癌・ギランバレー☆闘病記

がんと闘う父の記録

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ずっとそのままにしていた父の部屋を掃除した。主を失いひっそりとしているがうっすらとホコリが溜まっている。いつかはこの部屋を片付けるのだろうか?それともこのままにしておくのだろうか?そんな事を考えながら掃除をしていた。父は本が好きで本棚には多くの本がある。かなり古いものから、最近のものまである。その中の数冊は、私も父に借りて読んだ。親子2代に渡って読まれた本は今はひっそりと本棚にならんでいる。そして父が座って読んでいた椅子とテーブルを見ると、父が本を読んでいる姿が浮かんできて悲しくなった。一体どうして悲しくて何処から悲しみが来るのか、そしていつなくなるのだろう?
 父が闘病を続けている間は、父と色々な感情を共有する事が出来た。父が辛いと私も辛い。父が痛みがあり苦しいと私も心が痛む。頑張っているのに治らないと嘆けば私も悲しい。しかし、父が容態がよいと私も嬉しい。父が機嫌が良いと私も安心できる。しかし、父が闘病を終えた瞬間からは共感していた当の本人である父はいなくなり、悲しみだけが残った。嘆きとでも言うべきだろうか?「どうして死んでしまったの?」と嘆いても反応してくれる父はいないし、空しい響きとなって言葉だけがその場に取り残される。出口のない一方通行の道路にポツリと立っているような感じだ。でも悲しみを分け合う家族や友人はいる。その一方通行の道路を家族と一緒に歩けば孤独からも救われるし、悲しい気持ちや辛い気持ちを理解してもらえるという安らぎも得る事が出来る。しかしたとえ、その家族や友人と一緒に道を歩いたとしても出口が見つからない。根本的に心の中にある悲しみは出口が見つからないから辛いのだろうか?一時的にその悲しみや辛さを忘れる事をできたとしても、その道の先の出口を見つけないと完全に悲しみや辛さをなくすことは出来ないと言うことだろう。
 その事に気がついたからには、今は嘆くだけ嘆いて、泣くだけ泣こう。この出口のない道路で止まっているよりはましかもしれない。先に進めば出口は必ずあるはずだ。又、同じように躓いたり、立ち止まったりするかもしれない。振り返ると、ずっと立ち止まって動けない場所もあったし、2歩進んで躓いて動けない事もあった。しかし、確実に前に進んでいる気がする。
 ふと一緒に闘病を続けていた間に、父と共感できた事に喜びを感じた。父が亡くなって悲しく辛いのに、この世を去らなくてはならない父は今の私よりもっと辛かったに違いない。その時の父の歩いていた道は私の今歩いている道よりずっと暗く、辛く、悲しく耐え難いものだったと思う。しかし、父と戦っている間、私も父と共に悲しみ、共に喜ぶ事ができたのは父にとっても心強かったに違いない。その父が歩いていた暗く辛い道を一緒に 歩けたことは父を支える事が出来たということだとも思う。きっと父も悲しみや辛さは一方通行であっただろうし、険しい道だったに違いない。今日は、この世を去らなくてはならなかった父の辛さも一緒に連れて前に歩いていこう。出口は見つかるに違いない。

私はゴルフが好きでずっとプレイをしていた。しかし交通事故で怪我をした事をきっかけにできなくなった。そのゴルフの面白さは一言では表せないが、一番難しいところなら言える。それは自分自信をコントロールする事だと思う。ひどいプレイをした時に精神的に落ち込むと、プレイにも影響をしクラブを投げたくなる。聞いた話だけれど、池の中にバッグごと投げ込んだ人がいてい、「切れ者」とあだ名がついたらしい。又、スコアには誰もがこだわり「あの時にパターが入っていたら、パープレイだった」「あのときのO.Bが無ければ今日は100以下でラウンドできた」など、たらればをやたら連発する人もいる。しかし、ラウンドを終えて計算したスコアが全てを表すから残酷だ。少しでも良いスコアでラウンドを終えたいのは誰もが同じだろう。特に目指すスコアの前後はとても神経が過敏になり「あの時のダブル・ボギーをしなかったら」「あの時にバンカーに入らなかったら」などと悔しがる。もう少し楽観的な人は同じ状況で「あの時のダブル・ボギーは練習が足りないと言うことだな」「あの時に池に入ったから、次は入らないようにしなきゃ」と言う。楽観的と言うより前向きと言うことだろうか? そういう人は必ず一生懸命練習するし、過去の失敗を教訓に上手になろうとする。前者は、何時までもその失敗を覚えていて次にラウンドしたときにも話をしたりする。しかし、過去の失敗にとらわれこの先に練習をして同じ失敗をしないようにという大切な事を忘れがちになる。
 父の中学の同級生が数人父に会いに来てくれた。同じ年齢にも関わらず、元気に過ごされている父と一緒に行った旅行の話や、中学の頃の父の話を聞かせてくれた。私の知らない父の姿を垣間見ることが出来て嬉しかった。話に花が咲き、「元気でいてくれたら」という言葉が聞こえた。私も同じように思う。今父が元気でいてくれたらと、想像すると複雑な気分になるのも確かで、悲しみにも襲われる。一体どうして父が癌になりどうして父が死んでしまったのか?そんな考えても答えの出ない疑問をも持ってしまう。茨城の叔父が「運命だ。あきらめろ」と言った言葉が今でも心に残っている。父の運命、それは一体何なのだろう?

 

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