ダックスの恭平3

私の親友も、パピヨンを大切にしていたがしつけには厳しかった。ひたすら厳しくして飼い主の言う事を無視する態度は許さなかった。私もそれぐらいしつけを厳しくするとは想っていた。

例えば、「おいで」と言って私の元来るようにするにはかなり苦労をした。遊びたいだけの恭平は私の言う事を聞くより他に目に留まったものの方へ走ってしまったし、お手を教えている最中には「こんな事やってられるかよ?何の意味があるのさ?」という感じであった。しかし、獣医さんが教えてくれた。ワンちゃんは誉められる事が大好きと。知らなかった。いつも怒ってばかりで誉めた事があるだろうか? 無い。試してみる事にした。すると効果は抜群。いろいろな事を楽しそうに覚えて言った。獣医さんも感情を読み取る力はありますから飼い主さんが楽しそうにしつけをすると、恭平君も楽しんでやります。と追加で教えてくれた。

ん?感情を読み取る?実験をしてみた。恭平が昼寝をしている時に、理由は無いが私が喜んでいるフリをしてみた。すると、起き上がった恭平は「何???何?嬉しいの?じゃ僕も嬉しいよ」と言っているかのように、シッポをフリフリ私と一緒に喜んでいる。「ね、恭平、何がそんなに楽しいの?」と我に返ったふりをして言ってみる。恭平は動きを止め「え?」と私を見る。そうか、恭平は私が嬉しいと嬉しい、悲しいと悲しいのだ。理由は何でもいいが、私の感情を分け合っているような気がした。

私は恭平にお洋服を着せるとかおリボンをつけると言った趣味は無かったが、友人が恭平にクリスマス・プレゼントにサンタさんの洋服を作ってくれた。洋服を犬が喜んで着るはずが無い。しかし、着せた後に友人数人で「きゃー、可愛い。恭平君すごく似合ってるよ。可愛い!!!!」と褒めちぎった。恭平は、すまして座りサンタさんの服を着ていることが楽しそうだ。そして洋服を嫌がることはこの先に一度も無くなった。むしろ「どう?似合ってる?」とでも言いたそうだ。

そんな感じで、私は恭平を誉めるという技を見につけ、恭平も誉められる事に快感を覚え、恭平との生活はどんどん快適になっていった。

これから犬を飼う予定の方も、私の経験をぜひ役立てて欲しい。犬も誉めればサンタさんになる。

ひどい話その1

これは私の性格がとろいということを白状するようで、話すのを止めようと思ったのだが、他人事として聞くと、興味のある話なので、話す決心をした。

ある夕方のことである。冬なので夕方といっても真っ暗になっていた。このとき私は恭平と外出の帰り、家から車で5分ほどの距離のところにいて車の助手席には恭平がいた。しかし、車のバックシートでなにやらカタカタと異様な音がする。何か判らないので赤信号で車を止めたときに確認することにした。運良く赤信号で止まったので、サイドブレーキをかけ、車から降り、後部座席のドアを開け、音の原因を確認し車に乗った。音の原因はここでは省く。そのまま信号が青になり、車を発進させ無事家に着いた。

しかし、助手席の恭平が見当たらない。どうして???後部座席にも居ない。後部座席にあった荷物を取るときに私が気づかぬうちに家に戻ったのかもしれない、そう思い家の中に入り両親に「恭平は???」と、すっとぼけた質問をした。「知らんぞ」と答えが返ってきた。当たり前である。いくら恭平が私より先に玄関に行ったとしても、玄関のドアは閉まっていた。入れるはずは無い。

しかし、恭平が居ないということが理解できない私は、どこかに居るはずだと、探し回った。両親もその姿を見て、「居ないはずがない。どこかに置いてきたんじゃないのか???」と言うのだが、そんなことがあるはずが無い。何処に置いてくるのよ???家の周りに居るはずだと思うけど、でも、あれ?そういえば、車を止めてサイドブレーキをかけたわ。。。。ちなみに恭平は車のサイドブレーキの音で目的地に着いたのかただ止まっただけなのかを判断し、私が何も言わないときは一緒に車から降りる。そして、「留守番」と声をかけたとは車から降りない。もちろん、あの信号で止まったときにはサイドブレーキをかけ、何も恭平に声をかけていない。

