父の癌との闘い~病状・症状の経過

日々の出来事や病状、通院の記録を残していました。それらをこちらにまとめ、記載しています。

2003/1
年月 病状・症状 メモ
1月14日 がんセンターへ転院
検査の結果などの資料は全部医大病院で借りた
がんセンターへ転院するときに、医大病院からは検査の結果の資料を全て借りてがんセンターへ持参。紹介状も看護師さんからの書き添えもつけられていた。
今回の場合は、この化学療法専門医のおかげで父はもっとよい治療方法があるのだという希望と、自分はこんなことでは負けないという強い力を持つようになった。そして、私に「すまなかった」と一言。普段の父は、自分が父親であるという強い考えを持っているが初めて娘に世話になったという恥ずかしさを感じていたようだ。そして、入院をしていると自分では動くことが出来ない。そういう苛立ちも私が色々と調べる姿を見て薄れていったようだ
15日 内視鏡など辛い検査はしなくてよく、簡単な検査をして直ぐに抗がん剤が決まる
16日 主治医からの説明のため家族全員ががんセンターへ
TS-1という経口抗がん剤での治療になる。経口薬なので自宅でも治療が可能。腫瘍に対して40%の効果があると言われている」との事。来週の月曜日から治療を開始するということで話は終わり
18日 どうやらMSコンチン(モルヒネ系鎮痛剤)を服用している様子。

MSコンチン(硫酸モルヒネ)一日20mgノバミン(吐き止めとして処方)
何時からか判らないが、痛み止めが処方されてい た
ある日の夜、食事のときに看護師さんがお薬を持ってきた。父が飲むまで立っていたし、今までの薬と違うことに気がついた。父に確認すると最近の事らしく「今まであった痛みが無くなった」と言う。私はモルヒネ系のお薬だと確信し、看護師さんに確認。
やはりモルヒネ系の痛み止めだった。父は気にしていない
このことに関して家族には連絡などは無かった
19日 発熱。38度 看護師さんは慌てている。父はふらふらして歩けない。「情けない」とつぶやいた
20日 熱が下がる様子は無い
23日 主治医から説明「熱のあるときは抗がん剤治療は出来ない。今すべき対応として、貧血が進んでいるので輸血をする。熱の原因の可能性のカテーテルの針を差し替えてみる。熱の原因と考えられる事全てに対処し様子を見る」 21日には病室をナース・センターの目の前に変わった。どうやら自体は深刻なようだ
24日 熱の高いときで40度
治療をしない今の状態のまま、最悪の場合も考えられると言われた

輸血をした後、嘘のようにしっかりとした。青白かった顔色も少し戻った
25日 熱が高いときにはうわごとを言い出したりしていたが、微熱になり嘘のように無くなった。月曜日に治療を開始するとの事。少しでも下がったときが治療開始のチャンスらしい。 「これでは駄目だ。治療すら出来ない」と父が嘆く
「負けたら駄目だよ。頑張らないといけない」と励ますが
「もう十分すぎるほど頑張っている。でもどうしようもないんだ」と父は言う。
父は治療が出来ると聞き安心した様子
27日 初めて抗がん剤を飲んだ日 「どう?」
「何ともない。胃の中で抗がん剤と癌が闘っている」と言う
いきなり食事が出たらしく「食えるか!!!」と怒っている
29日~2月7日 食事が少しずつ取れるようになる
夜眠れないらしく、夜中は起きていることが多い
ベッドの上で座っていることが苦痛
8日 主治医から退院の説明
食事が少しでも取れるなら家での治療に切り替えて欲しいとのこと。14日に退院が決まる
鼻血が出る。かなり大量に出る。 「こんなに出てしまって、体の中に戻したいぐらいだ」と、せっかく輸血したのに出てしまう大量の鼻血に対して言う
14日 がんセンター退院。 自宅に帰って始めて食べたものはそうめんだった
私が作って父に出すと、涙ぐんだ。2度目に見た父の涙。でもこれは辛い涙ではない
15日 突然茨城から父の弟が見舞いに。父の兄弟が自宅で集まった。楽しい時間を過ごす 父は以外に元気であった。父の兄弟を全部呼んで集まる。しかし、じっと座っている事ができないらしい。不思議だが原因は不明。
自宅での療養
2月
年月 病状・症状 メモ
2月19日 がんセンター診察
血液検査プルセニド(便秘薬)
エンシュア・リキッド
入院中から続いている鼻血が自宅でも出る。そのためブザーを購入。父の部屋は2回の一番奥なので、大声で呼ぶことは困難だが、これで一安心
鼻血は治まらないが、出血の量が減ってきた。
目がかすんで見えない。眼科へ
鼻の中に塊が出来て息が苦しい。耳鼻科へ
夜眠れないらしい
背中を毎日さすると楽になるらしい
退院してから、TS-1(経口抗がん剤治療)を継続。
食事が少ないため、エンシュア・リキッドで補給。
一日2本から4本を飲むことを薦めるが、中々飲めない。一日1本がいいところ。

