父の癌との闘い~病状・症状の経過

日々の出来事や病状、通院の記録を残していました。それらをこちらにまとめ、記載しています。

6月
年月 病状・症状 メモ
1日 この頃だったと思う。毎年行く鮎釣りの川へ行った。
体のだるさが少しずつ出始めたのもこの頃
この頃の恭平は疲れやすかった。父と釣りに行くときも、恭平だけ置いていこうと思ったが、やはりそれは出来ずに、一緒に連れて行った。

疲れやすいので、恭平だけはかわらを歩くときに抱っこをして、日傘で日陰を作って気遣っていたが、恭平は一緒にいることに満足そうであった。

しかし、家では徐々にトイレで失敗が多くなる。いつもは私と寝るために私が抱っこをして2階へ一緒に行くが、2階へは一緒に行こうとしない。

どうやら、トイレが近いし、トイレで失敗をすると叱られるのが嫌なようだ
5日 医大病院   内科
10日 いつものように父と私は買い物へ出かけた。しかし、突然痛みが出て歩くのがしんどいと言う。急患で医大病院へ
骨への転移を考え、骨シン値の検査をすることに
痛みは動かないと出ないらしい
11日 医大病院   内科
12日 がんセンター   旅行があるので抗がん剤を旅行の後に延ばすつもりだった。しかし、痛みが出たときに不安が出てきたらしく、抗がん剤を飲んだほうが気持ちが楽だという。
14・15 友達夫婦数組で旅行へ。楽しかったと言った。痛みは出ていない
17日 医大病院  精神神経科  内科
20日 がんセンター がんセンター  骨シン値の検査
22日 友人と鮎釣りへ。疲れたようだが、新しく買った鮎の竿を使い、鮎を釣った
26日 がんセンター   骨シン値の結果は異常なし。腫瘍マーカーの値が上昇している。が主治医は「問題ない」と言う
27日~  30日 食事の量が減ってきた。背中が痛む。胃が痛くて眠れない
じんましんが出る。眠れないほどかゆみがある

7月
年月 病状・症状 メモ
1日~
  7日
布団に入ることが多くなる。痛みも出る回数が多くなる
体が冷たい。さすっても暖かくならない。背中の痛みあり
じんましんが治まらず、医大病院皮膚科へ。検査をした。結果は8日
医大病院の診察を待つ時間に、痛みが出る。事情を話すと診察を早めてくれた。ありがとう
やはり恭平の様子はおかしい。散歩へ行くとき、おしっこの回数がやたらに多い。

5月に動物病院に通ったときに「トイレでそそうをする」と獣医師に伝えたが、それが病気と直接関係することは無いだろう。どちらかと言うと、ジュディーとさくらに対しての焼きもちがあり、気を引くためにわざと違うところでおしっこをするのかもしれない。特に今お父様の看病があるため自分に気を回してもらえないから」と言われた。確かに父のことで手一杯で恭平には少し寂しい思いをさせていると思っていた。
でも、それが理由でこういうおトイレの失敗をするとは考えにくい。