まさかの事態だ。恭平を置いてきた。。。。恐怖と不安が私の頭をよぎった。車に引かれていたらどうしよう??誰かが連れ去っていたら???とにかく車を走らせている間祈る気持ちだった。私は自分の使った道路をたどって行き、ついでに注意深く道路に倒れていないかを確認しながら車を走らせた。すると、たどっている途中で見つけた。きちんと歩道を歩いている。それもしょんぼりした姿で、道路のにおいをかぎながら、ほんとにとぼとぼという表現が一番適している。私は車を止め、走って恭平の下へ行った。

「きょおへええええ!!!!」恭平は振り向いたが、そのまま歩いていってしまう。「恭平!!!私よ!!!大丈夫???」あまりに反応が薄いので車に当たったとか、歩いている人に石を投げられて怪我をしたのだろうか?何とか抱きかかえて車に乗せるが、尻尾も振らなければ、私の目も見ない。とにかく家で体をチェックししよう。家の中に入っていくと、突然猛ダッシュで走り父の所へ。そしてシッポもフリフリ。あれ?父は「置いていかれたか?頭にきたよな?」と恭平に言っている。父が正しかった。恭平は私のことを怒っていた。

同じような事は、恭平を美容院に連れて行ったときにも起こる。美容院に迎えに行っても尻尾も振らなければ、私の目も見ない。思い当たる事が2つあるのだが、一つはおリボンをつけた恭平を「似合わないよね」とからかった事。もう一つは恭平はシャンプーが世界一嫌いな事。この2つの理由から私に「僕は怒っている」と体中で表現する。可愛いといえば可愛いが、憎たらしい程の表現力には驚くものがある。

家族全員で、旅行をする事になった。こんな家族らしい発想は今までに無かった事で、計画もどんどん進行していく。行き先だけが決まっていなかったが、結局無難にグアムとなった。が、恭平はどうする?ペット・ホテルにあずける事にした。しかし、どうしても冷たいベッドで恭平を置いておくという事が出来なかったし、散歩とトイレとご飯だけ何とかなれば後は家にいたほうが安心かもしれないと思った。そこで母は親戚に頼んだ。毎日は大変だと私の友人にも頼んだ。そして旅立ち。異様な雰囲気に気づいた恭平は私たちが出かける時に、玄関へ見送りにも来ない。私の部屋に入ったきり出てこなかった。しかし事のとき叔母がいてくれたので「私が見てあげるから行ってらっしゃい」と言うので涙ながらに玄関に背を向けた。旅先ではやはり心配で叔母の家に電話した。

叔母「恭平はかわいいよ」
私「どうしたの?」
叔母「昼間一人でいるとかわいそうだから、と私の家に連れてこようとしたんだけど絶対に来ないのよ」
私「テリトリーがあるから、余計じゃないかな?」
叔母「それだけじゃなくて、家に着いたらまず散歩へ連れて行くんだけど、私の前を歩いて案内するのよ。いつもの散歩コースはこっちだよと、言ってるみたいに私を振り向きながら着いてくるのを確認するし。自分が満足したら家に自分から帰って、ご飯のお茶碗の前の座るから直ぐに恭平がお腹が空いたって判るし。ご飯をあげたらもう一度散歩へ行こうと言っても絶対に着いて来なくて、2階に上がってしまうからもう一度散歩に行こうと誘ったけど、Mちゃんのベッドに寝て絶対に動かないわ。もう私には用がないから帰ってもいいよ、って言われてるみたい」
私「しかし、ずうずうしい犬でごめんね」
叔母「違うの。恭平の言いたい事が全部判るからかわいくて仕方ないわ。今度私の家に泊めてもいいかしら?」
との事らしい。

