癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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  私の叔父が父の見舞いのために病室にいた時、主治医から突然呼び出された。抗がん剤が決まったとの事だった。主治医の他に数名見たことの無い医師が同席していた。この先生方は抗がん剤専門の医師(MM医師)と、副作用を専門に診てくれる医師らしい。
そして説明が始まる。 MM医師「正直申し上げて、あなたのようなたちの悪い癌には一般的に使われている抗がん剤では効かない。そこで私達が治験で試している大変いい抗がん剤があるのでそれを使う。とても強い抗がん剤で年齢的にもぎりぎり試せるラインだ。運が悪いと無菌室に入ってもらう。30代の女性に試したが、身内から「試さないよりは良かったのかも」と言われたので効果はまずまずと判断している」と休む間も無く説明した。
そしてその後の会話。
私「その方はどうしておられますか?」
MM医師「残念な結果です」
私「他に抗がん剤はありませんか?」
MM医師「ありません。大体一般的な抗がん剤では効きません」
父「そんなにたちが悪いですか?」
MM医師「今まで見た中では最悪の部類に入ります。」
父「私はあとどれ位…」 MM医師「治療をしなければ7~8ヶ月。治療をして、余命が1~2ヶ月伸びます」
父「転移は?」
MM医師「当然あるでしょ?」
父「何人がその薬を使って何人が良い結果を得ているか?つまりデータのようなものを知りたい」
MM医師「○△■×#~」(明確な数字は出てこなかった)
そしてセカンド・オピニオンを聞きにどこへでも行ってくれて構わない、某ガンセンターでも試している、とも言った。自分の選択に自信があると受け取るのが普通かも知れないけど、私は「どちらにしても半年だから、この薬を試してみてもいいじゃないか?」という印象しか受けなかった。
MM医師「まだ試されるようになって実験段階ですから、承諾書をかいてもらう必要があります。本人と家族の印鑑をもらったらすぐに治療に入ります。いいですか?」
父「私はこうなってもやはり命が欲しい。どんな治療もする覚悟は出来ています。どうか先生方よろしくお願いします」と頭を下げた。
私は無茶苦茶悔しかった。それにこの医師に疑いを持ったし、信じることはおろか、承諾書に印鑑を押すことは出来ないと感じた。第一、父には余命宣告をしないでほしいと頼んであった。なのに、あっさり父に伝える。そして、このMM医師以外に同席していた医師は誰一人、ただの一言も発言しなかった。それはどこか異様な雰囲気で違和感があるのは否定できなかった。

 しかし、父にしてみればそれどころではなく、隠しきれないショックを怒りとして私と同席していた叔父にぶつけた。「あと半年もてばいいほうだと俺が言っただろ!言ったとおりだ」と言い出した。確かに癌なら自分はあと半年だと言い切っていた。叔父は叔母が肝臓癌で3ヶ月の余命と宣告されそれから20年以上生きた事を伝え励ました。私もこの叔母が肝臓の手術をしたと聞いていたが、癌とは知らなかった。
叔父に「叔母は癌だったの?」聞くと、黙っていて欲しいという本人の希望でずっと隠していたという事だった。ならば父だってあきらめる事はないし、奇跡だって起きるかもしれないと、叔父と父を励ますが、父は返事もしない。この時の父は余命を宣告されて落胆しているという様子ではない。どちらかというと怒りで震えるという感じで、そのこみ上げてくる怒りを我慢しているようにしか私には見えなかった。とにかく父が落ち着きを取り戻すまで様子を見てから承諾書を持って家に戻った。

 自宅に戻ると、父を見守ることしか出来ない自分と、不信感を持った治療しか受けさせてもらえないのかという悔しさ、父に余命告知をしたという怒りがこみ上げてきて、しばらく話をするどころか、食べることもできなかった。母はしきりに心配するが、言葉が出てこない。落ち着いてから、承諾書を見せながら事情を話した。「何かあっても一切責任を取りません」と病院側のコメントがある。余程取り乱していたのか私はこの時初めて気がついた。恐ろしい治療だと母は泣き崩れた。 その母を見ていたら、父が一人病室でどうしているのか急に心配になる。父は一人だ。冷たい病室で一人孤独と不安に耐えている。この孤独を考えるだけで涙が出る。しかし、何をすればよいのか判らない。 母と弟と相談した結果、承諾書にはサインをしないとう結論に達した。 弟は知り合いの医師に相談をすることにし、私はセカンド・オピニオンを聞くことにした。そして平行してその某ガンセンターに問い合わせ、このMM医師の言う抗がん剤の組み合わせで治療をしているかを問い合わせた。 出来る限り、実際の治療に関する情報が欲しかった。 翌日ガンセンターへセカンド・オピニオンを聞きに行った。「僕があなたと同じ立場ならサインはしません」というのが答え。「この薬で効果があるということは聞いたことがありませんし、もしいい結果が出ているのなら僕達は知っている」という言葉に私は納得した。「他にも治療方法が無いか聞いて見なさい。あるのですから」と代表的な治療法方を教えてくれた。大げさかもしれないが、治療方法は他にもあるのだという選択肢を見つけたことは大いに意味がある。 そして、この先生は「いつでもこちらにベッドを用意します。今から用意しましょうか?」と言ってくれたが、本人に確認を取ってからにすることにした。 しかし「釣りに行きたいと言っている」との私の言葉に「多分無理でしょう」と答えが帰って来て、治療をするとしても限界がある事を認めなくてはならないと思った。 そして有名な某先生のネットで抗がん剤の相談室というのに相談もさせていただいた。答えはガンセンターの先生と同じであった。そして某ガンセンターからもメールで返事を頂いた。「そのような治療を行った過去はありません」だった。

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