ずっと通っていた動物病院を、この病院と変えた。私は事故の怪我の後遺症で車の運転がしんどかったため、この自宅から近い動物病院に変えた。
そのため、恭平を詳しく知らないため「やきもち」と思われたのかもしれない。
確かにやきもちを焼く状況ではあるが、何かがおかしいと思っていた
8日 痛みがひどい。
じんましんは医大病院で処方された薬で治まっている。
今日は検査の結果を聞きに行かなくてはならないが、私が医大病院へ行き、母が父をがんセンターへ。医大病院の後、すぐにがんセンターへ向かい父と合流。
朝、主治医に電話をしたら「水が飲めるなら問題ない」と相手にされなかったが、とりあえずがんセンターへ。KK主治医の診察を受ける。看護師さんが手配してくれて、KK主治医にメインの主治医が変更に。ありがたい。KK主治医は先月の腫瘍マーカーの数値を教えてくれた。やはり大幅アップしている。抗がん剤の変更を考える時期に来ていると判断され、入院をすることに。
父は、入院をすると聞いて安心
9日~
 14日
何時入院が出来るかわからないので、自宅で過ごすしかない。
食欲減少。痛みあり。特に背中。寝ている時間が多い。無理にでも起きていようとするが、横になることを薦める
16日 いきなり嘔吐。「吐き気は無かった」と父は言うが・・・
18日 主治医から説明あり。転移した肝臓の癌が大きくなっているためTS-1は効果が薄れたと判断。タキソテールを使うとのこと。父は以外に冷静で、癌に効果のある抗がん剤を使ってくれと頼んだ。
19日 病院へ。以外に元気にしていて、安心をする。今日から一時外泊。夜は自宅で過ごす
20日 愛犬を連れて鮎釣りへ。だるいらしく何もしなかった
21日 病院へ戻る
22日 微熱が出たりするが、高くならない。父は焦っている。痛みはMSコンチンの量を増やして様子を見ている。とりあえずなんとか痛みは治まっているようだ
23日 タキソテール第1回目。吐き気なし。脱毛なし。父は「何とも無い」と副作用が無いことを喜んでいる
24日 お昼頃病院へ行くと「吐いた」と言う。その後夕方まで4回ほど吐いて苦しんだ。絶食の指示あり
25日 吐き気は治まる。すると以外に元気だ
28日 体がだるいと言う副作用が出始めたようだ。血液検査では白血球が減少している
食事は取れない
31日 胃カメラ。食事が取れないほどの状態ではないが、一応胃カメラで確認。十二指腸が閉塞しているようなら緊急手術を予定
病室のお隣のベッドの人が、カメラの写真をパソコンに取り込んでプリント・アウトしたものを持っていたらしい。それを知った父は私にもプリント・アウトしろと指示をする。
この頃微熱が出たり下がったり
口内炎が出来る

8月
年月 病状・症状 メモ
1日 今日も、熱は下がらず。胃カメラの結果次第で緊急手術を予定していたが、十二指腸の閉塞は見られないし、癌は存在するものの安定しているので、様子を見るということになる。ネットで知ったアラビノキシランを売ってくれうる会社からカウンセリングの電話あり。「食事が取れるのなら立派なもの。薬に反応しやすい体質のようですから、アラビノキシランにも反応してくれる可能性が大。あきらめる必要の全く無い方です」と言われた。 やはり恭平の調子が悪い。うんちも出が悪くなってきた。


日にちは付けていないが血尿が出る。慌てて動物病院へ。
検査の結果、膀胱炎と尿道結石を併発している、ということ。
抗生剤での治療を続ける。
しかし、完全には良くならない。

動物病院に通っていた矢先に、恭平の尿道にしこりを発見。
癌である可能性は否定できないので、検査を薦められる。しかし、尿道や前立腺の手術は危険を伴うので、癌であるなら抗がん剤治療になると言われた。

父がちょうど抗がん剤で副作用が出ている頃で、私自身としては恭平にも同じ抗がん剤治療をするといいう決心がつかない。
癌かどうかを調べるための病理検査をするためにも、ある程度の手術が必要だ。一体どうしたらいいのか悩む。

ただ、5月にレントゲンや検査をしているが、そのときにも、今回にも癌を認められる程のものは出ていない。
そこで動物病院の獣医師から「アガリクス」を薦められた。試してみることに。