私の友人は「散歩へ行ってきたけど、あまり遠くまで行くと心配だから”おうちに帰るよ”と行ったらくるりと方向を変えて家に戻ってね。戻ったら、自分のおもちゃを持ってきて遊ぼって誘いに来たから、少し遊んであげた。でも棚の前で私に何か要求するけど、何が入ってるの?」

つまりその棚には恭平のクッキーが入っていた。恭平は私達帰るまでこの調子で叔母と私の友人の世話を待っていた。そして誰もいないと私のベッドで待っていた。5日間だったけれど恭平はとてもいい子でお留守番が出来た。しかし恭平は叔母と私の友人を自分の召使のように扱った。恭平も案外ひどいやつだと思う。

こうして恭平と一緒の生活はいつしか当たり前になり、3歳を過ぎた辺りから何をしていても何処へ行くにも、恭平は私を中心とした生活をしていた。ここまでになるにはもっと色々お話したいが、それだけで本が1冊出来るほどなので、省略する。
4歳を過ぎると、私と行動するときに必要な言葉を全て理解していて、必要以上の命令も心配も要らなくなっていた。私も恭平の表情や態度で意志の疎通が出来ているよう。一度ヘルニアを患った事があるが、皆は病気だと言い張ったが私には恭平の目を見ていると「ヘルニアだわ」と判る。なにより私の行動に合わせて恭平が行動する。車のサイド・ブレーキを踏んだら車から降りる。留守番と声をかけると、何時間でも車で待つ。私が車で出かける時にたまたま外にいると、走り去る私の車を追いかける。もちろん置いていく事は出来なくて、でも一緒にいても私の行動を邪魔するような事は一切無い。銀行へ連れて行っても、私が待っている間は何も言わなくても何時までも私の横で待つ。ある時この銀行で行員が声をかけてきて「この子はどうやってしつけをしたのか?」と聞いてきた。他にも沢山犬を連れてやってくるお客さんが来るが、リードを着けずに飼い主の横でじっと待てる子は恭平だけらしい。もちろん世間を見渡せば当たり前のことかもしれないが、私はすっかりうぬぼれてしまい、「世間も認めるいい子」だと錯覚した。そして、こともあろうか「この子の遺伝子をずっと残したい」とまで思ってしまった。恭平の子供を作り、その子供を作って恭平の遺伝子を残すのだ。その気持ちに追い討ちをかけるように友人はすでに3匹目を買ってきたところだった。その友人を見て多頭飼いはそんなに大変ではないとも感じた。
そしてその友人とペットショップへ。そして見つけたのがシンディー。

ペット・ショップで生後4週間のブラック・タンの女の子を発見。もちろん欲しいと思った。しかし、母は犬を2匹も飼うなんて絶対にイヤだと反対していたので買うことをためらった。しかし、買ってしまったらそのうち母もあきらめるに違いないと、購入を決意。家に連れ帰った。母は発狂。恭平は無視。父は可愛いと感動。一番問題なのは恭平。仲良くしてくれないと困るのだが、全く無視。近寄る事もしない。しかし、時間をかけたら何とかなるだろう。シンディーは割りと活発だが、恭平の子供の時のように激しさは無い。恭平にじゃれ付いたりするが恭平はすごく怒る。しかしシンディーはすぐに降参をしてしまう。何とか仲良くなって欲しい。
シンディーは何をしても可愛くて、嫌がっていた母もシンディーの可愛さには負けたようだ。問題は恭平だ。相変わらずシンディーを無視して、尻尾の毛にじゃれ付いたときなど、うなって怒る。しかしシンディーは直ぐに腹を見せて降参のポーズ。そんなシンディーのけなげな態度に何とか恭平も心を開いてくれるといいのだが。そして我が家に来て1週間後。シンディー嘔吐。何度も吐いた。食欲もあまり無い様子。獣医へ連れて行ったら「この子は伝染病にかかっている。今発病したと言う事はあなたたが買う前にかかっていた。すぐにペット・ショップへ返しなさい」と言われた。ついでに「うちでは治療できない。他のペットにうつるといけないからね」と言った。なんということだろう。シンディーは治療も受けられないのか?家で相談したら、違う獣医に診せたらどうだとう意見があり、友人の行く獣医に翌日連れて行った。「今すぐにどうなるという状況ではない。しかし、治療をしなければこの子は確実に死にます」と言われた。そして「ペット・ショップへ返すという行為はこの子を物として扱うという事で、私はそういう考えで獣医をしているわけではありませんから、シンディーのことを一つの命として扱い治療します」と言った。しかし、獣医でもここまで考え方が違うのだろうか?確かにこの子は我が家に来てたった1週間。しかし私にしてみればすでに家族の一員である。「病気にかかっている子をペット・ショップに返したらどうなるのか?治療を受ける事が出来るのか?それにこの子はもう我が家の家族の一員となった。治療をするのが当たり前ではないか?

