癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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 少し喜ぶと違う苦労が出てくる。これは癌という病気だからだろうか? 12月5日頃から幻覚症状と思われる言動をするようになった。痛み止めを塩酸モルヒネ皮下注射に変えたのだがそのためだろうか? 父が眠る姿を見てとても悲しくなった。毅然として律儀で筋肉質の父はやせ細りボーっと空を見つめている。
私は何を期待しているのか? 父に奇跡が起きて癌が治ることなのか? 一日でも長く生きてくれることなのか? 父が今までどおりの父のようであることなのか? そうでは無いような気がしてきた。何気ない会話をし、何気ない笑顔を見てる事なのかもしれない。そんな時間を持つために今日は穏やかだろうか? 痛みが無いだろうか?そう期待をしながらホスピスへ足を運んでいるのだろう。たとえ寝たきりでもやせ細っていても、穏やかな時間を過ごしたい。父には老後の生活というものが病気との闘いの時間になってしまった。仕事のストレスから開放され、老後の生活を送る代わりに病気との闘いになってしまった。健康ではいられないが少しでも穏やかで温かい時間を過ごして欲しい。

幻覚症状のことを主治医に相談したが、修正可能な状態だと言う事で薬の量を減らし様子を見ることにした。幻覚症状は落ち着いてきて私も安心をし始めた矢先に、父は痛みを訴えた。痛み止めは効かないしどうしたのだろうと思っていると、しゃっくりをしている。しゃっくりの後痛みが出るようで顔をしかめ苦しそうにする。主治医は部屋に来てくれてしゃっくりを止める効果のあるお薬を注射してくれた。30分ほど様子を見ていると、痛みは治まった様子でウトウトと眠り始めた。こうして素早く父の症状に対応してくれるというのは、嬉しい事だし、なにより父の苦痛が早く取り除けるというのは一番大切で必要なことだと思った。

12月15日。ホスピスへ着くと父は看護士さんに背中をさすってもらっていた。私も一緒に父をさすり痛みがとれるまで続けた。
私は父が発病をして背中をさするようになっていて、調子が良い日や痛みが無いときなどは父はしなくていいと言うが、それ以外はずっと続けてた事だった。何時が最期のお風呂だったのだろう? 父にだっこをされたのは何時だったのだろう? もちろん記憶に無いし、父の体を擦るなんて事は発病するまでした事も無かった。しかし、私の父はこの背中で私を育ててきた。この腕で仕事をしてきた。この人のこの全ては父を擦る事で自分の父であると実感できる。いつも寡黙で厳格でしかし子供達の我がままを出来るだけ優しい気持ちで包んできた。親孝行をしなければと思う前に父は病に倒れた。私が若い頃にはこんな人は父親なんかじゃない、と感じた事も何度かある。我がままで贅沢だと、父にも言われてきた。しかし目の前に寝ている父はまだ親孝行もしてもらっていない。でも今なら父に親孝行を出来る。もうだっこをしてもらうことは出来ないけれど、一緒にお風呂に入ることも出来ないけれど、今は私の父として目の前にいてくれる。ならば、出来るだけ父をさすっていよう、そういつも思っている。

12月17日。この日はホスピスでクリスマス・パーティがあった。母がホスピスへ行き私は用を済ます必要があり行けなかった。母が帰宅すると父が号泣をしたと言う。泣きながら「悔しい。絶対に治す。このままなんて」という言葉を何度も繰り返したという。胸が詰まった。12月18日、私が行くと父は笑って外を指差す。私にいつも何かを頂戴とせがむ野良猫がいて、その猫が外にいるという。見たときにはいなかったがそんな父の笑顔を見て、少し安心した。しかしおやつの時間になりカキ氷を食べていたので看護士さんと昨日の出来事を詳しく聞き、どのような対応をすべきか相談をしていた。私が来ると父は明るくなり、元気になるし、信頼を置いているから一緒にいるだけで良いですよと言ってくれた。そして部屋に看護士さんと一緒に行く途中、ガチャン・ガチャン音がする。何かと思うと父がテーブルを叩いてものすごい勢いで怒っていた。看護士さんも私も驚いてなだめると「情けない。読んでも誰も来ない」と号泣する。余程精神状態が悪いのだろう。怒って泣く姿はとても力があり、寝たきりでいる父とは思えないほどの勢いだった。その為か痛みが出始め、余計に悲しくなったらしい。看護士さんと一緒に体中をさすり、なだめ、励ましなんとか落ち着いた。するとその後はベッドを起こしテレビを見たり、少し話をしたりと人が変わったようになった。
夕方先生から説明があった。「肝機能が弱ってきているし、アンモニアの数値が少し上がっている。こういう場合は精神状態が不安定になりやすい。全体的には病状が一歩進んだという事になる」ということだった。年は越せないかもしれないと言われていたが、血液検査の結果が安定している状態が続いていたから、年を越す事は可能だけれど、予断は許さないといも言われた。
不思議な事に嘔吐は全くしていないし、下血も無い。発熱も無い。黄疸も腹水も無い。徐々に体力が弱ってきているという印象を受けるが重要な問題は無いのが私の唯一の望みであったのに、ショックを受けた。しかし先生にはお礼を言った。ここまで父が安定していて父と語らう時間をもらえたのだから。。。。
 

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