライラなら精神科へ行くべきだ、というように取れる返事が帰って来た。父は泣いた。S主治医の前で泣いた。父は「あと3ヶ月と言われるのならそれはそれで諦めがつく。しかし抗がん剤の効果があったとしてもイライライして毎日がつらい。この先こんな状態が続くのなら死んだ方がましだ」とまで言った。S主治医に、頬杖をつきながら聞きたい事とは違う返答をされると、自分は主治医にあきらめられ、それどころか自分はどうでもいい患者という印象を受けたらしい。おまけに、S主治医は「癌という大変な病気を持っているのだから多少のイライラはあるでしょ?」と付け加えた。一人の命を軽くあしらわれたという印象を受けてしまった。
 この時の父と主治医との間の事は、つらい思いをしたのは事実で、父と一緒に泣いたのはこの時が初めてだった。 しかし、この事がきっかけで父と私の絆は深まったような気がする。普通なら主治医に何でも相談をする事ができて、これからの事や、今の状態がどうであるという医師のコメントを期待するが、父は主治医の代わりに私に色々と相談をするようになった。今まで父と娘という関係でしかなかったが、同じ目標に向かい、同じ希望を持つ者同師の関係となり、そして主治医の診察を当てにするより、私の言うことを頼りにするようになった。私も、父が癌であるということが可哀相とか辛いというより、癌以外のことで心を痛める父が可愛そうで、見ていると辛かった。そしてなんとかしてこのイライラを直す方法を見つけなくてはならないと思った。
私は疲れが溜まり風邪を引いて寝込んでしまった。この頃には父は自分の飲む薬も覚えている事は困難で、私が発熱して寝ていても、「薬はこれでいいか?」と確認をしに来る。ふらふらして真っ直ぐ歩くことも困難らしいし、まるで人格が変わったかのようだった。
 風邪が治らないため、2週間に1度のガンセンターの検診には母が父を連れて行った。 この日の診察でS主治医は精神科へ紹介状を書いてくれたらしい。しかし、紹介状と言っていいのだろうか?「手紙」とS主治医は言ったらしいし、封筒にも「紹介状」とは書かれていない。
 翌日、医大病院の精神・神経科で受診。やはり安定剤を処方されたが、父に一番適切な薬の種類と量を探せば安定するだろうという事で、週に2度は通った。しかし、一向に改善されず、毎晩父をさすったり、寝付けない父をなだめたり、時にトランプなどで時間をつぶしたりした。が、ひとたび布団に入ると、イライラする、眠れない、どうしたらいい?と本当に助けて欲しいという表情で訴える。 私達もとうとう疲れ果て、父を入院させる方がいいのではないかと母と相談した。父も「自分もどうしていいか判らない。どうにかなりそうだから、楽になるなら入院したい」と言う。余程辛いのだろう。そう思ったとき、自分が疲れたからと言う理由で父を入院させる事は間違っているのではないかと感じた。ガンセンターのS主治医の態度にはとてもみじめな思いをしたが、この精神科のKN教授はとても親身になり、何とか改善させようと努力を重ねてくれている。もう一度だけ頑張ろう。何か他に方法があるはずだ。そして、父にもう一度詳しく自分の状況を聞き、適切に精神科のKN教授に伝え、原因の究明をするようにしよう、それでもダメなら父には入院をしてもらう、そう決心した。
 一番問題なのは何処なのかを話し合った後での受診の日。
Dr.「眠れますか?」
私「座るとイライラして、そ・・・・」
Dr「あ、それ、副作用ですね」
私「でも、布団に横になってもイライラ・」
Dr.「ははっ。なるほど、間違いない。副作用です。今から副作用止めの薬を処方します。15分程で効いてきますから、薬を受け取ったらその場で飲んでください。直ぐに楽になりますよ」
父「そうですか?15分で?」
  KN教授にイライライする、眠れないとしか伝えていなかったのがいけなかった。この時自分が父を見放さなくて良かったと思う。
 
  あっという間に、イライラの副作用が無くなり、父は快適な生活を送り始めた。食欲も出てきて、一日3食食べ、外出も多くなり、癌患者とは思えないほどになった。それに良く眠れると言う。 そして毎日父に「行きたい所はある?」と聞き、行きたいという所へは何処へでも連れて行き、食べたいものは何でも食べ、出来る事を可能な限りして、一日一日をとにかく楽しむようにしていた。時々友人が訪ねてきてくれて、楽しい会話と今までに無かったような笑顔を見せ、父自身も充実していると実感できた。  
 しかし、S主治医の態度はとても気になっていたので、ガンセンターの看護師さんに相談をしてみた。すると主治医を変える事を提案してくれた。しかし、父はそれより転院を望んでいた。医大病院の時の主治医(MM化学療法専門医以外)をとても信頼していて、精神科の受診のときについでに医大病院でのSM主治医にも受診していた。ガンセンターでフォローできない部分は面倒を見てくれていたし、いつも明るく応対をしてくれて、父のためには転院をすべきだろうかと迷いだしてしまった。
 迷っても答えは出ないので、医大病院でも相談をすることにした。信頼できる医師に出会えるということは患者にとってはとても大切なことだと教えてくれた。しかし私たちがガンセンターで治療を受けたいと医大病院を出たのに、また医大病院に戻ることは簡単には出来ないだろうし、その転院したいという申し出をS主治医が受け入れてくれるとは思えなかった。しかし後日、医大病院で相談をした方から「SM主治医が父の転院を受け入れてくれる」と電話を受けた。父は大喜びで、すぐに転院を決意するかと思われた。しかし、父は迷っていて直ぐには決心をしなかった。

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