毎朝、シンディーを点滴するために獣医へ連れて行き、夜7時頃家に連れて帰った。症状は安定していたが、もどす事が多くなり、下痢もひくなってきた。夜は私と母がシンディーを真ん中に挟んで一緒に寝た。少しでも愛情を感じてもらえたらいいなと思ったからだ。が私は疑問に思うことがある。我が家に来て10日程しか一緒に過ごしていないが、シンディーは私たちを家族と思っているのだろうか?もちろん私はシンディーを家族の一員としてこの家に招きいれた。出来るならシンディーにも私達を家族と思い、甘えて、わがままを言って欲しい。けれど、嘔吐した後の悪そうな表情といい、遠慮がちに私のひざで眠る姿といい、そんな態度を見ると、もっとシンディーに愛情をかけ、どっぷりと愛情を感じて欲しいと思った。
3日目になると食事が減り、痩せてきたのがありありとわかる。しかしまだ我が家を歩いておやつを欲しがったりしていた。4日目、突然発作を起こした。全身を引きつらせ、いかにも苦しそう。慌てて急患で診てもらうと、低血糖の発作との事。注射をしてもらったら割と元気になった。しかし先生が「これからも起こり得ることなので点滴の針はさしたままにしておきます。あなたなら出来ると思うので、発作が起きたらこの注射をさしたままの針のところから入れて下さい」と注射をもらって帰ってきた。
この時だったと思う。「病気が治るまで入院という形で預けてしまう人がいるが、それは自分が、病気で苦しむ子を見るのがつらいという人間のエゴ。飼い主がそういう考え方だと、ペットは助からない。飼い主が「この子はダメだ」とあきらめたときも、助からない。つらいでしょうがこの子はどんな形であれ愛情をかければそれに答えてくれる」と教わったのは。確かにそうだと思った。そしてあきらめる事は絶対に止めようと決意を新たにした。そして何より、この子が一番つらい。だからこそ出来る限りの事をしてあげたい。頑張って病気と戦っているのだから
5日目。病院へ行くときには毛布にくるんで行ったのだが、車に乗る寸前で抱かれながら、目を見開いて私に何かを訴えた。「まさか」と思い毛布の中を見てみると、ウンチをお漏らししていた。涙が抑えられない。おトイレはきちんと自分でしていたのに、その力も無くなったのか?抱きしめて泣いた。そしてお湯でお尻を洗って、きれいに乾かしてあげると、私の顔をなめる。まるで「ありがとう」とでも言っているかのようだった。何とかしてこの子を助けたい。
6日目。殆ど自力で排便できない。起き上がってトイレに行く前にもれてしまうという感じで、お漏らしをした後のシンディーの表情はとても寂しそう。「大丈夫だよ」とシンディーを拭きながら励ます私の目にはどうしても涙がこぼれる。温かいお湯で汚れを洗い流すと、何とも言えない安心したような表情を見せる。そして、近くにいて欲しいのだろうか?ヨロヨロと起き上がり、倒れそうになりながら私か母の所へ歩いてくる。そして、べったりくっついてとても満足げな表情で目を閉じる。そんなシンディーを時間の許す限り撫ぜていた。
6日目。夜、獣医へ迎えに行くと、ぐったりしている。しかし、私の顔を見たらペロペロなめてくれた。つい「あんまりつらかったら我慢しなくていいよ」と言ってしまった。そして何時までもシンディーは私をなめていた。シンディーは一生懸命生きようとしている。しかし、昼間は動物病院の冷たいベッドで点滴を受け、私の帰りを待つしかない。自宅に戻って私にそっと甘えるシンディーを見ると、治療を断念して、出来るだけ長くシンディーと一緒にいるほうがいいのだろうか?それは心の片隅にシンディーの病気が治らないというあきらめに似た気持ちをどこかに持っていたからなのだろう。
その夜、シンディーは寝ながら横に体を少しずつずらしてくる。すでに起き上がる力は残っていないのかもしれない。そして、シンディーの小さな顔を私の手のひらに乗せてきた。思わず起きて抱きしめた。こんなに体力が弱っているのに、甘えてくるシンディーを抱きしめた。そしてその朝、静かにシンディーは息を引き取った。あの時私の手に顔を乗せてきたのは、きっと彼女の精一杯の私へのお礼に違いない。お線香とろうそくを立て「ご苦労様」と声をかけた。それしか私には言葉が見つからなかった。あまりに短い一生だったけれど、少なくても愛情を知り、幸せな時間を過ごしてくれただろうか?しかし、私がシンディーにした治療は正しかったのか?苦しめるだけだったのだろうか?そんな自分に対する疑問も持った。あの時「我慢しなくていい」と言った私の言葉を、シンディーがどう受け取ったのだろう?あの言葉には後悔が残る。でもあんなに一生懸命頑張っていたのにそれ以上「頑張って」と言えるだろうか?たとえ言葉の通じない犬だったとしてもだ。
しかし、シンディーは私達の愛情に答えるよう一生懸命、生き抜こうといした。そうに違いない。
火葬場へ連れて行こうとした時、それまで絶対にシンディーのそばにもよらなかった恭平が、シンディーにお尻をくっつけて座っている。そして、シンディーの方へ向き直り匂いを嗅いで、ずっとシンディーの顔を見ている。そのまましばらく恭平はシンディーから離れなかった。

