癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

HOME 闘病記 がんと闘う父の記録 退院 2

 月曜日、抗がん剤初日。父の姿を見ると、何事も無かったかのよう。抗がん剤はどうかと聞くと「胃の中でガチャン、ガチャンやっている」と言う。本人の感覚として抗がん剤が癌をやっつけている、という事らしい。本当に抗がん剤は胃の中で腫瘍と戦っているのだろうか?しかし事実がどうであれ、抗がん剤が効いているという前向きな感覚なのでそれでよしとしておこう。きっとこういう嘘でもいいから前向きな気持ちを持てるということは患者にとってはとても大切で、家族も一緒に喜ぶ事も必要だと考えた。それがたとえ間違いであったとしても、深く真実を追求したから病状が良くなったという話は聞いたことが無い。病状に関して真実を知ると言う事と別のものではないだろうか?発熱の原因も、点滴の針が原因だと信じていて、主治医がそれに疑いを持っている事は知らない。が、知ったとしたら何が違っていたか?つい今までの事は直ぐに過去になる。そして直ぐに新しい未来が訪れる。少しでも明るい未来をと願っているがん患者にとって、過去の出来事の事実を追求するという事はどれほど大切なのだろう?もちろん、誤った認識のままで忘れていく事はいけないかもしれない。が、今はすでに新しい未来である、始まったばかりの抗がん剤治療とどう向き合うかを考える方が、合理的なのではと考えた。
 食事はあまりすすまないながらも少しずつ量が増え、水分の量も増えてきた。閉塞しかけた十二指腸が少し広くなったのかもしれない。そういえば、鎖骨の上辺りに、大きなコブが出来て、私に「癌が出来た」と知らせた事がある。気にしすぎだ、と答えたが、その相手にしない態度が気に入らなかったらしく看護師さんに「癌だ!癌」と訴える。「そんなところに出来る癌は何癌?」と私が白々しく聞いてみると「喉頭がん」と言う。看護師さんは「喉頭がんは、喉にできるよ」とさらっと言うと「じゃ、何だ?」と父。「何だろうね?」と看護師さん。私にも看護師さんにも相手にされないのが気に入らなかったらしい。もちろんリンパ節にも転移をしているので、癌である可能性のほうが高いと、私も看護師さんもそう考えていた。少し前の私なら、このコブを気にして検査などを希望し事実を追及したかもしれない。しかし、今の私にはコブが何であるかを追求して心配を増やすより、抗がん剤が少しでも効果があがる事を願う気持ちが勝っていた。
 しかし本人はもっと気にしていた。抗がん剤を始めて1週間ほどした時「コブが無くなった」と不思議そうに私に知らせた。私は内心大喜び。抗がん剤の効果が上がり始めたと、実感できたからだ。しかし父には「何だったんだろうね?あのコブ?」と、とぼけて答えた。父も「判らないが、たまたまだったのだろうな?」と答えていた。
数日後、S主治医が「早く退院をして欲しい」と廊下で偶然出くわしたときに言われた。「残された時間は少なく、少しでも自宅で長く過ごせるように経口薬にした。何時までも病院にいるようでは意味が無い」と言われてしまった。辛い一言だった。初めて、病院にいるのか、自宅にいるのかが治療の重点であると知った。S主治医が「僕が退院しろというと、先が短いからなのか?と患者が医師に追求するケースがある。そのため家族から退院だと言ったほうがいい。しかし、あなたが言えないなら、僕が言う」とも言われた。
  先が短いから自宅で出来るだけ長く過ごした方がいい、と考えることは間違っていないと思う。しかし「自宅で一日でも長く過ごして下さい」という言葉は辛い。いくら末期癌であると知っていても、残りの時間を自宅で過ごしたいから経口薬を選択するという患者さんはそう多くはないと思う。少しでも良くなるように、一日でも長く生きられるように治療をする、という気持ちの方が強いのではないだろうか?少なくとも父はそうだと思う。
それに、医療の現場にいるならそういう判断は適切にできるかもしれないが、癌という病気、抗がん剤という治療、それらに対して何も知識が無い私たちのような患者はどこか取り残されたような感じで、戸惑いの方が多い。「残り少ない時間を自宅で過ごそうね」と父に言えるほど、私の心の中も整理がついていない。

  数日後、急に父が病院にいてもすることが無くイライラするので退院をすると言い出した。それを聞いたS主治医は直ぐに私たち家族全員を呼び「退院しても差し支えない。急ぐ事は無いが、退院の希望日を決めておいてください」と説明をした。その場で父は「今すぐに退院したい」と言い出した。しかし母は、退院は不安なのでなるべく長く入院させたい、と言う。患者の気持ちと、身内の気持ちの食い違いを感じた。しかし、今日の退院は手続き上無理なので2日後の退院が決まった。
 

index: トップページに戻る  ◊  前ページ  ◊  次のページ