それより問題は夜眠れない事、いらいらすること。
22日 医大病院へ。入院していたときの主治医に会った。「元気になった」と励まされた
この頃便秘に悩まされる
気がついたのは入院中もさすっていた背中の辺りに出来ていた硬い大きな塊のようなものが改善されている。
24日 がんセンター診察。経過は順調。TS-1 継続
血液検査・腫瘍マーカー
おなかが痛いために救急車を呼んだ。救急車で揺られて病院に着いたら便意をもよおし、血液検査をしただけで自宅へ戻った。(日にちは記憶にない)
眠れない日が多い
この頃は父の友人達が代わる代わる見舞いに来てくれる。父は笑顔で楽しい時間を過ごすが、じっと座っていることが困難
この頃は毎日、耳鼻科へ。徐々に鼻の状態は改善
3月
年月 病状・症状 メモ
3月6日 がんセンター検診。主治医の態度に涙をする
イライラが治まらないために、どうにかなりそうで不安らしい。それに夜眠れないのが続いている
食欲はかなりあり、発病前とさほど変わらないほど
3月に入り、朝まで起きていたと言い出す。明らかにおかしい
食欲もあるし、元気もある。しかし、夜眠れない、イライラ、などの症状は改善せず。それよりひどくなる。
記憶力低下、よだれ、そわそわがひどい
食事は量が増え、隠れても何かを食べたいというほど
16日 イライラがピークに。「頭がおかしくなりそうだ」と訴えるため私も慌ててがんセンターの主治医へ電話。「精神科へ行きなさい」と軽くあしらわれる。
しかし、私は薬の副作用を疑っている
食欲はある、眠れないのに体は疲れない、記憶力が著しく低下、座るとイライラする、よだれを垂らすなどの症状で、これは精神的な問題だけとは考えにくい。
車で出かけたがるが、ふらつくために車の運転は禁止した。かなり怒った
18日 医大病院へ。精神科は抵抗があるため、ここで相談。精神安定剤を処方された 医大病院の主治医で相談をすることに。ここでも癌を気にしているからだろう、と精神安定剤を処方される。が、改善の傾向は見られない。むしろ悪化。
思い切って精神科へ。
24日 がんセンター検診。主治医が精神科への手紙を書いてくれた。紹介状ではないらしいが、この区別は何だろう?
25日 医大病院 精神科へかかる
「眠れるための薬を調整しましょう」とのこと。カウンセリングがあると思ったらなかった
カウンセリングがあると思ったら何も無く、状況を聞いて精神安定剤の種類、量を調整していくことに。
私の「癌を気にしてこのようなことになるか」との問いに
主治医「Nさん、癌が気になって眠れないですか?」
父「いえ。全くないです。それよりこのイライラで自分がどうにかなりそうで、癌でおかしくなるよりイライラでおかしくなる」
という会話があった。父のこの言葉は正直なものだと思う。
薬を飲んでみて、合わないようなら又診察、ということを繰り返していくということで、診察は終わり。
31日 本当はいけないことだが、私の独断でMSコンチンを中止。
MSコンチンか、ノバミンの副作用であると私は判断していたので、中止してみた。痛みが出ればコンチンを再度使えばいいと思ったが、痛みは出ない。一応ロキソニンで対応
父の態度が子供っぽくなってきた
私の行くところへはどこへでもついてくる。一人で行動をしない
以前の父は気がつくと家にいないヒ人だった
4月
年月 病状・症状 メモ
1日 医大病院 精神神経科   内科 イライラの症状は一向に治まらず、むしろ悪化していく。
いったん布団に入っても
「駄目だ。眠れない。布団の中でじっとしていられないんだ。横になって眠ろうとするとイライラする」と起きてくる。そのたび私は父の背中をさする。ハチミツレモンを作って飲んでいると「何を飲んでいる」と聞くので作ってあげた。「温まるから眠れるかもしれないよ」と言ってカップを渡すと、美味しいといって全部飲んだ。その後やっと布団に。夜1時だった。
2日 がんセンター 受診
腫瘍マーカーなども安定していて特に問題は無い
3日 医大病院 精神神経科   内科
精神科では何度も薬を調合し、改善される薬と量を探しているが、中々改善されないそれでも父は釣りへ行きたいと思っている。「6月まで自分が元気だったら釣りへ行くから、釣竿を買う」と言う。「必ず行くのだという気力がないのに買わないで欲しい。必ず行くと約束してくれるか」との私の問いに深くうなずく。「頑張るんだ。負けない」とつぶやいた
8日 医大病院 精神神経科   内科(タダ)
医大病院の医師はTS-1でここまで効果が上がると思っていなかったようで、今後の経過が知りたいので、CT検査の結果が出たら教えて欲しいといわれた。そのため治療費は支払いしなかった
記憶力がかなり低下。自分が飲んでいる薬を覚えられない。飲むたびに私に確認をする。薬のケースに色別に付箋を付けて直ぐに判るようにしてみるが、それでも確認をする。
父は本来頭が良く、頭も切れるし、記憶力もよい。自分の父をほめる訳ではないが、冷静に分析しても父は頭が良い。なのに、どうしたことか? 父はすっかり変わり果てた。別人と言ってよい。
全く眠れないというので、時間をつぶして眠れるようにしようと、トランプをする。神経すいじゃくをしてみると、誰も父には勝てない。これは私は父がどの程度の症状かを見たかったためでもあるが、かつての父の頭の切れは残っていると実感
14日 がんセンター    CT検査のみ 父も辛いようで私を頼ってくる。そんな父を何とかしたいが私には限界がある。何とかしたい、でも出来ないというフラストレーションは私自身が限界になり、父を精神科に入院させるべきか相談。父は、何とかなるなら入院したいという。やはりよほど辛いのだろう。その言葉を聞いて、スタート地点に戻り、何が悪いのか、どんな症状かをはっきりさせようと考え直した。つまり、父の症状に私たちが巻き込まれているため、診察を受けて原因を突き止め、治療を受けるという、基本を見失っているということだ。
翌日、精神科へ
父には、どんなときにどんな症状なのかをもう一度詳しく聞いておいた。そして、その症状を正しく詳しく伝え、それでも解決方法がないのなら、入院をお願いすることにした。
翌日の診察で、
主治医に詳しい症状を伝えると「ははぁ。なるほどそれは副作用ですね」とのこと。アカシジア症候群というもので精神安定剤から来る副作用らしい。副作用を止める薬があり、服用後15分すると楽になるらしい。
言われるとおり、薬を飲んで15分ほどで直ぐに楽になった。
この後から父は快適な生活を送ることが出来るようになった
杖をついて歩かないとまっすぐ歩くことも困難
15日 医大病院   精神神経科
17日 医大病院   精神神経科
食欲もあるし、痛みも無い。食べすぎは良くないと注意すると隠れて食べる
18日 がんセンター  検診
KK主治医(二人いるうちのもう一人の主治医)の診察を受けた。あえて主治医の診察の日をずらし、この日に診察に出向いたらKK主治医の診察日だった
父は飲む薬が覚えられない。毎回私に確認をしてからでないと薬を飲めないのだ。本当に一体どうした?
22日 医大病院    精神神経科
イライラはするが、歩いているときは何ともないらしい。そのため、気分転換に私が行くところへはついて来る事が多い
30日 がんセンター  検診
5月
年月 病状・症状 メモ
6日 医大病院  精神精神科    内科
医大病院で「相談窓口」を発見。がんセンターの主治医の態度には気になるところがあり、医大病院への再転院を望んでいるため、相談をした。後日、この相談員の方らから、父の再転院を受け入れてくれると連絡がある
去年の夏ごろ、恭平が膀胱炎の症状で病院に通っていた。年齢からしても検査をするほうがいいということで、癌の検査をしていた。異常はなかった。