ペットショップへも連絡をした。「治療をしてくれてありがとう」とは言ったがそれ以上の言葉は無かった。その代わり、同じブラック・タンのメスが入荷となったらその子を私に優先的に格安で売ってくれるという。迷ったけれど、売ってもらう事にした。
ペットが物と同じように売買され、物と同じような扱いを受ける事がある。そうシンディーを亡くして痛感した。が犬といっても私達と同じで生を受けてこの世に存在する。新しい子を購入しようと決心した理由の中の一つが、物として扱われるのなら私がこの子を買って大切にしたいとうものだった。それに一度伝染病が発生するとそのペット・ショップは伝染病の危険はしばらくは残ることになる。シンディーと同じ辛い目にあう子は1匹でも少ない方がいい。
ペット・ショップには2匹の女の子がいるからどちらでもいい、と言われ、結局シンディーと同じブラック・タンの子にした。
しかし、シンディーはパルボ・ウィルスという伝染病にかかっていて、その菌はなかなか死なない。私の自宅で飼う事は危険を伴うので、弟がワクチンを打ち安全になるまで面倒をみることになった。

ペット・ショップで生後4週間のブラック・タンの女の子を発見。もちろん欲しいと思った。しかし、母は犬を2匹も飼うなんて絶対にイヤだと反対していたので買うことをためらった。しかし、買ってしまったらそのうち母もあきらめるに違いないと、購入を決意。家に連れ帰った。母は発狂。恭平は無視。父は可愛いと感動。一番問題なのは恭平。仲良くしてくれないと困るのだが、全く無視。近寄る事もしない。しかし、時間をかけたら何とかなるだろう。シンディーは割りと活発だが、恭平の子供の時のように激しさは無い。恭平にじゃれ付いたりするが恭平はすごく怒る。しかしシンディーはすぐに降参をしてしまう。何とか仲良くなって欲しい。
シンディーは何をしても可愛くて、嫌がっていた母もシンディーの可愛さには負けたようだ。問題は恭平だ。相変わらずシンディーを無視して、尻尾の毛にじゃれ付いたときなど、うなって怒る。しかしシンディーは直ぐに腹を見せて降参のポーズ。そんなシンディーのけなげな態度に何とか恭平も心を開いてくれるといいのだが。そして我が家に来て1週間後。シンディー嘔吐。何度も吐いた。食欲もあまり無い様子。獣医へ連れて行ったら「この子は伝染病にかかっている。今発病したと言う事はあなたたが買う前にかかっていた。すぐにペット・ショップへ返しなさい」と言われた。ついでに「うちでは治療できない。他のペットにうつるといけないからね」と言った。なんということだろう。シンディーは治療も受けられないのか?家で相談したら、違う獣医に診せたらどうだとう意見があり、友人の行く獣医に翌日連れて行った。「今すぐにどうなるという状況ではない。しかし、治療をしなければこの子は確実に死にます」と言われた。そして「ペット・ショップへ返すという行為はこの子を物として扱うという事で、私はそういう考えで獣医をしているわけではありませんから、シンディーのことを一つの命として扱い治療します」と言った。しかし、獣医でもここまで考え方が違うのだろうか?確かにこの子は我が家に来てたった1週間。しかし私にしてみればすでに家族の一員である。「病気にかかっている子をペット・ショップに返したらどうなるのか?治療を受ける事が出来るのか?それにこの子はもう我が家の家族の一員となった。治療をするのが当たり前ではないか?