2週間でかなりの腫瘍の縮小を認める。これだけ効果があるということは、癌ではなかったということかもしれない。このまま様子を見ようということになった。
2日 そうめんを作って持っていったら、食べた
3日 嘔吐
5日 熱は下がる。しかし、34.5度と低体温へ。父は体温計が壊れれていると信じて疑わない。父を触ると氷のように冷たい。私は怖くなった
体調が良いときは、自分で売店へ行ったりしている
食事が取れないからといって以前のように焦ることは無い
私も病院にいる時間をとにかく長くして父と過ごすようにしていた
髪が抜け始める。シャンプーをして抜ける毛を抜いて欲しいと言うので、生まれて始めて始めて父の髪を洗った
6日 熱は36度台へ。しかし食欲が無いので結局点滴をする。 点滴の針を一度でさせなかったり何度も抜けるためかなり看護師さんに怒っている。
そのため抜ける心配もさす心配も要らない中心静脈リザーバーに。数針縫う必要があるが、それを知らなかった父は「おい、数針縫われたぞ」と言った
髪はどんどん抜けている
7日 床屋で坊主にしてきた。 短くするだけかと思ったら、思い切り良く坊主にするので驚く。
父はあまり気にしていない様子だが内心は判らない
主治医が退院しろと言ったと誤解して、電話がある。慌てて病院へ。明日から一時帰宅だということで、退院はまだ先。しかし精神状態はあまり良くないと思う
8日 一時帰宅。帰り道にデパートへ寄り、帽子を購入。歩くのがしんどそうだ
9日 布団で過ごすが、愛犬たちと一緒に寝たり、気分は良さそうだ
10日 病院へ戻る。 戻る病院に途中に釣具屋へ行き、釣りの道具を購入。来年釣りをするために道具が欲しいと言う。生きる希望をこの言葉に見た
11日 病院へ行くと、父は泣く。これから先のことが不安らしい。「医師も看護師も何もかもが信じられない。この先の見通しが全くない」と泣きながら私に訴える。きっと精神状態はかなり悪いと思う。看護師長さんに相談をし、直ぐに家に帰ることにした
12日 家でゆっくり過ごす。 愛犬の顔を見ると「ジュディーしゃん、しゃくらしゃん」と機嫌が良い。帰ってよかった。病院へ戻る途中に、食べるものをスーパーで購入。しんどい様子だが「食わないとな」と気力がある
13日 昨日の夜から、私が風邪をひき、発熱。病院へは行けなかった。 家で寝ていると父から「点滴をしにいけ」と電話がある。いつもの気丈な父に戻り「欲しいものは売店で買うし、用はない」と言う。その父の言葉と態度の裏には、自分が弱くなったと言う事実を認識したと言うことがると思う。自分の病気のことで精一杯で、弱気になり頼っていたが、自分はまだ体も動くし、まだ頑張れると気がついたようだ
14日 私は回復せず。ひどい副作用は今の所出ていないようだ
便秘がひどい。浣腸で排便成功
15日 タキソテール2クール目点滴
18日 わがままを通して退院
食事が取れない分、点滴をすることになる。リザーバーを装着しているので、自宅の近所の病院で点滴を手配してもらうように、紹介状を書いてもらった
たまたまがんセンターの出身の先生が開業した病院が近くに出来た。その病院を父は気に入り、その病院に決まり。車でいく必要があるが、自分で歩いていくと言う。気力というか気丈さは残っている
19日 点滴のために近所の病院へ。父は通うと言うが、医師は高カロリーの点滴を薦める。しかし、12時間かかるからか、父はその点滴を拒否。通いで3時間の点滴でいいという。カロリーが足りない部分は頑張って食事を取るという
おにぎり、桃などを食べる
20日 おにぎりを食べるが、その後嘔吐。夜中に下痢。体力の大幅な減少
21日 体力が落ちたせいか、病院についてから車椅子で移動。通うことがしんどいと判断した父は、高カロリーの輸液に変更を決意。私が指導を受けて点滴をすることに。
が、父は不安そうだ
ほとんど寝たきり
22日 外はかなり暑い。家では温度を調整してあるが外に出るだけでかなり体力が落ちる
痛みは無いようだが、体力は回復する様子はない。   おかゆ3口
ほとんど寝たきり
23日 父がトイレへ行く様子を見て、少し体力が戻ったと感じる
おかゆ、アイスクリーム、プリンを各3口
昨日より寝ている時間が短いようだ
24日 おかゆ茶碗半分。嘔吐なし、下痢なし
26日 がんセンター検診。移動は車椅子。父は歩けると言い張るが体力温存のためだと父を説得。
腫瘍マーカー減少。抗がん剤の効果あり。貧血は改善せず。鉄剤を服用することに
27日~  29日 安定している様子。食事は少ないが取れる。
黒い便が改善しないらしく不安をもらす
毎日お腹をさする
30日 痛みあり   便秘解消。が、便が黒かったらしく布団をかぶってふさぎこむ。鉄剤を服用しているからなのだが、実は父は一日一錠服用のところを、朝、夜2錠ずつ服用していた。黒い便が出て当たり前だ。それが判ったら父は「そうか。貧血が治ったかもしれんな」と安心。
31日 食後に痛みあり