ところが、父が癌と宣告されてから、恭平の様子がどこかおかしい。おトイレできちんとおしっこもするが、あと一歩と言うところでおしっこシーツからはみ出たところでおしっこをする。

この月にヘルニアのような症状になり、動物病院へ通い始めた。
膀胱炎の症状も同時に出たため治療をした。
何かがおかしい、と思うが治療をして回復に向かっていったので、自分の気のせいだと思うとしていた。
味覚異常が出始めたのもこの頃。しょうゆなどが酸味にかわるらしい。甘いものは大丈夫
アカシジア症候群はほぼ改善された。しかし、よくここまで我慢したと思うほど、症状はひどかった
症状の取れた父は、今までの父に戻った。しかし、私が行く所へはどこへでもついてくるのは変わらない
釣りへ行きたいと言う希望があるため、釣具屋へも何度も足を運んだ
17日 家族、愛犬と共に海へ釣りに出かけた。抗がん剤の副作用で疲れやすいようだったが、楽しい時間を過ごした。刺身、フライなど美味しそうだと思うものは何でも食べた
21日 がんセンター
がんセンターでは受付の看護士さんに相談。主治医を変えることを提案してくれた
23日 医大病院 内科
体を動かすことがしんどい日がある。痛みは無い。食欲は少し落ちたかなと思う程度