毎朝、シンディーを点滴するために獣医へ連れて行き、夜7時頃家に連れて帰った。症状は安定していたが、もどす事が多くなり、下痢もひくなってきた。夜は私と母がシンディーを真ん中に挟んで一緒に寝た。少しでも愛情を感じてもらえたらいいなと思ったからだ。が私は疑問に思うことがある。我が家に来て10日程しか一緒に過ごしていないが、シンディーは私たちを家族と思っているのだろうか?もちろん私はシンディーを家族の一員としてこの家に招きいれた。出来るならシンディーにも私達を家族と思い、甘えて、わがままを言って欲しい。けれど、嘔吐した後の悪そうな表情といい、遠慮がちに私のひざで眠る姿といい、そんな態度を見ると、もっとシンディーに愛情をかけ、どっぷりと愛情を感じて欲しいと思った。
3日目になると食事が減り、痩せてきたのがありありとわかる。しかしまだ我が家を歩いておやつを欲しがったりしていた。4日目、突然発作を起こした。全身を引きつらせ、いかにも苦しそう。慌てて急患で診てもらうと、低血糖の発作との事。注射をしてもらったら割と元気になった。しかし先生が「これからも起こり得ることなので点滴の針はさしたままにしておきます。あなたなら出来ると思うので、発作が起きたらこの注射をさしたままの針のところから入れて下さい」と注射をもらって帰ってきた。
この時だったと思う。「病気が治るまで入院という形で預けてしまう人がいるが、それは自分が、病気で苦しむ子を見るのがつらいという人間のエゴ。飼い主がそういう考え方だと、ペットは助からない。飼い主が「この子はダメだ」とあきらめたときも、助からない。つらいでしょうがこの子はどんな形であれ愛情をかければそれに答えてくれる」と教わったのは。確かにそうだと思った。そしてあきらめる事は絶対に止めようと決意を新たにした。そして何より、この子が一番つらい。だからこそ出来る限りの事をしてあげたい。頑張って病気と戦っているのだから
5日目。病院へ行くときには毛布にくるんで行ったのだが、車に乗る寸前で抱かれながら、目を見開いて私に何かを訴えた。「まさか」と思い毛布の中を見てみると、ウンチをお漏らししていた。涙が抑えられない。おトイレはきちんと自分でしていたのに、その力も無くなったのか?抱きしめて泣いた。そしてお湯でお尻を洗って、きれいに乾かしてあげると、私の顔をなめる。まるで「ありがとう」とでも言っているかのようだった。何とかしてこの子を助けたい。
6日目。殆ど自力で排便できない。起き上がってトイレに行く前にもれてしまうという感じで、お漏らしをした後のシンディーの表情はとても寂しそう。「大丈夫だよ」とシンディーを拭きながら励ます私の目にはどうしても涙がこぼれる。温かいお湯で汚れを洗い流すと、何とも言えない安心したような表情を見せる。そして、近くにいて欲しいのだろうか?ヨロヨロと起き上がり、倒れそうになりながら私か母の所へ歩いてくる。そして、べったりくっついてとても満足げな表情で目を閉じる。そんなシンディーを時間の許す限り撫ぜていた。
6日目。夜、獣医へ迎えに行くと、ぐったりしている。しかし、私の顔を見たらペロペロなめてくれた。つい「あんまりつらかったら我慢しなくていいよ」と言ってしまった。そして何時までもシンディーは私をなめていた。シンディーは一生懸命生きようとしている。しかし、昼間は動物病院の冷たいベッドで点滴を受け、私の帰りを待つしかない。自宅に戻って私にそっと甘えるシンディーを見ると、治療を断念して、出来るだけ長くシンディーと一緒にいるほうがいいのだろうか?それは心の片隅にシンディーの病気が治らないというあきらめに似た気持ちをどこかに持っていたからなのだろう。
その夜、シンディーは寝ながら横に体を少しずつずらしてくる。すでに起き上がる力は残っていないのかもしれない。そして、シンディーの小さな顔を私の手のひらに乗せてきた。思わず起きて抱きしめた。こんなに体力が弱っているのに、甘えてくるシンディーを抱きしめた。そしてその朝、静かにシンディーは息を引き取った。あの時私の手に顔を乗せてきたのは、きっと彼女の精一杯の私へのお礼に違いない。お線香とろうそくを立て「ご苦労様」と声をかけた。それしか私には言葉が見つからなかった。あまりに短い一生だったけれど、少なくても愛情を知り、幸せな時間を過ごしてくれただろうか?しかし、私がシンディーにした治療は正しかったのか?苦しめるだけだったのだろうか?そんな自分に対する疑問も持った。あの時「我慢しなくていい」と言った私の言葉を、シンディーがどう受け取ったのだろう?あの言葉には後悔が残る。でもあんなに一生懸命頑張っていたのにそれ以上「頑張って」と言えるだろうか?たとえ言葉の通じない犬だったとしてもだ。
しかし、シンディーは私達の愛情に答えるよう一生懸命、生き抜こうといした。そうに違いない。
火葬場へ連れて行こうとした時、それまで絶対にシンディーのそばにもよらなかった恭平が、シンディーにお尻をくっつけて座っている。そして、シンディーの方へ向き直り匂いを嗅いで、ずっとシンディーの顔を見ている。そのまましばらく恭平はシンディーから離れなかった。

ペットショップへも連絡をした。「治療をしてくれてありがとう」とは言ったがそれ以上の言葉は無かった。その代わり、同じブラック・タンのメスが入荷となったらその子を私に優先的に格安で売ってくれるという。迷ったけれど、売ってもらう事にした。
ペットが物と同じように売買され、物と同じような扱いを受ける事がある。そうシンディーを亡くして痛感した。が犬といっても私達と同じで生を受けてこの世に存在する。新しい子を購入しようと決心した理由の中の一つが、物として扱われるのなら私がこの子を買って大切にしたいとうものだった。それに一度伝染病が発生するとそのペット・ショップは伝染病の危険はしばらくは残ることになる。シンディーと同じ辛い目にあう子は1匹でも少ない方がいい。
ペット・ショップには2匹の女の子がいるからどちらでもいい、と言われ、結局シンディーと同じブラック・タンの子にした。
しかし、シンディーはパルボ・ウィルスという伝染病にかかっていて、その菌はなかなか死なない。私の自宅で飼う事は危険を伴うので、弟がワクチンを打ち安全になるまで面倒をみることになった。

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